キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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せっかく来たからと思って、見た。 大衆演劇と、舞踊ショー。
大衆演劇って何なんだろうなって、見た。

午前の部は、10時30分から始まる。
20分前に入った。 料金は、200円の割引きで、1800円。

バス2台分のお客さんがいた。

10年7月30日 (1)

みんな弁当を食べている。 これは、予約すれば、康楽館で用意してくれる。
舞台が始まっても、食べてていい。 酒も構わない。 うらやましかった。
昔の小さな学校の学芸会が、このように食べていた。
こういう演劇に影響されたのかな。

10年7月30日 (2)   10年7月30日 (3)  IMG_6pplloo589.jpg

撮影は出来なかったが、「遠き都に帰らばや」という大衆演劇が始まった。 ※ チラシに、大衆とあった。
小坂の町を舞台にしたものだった。

主人公は山神の子として生まれ、特別な力を持っていた。
※ 話の筋として、こう言う設定は多いのかな。 鶴姫もそうだった。

面白かったかどうかは、少し難しい。
展開が分かりにくいのと、会話のスピードが速いため、聞き取れない所があった。
※ 土砂降りの雨が、屋根にぶつかっていたこともあるが。

この先の展開がどうなるだろうと、わくわくはしなかったが、退屈はしなかった。
そんな感じだった。
最後は、主人口が特別な力を発揮して、火事になった小坂の町を助けた。


後半の、舞踊ショーが始まった。 フラッシュ禁止で、撮影は出来る。

10年7月30日 (4)

音響や照明などの舞台装置がいいから、市民会館とかで見るのとは違った。

10年7月30日 (5)

しぐさと表情をねらって、写真を撮った。

10年7月30日 (6)

この人の表情に変化があったので、多く撮ることになった。

10年7月30日 (7)

10年7月30日 (8)

10年7月30日 (9)

10年7月30日 (10)

10年7月30日 (11)

10年7月30日 (12)

10年7月30日 (13)

ここで、曲が変わった。 ここに出ない人は、着替えをしている。

10年7月30日 (14)

10年7月30日 (15)

10年7月30日 (16)

花道の切穴から、出てきた。 この人は座長。 門戸竜冶。

10年7月30日 (17)

荒城の月を踊った。

10年7月30日 (18)  10年7月30日 (19)

言葉の意味に合わせて、振り付けはあるようだ。

10年7月30日 (20)

10年7月30日 (21)

ここで、座長挨拶。 この人は、この後、女形をやる。

10年7月30日 (22)

準備の間、お笑いショーが。

10年7月30日 (23)

10年7月30日 (24)

客席から、特別出演。 一度やってみたいと思った。

10年7月30日 (25) 10年7月30日 (26) 10年7月30日 (27)

変身して、登場。

10年7月30日 (28)  10年7月30日 (29)

小林幸子に雰囲気が似ているなあ、と思っていた。

10年7月30日 (30)

身のこなしは、女の人以上。 表情の変化は、上の女の人にはかなわない。

10年7月30日 (31)

10年7月30日 (32)

10年7月30日 (33) 10年7月30日 (34) 10年7月30日 (35)

この人を追った。 表情が豊かに変化した。

10年7月30日 (36)

10年7月30日 (37)

10年7月30日 (38)

10年7月30日 (39)

10年7月30日 (40)

10年7月30日 (41) 10年7月30日 (42) 10年7月30日 (43)

10年7月30日 (44)

10年7月30日 (45)

10年7月30日 (46)

10年7月30日 (47)  10年7月30日 (48)

座長、再度登場。

10年7月30日 (49)

10年7月30日 (50)  10年7月30日 (51)

変わった。

10年7月30日 (52)

10年7月30日 (53) 

着替えて登場。  この人は、秋田美人とは違う。 

10年7月30日 (54)

10年7月30日 (55) 10年7月30日 (56) 10年7月30日 (57)

10年7月30日 (58)  

10年7月30日 (59)  10年7月30日 (60) 10年7月30日 (61)

10年7月30日 (62) 10年7月30日 (63) 10年7月30日 (64)

10年7月30日 (65) 10年7月30日 (66)

