キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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日本航空機123便の、事故の日時は、1985年8月12日18時56分
24年が過ぎた。

場所は、群馬県上野村御巣鷹の尾根。    さらに広い地図は、ここ

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赤いところに、機体をぶつけます。  黄色が駐車場。

9年10月24日 (35)jjoo

駐車場までの道。 紅葉が奇麗だった。
きち兵衛さんだったら、なくなった人の思いが、紅く染め上げたと歌いそうだ。

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事故現場は、駐車場から800㍍。
真ん中の山の向こう。 真ん中の山より、高くなっていく。

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現場の地図。

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登山道 。 救助隊はどこを歩いたんだろうと思った。

IMG_6854.jpg IMG_6860.jpg IMG_6861.jpg 9年10月24日 (32)

赤は、衝突地点。  オレンジは、4人の人が助かった斜面。 黄色はヘリポートで、今は昇魂の碑がある。

地図kk

昇魂の碑。 ここが、ヘリポートだった所。
この場所の奥、数十㍍左手の斜面上部に、飛行機は衝突する。
ドウダンツツジが真っ赤だった。 名前を覚えた、さかんに目に付く。

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上の写真に、小さく写っている。 全部読ませていただいた。
もう、1世代に近い時が流れている。

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泣きながら書いたんだろうなと思った。
最後の1行を読むのは、つらかった。 

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9年10月24日 (4)9年10月24日 (5)uu9年10月24日 (6)9年10月24日 (7)9年10月24日 (8)9年10月24日 (9)9年10月24日 (10)

衝突地点の中心は、この場所の、すぐ左後ろ。  右斜め後方45度くらいの方向から飛行機は来る。

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亡くなった方の名簿。  亡くなった人520名全員が、どれだけの恐怖を感じ、痛い思いをしたのか。

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観音様の後ろの、少し高いところに、操縦士・副操縦士・機関士の碑があった。
よく、出力の調整だけで、操縦できたと思う。 これが出来ることは、それまで知られていなかった。

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この斜面に墜落した。 遺体発見場所には卒塔婆があった。 山の斜面の多くの場所に。

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ここが衝突地点。

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向こうの山の、凹んだ所に、飛行機は最初にぶつかっている。
撮影した場所の後ろが、上の写真。

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   事故現場と川上さんが助けられる様子は、ここに。(You Tube)

墜落時の様子(WikiPediaより)

クルーの努力も空しくJAL123便は降下し続け、18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。同17秒頃、機体はわずかに上昇しだしたが、18時56分23秒、機体後部と右主翼が樹木と接触した。このとき、機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は346kt(640km/h)に達していた。接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾いた。26秒、右主翼が地面をえぐり、同時に機体の破壊が始まった(垂直・水平尾翼、右主翼の脱落)。28秒には機体後部が分離。機体は機首を下げながら右側に回転してゆき、18時56分30秒、高天原山[※ 1]の斜面に前のめりに反転するような形で衝突、墜落した。18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。23秒の衝撃音の直前には、機長の「もーうダメだ」とも聞き取れる叫び声も記録されていた。ボイスレコーダーに録音されていた音声は、後に活字の形で公表されたが、この叫び声は判読不能とされている。

衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほどバラバラになり炎上した。後の調査によれば、機体の大部分に数百Gの衝撃が加わったとされ、両主翼も離断し炎上した。一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇跡的に生還できた。だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった[3]。

即死したものも多かったものの、客室後部付近を中心に墜落直後の時点ではかなりの数の乗客が生存しており、翌朝に捜索隊が到着するまでの間に次々と息を引き取ったという生存者の証言がある。


こんな所が、たくさんある。 ここから、反対の斜面。

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九ちゃんが発見された場所。

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今日の歌は、昨日から、これにすると決めていた。 心の瞳(You Tube)

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こんな所も。

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ここに、機体後部が滑り落ちてきた。 右上向こうに、ヘリポート。
川上さんが助かった場所は、写真の右部分か、もう少し上辺り。   関連ブログ。  川上さんインタビュー(You Tube) 

