キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
                             ☆ ブログタイトル一覧は、右をクリック。 burogutaitoru656.jpg
今から72年前の、昭和13年5月21日。
一人の若い男が、地域に住む人たち30名を、猟銃や日本刀で殺した。
自分も、自殺した。
津山事件と呼ばれ、津山市の貝尾と言う所で起きた。

その地域を、歩いてみた。
話を聞くことが出来た。
※ 現地では事件について話すことはタブー、と聞いていたが。

貝尾は、津山市北部の山の中。 それも、一番奥だった。
話してくれたのは、80才をとうに過ぎた、おばあちゃんだった。
※ おばあちゃんの旦那さんの、母親と兄弟3人が殺されている。

享年日が、昭和13年5月21日の墓が、たくさんあった。


津山市を調べていたら、津山事件が小さくあった。
何だろうと調べてみたら、大変な事件だった。
露天風呂の湯原温泉か、津山城を考えていたが、変更した。

基本の情報は、Wikipediaで。
事件の概要は、こう。

津山事件、または津山三十人殺と言われる。 大量殺人事件。
1938年(昭和13年)5月21日未明に起きた。
場所は、岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落。
※ 犯人が、自殺する前、別の場所でも殺したので、坂元も入っている。
  基本は、貝尾。

2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負う。
日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件。
犯人の姓名を取って、都井睦雄事件ともいう。都井は事件当時21歳だった。


貝尾まで、あと2㌔。 左の谷に入って行く。

10年5月14日 (1)

この事件を知った時、三毛別の熊の事件に似てると思った。  ※ 関連ブログ  三毛別羆(ひぐま)事件。 
人間のやることじゃない。

電柱から、右に入る道がある。 そこを行ったら、地域の中心。 後で行く。
車は真っ直ぐ。 あと200㍍。

10年5月14日 (2)

現地の道については、Wikipediaで調べてあった。

着いた。 ここは、集会所。 住民の家は、左手の方にある。 右の道を上がってきた。   車の場所は、地図ではここ

10年5月14日 (4)

犯人の都井には、両親はいなく、祖母に育てられていた。 姉が一人。(嫁に行って、ここにはいない)
事件の前年に徴兵検査を受けるが、結核のため、合格できなかった。

山の下の地域が見える。

10年5月14日 (3)

それまで、女の人との付き合いがあったが、結核のためか相手に断わられるようになる。
将来の夢はなくなる。

集会所と、車を停めた場所。 最初の分かれ道に戻っている。

10年5月14日 (5)

都井は、親しい友人に、下記のことを口にするようになる。
「結核で死亡するくらいなら、阿部定事件以上の、どでかいことをしてやる」

上の写真の右の方は、家が集まっている。 事件の中心になる場所。

10年5月14日 (6)

彼は、1938年に入って、5連発ブローニング猟銃を購入した。
毎日山にこもって射撃練習に励むようになった。  
その猟銃を手に、毎夜、村を徘徊したため、近隣に不安を与えるようになる。

都井が使用した猟銃を調べたが、分からない。 一応、下のは、ブローニング社の猟銃。(年代は分からない)

猟銃mmnbhkk

ここまで下りてきて、右の道を上がった。 人を探しながら。

10年5月14日 (7)

5月20日午後5時頃、都井は電柱によじ登り、送電線を切断した。
貝尾部落は停電になるが、大騒ぎにはならない。

中心部が見えてきた。

10年5月14日 (8)

5月21日、御前1時40分頃、行動を開始。
詰襟の学生服に、軍用のゲートルと地下足袋を身に着けた。
頭には鉢巻を締め、小型懐中電灯を両側に1本ずつ結わえ付けた。(鬼の角の感じで)
首からは自転車用のランプを下げた。
腰には日本刀一振りと短刀を二振り、手には改造した9連発の猟銃を持った。

Wikipediaの説明にあった、T字路に来た。 左に100㍍ほど行くと、最初の集会所。

10年5月14日 (9)