10年7月30日 (67)

10年7月30日 (68)

最後の場面。 挨拶。

10年7月30日 (69)

10年7月30日 (70)

10年7月30日 (71)

客を見送る。

10年7月30日 (72) 10年7月30日 (73)

康楽館前の通り。 アカシアの並木。

10年7月30日 (74)

鉱山事務所が見える。

10年7月30日 (75)

人情の機微を演じ、観客の涙を誘う。
今日見た演劇は、そんな内容だった。 これも、一つの文化なんだなと思った。
演劇は面白いので、何回も見ていたら、のめりこみそうだ。

舞踊も一つの表現。 フィギュアスケートと同じ。 これも、面白い。

わらび座の公演日程・場所は分かっているので、どこかで見なければならない。
秋田にある本拠地にも、寄ってみたい。


【道の駅】     いかりがせき

【明日の予定】    1日に、弘前のねぷた。 2日に、青森のねぶた。
           これが、8月に入っての予定。 天気が心配。
           弘前も青森も、中心街には入って行けない。

           弘前は、郊外の24時間スーパーに車を置く。 そこからは、バスか何か。
            ※ 昨日、温泉の受付の人が、弘前の方法を教えてくれた。 助かった。
           青森は、まだ見つからない。 何とかなりそう。

           31日は、この近くのどこか。

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早池峰山の後、太平洋岸に出る予定だった。
岩手山と、八幡平に登ったので、秋田県に来てしまった。
小坂町に古い芝居小屋があるので、見ることにした。

秋田県の北部、海から離れた山の中に、昔、大きな鉱山があった。 名前は、小坂鉱山。
マタギの里と呼ばれていいくらいの、山奥だ。
位置は、大館市の東で、鹿角市の北。 十和田湖が近い。   場所はここ。 

そこに、2つの大きな建物が残されていた。 芝居小屋と、鉱山事務所。
康楽館は、ほとんど昔のまま。 
鉱山事務所は、使える材料を使って復元した。 伝建地区の建物の復元と同じ。
そのため、2つとも、国の重要文化財に指定された。

芝居小屋は、楽しむために作った。 鉱山事務所は、もうけたから作った。
でも、どうしてここまでの立派なものを、当時作ったのか、その辺りは分からない。 
知りたい部分でしょうか。

これが、芝居小屋、康楽館。 明治43年にできた。

10年7月29日 (1)

道にある、のぼり。

10年7月29日 (26)

外から見たら、洋風の感じ。 そこに、提灯と暖簾(のれん)。  不思議と、ミスマッチには見えない。

10年7月29日 (25)

今は、真ん中のが公演中だが、今日はお休み。 ※ 休みは、月に2回程しかないのに。

10年7月29日 (24)

だから今日は、お客さんが少ない。 事務所の人が、ていねいに案内してくれた。

10年7月29日 (23)

広い。 600人、入れるそう。 こんな芝居小屋は、九州の山鹿にもあった。
説明してくれた人は、そのことを知っていた。
   ※ 紋別の海鳴りの芝居を、こんな所で見たいなと思った。   ※ 関連ブログ 江戸人情芝居は、面白いぞ

10年7月29日 (2)

左の写真は、切穴。 ここから人が上がってくる。

10年7月29日 (3)  10年7月29日 (4)  10年7月29日 (5)  

右は、切り穴の下。 人の力で動かす。 この方が、きっと事故は少ない。 この方が説明を。

10年7月29日 (6)  10年7月29日 (7)

回り舞台。 ここは、地下。

10年7月29日 (8)

このように、4人で動かす。 顔の表情まで作ってくれた。 役者だ。

10年7月29日 (9)

当時、コンクリートの材料は輸入したそう。 これは、当時の。

10年7月29日 (10)

地下の通路や上の場所は、奈落と言われたそう。
暗くて深いから、そう言われた。
ただ、一説には、華やかな演劇舞台の陰に嫉妬や怨念が潜んでおり、この地下で事故が起きることもあるから、そう言われることがあるそうだ。
※ どうして私でなく、あの人が主役なのさ、という嫉妬はありそうだ。