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上の写真の、右側斜面。

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【救助について】

遺体収容(WikiPedia)
墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、犠牲者の遺体の大半は激しく損傷していた。盛夏であったこともあり、遺体の腐敗の進行も早かった。遺体は、機体から投げ出され樹木に突き刺さったもの、機体の残骸にはさまれたり切断されたりしたもの、一部が落下の衝撃で地中深くに埋もれたもの、圧力によって2名の体が一つにめり込むように合体したようなものなどが発見された。遺体の部位によっては、挫砕され完全に識別困難となった部位や、墜落の摩擦で完全に消失した部位もあった。当時はDNA型鑑定の技術も確立されていなかったため、身元の特定は困難を極めた。例として、機長の遺体は前歯5本のついた下顎のみであったことや、歌手の坂本九の遺体は胴体のみで、遺体がつけていた笠間稲荷神社のペンダントにより身元が判明したことなどが挙げられる。

遺体の搬出(WikiPedia)
墜落現場に臨時のヘリコプター発着場が自衛隊によって突貫作業で造られ、8月14日午前から遺体搬出作業が始まった、直線距離で墜落現場から約45キロ離れた群馬県藤岡市へ自衛隊・警察のヘリコプターで運ばれた。

地元消防団の動き(昨日、Kさんからの話を中心に)
Kさんたち地元消防団は、翌日の朝6時に集合し、現場に向かった。
林道を車で行けるところまで行って、そこからは、道のないところを山に向かった。

8班に分かれていた。 1班4名くらい。
猟師さんもいたため、山に入っても大丈夫だった。
また、Kさんは、この付近で山火事が以前あって、その時山に入っていた。土地勘はあった。

ヘリコプターが飛んでいたから、大体の方向は分かった。
8つの班は、山の中では別々に分かれて進んだ。

Kさん達の班は、途中で、沢の水を飲んだという。
上で何が起きているかは分かっていなかったが、水はまずかったという。

沢を上っていったら、見えてきたという。
自衛隊が到着するのが8時半で、それより早く着いた。(このことは、WikiPediaにも書いてある)
Kさんたちの班が着いて間もなく、他の班も合流した。

沢を上っていって最初に見えたのは、4名の人が助かった場所だ。
生きている人を探したらいた。

Kさんは、吉崎さん母子の娘さんを担当した。
担架がないので、飛行機のカーテンを使ったという。
棒は切ってきて。 木のツルで縛ったそうだ。

担架に娘さんを乗せて、ヘリポートまで、急斜面を上った。
後ろの人は、高く上げなければならないから大変だったそうだ。
蹴飛ばした訳でもないのに、千切れた足が転がって行ったという。

椅子にシートベルトをして座ったままの人もいたそうだ。
でも、その人の腰から下は無かったそうだ。
Kさん達は、上にあるWikiPediaの惨状を見た。

川上さんは、ヘリコプターで釣り上げられた。
斜面の一番下は、それは出来なかった。
ヘリコプターは、谷の中にまでは下がれなかった。
谷は狭いし、谷に沿っての上昇気流に押されて、危険だからだ。

北海道から戻った人が多かったため、お土産の鮭も散乱していたという。
また、不思議なほど、遺体からは血が出ていなかったそうだ。
(カマイタチに切られた感じだとも言った。  ※カマイタチ )

救助作業の初めの頃は、野次馬のような人達も、現場に入ったそうだ。
その人達は、何をやったか分からないという噂もあるそうだ。(例えば、お金に関して)
途中から、入山は規制された。

救助作業が終わって、村に戻ったら、慰労会のようなのが催された。
上野村は山の中だから、ご馳走は肉だ。 でも、誰もそれには箸を付けなかったという。
(このことは、別の人も言っていた)