都井は最初に、自宅で就寝中の祖母の首を斧で刎(は)ねて即死させた。
その後、近隣の住人を約1時間半のうちに、次々と猟銃と日本刀で殺していった。
※ この事件は、「八つ墓村」で使われている。  ここに、出てくる。(YouTube)
 
集会所への道。

10年5月14日 (10)

こんなことがあった。
ある家の老人は、返り血に染まった都井の姿に脅え、茫然としていたところ、
「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪(こら)えてやるけんの」と言われ、見逃されたという。

真っ直ぐの道を行った。 誰にも会わない。

10年5月14日 (11)

最終的な被害者は、死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)。  重軽傷者は、3名。
死者のうち5名が16歳未満。
計11軒の家が押し入られ、そのうち3軒が一家全員が殺害された。 4軒の家が生存者1名のみ。

見晴らしのいい所に、貝尾地区はある。
ここまで来て、戻った。 道はなかった。

10年5月14日 (12)

その後、3.5㌔離れた荒坂峠の山頂で、猟銃で自殺した。 荒坂峠は、上の写真の正面の方にある。
猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死した。

10年5月14日 (13)

突き当たりを右に行くと、集会所。

10年5月14日 (14)

10年5月14日 (15)

集会所への道を下りて行った。 車の後ろが見える。

10年5月14日 (16)

上の道を下りた所で、人に会った。 畑仕事をしている、おばあちゃんがいた。 やっと、人に会えた。 うれしかった。
細心の注意を払って、話しかけた。

10年5月14日 (17)

挨拶した後、今日の天気や、この土地の良さなどを伝えた。
そうして、切りだした。
「あばあちゃん、貝尾はとってもいいとこだけど、昔、大変なことがあったんだってね」って。

それを聞いたおばあちゃんは、話しだした。
最初に言ったのは、

おばあちゃんの旦那さんの、お母さんが殺されたこと。
旦那さんの兄弟3人が、殺されたこと。
おばあちゃんの旦那さんは、陸軍に入ってて、ここにはいなかった。 だから、助かったこと。

都井睦夫の家は、下の写真の○の所にあった。 今は、空き地。
おばあちゃんの家は、道の右だから、道路を挟んだ隣になる。

一段上の左の家は当時もあったが、屋根が見える右の家はなかった。

10年5月14日 (18)

当時、旦那さんの家には、お母さんと子供たちがいた。 父親は、亡くなっていなかった。
おばあちゃんに、何番目に襲われたかは聞かなかったが、「八つ墓村」の話の中では、
最初に襲われた家で殺されたのは、未亡人と子供たちとある。

都井が、道に出て、すぐの家は、おばあちゃんの旦那さんの家だ。
きっと、最初に襲われている。  
その場面は、ここにある。 この映像では、子供の人数がはっきりしないが、未亡人とある。  2分過ぎに出てくる。
     ※ 八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し 3/4 (YouTube) 

Wiipediaに、最初にも書いたが、事件の現場は、貝尾・坂本とある。
犯人の都井は、最後は自殺するが、おばあちゃんは、その場所をこう説明してくれた。
青山から横野に行く途中の山の頂上。(峠の頂上)

そこに行く途中に、坂本はある。 
最後に一人殺したのは、坂本と、おばあちゃんは教えてくれた。    
     ※ 坂本、青山、横野(上横野)の位置は、この地図に。  都井が自殺した場所が、見当つく。

おばあちゃんは、お墓の場所を教えてくれた。 何カ所もあった。
他にも、お話しはたくさん聞いて、別れた。 丁寧にお礼を言って。

最初に行ったお墓。 

10年5月14日 (19)

おばあちゃんは、戦後結婚してここに住んだ。 でも、昭和30年に旦那さんは病気で亡くなる。(結核)
それから、もう55年経った。 二人の男の子を育て上げた。 今は、ひ孫もいる。

昭和13年5月21日とあるお墓が、すぐに見つかった。

10年5月14日 (20)

