キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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城跡も、ここまで大きく、また整備されていると、十分な魅力がある。

今までの中では、岡城がよかったけれど、それでも石垣は荒れていた。
城跡に登っても、周りが何も見えないこともある。
石垣だけの魅力は、それほどでもない、と感じていた。
島原の原城のように、大きな歴史を抱えていたら、別だが。

竹田城の魅力については、後ほど。


道の駅「宿場町ひらふく」を出たら、5分ほどで、正蓮庵についた。
武蔵は、9歳の頃から決闘する13歳まで、ここで修行したという。

10年5月16日 (1)

初決闘のことは五輪書にあるため、Wikipediaにも、載っている。
ところが、この正蓮庵については、載っていない。 

武蔵の子どもの頃については、詳しく分かっていないようだ。
そういう中で、ここ寺が、自分の所で修行したと、言っているということかな。
※ 寺には、そのように伝わっている、ということでしょうね。
  定説にはなっていない。 ※ ネットで正蓮庵を検索しても、たくさん出てこない。

10年5月16日 (2)

走っていたら、神社に何かの説明があった。 
神社の名前は、八幡神社。 佐用町。

コヤスノキという、珍しい木があるという。

10年5月16日 (3)

この、小さな木が、コヤスノキ。  ※ レッドデータブックで、準絶滅危惧種。
岡山県の東部から兵庫県の西部にかけての、限定された地域に生育するそう。
ところが、日本にはここにしかないのに、中国大陸や台湾には、あるという。
だから、日本と大陸が繋がっていた、ずっと昔からある木と考えられている。

※ 私は意地悪だから、こうも思う。
  誰かが昔、中国から持ってきて植えた。 それが、広まった。
  神社や寺に多いというのが、あやしい。

10年5月16日 (4)

竹田城跡は、朝来市にある。
遠いので、途中、何かあったら、今日はそこと決めていたが、結局行ってしまう。

これが地図。 黄色が駐車場。     場所は、ここ

ぐるっと下を通って、赤○に行く。 ゆるい坂。 帰りは、青の○から、急な坂。
天守は、紫の○の所。

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ここは、朝来市。 あさごし、と読む。 私は、読めなかった。
生野銀山のある町だった。

ここから、スタート。

10年5月16日 (5)

暖かいから、トカゲもチョロチョロ。 何度も見た。 花も、いっぱい。

10年5月16日 (6)

ホオノキ(朴の木)の花。 私の手に余る大きさ。 初めてみる。  葉っぱで、朴葉味噌とか作る。

10年5月16日 (7)

15分ほどで、着いた。 地図の右の方の、大手門。 

10年5月16日 (8)

見晴らしの良さに、驚いた。 北千畳という場所。

10年5月16日 (9)

右の方の高い所に、本丸が。 

10年5月16日 (10)

山名持豊(宗全)によって、まず作られた。 この人は、但馬国の守護大名。
1441年から3年かけて。

10年5月16日 (11)

羽柴秀長から赤松広秀の城主時代に、改修工事が行われた。 13年間。
それにより、全体が石垣づくりになり、今の姿になった。 建物も完成。

本丸方面から、北千畳を。 たくさんの人がいる。 ここは観光地だった。

10年5月16日 (12)

最後の城主は、赤松広秀(ひろひで)。
この人は、関ヶ原の戦いでは西軍に属した。
しかし、徳川方の誘いで、鳥取城攻めに加わった。
赤松広秀は、鳥取城を攻め落とす戦果を上げたが、城を燃やしてしまった。
家康がそれを怒り、切腹させられた。
1600年のことで、城も廃城になった。

右の北千畳と本丸の、中間辺り。 武の門。

10年5月16日 (13)

赤松広秀は、山城は終わる時代に、夢中になって造った。 13年間も。

朝来市の南部。 国道312が通っている。 向こうから、私は来た。

10年5月16日 (14)

城を造ると言っても、働くのは、ここの土地の農民。
竹田城が大きいということは、農民の負担が、それだけ大きかったことになる。

実際に農民の不満は大きく、逃げ出す者もいたという。
田の世話が出来ないので、「田んぼに松が生えた」とまで言われている。
このことがあるからか、赤松広秀は、土地の人に、好かれてる感じがしない。