Kさんは、見たことは話してくれたが、ずっと亡くなった人を思いやっての話し方だった。
そこから離れることは、一度もなかった。

もう少し救助が早くできたら、もっと助かっていたかも知れないと言った。
生きていた人が、現場で、他にも声が聞こえていたと言ったそうだ。

      ※   ※   ※   ※   ※

今日説明していただいたのは、管理人のKさん。
一回りした後に、お会いできた。
写真を撮り直したところもある。

線香・蝋燭・ライターは、昇魂の碑のそばに置いてある。
その補充も、Kさんがしていた。

Kさんには、現場に行って、多くのことを教えていただいた。
こんなことを話してくれた。
123便に乗る予定だったが、都合で乗らなかった人が、慰霊に来たそうだ。
キャンセル待ちで乗った人が、自分の代わりに死んだように思うと言って。

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Kさんは、最後に、この事故を風化させたくないと言った。
昔事故のあった雫石に行ってきたそうだ。 あったのは、慰霊碑だけだったと。
私も、雫石の事故は完全に風化したと思っている。
(雫石航空事故・・・1971年7月30日。全日空機と自衛隊機が衝突。161名全員死亡。)
どうして風化したのか。
Kさんは、雫石で関係する所に行ったが、話しは一切してくれなかったと言う。
こういうのを聞くと、風化させたのかと、思いたくなる。(本心は、思っている)


私の普段のブログは、目的があって書いているわけではない。
でも、今日は、それなしに書くのはまずいと思っていた。
これを書くことによって、上に書いた事故の風化を防ぐのに、少しでも役立てればいいと思っている。
亡くなった520名の方のためにも。


3時間ほど歩いて、2時半に駐車場に戻った。
その時、20人ほどの人達がやって来た。
日本航空の人達だった。(バスの運転手さんに聞いた)
みんな無言だった。 大きな花束を用意していた。

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520名の命が散ってしまった御巣鷹の尾根は、小さな尾根だった。
スゲノ沢の斜面が、何とか4人を助けたと思った。
24年前を忘れることのできない多くの人が、慰霊に来ていた。
私も、急だったが、行ってみてよかったなと思う。
520名のご冥福をお祈りして、記事を閉じます。


【道の駅】   南きよさと   山梨県です。 場所はここ
 
【明日の予定】
この近くに、山本勘助のお墓がある。 でも、観光客が迷惑をかけたことで、見られない。
どんなとこにあるかでも、見てこようかなと思う。由布姫と同じだけ好きなんですよ。  関連ブログ

《今日の歌》     歌でなく、当日のニュース速報。   日航ジャンボ機墜落事故

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上野村は、群馬県の左下隅にある。(地図上)
神流川が流れており、この川も最後は利根川になる。
今は国道が整備され、藤岡や秩父の方に行くのは便利になっているが、昔は大変だったようだ。
谷が狭くなって、川沿いに道が作れなくなったら、山越えになる。
トンネルの威力は大きく感じる。

それから、近くの湯ノ沢トンネルを抜けたら、北の方にある、関越自動車道の下仁田インターチェンジまで近い。(車で35分ほど)
山の中だけど、交通の便は悪くない。

今日は、動き始めたのが午後だったので、御巣鷹山には行けなかった。
でも、そのことが良かった。
日航機事故のとき、直接現場に行った人、に会いたいと思っていた。
ところが偶然に、現場に最初に到着したグループの一人に、お話しを聞くことが出来た。
ブログには書けないような悲惨な状況まで、聞かせてくれた。
鍾乳洞から出てからのことだった。


近くの山の中腹に、不二洞はあった。
走りやすい道から行ったら、洞窟は吊り橋の向こうだった。

吊り橋の名前は、上野スカイブリッジ
長さ、225㍍。 谷底まで、90㍍。 
人が渡る吊り橋では、日本有数と説明があった。
  ※ 九州にあった照葉大吊り橋は、長さ250㍍。高さ142㍍だった。 そのブログ