昔は25戸の家があったが、今は10戸と、教えてくれた。
※ 襲われたのは、11戸。

この道を上がってきた。 下りたら、車がある。
昔は、もっと木がたくさんあったという。
事件の後、夜は不気味なので、おばあちゃんたちも地域の人もみんな、出歩かなかったそう。

10年5月14日 (21)

事件の後、ここに住めなくて、出た人も多いと言った。 思い出すのがつらいから。

別の墓地にもあった。

10年5月14日 (22)

アジサイでいいですね。 早い感じがする。

10年5月14日 (23)

下の風景。

10年5月14日 (24)

事件の時に、ここに住んでた人は、今は一人もいないという。
出てしまったり、亡くなったり。 72年経った。
私はおばあちゃんに、「ずっと墓を守れてよかったねと」言った。

10年5月14日 (25)

おばあちゃんは、私は現場を見てないから、ここに住めたかもしれない、と言った。

ここの墓地には、2つ並んであった。

10年5月14日 (26)

こう。

10年5月14日 (29)

離れた所にも、あった。

10年5月14日 (27)

昔のことが分かる物は、墓の他には無かった。

ここにも2つ。

10年5月14日 (28)

道が左に曲がる辺りで、おばあちゃんと話した。

10年5月14日 (30)

どうして、都井睦夫が、このような人間に育ち、大変な事件を起こしたのか。
ネットの情報や、おばあちゃんの話、私が今まで教育の世界で見てきたことから考えたら、こんな感じでしょうか。

① 最大の問題は、育てたおばあちゃんが、睦夫を大事にしすぎたこと。
  外に出す不安があったため、家に閉じ込めた。 極端な過保護。
  学校に入学させるのが1年遅れたのも、それが原因。

② 上のことで、睦夫に、ほとんど社会性が身に付かなかった。
  引きこもりになったのは、それが原因。

③ 自分に対する、周りの人間の関わり方に、不満を持つようになる。
  睦夫は頭が良かったので、繊細にそれを感じるようになった。

④ 強い人間にあこがれるが、そうはなれない。
  それを実現してくれたのが、銃だった。
  銃の力が、自分の力と、錯覚するようになる。

⑤ 最後のとどめは、睦夫が結核になったことだった。
  この時、自分の人生から夢は消えた。
  当時、結核は、死を宣告されたようなものだった。

⑥ 好きだった人が、自分から離れて行った。 
  そこに恨みが生まれ、事件への引き金になった。

こんな流れかなと思う。

※ 追記  真実は、分かりません。 
      私は、こう思うと言うことです。      

この事件から何を学ぶかは、難しい。
人間どんなに不満があっても、都井睦夫までのことはしない。

※ こんなことも思った。
  都井睦夫の罪の大きさは、計り知れない。
  それでも、戦争を起こした人間の罪の大きさは、比べられないほど、都井の罪より大きい。
  長崎と広島で、このことを学んだかな。

おばあちゃんに会えてよかった。
現場での生の情報の価値は、ネットの情報と全く違う。
おばあちゃんに、感謝します。


【道の駅】      彩菜茶屋     だいたいこの辺り

【明日の予定】    たくさん時間がない。 この近くか、津山城だけでも。 

【今日の歌】     歌ではないが。
           八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し   1/4 (YouTube)
                                        2/4 (YouTube)
                                        4/4 (YouTube)      ※ 3/4は上に。


【ブログランキング】  国内旅行2位、旅行全体で5位です。  
             クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
スポンサーサイト
吹屋の町を歩いた。
道の両側には、ベンガラ格子に石州瓦の家が、軒を連ねていた。
ベンガラのことを、今日初めて知った。


鯉が窪湿原があるので行ってみた。
今までの湿原は、いつも山の上。 歩くのを覚悟した。

そうしたら、すぐ側まで、車は行った。
ここは、中層湿原だと言う。 だから、山の上ではなかった。   場所はここ

向こうの方に、堤防のようなのが見える。 人工の池だった。 少しがっかり。

10年5月13日 (1)