この辺りは、武田信玄とは、全く違う。
昔の殿様は、今の時代になっても、地元では好かれていることが多いのだが。

本丸国道側(東側)の石垣。

10年5月16日 (15)

石垣は美しいが、当時の農民のことを考えたら、複雑な気持ちになる。

向こうは南。 左下を、高速が通っている。

10年5月16日 (16)

ここは、地図では上の方の、花屋敷と呼ばれるところ。 崖にどこまで近づくかは、人によって違う。

10年5月16日 (17)

こんな感じだから、「天空の城」とも呼ばれるのか。 南方面の、南千畳。 地図の左の方。

10年5月16日 (18)

一番高い所。 天守閣があった。

10年5月16日 (19)

南方面でいいかな。 広いので、分からなくなる。

10年5月16日 (20)

この人達は、南千畳に。

10年5月16日 (21)

こんな感じ。

10年5月16日 (22)

南千畳。 どんな建物があったのでしょう。 想像図でいいから、見てみたい。

10年5月16日 (23)

天守。

10年5月16日 (24)

石は、でたらめに積んでいるように見えるが、そうでない。
穴太積み(あのうづみ)と、言うそう。  安土城・姫路城が、この積み方。

10年5月16日 (25)

南千畳の南の端。 城全体の南端でもある。 人がいた方がいいので、勝手に撮影。
※ 別の場所で、この人達に、写真の撮影を頼まれる。 その時に、撮ったことを話す。
  駐車場に戻って、再び会う。 少し話した。
  このブログの最初の方に、2回出てくる。

10年5月16日 (26)

田んぼの風景は、いい。

10年5月16日 (27)

西側(地図の上)の高速の橋。

10年5月16日 (28)

帰りは、花屋敷から、急な坂を通って戻った。 (ekさんのアドバイスの道)

10年5月16日 (29)

ここが、駐車場。

10年5月16日 (30)

この城は、壮大な規模だ。 また、美しい。
でも、その裏に、生半可でない農民の苦労が見えるので、美しさとは別の物も感じる。
それを忘れないためにも、この石垣は、今のまま残すのがいいと思う。

城跡に、かつての領主を称える石碑や銅像は全くなかった。
今後、城跡に、天守閣などが復元されることは、きっとない。

最後に、竹田城跡の魅力をまとめると、

① 石垣を含めた、城跡の美しさ。
② 頂上から四方を見渡せる、風景の良さ。
③ 山の下から登ることもできる。 ここの城は、駐車場から登っても登山の感じがする。
④ 歴史を感じることができる。

竹田城跡は、「天空の城」を感じる、一番の場所かもしれない。


【道の駅】   農匠の郷やくの    ここです。  京都に入っている。

【明日の予定】  この近くを歩きます。  何か小さな物の発見かな。

【今日の歌】   天空の城ラピュタの主題歌「君をのせて」(YouTube)


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兵庫県に入った。  兵庫県は、近畿だ。
津山市の駐車場など、調べる時間がなく、東に動いた。
規模の大きな棚田と、武蔵初決闘の場があった。

東の方の道の駅を見たら、「宿場町ひらふく」があった。 
そこは、宿場町だったので、今日はここにした。


乙大木谷の棚田。  ※ おつ おおきだに と読む。   場所はここ
棚田百選に選ばれていた。

広い。 田の枚数は、988枚。 まさに、千枚田。

10年5月15日 (1)

甲大木谷にも棚田はあった。 規模は小さかったが。
同じ名前で、甲と乙。  
今日は、棚田を下から見たが、上から見た方がいいのかな。 そうしたら、水面が全部見える。


道の駅「宿場町ひらふく」に、車を置いた。 
宿場町の中に、道の駅はあった。 便利だ。   場所はここ

赤い○が道の駅。

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上の地図の、左の方に、下のがあった。

10年5月15日 (2)