10年7月29日 (11)

舞台へ。

10年7月29日 (12)

たくさんの人の前で演じると言うのは、どんな気分なんでしょう。

10年7月29日 (13)

右の写真は、楽屋。 ここで、化粧や着替えをする。

10年7月29日 (14)  10年7月29日 (15)  10年7月29日 (16)

壁一面、落書き。

10年7月29日 (17)

今となっては、貴重なものだそう。 昭和37年ったら、東京オリンピックの2年前。
この時、東野英次郎 54歳。 平幹二郎 28歳。  他にも、知ってる名前は、ありますね。

10年7月29日 (18)

わらび座も来ている。 わらび座の拠点は、秋田県の田沢湖の近くにある。
鶴姫を演じた碓井涼子さんは、今、ミュージカル「アトム」に「マリア」役で出演している。
この人は、天草四郎と鶴姫を演じ、一気にわらび座の看板女優になった。  ※ 関連ブログ 「鶴姫伝説」~瀬戸内のジャンヌダルク~
チャンスがあったら、また見たいと思う。
それから、坊ちゃん劇場は、わらび座の劇場だった。 知らなかった。

10年7月29日 (19)

戦前の一時期、警察官が、ここで舞台の内容を検閲した。

10年7月29日 (20)

舞台の後、顔に紙をあてて、化粧をうつしたものですね。

10年7月29日 (21)

平成10年に来ている。  中村獅童の名前がある。 26歳の時。
勘亭流というこの書体は、黒い部分が多い。 客席が、客で埋まるようにとの願いがあるそう。

10年7月29日 (22)

さっきの方が、最後まで丁寧に説明してくれた。
明日見においでと言って、割引券をくれた。

駐車場をはさんで、小坂鉱山事務所があった。

10年7月29日 (27)

玄関上のテラスから撮影。

10年7月29日 (28)

テラス。

10年7月29日 (29)

屋根は、こういう板だった。

10年7月29日 (30)

らせん階段のある洋風建築。 明治38年に建てられた。 平成9年に、この場所に移築復元した。

10年7月29日 (31)  10年7月29日 (32)

康楽館の客席の写真があった。 よそ見している人は、いない。

10年7月29日 (33)

この人によって、銀の生産日本一の鉱山になる。
長州藩の出身で、高杉晋作のもとで、騎兵隊だった。 この当時の人脈が、後の商売に生きた。
藤田観光の創始者。

10年7月29日 (34)

上の、藤田伝三郎の兄の子。 銀山から、日本一の銅山の基礎を築いた。 この人も、萩で生まれている。
なお、先日亡くなったシャンソン歌手の石井好子は、この人の孫。    1曲紹介  夕映えの二人(別れの朝)(YouTube)

10年7月29日 (35)

こんな部屋も。

10年7月29日 (36)

中庭は、2階にあった。

10年7月29日 (37)

変わった雰囲気の、列車の中。

10年7月29日 (38)  10年7月29日 (39)

窓の外は、小坂の町。

10年7月29日 (40)

大館市から小坂町まで、昨年まで小坂線が走っていた。
長い列車の旅をしてきて、小坂に着いたら、そとは都会のように明るかった。

この人は、精錬の技術を伝えた。

10年7月29日 (41)

明治末期の小坂鉱山。

10年7月29日 (42)

小坂は、余りにも、東京や大阪から遠かった。
こんな遠くの、文明から遠ざかった山奥に、誰も来たがらなかった。

そこで、会社は、康楽館をつくったり、ダムでの発電所を作った。
働く人が楽しめるように、いい生活が出来るように考えた。

鉱山の発展に欠かせないのが、技術者や指導者。
その人達が安心して仕事をするために作ったのが、鉱山事務所。

小坂町は、産業遺産として残された、この2つの建物を生かして、今、町の発展に取り組んでいる。
※ 近くには、十和田湖も。

鉱山によって、自然は傷んだ。
でも、今、小坂町は緑に囲まれている。
300万本と言われる数の、アカシアの木を植えた。
アカシアは、あらゆる土地環境・気候条件にも負けない木だった