しかし、確かに人工だったが、古かった。
1694年に出来ており、300年以上経っている。

展望台に上がったら、池しか見えなかった。 湿原は、上流。

10年5月13日 (5)

リュウキンカが満開だった。
北海道には、エゾノリュウキンカある。
ヤチブキとも呼ばれ、お浸しにして食べたら美味しい。

10年5月13日 (4)

こんな花。 立金花と書く。 茎が立っており、金色の花なので、この名前。

10年5月13日 (3)

ここの湿原は、天然記念物に指定されていた。「西の尾瀬沼」とも言われるそうだ。
花の種類や昆虫が豊かなよう。

ここの湿原のメインは、この花。 オグラセンノウ。 ナデシコの花。  絶滅危惧種。
花が赤いようだが、特徴がはっきりしない。 新見市の、市の花。

10年5月13日 (2)

ナデシコの花は、昔から、人気がある。 こんなのが。

酔うて寝む なでしこ咲ける 石の上  (芭蕉)
かさねとは 八重撫子の 名なるべし  (曾良)   曾良のは、奥の細道に出てくる。

私もこの花、大好き。   ※ 関連ブログ   決めたぞ! エゾカワラナデシコに


吹屋というのは、地区の名前だった。  ※ もちろん、吹き矢ではない。
高梁市の中に。

家並みが変わっているとか、ベンガラだとか言うので、頭が混乱する。

この辺り一帯が、「吹屋ふるさと村」になっていた。  車は、左の方の○に。    ここです

10年5月13日 (6)

銅山とベンガラの町。 

ベンガラは、赤の顔料だった。  
顔料だから、何かを染めるんだが、水や油には溶けない。

ここは、伝建地区だった。  ※ 重要伝統的建造物群保存地区。

10年5月13日 (7)

格子などが赤いんだが、古くなると落ちるそう。
新しい所は、ベンガラで、格子などを染めていた。
石州瓦も赤いので、通り全体が、赤っぽい感じがする。

10年5月13日 (8)

ここは、旧片山家の内部。 ベンガラの製造・販売を手がけた。

10年5月13日 (9)

ガラスは昔のなので、波打っていた。

10年5月13日 (10)

こんな表情で、何を考えているのかな。

10年5月13日 (11)

昔の物が展示してあった。 このレコードは、昭和12年に発売。 
このレコードが、YouTubeにあった。 写真をクリックしたら、流れます。 少しだけでも。

10年5月13日 (12) 

ここは、江戸時代の中頃から、吹屋銅山の町として発展した。
幕末から明治にかけては、銅山とともに、日本唯一のベンガラの産地として栄えた。

赤色顔料ベンガラ(酸化第二鉄)は、銅を作る過程の副産物から、作られた。

10年5月13日 (13)

人は多くないが、誰か彼かは歩いていた。

10年5月13日 (14)

石州瓦は、石見地方で作られる。 特徴は、赤くて丈夫。
    ※ 山口県、広島県でたくさん見てきた。 でも、私は、黒い瓦の方が好きかな。
この町では、この瓦の方が似合う。

10年5月13日 (18)

格子が赤っぽい。

10年5月13日 (19)

吹屋小学校。 明治33年の建物。 110年経ったが、まだ使用している。
子供たちが、いなくなってから、撮影。

10年5月13日 (15)

昨日見た、オドリコソウがあった。 笠をかぶって、踊っているように見える。 右のには、目もある。 かわいい。

10年5月13日 (16)  10年5月13日 (17)

ベンガラ館。 ここで、ベンガラを作った。

10年5月13日 (20)

銅山では、硫化鉄鉱は捨てるそう。 ベンガラは、それから偶然発見されたそう。

焼くことによって、硫化鉄鉱の中の鉄が、赤い酸化第2鉄、つまり、ベンガルに変わるのかな。

10年5月13日 (21)