この辺りで、武蔵が、初めて決闘したという。 
13歳。 1597年。 (生まれた年を、1584年にすれば。 1582年説もある)

橋は、金倉橋。 ここの道は、因幡街道。 橋の手前を左に行ったら、平福の宿場。 
橋を渡って行ったら、姫路方面。  ※ 因幡街道は、姫路から鳥取への街道。 

10年5月15日 (8)

何でここなんだ、と言うことだが。
武蔵は、ここより北で生まれたという説がある。 それによると、

武蔵は、父の後妻に育てられている。
父が死んだだめ、後妻だった人(義母)は、平福に帰った。
武蔵は義母を追って、この町に来た。 正蓮庵という寺に預けられた。 この寺は、義母の叔父の寺。
武蔵は、叔父の弟、長九郎に武芸を習った。

そんなことで、武蔵は、この平福にいた。

10年5月15日 (3)

その根拠が書いてあった。 五輪書の文。

10年5月15日 (4)

NHKが扱うことも、信頼性を高めている。
NHKは、反論された時のために、それなりの根拠を持っている。

例えば、NHKは、山本勘介を大河ドラマで扱いたかったが、実在がはっきりしないため、できない。
そういう中で、釧路で新しい資料が発見された。
この資料で、NHKは勘介の実在を確信した。
そして、大河ドラマ「風林火山」は生まれた。

普通の伝説とは違って、本当である可能性は、高いでしょうね。 半分以上とか。

13歳で決闘とあるが、負けたら死ぬ。
武蔵は二刀流だったが、片手で刀を扱えるだけの体力があったから出来たそうだ。
ということは、13歳のときには、大人の体力がきっとあった。

こんなの、楽しい。

10年5月15日 (10)

金倉の六地蔵。 昔ここに平福藩刑場があったそう。 供養のために作ったんでないかと。
※ 刑場の露に消えた、という表現があるが、どうして露なんだろう。

10年5月15日 (5)

久しぶりに、いい表情の地蔵に会った。 優しい感じ。 両方、きっと同じ人が作った。
仏像の顔でなく、人間の顔。

10年5月15日 (6)    10年5月15日 (7)

面白い。

10年5月15日 (9)

決闘の場所から歩いて、こっちに来た。

10年5月15日 (11)

こういう町並み。 江戸時代の前までは、城下町。 その後は、宿場町。
昔の町並みは残っているが、伝建地区ではない。  ※ 重要伝統的建造物群保存地区。

10年5月15日 (12)

作用川。 去年この川が氾濫して、道路の車が流されたという。 道で会った人が教えてくれた。
私はちゃんと信用しなかった。 ekさんのコメントを読んで、本当だと知った。
                           ※ 佐用町の昨年の水害の様子(YouTube)   佐用町の中心街は、ここより少し南。

10年5月15日 (13)

歩いていたら、こんな花が。 お爺ちゃんがいて、花に水をやってた。
花の名前を聞いたら、サツキと言った。 ツツジかと思った。
※ サツキはツツジの一種。 普通のツツジより、花の咲く時期が遅いそう。
  その時期は、五月(さつき)。 だから、サツキ。
  五月(さつき)と言えば、五月みどり。 (少し古いけど)
  コメントを頂いた、「丑三つの村」(うしみつのむら)に出ていた。  丑三つの村(YouTube)

10年5月15日 (14)

このツツジは、昭和の初めに、母親が植えたと言った。  ※ 本人は、大正生まれ。

10年5月15日 (18)

いい色。 名前を聞いたが、メモしなかった。

10年5月15日 (15)

黄色はシャクヤク。 オレンジは、ボタン。 緑は、コゴメ花。 教えてくれた。

10年5月15日 (16)

お爺ちゃんの話は、全部終わると、最初に戻った。
最初の、お母さんがサツキを植えた所から、繰り返した。 これが、楽しい。
初めて聞いたように、私は、1回目とは別の相槌を打った。

シャクヤクが1輪咲いていた。

10年5月15日 (17)

山の方に行ったら、国道があって、道の駅。 反対側は、駅に行く。
角の建物は、昔の本陣。 鳥取の殿様は、ここに泊まって、姫路に向かった。 そして、江戸へ。

10年5月15日 (19)