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この辺り全体が高いので、天空回廊とパンフレットにあった。
どんなに揺すっても揺れない。 ※ 揺れる吊り橋を渡るのが好き。 小さくても。

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真下までは90㍍だが、橋自体が高いところにあるため、橋からの風景は全国トップクラスと思う。
見えるのは上野村。 道の駅はここに。

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ここも上野村。 川の下流の方。

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渡ってから撮影。

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不二洞は、橋を渡って直ぐの所にあった。
昔は、今の出口が、入り口だった。

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入ったらトンネルだった。 長さ120㍍。
大きな縦の洞窟につながっている。

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螺旋階段で、40㍍上る。 大雨が降ったら、滝のように水が落ちると言う。

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螺旋階段の途中に、踊り場のような所があった。 そこにこんな説明が。

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洞窟も人が関わっていると、面白さが増すように思う。

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字はほとんど読めなくなっていたが、黄色の○の中は、書いてあるのが分かった。

9年10月23日 (15)oo

天井から下がっているのは、鍾乳石。 これがあると分かったので来た。

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入ったすぐの所に川があったが、階段で上ったので川はない。

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これは、石筍。  

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上とつながったので、石柱。 
透明感がないので、美しいとは言えないか。 珍しい物ではあるが。

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昔、この穴に入った老人が、出られなくて、一日さまよったようだ。

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このように、何カ所も、名前が付いていた。

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折れてる鍾乳石が多かった。
昔探検した人達が、貴重だとは知らず、邪魔で折ってしまったのもあるそうだ。

これは少し白いので、いい。

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濡れてるのは、成長しているのかな。

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大きな石柱。

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珍しい物があるなと思ったら、スピーカーだった。

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五百羅漢に見えるとあったが、見えなかった。

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これは、マンガの顔に見えたかな。

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何かが顔に見えるのでは、獅子ヶ鼻湿原の、木のコブが一番だったかな。

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くるっと、まわって来れた。

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前回、大理石の鍾乳洞を見ていたので、美しさの面ではまあまあでしょうか。 関連ブログ

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上に穴が空いていた。 下に熊の骨があったそう。 
熊が、落とし穴に落ちてしまった。

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この奥は、ずっと続いているそうだ。

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こんなのが美しい。

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ここが出口。 昔の入り口。

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外から見たら、こう。

9年10月23日

出口(入り口)は、谷の奥の急な斜面の中腹にあった。
今から1200年程前、この穴の近くに猿が集まっていたので、穴が発見されたそう。

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今まで、ずっと鍾乳石がなかったから、今回は少し良かったでしょうか。
私は、最初に見た鍾乳洞は、北海道の当麻鍾乳洞だった。
そこは、小さな鍾乳洞だったが、透明感のある鍾乳石がたくさんあった。
また、下のように繊細な、鍾乳管もあった。
それと比べるから、他に行った時、不満に思うことが多い。

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洞窟から吊り橋を渡って戻った。 こっちは、キャンプ場などが整備されていた。
車は、写真の左の方に置いてあった。
出ようとしたとき、男の人が声をかけてきた。
旅について聞かれた。

少し話した後、日航機事故について聞いた。
そうしたら、少し離れたところで木を植えていた、Kさんと言う人が、現場に行ったと話してくれた。
私をその人に紹介してくれた。

Kさんは、仕事の手を休めて話してくれた。
消防団に入っていたため、救助に参加した。
また、Kさんは、以前に御巣鷹山で山火事があったとき、山に入っていた。
地理は、だいたい分かっていた。

今日、こういう人会えるとは思っていなかった。
聞いたことを整理して、明日、御巣鷹山に行ってきます。
知りたいことが出てきたら、電話番号を教えていただいたので、聞くことが出来ます。