康楽館と鉱山事務所の横に、アカシア並木の広い道がある。 
この道は、「かおり風景100選」に選ばれるまでになった。

鉱山は、負の遺産になりやすい。
しかし、小坂町は、そうはしなかった。
鉱山会社が、地域にたいして優しかったことが、遠くの要因としてあるのかなと思った。


【停泊場所】      康楽館の駐車場。

【明日の予定】     芝居と踊りを見ます。 芝居の写真は、撮れない。 

【今日の歌】      赤いハンカチ(YouTube)


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今日・明日はどこかを見て、その後早池峰山に登り、遠野に寄って、太平洋に出る予定でいた。

遠野では、お世話になったSさんと、一緒にどこかを見るか、山に入ろうと思っていた。
電話してみた。 そうしたら、病院のベッドに寝ていた。 盛岡赤十字病院。

雄勝と湯沢市に少し寄って、盛岡に向かった。 8時頃着いた。

今は、病院から戻って、道の駅紫波(しわ)  ※ 盛岡市の南、紫波町にある。 早池峰山に近い。


雄勝を訪れるのは3回目。 今回は、少しですが。

道の駅のそばにあるのが、これ。 小さな古墳の感じ。
小町と、小町を追ってやってきた深草少将の墓と言われている。
  ※ この墓について、どんな調査をしたのか、確認すればよかったかな。 案内所で。

10年7月25日 (14)

近くに小町堂がある。 

10年7月25日 (16)

こんな建物。  草刈りなど、まあまあ整備されていた。

10年7月25日 (15)

ここで毎年、小町まつりが行われる。

10年7月25日 (13)

IMG_58ppllm03

道の駅に、小町の伝説が貼ってあった。 
このような伝説が、出来上がっている。 詳しい所が、他と違う。
ただ、弱点は、他の地域の伝説と似ている所でしょうか。

どうして似たかと言うと、昔、伝説を広めた人がいたから。

こんな伝説。

10年7月25日 (1)

10年7月25日 (2)

10年7月25日 (3)

10年7月25日 (6)

10年7月25日 (5)

10年7月25日 (4)

10年7月25日 (7)

10年7月25日 (8)

10年7月25日 (9)

10年7月25日 (12)

10年7月25日 (11)

10年7月25日 (10)

※ 関連ブログ   その①  その②


雄勝の手前の新庄で、象潟のKさんに電話をした。 昨年秋、お世話になった。
近くを通っているけど、今回は寄れないことを伝えた。 秋に寄らせてもらうと。

そうしたら、Kさん、湯沢の絵どうろう見たらいいよって、教えてくれた。
私はそういうのが好きだと、分かっているようだ。

突き当たりが、湯沢駅。 車は、市役所に置いて歩いている。

10年7月25日 (17)

市民プラザに展示してあった。
8月の5日から、絵どうろうまつりが始まる。

10年7月25日 (25)

祭りで使われる絵どうろうの一部が、展示してあった。

10年7月25日 (18)

ほとんどが、美人画だった。

10年7月25日 (19)

湯沢市では、江戸時代から、行事の時に絵どうろうを吊るすのが風習になっていた。
明治に入って、七夕で絵どうろうが登場するようになった。

10年7月25日 (20)

大きいのは100以上。 子どものも合わせると、300程になるという。

10年7月25日 (21)

ここに載せているのは、プロと言われる人の作品。

10年7月25日 (22)

実際の形は、このような形。

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どの顔も確かに美しいが、表現に限界を感じていた。
そんな中で、この絵の表情が、少し壁を越えてる感じがした。 これが一番いい。

10年7月25日 (23)ppll

ただ美しいだけでは、飽きてくる。

10年7月25日 (24)

この祭りは、多くの市民が参加できる。 そこがいいでしょうか。

横手市街の手前。 ここで右に曲がる。 去年の秋も通った。
去年の4月、出発の時、おにぎりを持たせてくれたお母さんがいた。
そのお母さんの、青春時代の思い出の地。    ※ 関連ブログ  横手市で、Sさんの青春の思い出を探す

10年7月25日 (26)