本陣跡とある。

10年5月15日 (20)

さらに、こんな道が。

10年5月15日 (21)

新しい家の前の、コンクリート。 滑らないように、ほうきでギザギザを。

10年5月15日 (22)

薄暗くなってから、少し散歩。

10年5月15日 (23)

平福駅。 智頭線(ちずせん)が通っている。

10年5月15日 (24)

ネットのニュース。

中国のハルビン市に、旧日本軍731部隊細菌戦の遺跡がある。
それが、世界遺産に申請するそうだ。
もし登録されたら、負の世界遺産は、3つ目。 アウシュビッツと、原爆ドームと、これ。

30年ほど前、731部隊について、本を読んだ。
下の本もそう。 日本もひどいことをした。   731部隊(Wikipedia)

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岡山県をあっという間に通りぬけて、兵庫県に入った。
また、京都が近付いてきた。 1週間くらいは、いるかな。 

私は、29日までに、車の車検を取らなければならない。
亀岡の町がいいか。 そろそろ、調べなければ。

    ※ 関連ブログ  剣聖丸目蔵人佐 ~宮本武蔵も一目置いていた?


【道の駅】    宿場町ひらふく

【明日の予定】  ekさんが、竹田城跡を紹介してくれている。 そっちに向かうか。
         兵庫県の詳しい本がない。


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討ち入りがあったのは、元禄15年12月14日。
今年も、その14日が近づいています。
大石神社では、義士祭の準備が始まっていました。


追記 キムヨナは、逆転で勝ちました。 一安心です。 (8時33分)


外堀まで含めたら、広い城でした。
骨組みだけの城が見えます。
14日の義士祭には、ライトアップされます。
夜の闇に、赤穂城が浮かびます。

IMG_1635sdr.jpg

内堀の浅い所にこんな鳥が。

9年12月5日 (2)

ここから、城や本丸御殿のあった所に入った。

9年12月5日 (3)

今の状態の地図。

9年12月5日 (4)

城の形で、パイプが組まれていた。 業者が、ライトアップの準備をしていた。
昔の御殿の基礎の部分だけ、復元されて、場所の名前の標示があった。
大きな大名でなくても、これだけの城を持てた時代だったと、知った。

9年12月5日 (5)

大石神社。 四十七士が並んでいた。

9年12月5日 (6)

江戸時代から、忠臣蔵と呼ばれる話が出来、今も多くの人が来ていた。

9年12月5日 (7)

赤穂事件の、また忠臣蔵の何が、人々を惹き付けるのでしょう。

四十七士の像があった。 作者は別々。 その時代の著名な彫刻家が作っていた。
どれも漠然とした表情ではなく、場面の説明があり、その時の表情だった。
こころの中が読み取れるので、面白い。

9年12月5日 (9)

大石内蔵助。

9年12月5日 (8)

凶報を聞いた直後。 自宅から城に向かう時。
吉良に対する恨みより、主君の無念を思いやっての表情か。

9年12月5日 (10)

大石主税(ちから)  

9年12月5日 (12)

上の父を不安げに見詰めている。 この時、14歳。

9年12月5日 (11)

四十七士の名前。 ※ 私は、詳しくは分からない。

9年12月5日 (13)

大石邸長屋門。  ※ 長屋の様な細長い家の中央が門になっているので、この名前。  花沢集落で見た。
邸宅は火事で、今はない。

凶報は、この門を通って、内蔵助に知らされた。

9年12月5日 (15)

300年前にもこの木はあった。 すべてを見ていたと、書いてあった。

9年12月5日 (14)

宝物殿に、当時のものが展示されていた。 (撮影可能)

討ち入りの時の服装。 

9年12月5日 (19)

金具がつなぎ合わさっており、忍者が使用していたのに似ていた。

9年12月5日 (20)

内蔵助が使用していた、刀。  ※ 展示物は、すべてガラス越し。

9年12月5日 (16)

討ち入りの時の采配。

9年12月5日 (17)

合図に使った笛。

9年12月5日 (18)