※今日は、Kさんの他に、道の駅の案内所の方、食堂のおかみさんにも話しを聞いています。

この続きは、明日になります。


【道の駅】     上野      温泉は、たくさんある。

【明日の予定】  御巣鷹山へ。


《今日の歌》   見上げてごらん夜の星を(You Tube)  夏川リミです。

午前中はブログを書いたため、赤城山のビジターセンターに着いたのは、12時半頃だった。
登って下りてくるまで4時間。
地図をもらって考えていたら、そばにいた人が、やめた方がいいかもねっ、て言った。
途中で何かあって、遅くなったら困るので、やめた。

登ってしまったら、赤城山ともお別れだ。
やめたから、赤城の山とも今宵限りでなくなった。
来年来たとき、お世話になったSさんと一緒に登る。

考え方って面白いもんで、いい方に持って行くことが出来る。

赤城山は、いくつかの山の総称で、一番高い山が黒檜(くろび)山
そこが無理なので、近くの地蔵岳に登ることにした。
上からの景色がいいそうだ。 片道30分。 

頂上は目の前と言っても、走っていくのは無理だ。

9年10月20日

この山は、いい山だった。
理由は、限りなく誰にでも上れる山だからだ。
どうして、そう思ったか。
途中まで上ったら、幼稚園の子供達が、ぞろぞろ下りてきた。

挨拶してくる子もいた。
一人の子と顔が合った。
たいしたもんだね、と言ったら、4歳だと言った。 それを聞いたつもりではなかったが。
そして、山に登ったんだ、と言ったら、いや下りてるって言われた。
先生におんぶして欲しいって言ったんでないの、とも言ってみた。
そうしたら、首を強く横に振った。

階段を用心深く下りる子や、元気よく飛び降りる子がいた。

9年10月20日 (2)

頂上には、テレビ局のアンテナがいっぱいあった。
横浜の小学生が、宿泊学習でこの山に登っていた。 小学生はよくしゃべる。 楽しそうだ。

9年10月20日 (3)

下の赤い○から、上の○に来た。
希望していた登山は、オレンジの○

9年10月20日 (4)

見える沼は大沼。 赤城神社があって、観光客が多い。
見える高い山が、赤城山の最高峰、黒檜山

9年10月20日 (5)
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これは小沼だ。緑色だ。 珍しい。
この沼は川が堰き止められて出来たのではなく、爆発でできたそう。
それも、熔岩が吹き出す爆発でなく、水蒸気爆発のような小さいので。

9年10月20日 (6)

どうして緑なのか、調べたが分からなかった。

9年10月20日 (7)

ちゃんとした野の花を、久しぶりに見た。 うす~い紫だった。
自分の影に入れて撮ってみた。 花びらが光らなかった。

9年10月20日 (8)

山から下りて小沼に行ってみた。 上から見たようには見えなかった。
水底に、緑のコケなどはなかった。
光によって、色が変わるのかもしれない。

9年10月20日 (9)

3時頃、秩父山中にある道の駅、龍勢会館に向かった。
着いたときには、暗かった。 場所は、下の地図のオレンジの○。

明日行くところは、上の方の赤い○

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赤い○の辺りの地図。 楢尾が目的地。

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以前、NHKのBSで、「花のあとさき」という番組があった。
そこに出ていたのが、むつばあちゃん
番組は、むつばあちゃんの生き方を追っていた。

楢尾は限界集落だ。 
むつばあちゃんは、使わなくなった畑や道端に、花や木を植えた。
このおばあちゃんの考え方が好きで、何度も番組を見た。

私の旅のコースは決まっていなかったが、楢尾に寄ることは決めていた。
 (※他に決めているのは、半田市だけ)

明日行ってきます。

関連ブログ。   秩父山中・花の後先(9年2月10日)

           ムツばあちゃんのふるさと~埼玉県秩父市 吉田太田部 楢尾 他(2月12日)


2月8日の記事の一部
秩父の山の中で暮らす、一人のおばあちゃんの番組を見てる。 ブログを書きながら。(7時から8時
半 BS)
これを見るのは、3回目。 なかなか面白い。 自然と共に生きている。 
冬寒くなっても、ストーブがない。 こたつだけ。 いっぱい服を着て。 
山の中の急斜面の、ちょっとした平らなところに家がある。
花の咲く木をいっぱい植えた。 しゃべることが面白い。
(1月30日に 亡くなったそうだ)