この後、山の中を走って、盛岡の赤十字病院に着いた。 道はよかった。
遠野のSさんは、心臓の調子が悪く、入院していた。 Sさんは74歳。

ご飯食べれるの、って聞いたら、ごはんはあれ、って点滴を指差した。
ちゃんと治して、一緒にキノコ採りに行くことを約束した。


【道の駅】    紫波    ここです。   右に、早池峰山が見える。

【明日の予定】  早池峰山に。  蛇紋岩の山。 珍しい花があるそう。
           登る人が少なかったら、ずっと一人かもしれない。 怪我をしないように。

【今日の歌】   歌でなく、絵どうろう祭り(YouTube)



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小野小町は、いったいどこで生まれたのか。
客観的に書かれている物で、雄勝が優位としているものはあるのか。
識者と言われる人達は、どう考えているのか。

また、雄勝に残る伝説は、他にある伝説と似ている。
深草少将が小町を慕ったというのは、ここだけの伝説ではない。
どうして似たのか
そんな辺りを、最後にまとめてみたいと思います。

今日は、下の地図の国道の上(東)を歩いた。

09年10月1日 (9)

こっちの方です。 10㎞ほど歩くことになりそうだ。

09年10月1日 (10)

今日歩いた所は、十分に整備されていなかった。
それで、写真は小さめ。
湯沢市になってから、不景気もあって予算は付きにくくなった。(雄勝だけのものだから、お金は出しづらい)

小町が、産湯をつかったとされる井戸。 平安初期の物と分かっている。
※ 説明は簡単に。 詳しく知りたい方は、下を読んでください。

09年10月1日 (11)

深さが分からないので、子石を投げてみた。 少し下で、ポトって音がした。
真っ暗で、見えない。

09年10月1日 (12)

写真には、写った。 深さ、2~3㍍か。 5角形。

09年10月1日 (13)

芍薬園。 深草少将が、毎日1本ずつ、100本植えようとしたのが芍薬。
向こうの山から、こっちに通った。 100本目で、川に流された。

09年10月1日 (14)

この辺りに、ずっと昔、桐木田城があった。
小町は、ここで生まれたという。 母親の墓が上の井戸の近くに。

09年10月1日 (15)

場所はここ。 (写真がおかしい)

09年10月1日 (16)

字は、読めなかった。(井戸の中を写した時の設定で、撮ったようだ)
もし伝説が本当でなかったら、これは誰の墓なんだろう。分からないから、小町の母にしたのか。

09年10月1日 (17)

御返事(おっぺじ)に向かった。
こんなのがあったので、何しているか聞いた。燻炭(くんたん)を作っていた。
表面を触ったら熱かった。 イモを入れたら、焼き芋ができるそう。

09年10月1日 (18)

籾殻の炭。 肥料にする。 

09年10月1日 (19)

御返事という地域。
深草少将が、ここで小町に出した恋文の返事を待っていた。
ここからは、ここに住んでいたおばあさんに頼んで、持って行ってもらった。

09年10月1日 (20)

ひらじょう、とよむ。 昔、そこの平地に城があった。

09年10月1日 (21)

サギがいた。 いい姿だった。

09年10月1日 (22)

いい目つきをしている。(いつか、もっと近くから、画素数を大きくして撮ってみます。そうしたら、拡大
しても目玉がはっきりします)

09年10月1日 (23)

小町の父の菩提寺。 。

09年10月1日 (24)

深草少将がいた長鮮寺は、この寺の右奥の沢にあった

09年10月1日 (25)

このあと、写真の正面奥に向かった。

09年10月1日 (26)

一番奥の家に聞いた。 家のすぐ上だった。
このように、平らになっているだけだった。(広く写真を撮ればよかった)

09年10月1日 (27)

このクモ、色がいい。

09年10月1日

小町がここにある泉で顔を洗った。 疱瘡を治すため。

09年10月1日 (2)

井戸の標示はなかった。 手前の石碑の向こうに、コンクリートのフタがあった。それか。

09年10月1日 (3)

二十三夜塔を、久しぶりに見た。 

09年10月1日 (4)

国道に出て、しばらく歩いた。 ここから道の駅まで、まだ2㎞ある。

09年10月1日 (5)