赤穂事件の概要。

9年12月5日 (21)  9年12月5日 (22)  9年12月5日 (23)  9年12月5日 (24)

9年12月5日 (25)   9年12月5日 (26)   9年12月5日 (27)   9年12月5日 (28)

9年12月5日 (29)   9年12月5日 (30)   9年12月5日 (31)   9年12月5日 (32)

9年12月5日 (33)  9年12月5日 (34)

赤穂事件にまつわる話が知りたかったが、特になかった。
ネットで調べてみた。 面白いのを二つ。(Wikipediaより)

① 薩摩の剣客村上喜剣は、京都の一力茶屋で放蕩を尽くす大石内蔵助をみつけると、「亡君の恨みも晴らさず、この腰抜け、恥じ知らず、犬侍」と罵倒の限りを尽くし、最後に大石の顔につばを吐きかけて去っていった。しかしその後、大石が吉良上野介を討ったことを知ると村上は無礼な態度を取ったことを恥じて大石が眠る泉岳寺で切腹した。大高源五の墓の隣にある「刃道喜剣信士」という戒名が彫られた墓はこの村上喜剣のものであるといわれる。

綱吉の処分を下すまでの動きとして、こんなのが。 

② 将軍綱吉は助命に傾くが、かつての自分の裁断が過ちだったことを認めてしまうことにもなりかねないので、皇族から出された恩赦という形を得るため、輪王寺門主として上野寛永寺に居住する公弁法親王に拝謁し、それとなく法親王から恩赦を出すよう依頼するに至った。

 しかし法親王は「亡君の意思を継いで主が仇を討とうというのは比類なき忠義のことだとは思う。しかしもしこの者どもを助命して晩年に堕落する者がでたらどうであろうか。おそらく今回の義挙にまで傷が入ることになるであろう。だが、今死を与えれば、後世までこの話は語り継がれていくことになるだろう。時には死を与えることも情けとなる」と延べ、これをもっともと考えた将軍綱吉は赤穂浪士へ切腹を命じることを決意した。

こんな考えもあるのか。(後の世に考えた感じもするが)


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義経は庶民からだけでなく、芭蕉からも好かれた。
島原の乱も、天草四郎の戦いは無駄ではなかったと、長崎の人たちは位置づけした。

大きな力に立ち向かう、その勇気に賞賛を贈るのか。
何が、人々を惹きつけるのでしょうね。
義士祭を見てみたいが、今回はあきらめます。 いつかきっと。

※ きのう、あることに気づいた。 しうさんのコメントの一言だった。
  義士祭を見てみませんかと。
  これからの旅は、お祭りや盆踊りも、追ってみようと思う。 日程を調べておいて。
  そうしたら、八尾も行けるし、東北のお祭りも見られる。 秋田県の、西馬音内盆踊りも。

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フィギュアスケートの、グランプリファイナルが終わりました。
キム・ヨナは、勝ちました。
高い点数ではないが、今までの勝利の中で、一番大きな勝利だったように思う。
調子は良くなかったが、決定的なミスをしないで勝てたことが、自信になった。

演技の後のヨナの表情は、今の自分はこんなもんですね、と、そんな感じだった。
昔のように、舌を出すこともなかった。
得点が出た後のオーサーコーチの態度は、決してヨナを落胆させるものではなかった。
2月に向けて、また練習しよう。 そういう表情だった。

ppkフリー 

私は、完璧に勝つことを願っていたが、これはこれで、オリンピックに向けていい経験だと思った。
2ヶ月間の練習が、よりいっそう充実したものになる。

今日勝ったことで、私の年末は、明るくなった。
ちょっとした事では、怒りませんよ。

    グランプリファイナル、フリー演技(YouTube)


【道の駅】  一本松展望園  ここです。  夜はゲートが締まって、その中に一人。

9年12月5日 (35)