1月9日の記事の一部
 「人生なんて、あっけないもんだ。 あっという間に過ぎた」

※ この日のブログは、キム・ヨナの記事です。 よかったら、ここにあります。 


【道の駅】      龍勢会館です。

【明日の予定】   楢尾に行きます。 8時頃には向かいたい。


《今日の歌》     異邦人(You Tube)

             愛の終わりに(You Tube)

             北の岬(You Tube)

「東京から近く、二千米に近い高度を持ち、しかも標高のわりに岩根こごしい高山的風貌をそなえてい
るからでもあろうが、やはり人気の大きな理由は、谷川岳という評判にあるのだろう。これほどしばし
ば人の耳を打つ山の名は少ない。絶えず何か事件を起こしている」


これは、日本百名山を書いた深田久弥のことばです。
確かに谷川岳は、多くの人を魅了する山でした。
でも一方で、一ノ倉沢の大岸壁からの登山を中心に、700名以上の命を飲み込んだ山でもありました。(Wikipediaより)


朝6時に、Sさんの車で道の駅白沢を出る。
高速を通って、みなかみ町で降りる。 
谷川岳ロープウェー乗り場に向かう。 7時過ぎに着く。

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今日の登山コース。 あとで見に行く、一ノ倉沢の断崖も見える。

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ロープウェーで天神平へ。

9年10月19日 (5)

寄り道になるが、リフトに乗って天神山の展望台に行った。
(たくさんのバスでやってくる観光客は、ここに来る)

遠くまで、ずっと山脈。

9年10月19日 (6)

これが、谷川岳。 

9年10月19日 (7)

耳の形をした、が頂上。

9年10月19日 (8)

ここを一旦降りて、熊穴沢ノ頭避難小屋に向かう。
9時20分に着く。 ここまでは、なだらかな登り。

9年10月19日 (9)

小屋を過ぎたら、急な登りになった。
この山には、ごろごろした、東北の山のような石はなかった。
石でなくだった。 登山者の靴で磨かれた部分は、緑色になっていた。 
滑りやすく、注意が必要だった。

9年10月19日 (10)

まわりの山が、しだいに低くなっていった。
風は微風。 温かく上着はいらない。
途中、天狗のとまり場という所があり、少し休憩。

9年10月19日 (11)

11時過ぎに、天神ザンゲ岩に着いた。
懺悔は少しだけ。 上に向かった。

9年10月19日 (12)

11時20分、肩の小屋に着く。 ここは宿泊もできる。

9年10月19日 (13)

珍しい人に出会った。 谷川岳3000回登頂を目指している人。
Sさんと一緒に記念撮影。

9年10月19日 (14)

今日は2725回目。 気の遠くなる回数だ。

9年10月19日 (15)

少し休んで、頂上を目指した。 ここは、左に見えたトマの耳

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頂上は、もうすぐ。

9年10月19日 (17)

ここが、山頂。 12時ちょうどだった。

9年10月19日 (18)

少し通り過ぎたところで食事。 その場所から、頂上を撮影。 
快晴。 雲は、遠くの山の上に少しあるだけ。 風もなく、温かい。

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一ノ倉沢を眺めながら食事をした。 少し下には、大岸壁がある。 川の水は利根川に。
Sさんから、りんごや漬け物やお菓子などを頂いていた。(奥様が用意してくれたと思う)

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下山したあと、一ノ倉沢に行く。 駐車場が見えた。 国道291号線の終点。

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食事のあと、写真を撮る。 登山道は、向こうに続いている。

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日本海側の山脈。 四方八方、遠くまで全部見渡せた。
天気が良く、このように見渡せる日は、年に何回もないと誰かが言った。