奥羽本線。 線路は真っ直ぐだった。

09年10月1日 (6)

もう終わったが、小町まつりのポスター。 
この写真の子の、頬(ほほ)から顎(あご)にかけてのラインが、秋田美人の典型でしょうか。
きっと、モデルでしょうね。

09年10月1日 (7)

昨日、今日と、伝説を紹介してきた。
予算が無いためと思うが、十分に整備されてはいなかった。

どこで生まれたかについて、考えてみたいと思う。
まず、雄勝が優位と考えられる物はあるのか。 探してみた。 
※ いろんな人の、小町に関するホームページで探した。 リンクフリーのから、資料だけもらった。
  それを、整理した。

平凡社の世界大百科事典には、こう書いてある。(関係部分だけ)

9世紀中ごろ(平安前期)の歌人。生没年は不明。文屋康秀、僧正遍昭、在原業平、安倍清行、小
野貞樹らと歌を贈答している。出羽の国の郡司小野良真の子で姉がひとりある。采女であったという
が、たしかではない。
『古今集』に18首の歌が見え、家集『小野小町集』もある。~~~ 作品を実際鑑賞してみると、しっ
とりとした趣はなくて、むしろ、奔放であり、情熱的であり、弱いというところはない。美人であったと
言われ、全国各地に数々の小町伝説が伝えられている。(西下経一)
                  ※ 上の文で、采女(うねめ)とは、天皇や皇后の世話をする人。

雄勝は、出羽の国だ。 上の文では、言い切った表現をしている。
ところが、WikiPediaでは、これを否定している。

系図集『尊卑分脈』によれば出羽郡司小野良真(小野篁の息子とされる人物。他の史記には全く
見当たらない)の娘とされている。しかし小野篁の孫とするならば彼の生没年を考えると上記の年
代が合わない。よって詳しい系譜は不明である。

上の二つは、小町の出身は、雄勝かどうかのことを言っている。
WikiPediaに書いてあることだって、昔のことだから、はっきりしたものではない。

雄勝かどうかを論じると言うことは、雄勝は他の伝説が残る地域より、可能性が高いということになる。

次に、識者はどう考えているのか。

NHK「歴史発見」小野小町伝説より
(これは平成4年に放送された。 井沢元彦と里中満智子が司会進行役で、山村美紗が解説)
※ 里中満智子は、いつだか、ブログに書いた人ですよ。 

山村美紗は、こう言っています。

小野小町は仁明天皇の更衣で、小野市の出身の小野吉子であろう。
小野吉子は『続日本後記』に承和9年(842年)正月8日、正六位上に任じられたと記されている女
性で、正六以上は更衣に相当する位だそうだ。

これについては、根拠を知りたいかな。


また、鎌倉時代の終わり頃、徒然草を書いた兼好法師は、その中でこう言っている。

第173段
 小野小町が事、きはめて定かならず。衰えたるさまは、玉造と云う文にみえたり。この文、清行が
書けりという説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。大師は承和のはじめにかくれ給えり。
小町がさかりなる事、その後の事にや、なお覚束なし。 
                        ※ 高野大師は、弘法大師のこと。      

最初と最後で、はっきりしないと言っている。
小町の時代から、500年ほど経っているから、分からなくなっているようだ。


最後に、各地の伝説がなぜ似ているか、について。
平凡社の世界大百科事典には、下のように書いてあった。

中世以来、信仰を伝えて諸国を遊業した女性の一群があって、その人々がこういう伝説を運搬し歩い
たものと考えられる。たまたま小野とよばれる土地があり、由来ありげな古塚があり、清い水のかれ
ることのない井があったりすると、伝説はそこに土着し根をおろして、小町の墓、化粧の井というふう
に後代に伝えられたのであろう。

元になる伝説は、どこにあるかと言うことだが、有力なのは、京都の山科の小野にある随心院のように思う。 
小町が住んでいたとされる寺だ。


まとめになりますが、伝説の残る地域の中では、雄勝は優位かも知れない。
伝説が似ている部分が、気になりますが。
 ※小町の伝説は、能の世界に原型があるようなんですね。