【明日の予定】   景色がいいので、この辺りを。

【今日の歌】    青春への手紙(エムズの片割れ) 手仕事屋きち兵衛さんです。 

           チェ・ゲバラの曲です(YouTube)  久しぶりに。


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ランキング

室津が面白そうと、朝、地図を見て分かった。  場所はここ
三方を山に囲まれた、天然の港だった。
また、街並みに江戸時代の名残があった。

浄運寺で、この町の歴史と、遊女友君、またお夏清十郎の話も聞かせてもらった。
多くの歴史を秘め、美しい瀬戸内の、風光に恵まれた港町だった。

フィギュアスケートのショートプログラムは、キムヨナは うまくいかなかった。
テレビは見るのやめました。 明日見ます。
その後、今日のも見て、記事を書きます。 繊細なスポーツです。
これなら、オリンピックに向けて、完璧な自信は付かない。

浅田真央が復活したら、真央にもチャンスが生まれる。
そうなるかも知れない。
  

ランキングの順位は、4位が続いています。 驚いています。

とりあえず。 (8時27分)


室津は、湾の中の、小さな入り江の奥にあった。

9年12月4日 (4)

上の写真は、下の図の左下の○から撮影。

9年12月4日 (30)

室津は、下の写真の黄色の湾の中の、さらに、オレンジの小さな湾。
私は今、左の相生湾の奥にいる。

IMG_1631hhjno2

オレンジを拡大するとこう。

IMG_1631hhjno5

一番上の写真は、○の所から撮影。

IMG_1631hhjno55

ここに車を置いて、歩いた。

9年12月4日 (3)

イカを釣ってる人がいた。 ヒイカと言うそうだ。

9年12月4日 (2)

室津海駅館があったので、入った。 ここで、地図をもらい、情報を集めた。

9年12月4日 (5)

ここ室津は、西国大名が参勤交代で江戸に行くとき、ここまで船で来た。
また、船での交通の要衝(要所)として栄えた。

2階の部屋。 広い。

9年12月4日 (8)

障子が美しい。

9年12月4日 (9)

こうです。

9年12月4日 (10)

殿様の食事として展示してあったが、今と変わらない感じがする。

9年12月4日 (6)

室津がこの場所にあって、なぜ栄えたかが分からないとダメだ。 こうだった。(この後行く、浄運寺で分かった)

瀬戸内海には島がいっぱいある。
だから、波も穏やかだし、海の流れもゆっくりだ。
ところが、この室津の東は、もう淡路島しかない。 海は広くなる。
波は大きくなり、明石海峡の流れは速い。

だから、多くの船は、室津の西から船を利用した。

昔の船は、人力だし、帆で進んだ。
ここで、波が収まるのを待ち、また風を待った。

昔の風情を残した街は、どこも細い道だ。

9年12月4日 (1)

室津は、伝建地区に認定されていない。 だから、古い家ばかりではない。
                        ※ 伝建地区・・・伝統的建造物群保存地区。(認定の第1号は、三年坂など)

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今に残った家は、大事に保存している。(海駅館で聞いた)

9年12月4日 (11)

経済の発展が始まった時、家の建て替えが始まった。
その頃に気づかないと、妻籠宿大内宿、また関宿のように今には残らない。

この狭い所に、お寺が多い。 今も5つある。 昔は15程あったという。
裕福な檀家が多かったことが、分かる。

坂の上に細い道。

9年12月4日 (22)

今でも、が咲いていた。 

9年12月4日 (23)

賀茂神社に向かった。 小高い所から海を見た。 右の方は、島がいっぱい。

9年12月4日 (13)

右に、大きな湾が入り込んでいる。

9年12月4日 (14) 

賀茂神社。 京都の賀茂神社と同じ祭神を祀っているという。 大きい。

9年12月4日 (16)

9年12月4日 (17)

昔の図。 多宝塔があったが、明治に入って取り壊された。

9年12月4日 (15)

浄運寺に向かった。 

きびいしい表現の標識だ。 道が広くないから、駐車されたら困る。

9年12月4日 (19)

これが、遊女友君の塚。 

9年12月4日 (24) 