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左下に、ロープウェー終点が見える。

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アルプスの方向。 右に降った雨は日本海に。左は太平洋に。

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ここで食事した。 下山の準備。

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午後1時5分、下山開始。

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みなかみ町の温泉街が見える。

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ずっと向こうに下りて行く。

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ザンゲ岩が見えてきた。

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山全体の紅葉は十分ではなかった。 やっと1本Sさんが見つけた。

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ゴールが見えてきた。

9年10月19日 (32)

3時ちょうどに着いた。
もう一度、谷川岳を振り返って見た。

9年10月19日 (33)

ロープウェー乗り場に咲いていた花。 Sさんに名前は教えてもらったが、忘れてしまった。

9年10月19日 (34)

一ノ倉沢に向かった。 上にいるとき、こんな崖だとは予想できなかった。

9年10月19日 (35)

ここを、ロープを使って岩登るする人がいる。 
日本3大岩場の一つで、ロッククライミングのメッカだそう。
多くの人が亡くなっている。 昨日もヘリコプターで助けられた人がいた。

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垂直に近く切り立っている。

9年10月19日 (2)

いろんな登坂コースがあるのか。 新しいコースの開拓もあるだろうし。

9年10月19日 (3)

近くの岩の所々に、亡くなった人の名前を書いたプレートがあった。 昔の事故のニュース(You Tube)

IMG_6388hh.jpg

谷川岳の頂上は、右の耳の左奥かなと思う。 ※ 人に聞いたがはっきりしなかった。

9年10月19日

頂上から、これほど多くの山を見渡すことができたのは、初めてだった。
休みながら登ったから、そんなに疲れはしなかったが、山の風貌をふくめて厳しい山に感じた。
この山を間近で見るためにも、多くの人がロープウェーで登っていた。
1回登っただけで、谷川岳の魅力を全部分かる事は、出来ていないと思った。


白沢に戻って、晩に、Sさんご夫妻に温泉のレストランで食事をごちそうになりました。
ビールもごちそうになりながら、山の話しなどを楽しくしました。
来年、尾瀬沼に一緒に行くことになりました。
Sさんに出会って、谷川岳に登ることが出来たことは、忘れられない思い出になりました。
ありがとうございました


【道の駅】    前日に同じです。 白沢。

【明日の予定】   赤城山に行ってきます。 登るの大変ではなさそう。 麓にも見所があるので。
 追記 時間が足りなくて登れません。 どこかを歩きます。

今、私は沼田市にいるが、どんなとこか調べてみた。
ここは、群馬県の北部で、長野県・新潟県・福島県・栃木県と接していた。
そこの中心都市が沼田市だった。

また、ここは北毛と呼ばれている。
毛の意味が知りたくなったが、調べても分からない。
ある人のブログでやっと分かった。

群馬県は昔、上野(こうずけ)と言われた。
上野は、上つ毛野国(こうずけのくに)とも書いたそうだ。
上野の北部だから上毛だった。

北の方は、ぐるりと山。 清水トンネルを抜けたら、新潟県。
将棋の藤井猛という人が、この町の出身だった。 私の好きな棋士。

今日は、行くところが決まらなかったから、道の駅の近くを歩いた。

道の駅の向こうは、赤城山。(いくつかの山の総称)

9年10月18日 (9)

上とは反対の、北の方に向かった。
りんご園の暴風ネットを、捲り上げている人がいた。
この前の台風に備えたそうだ。
設備に金がかかると説明してくれた。 その割にリンゴは高くないとも。

9年10月18日 (10)

道の駅で買った柿をかじりながら歩いていた。
そこで何食べてんのよ、って後から大きな声が聞こえた。
ふり向いたら、修学旅行の子供達が、道の駅にいた。

国道に出て、歩いていたら、柿の木があった。 たくさんなっている。

9年10月18日 (11)

向こうに行ったら日光。 反対側は、沼田市街に行く。

9年10月18日 (12)