優位をはっきりさせることは難しいが、完璧に否定されることも、簡単にはない
そう言うことでしょうか。

雄勝(湯沢)が、小町の伝説をだいじにするなら、伝説の場所もだいじにして欲しい。
そう思いました。       関連ブログ  小野小町はどんな顔?  小野小町と秋田美人   小野小町~美しさをどのように

  (※ 道の駅おがちの案内所にはお世話になりました)

小野小町についは、これで一段落です。


最後に小町の歌を。

『思いつつ寝(ぬ)ればや 人の見えつらむ 夢と知りせば さめざらましを』(古今集等)



【道の駅】    おがち   昨日に同じ。  温泉も同じ。

【明日の予定】     遠野に行きます。 時間は少ないが、どこかで何かを見ます。


《今日の歌》      手紙(You Tube)   雄勝中の、4人の子とみんなにプレゼント。

                栄光の架橋(You Tube)    これも。

                ほうき星(You Tube)      これも。

 

 

小野小町は実在の人物だから、どこかで生まれている。
それはどこだということだが、伝説の残っている町のどこか。
そう考えていいと思う。

今日、明日と小町の伝説が多く残っている雄勝を歩くが、ここは昔、小野村
(その後、他と合併して、雄勝町になり、さらに合併して、今は湯沢市に)
1日目の今日は、国道の西半分を歩いた。
国道沿いには、こんなのが見られる。

9年9月30日 (8)

最初に行ったのは、向野寺(こうやじ)。
ここは小町の菩提寺と言われ、昔は別の場所にあって小野寺と呼ばれていた。
小町が自分で彫ったという木彫りの像が安置されている。

道の駅の案内所で聞くと、そこに人はいなく、管理は近くの院内にあるお寺がしていた。
電話番号を教えていただいた。
※ また、小町の詳しい資料もお借りすることができた。

院内のお寺に電話すると、開けてくれるという。
ありがたいと思った。

道の駅から10分ほど歩いたら着いた。
ここが向野寺。 入り口には、石碑と案内板があった。
若いお坊さんが、開けて待っていてくれた。

9年9月30日 (9)

入った、本尊の右手に、小町像は安置されていた。
古い物だったが、昔は鮮やかな色をしていたことが分かる。
そばを歩いたとき、振動で首が少し動いた。
この後行く、岩屋堂で彫ったと言われている。
(専門家の鑑定を受けているのかを知りたいが、まだ分からない)

9年9月30日 (10)

小野小町は平安時代の女流歌人。 1200年前の人だ。
有名な、この歌をつくった人。
   花の色は 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
※ この歌は晩年に作り、今に残ってる。 ということは、ここに来ても、中央とつながりがあったと考えていいのか。 この辺も分からない。
(何せ、伝説として残っているだけだから) 

小町像の正面に、額に入った小町の絵があった。

9年9月30日 (12)no8

近くに、熊野神社があった。 ここは、小町が願をかけによく訪れたという。

9年9月30日 (13)no8

小町が晩年過ごしたという、岩屋堂に向かった。 30分程歩く。
向こうの白い橋を渡り、左の川沿いの道を少し歩いたら、山に入った。

9年9月30日 (14)

こんな道を歩いた。 途中から細くなる。

9年9月30日 (15)

石碑があった。 滴りや 小町籠もりし 岩屋堂 と書いてある。

9年9月30日 (16)

キノコを採ってるおじいさんに会った。 もうすぐだと教えてくれた。
ここで、10分ほどおしゃべりした。 

9年9月30日 (17)

こんなおじいさん。 昔若い頃、札幌にいたと言った。
この後、偶然にまた会うことになる。

9年9月30日 (18)

5分ほど歩いたら、見えてきた。 赤い丸の中。

9年9月30日 (19)

岩に、大きな口があった。 そんな感じ。

9年9月30日 (20)

思ってたより大きい。 貸していただいた資料には、広さ約20畳とあった。
人は、20人でも30人でも入れる。

9年9月30日 (21)

中はこんな感じ。 奥に、像が二つ。 手前に花が。
※ ついでに、ヒカリゴケがないか探したがなかった。土は乾いていた。

9年9月30日 (22)