浄運寺。 寺の方が、中を案内してくれ、30分以上説明してくれた。

IMG_1586sdr.jpg 

遊女友君については、こうだった。 ※ 説明していただいた内容と、歌語り風土記というサイトから。

 室津は遊女発祥の地とも言われ、古代から江戸時代までにわたって繁栄を極めた。
 
 建永二年(1207)、法然上人が、七十四歳で讃岐へ流されるとき、室津の港で一人の遊女に出会った。
 遊女は、友君と言い、かつては山吹の名で木曽義仲の寵愛をうけ、流浪の果てに、その罪深き身を嘆いて救いを求めてきた。
 法然は女を哀れんで念仏の功徳を説き、歌を書いて与えた。

  ○仮そめの色のゆかりの恋にだに、あふには身をも惜しみやはする  法然

 感激する友君の求めに応じて、自身で刻んだ頭像を与へ、法然は港を出ていった。
 友君はこの頭像に胴体をつけようと、粘土をこね、月日をかけて何度もつくり直して法然上人の像を完成させた。

この像は、ここ浄運寺にあった。

小さな方の船の、左端が友君。

9年12月4日 (25)

この浄運寺は古いお寺で、鎌倉時代以前の仏像がたくさんあった。
お夏と清十郎の、お夏の像も。 ここ室津は、清十郎の出身地。
このことについても、説明してくれた。

概略は、こうです。

 但馬屋という店の主人の娘、お夏と、使用人、清十郎の身分違いの悲恋物語。
 駆け落ちしたものの、程なく二人は姫路藩士に捕らえられ、清十郎は刑死。お夏は狂乱する。

詳しくは、このサイトがいいでしょうか。

これは、しゅろの木。 この木で、鐘を突く棒を作るそう。

9年12月4日 (26)

法然上人が貝で掘ったという、貝掘の井戸。

9年12月4日 (27)

貝堀の井戸については、伝説の要素が強いと思う。
ただ、友君や、お夏清十郎については、それに近い内容で、実際にあったかもしれない。

歴史の事実だけ知ってもつまらないが、そこに登場する人たちの、動きや心情が見えてきたとき、急に面白くなる。
そう思いますね。


ウルメというのはイワシかな。 1串買った。 
焼いて食べた。 はらわたが苦くて美味しかった。

9年12月4日 (28)

戻る途中、万葉岬から。 右に、相生湾がある。

9年12月4日 (29)


【道の駅】    同じです。

【明日の予定】  赤穂に向かいます。 

【今日の歌】   北国行きで(YouTube) 朱里エイコのハスキーな声がいい。若い頃の画像が出ます。
                                「いつも別れましょうと・・・」と歌う、この一節が好きです。

          ゴッドファーザー(YouTube) 曲は別。 いいですよ。 最近他の曲になっていたが、戻った。 曲名を知りたい。


【ブログランキング】   国内旅行3位、旅行全体で9位です。 どうしたんでしょう、とさえ思います。

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冷たい雨が降りました。 
夕方、少しの間やみました。 赤穂御崎(みさき)に行ってきました。
その後、ラドン温泉に入って、体はぽかぽかです。
牡蠣湯葉豆腐が美味しいよって、メールが来ました(二人から)。
それを肴にお酒を飲みました。 極楽。

氷雨の歌を探しました。 いいのが見つかりました。
また、悲しい酒も探しました。これも見つかっています。
今日の歌は、女の人が酒場で一人飲む酒の歌、にします。


張り切って動くぞ、今日は、と思っていたら雨が降ってきた。
雨は止まない。
3時前に、やっと小降りになってきた。

赤穂御崎に向かった。 道の駅から、10㌔だ。
そこは、温泉街でもあった。

9年12月3日 (2)

神社があって、女の人3人連れが、熱心にお参りしていた。

9年12月3日 (3)

※ ちゃんとお願いして、お参りしている姿を、撮らせてもらえば良かったかな。 
  こういう時は、今度そうするか。
  神社だけ撮ってもつまらないから。
※ きっかけのつかみ方を、一つ勉強した。

ここが、赤穂御崎。 瀬戸内海だ。  場所はここ

9年12月3日 (4)

この写真に小豆島が写っているが、気がつかない。

9年12月3日 (5)