国道と平行の細い道を歩いた。 りんご園だ。
手を伸ばせば採れるところになっている。

9年10月18日 (13)

途中で曲がって、北の谷に下りて行った。

9年10月18日 (14)

知らない花が、玄関前に咲いていた。

9年10月18日 (15)

谷に下りたら、里山の雰囲気だった。 田んぼがあった。

9年10月18日 (16)

反対側で、西の方。
ここらの水はどこに流れるのか。 それは、利根川だった。 この辺りは利根川の上流域だった。 

9年10月18日 (17)

稲は倒れていたが、ちゃんと刈り取っていた。

9年10月18日 (18)

刈り取ったあとから、新しい稲が出ていた。

9年10月18日

歩いていたら、ちぎり絵館が見えた。
山下清を思い出した。 長野の方で、花火のちぎり絵を作った。
どんな絵があるのか、行ってみることにした。

9年10月18日 (2)

Sさんという家の隣にあった。奥様がここでちぎり絵を作っていた。
11月に個展があるというので、作品のほとんどは、大きなケースに仕舞われていた。
いくつかを見せていただいた。

和紙をちぎって貼り付けたものだった。

9年10月18日 (4)

こんなのは、水彩や油彩では表現できないと思った。

IMG_6150uu.jpg

私は北海道から来たといった。
奥様は、私の話し方で、北海道の人かもしれないと思った、と言った。
奥様も旦那様と共に、以前北海道にいたと言った。

9年10月18日 (5)

私が、山を登ったりしながら旅をしていることを言った。
そうしたら、うちの人も山が好きだからと言って、旦那様を呼びに行った。
3人で、北海道やここの話しをした。

旦那様は、高校生の頃、暑寒別岳に登ったと言った。   関連ブログ。  関連ブログ
あの、雨竜沼湿原から見えた山だ。

絵の感じはやわらかく、独特の雰囲気だ。

9年10月18日 (3)

旦那様は、明日谷川岳に登るという。
私は、赤城山に登る予定だったが、お願いして同行させてもらうことにした。
谷川岳に登れるなんて思ってもいなかったから、うれしい。

突然の訪問なのに、お茶やリンゴまでご馳走になった。

写真の真ん中奥に、谷川岳は隠れている。 (Sさん宅の前から撮影)

9年10月18日 (6)

北方面の山。 右のでこぼこした山は、越後駒ヶ岳と教えてくれた。

9年10月18日 (7)

明日6時に迎えに来ていただくことになった。 お世話になる。

交差点で右に曲がって戻った。

9年10月18日 (8)

明日の朝は5時に起きるので、キムヨナの記事は、少し書いて終わりにします。
追記を別の日に書きます。
フランス大会に向けて、ヨナや真央が、そしてコーチがどんなことを言ったのかは調べました。
たくさんの資料が手元にあります。

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今日のテレビで知ったのだが、ヨナのオーサー・コーチは、
ヨナが力を出し切れば、別の世界に突き抜ける、と言ったそうだ。
フリーで、ジャンプを跳ばなかったが、こう言っている。
氷に何かがあったみたい。恐怖感があった、と。

自身の限界はと聞かれて、
フィギュアスケートは得点じゃない。私自身を表現するわ、と涼しげに言ったそうだ。

真央のタラソワコーチは、
練習で出来てどうして本番で出来ないんだろう、と言ったそうだ。
本番で出来るようにするまでが、コーチの責任なのに。

荒川は何度も、自信を持てばいいと言った。
本番で成功するための手順は、そんな単純なものではないことを、本当に知らないのだろうか。
そう思った。

yonaqq.jpg

キム・ヨナの演技は、一層安定してきたように感じた。
真央が復活してほしいと思う。
背中が見えなくなったら、追いつけない。


【道の駅】    同じです。

【明日の予定】   谷川岳に登ります。 体調は戻りました。


《今日の歌》     遠くへ行きたい(You Tube)   また、知らない街を歩いてみます。


akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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