横から見た。 
私は資料をちゃんと読んでいなかったから気づかなかったが、天井に敷居・鴨居を取り付けたような跡があるそうだ。

9年9月30日 (23)

像が二つ。

9年9月30日 (24)

お花のところは、こんな感じ。 
左の青い食器にお賽銭が入っていた。 私も少し入れた。

9年9月30日 (25)

中から外を撮影。 小町が住んでいたとすれば、外はこんな風に見えた。

9年9月30日 (26)

小町は本当にここで暮らせたのかなと、少し思った。
ここに籠もることもあった。そう言うことかも知れないと思った。(この町にいたとして)

山を下りたら、こんな風景。 もし住んでいたら、ここの人達と関わりがあったと思った。

9年9月30日 (27)no8

野の花は少なくなったが、どこの家の庭にもが咲いていた。

9年9月30日

元来た道を戻った。 旧国道に出て歩いていた。 途中で曲がるのを忘れて、そのまま歩いていた。
さっきのおじいさんがキノコを洗っていた。
おじいちゃんの家はここだったのかい、とか言いながら、また話した。

9年9月30日 (2)

おじいさんと別れて、小町堂に向かった。 歩いて3分ほど。
小町堂に着く頃、おじいさんが自転車で追いかけてきた。
いろいろ教えてくれた。

ここには、昔古い小町堂があった。
今は国道の方を向いているが、昔は、反対側の旧国道の方を向いていた。
そっちから撮ったのがこの写真。 
※ 桜の木か、柳なのかは、確認していない。 (分かったら後で。琵琶湖の近くでこんな桜を見たが)

9年9月30日 (3)

立派なお堂だ。 何を参考にしてこのデザインを考えたのか。 
平等院の鳳凰堂のようだ。
ここで毎年、6月に小町まつりが開かれる。

9年9月30日 (4)no3

お堂にはがあった。 地域の人が輪番であげてるそうだ。

9年9月30日 (5)

菅江真澄が、ここに来ていた。 (手這坂となまはげのブログに登場している)
これを読むと、ここの伝説は古くからのものだと分かる。

9年9月30日 (6)

小町堂を見ていたら、雄勝中学校の女生徒達が、校外学習でやってきた。
女の子達から、あいさつをしてきた。
楽しそうに動き回って、案内板の説明とかを読んでいた。

4人のグループが、私に、向野寺はどこですかと聞いてきた。
持っていた案内の地図で場所を伝えた。
鍵がかかっているので、もし行くなら電話してあげるよ、と言った。
でも、時間がなかったからか、遠慮した。 
そこまでしてもらわなくても、と考えたようでもあった。

子供達は、小町堂に来る前、自転車で岩屋堂にも行っていた。
少しの差で、会ってはいなかった。

子供達の会話は、ずっと聞こえていた。
その内容から、雑な考えをしていないことを感じた。
また、この授業を楽しんでいるようにも見えた。
別れるとき、何度も挨拶をしてくれた。 その後、別の場所で会ったときも。

家庭と学校がどうであれば、あんな子供達が育つんだろう。 そう思った。
私は教育に関わっていたから、すぐにこういう考えをする。
でも、これだと、子供達に少し失礼かなと思った。
自分で考え、自分の力で、今の自分に成長させた。
それを支えたのが、家庭と学校。
そう、考え直した。

4人とも、いい目つきをしてましたよ。 
以前職場で、雄勝出身の人の教育実習を引き受けたことがあったのですが、目の感じに、共通のもの
を感じました。
それは、視線がはっきりしている、ということでしょうか。

今日は、すてきな中学生に出会いました。
おじいちゃんにも出会って、いい一日になりました。


これは、道の駅のそばにある、二つ森
小町と、小町を追ってやってきた深草少将の墳墓と言われている。

9年9月30日 (7)

明日は、東半分を歩きます。
まとめは、そこで書きます。


【道の駅】    おがち  同じです。  温泉は、院内にある、ほっと館。 春にも行った。

時間がないので、歌はなし。 1日に載せる歌は、決めてますよ。


akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
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