左に道があったので行ってみた。 いい景色だ。
石碑が眼に入った。

9年12月3日 (6)

松と石碑だ。

9年12月3日 (8)

6月25日に、ここを出たとある。 これについて調べてみた。(赤穂事件

江戸城で事が起きたのは、1701年(元禄14)の3月14日。(旧暦)
赤穂城を開城するか、籠城するかでもめるが、開城することになる。
開城は、4月19日。
Wikipediaには、6月12日に赤穂を去るとなっている。
※ 少しのずれはあるが、この頃か。

9年12月3日 (9)

今は枯れ枝に、とあるが、太い幹は枯れたということか。
下の写真には、太い幹を切ったのが見える。 それかな。

IMG_1481f

※ 昔見た忠臣蔵の映画で、忘れられない場面がある。
  (内蔵助は、加藤剛だったかな)
  内蔵助は、仇討は止めたと家来に伝える。
  それで去って行った者は、仲間から外れた。
  仇討に対する思いの深さを、確かめた。

小豆島だと思って撮ったら、別の島だった。(西島という島のようだ)

9年12月3日 (7)

道路が写った。

9年12月3日 (11)

小豆島はどれなんだと、写真を調べた。
あった。 これだ。 (上の方の写真にも、小さく)
6月に、四国から、フェリーで渡った。 いいとこだった。  

※ 大石先生に関しては、ここに。 田中裕子がよかった。 笑顔の素敵なおばあちゃんにも出会った。

IMG_1463fty

こんな鳥が。

9年12月3日 (10)

40分ほどいて、戻った。 道の駅に着いた時には、雨だった。
ほんの1時間ほど、雨は降らなかった。

9年12月3日 (1)

ここの温泉は、ラドン温泉。 ラドン温泉の効能は、科学的に証明はされていない。
体が、温まることが知られている。
5分くらい湯船につかって、汗が噴き出るか、のぼせるくらいになれば、本物。
ここは、本物のようだ。

湯船に入って、お湯の温度が分かりにくい。 体が火照ってくるからか。
10分も入らなくても、十分に体は温まる。 

ラドンの効能は、血管を広げ、新陳代謝を盛んにすると、何かの説明にあった。(科学的な証明はないが)

※ ラドン温泉については、昨年の12月28日のブログに。 
  前日、廃墟に探検に行った。 その時、初めてラドン温泉を知った。
  この28日に、昨日のブログのしうさんが、菊池に戻ったと載っている。

昨日のブログの寅さんが、カキ飯が美味しいと言った。 それが無いので、牡蠣そのもの。
それと、しうさんが、道の駅に湯葉豆腐があるよと言ったので、これ。 初めて食べる。  

9年12月3日 (12) 

カキは、まったく臭みのない新鮮なものだった。 処理の方法がいいのかな。
道の駅でもらったユズを絞って、少し醤油を入れて食べた。

湯葉豆腐は、とろっとした食感のものだった。 中に湯葉の塊があった。
わさび醤油で食べた。 ポン酢みたいのでも。 
何も付けないで食べたら、ほんのり味がした。 おいしい。

カキを食ったけど、柿ではないので、鐘は鳴らなかった。
仕方ないから、自分で一句つくった。

   かきくえば わたしもたべてねと ゆばとうふ


明日は天気が回復する。 今度こそ、動き回れるでしょう。


【道の駅】    同じです。 あいおい白龍城

【明日の予定】  赤穂市ですね。 晩に、スケートがあるので、少しいそがしい。

【今日の歌】   氷雨(YouTube)   録音が良くないが、この人、日野美歌のこれが一番いい。
                       北海道のこの時期の氷雨は、みぞれ交じりになる。 凍えるように冷たい。
             テーマの似た曲を、あと二つ載せます。
          
          酔わせてよ今夜だけ(YouTube)  城之内早苗です。 作曲は森高千里。 昔歌いましたよ。酔っぱらって。
                                     この人は、北の岬の舞台である、雄武の日の出岬に行ってるんですよ。

          悲しい酒(YouTube)  美空ひばり。 いいのをやっと見つけた。


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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
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