赤い酸化第二鉄を、粉にして、水にさらしたりしながら、取り出す。
最後に水分を飛ばしたら、粉だけになり完成。

右の方に、乾燥させてる作業が写っている。

10年5月13日 (22)

ここは、笹畝坑道。 江戸時代から大正時代まで、銅が産出された。
下から入って、上から出てきた。

10年5月13日 (26)

本物の坑道だった。 入って行ったら、広かった。

10年5月13日 (25)

こんな感じの作業。

10年5月13日 (24)

坑道入り口に、スズランが咲いていた。 その季節が来ている。

10年5月13日 (23)

ここは、広兼邸。 江戸末期の建物。 お城のよう。

10年5月13日 (27)

銅山やベンガラの原料で、富を築いた。

10年5月13日 (28)

映画「八つ墓村」のロケが行われた、とあった。

10年5月13日 (29)

ベンガラは、インドのベンガルが語源だと言う。
調べてみたら、ベンガラが日本に無かった頃、インドのベンガル地方産のものを輸入していた。
それで、ベンガラと呼ばれるようになった。
※ 大丈夫のようです。 信頼できるかは。


【道の駅】    醍醐の里    ここです

【明日の予定】  津山にしているが、津山のどこなのか。

【今日の歌】   ダバダバダ(YouTube)   メロディです。 たまに。

          小さな酒場(みせ)(エムズの片割れ)  きち兵衛さんです。 


【ブログランキング】  国内旅行1位、旅行全体で2位です。  今日の最後が、2位でした。 感謝。
             クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。

岡山後楽園は、芝生のある開放的な庭園でした。(今は枯れていますが)
市民や観光客を温かく迎える、そんな雰囲気を感じました。
花の時期は終わっていましたが、それでも魅力は十分にありました。


駐車場は広く、無料。 入場料は350円。 良心的だ。
※このような所で、駐車料500円、入場料500円以上の所が多い。
このことは、後楽園という名前にしたことや、これを作った藩主の考えと、繋がりがあることを後で知った。

庭園内に入ると、庭園の外に城が見えた。 
また、遠くの山が借景として生かされていた。

後ろに城が見えることによって、芝生で広い庭園が、いっそう大きく感じた。

9年12月7日 (17)

城との間は、旭川。 掘の役割を果たしている。 (北海道の旭川と同じ名前)

9年12月7日 (2)

9年12月7日 (3)

ボランティアでガイドをしている人がいた。 お願いした。(一人だったので、申し訳なかった)

芝生は昔から、日本にもあったそうだ。(日本芝)
日本庭園は、時として、閉じ込められた雰囲気がするが、ここはそれがない。

9年12月7日 (1)

築山。

9年12月7日 (4)

ここは、江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された。
元禄文化を代表する庭園で、国の特別名勝に指定されている。

鶴鳴館(かくめいかん)。 メインの建物。 能舞台もある。 ※ 別の所に、タンチョウヅルが飼われていた。

9年12月7日 (20)

建物の前には、このような庭が。

9年12月7日 (23)

こんなつくり。

9年12月7日 (30)

石の橋。 簡単に折れないのかな。(質によるのか)

9年12月7日 (29)

どうして、こういうものを作ったのか。

江戸時代が始まって、100年が過ぎていた。 国を治める者にとっては平和な時代が来ていた。
藩主にとって、天下を狙うとか、徳川に逆らうという時代ではなかった。

そういう中で、庭園を作るのが、一つのブームになった。
そこに、生きる楽しみを見つけたのかもしれない。 平安時代の貴族に似ている。

9年12月7日 (5)

鶴鳴館の裏にある、花葉の池。 
夏は、一面にハスの花が咲くそう。

9年12月7日 (6)

これは、大賀ハス。 2000年前のハスの種から育ったもの。
大賀博士を中心とした発掘で、千葉県で見つかったもの。
この人は、岡山の出身だった。 この庭園に咲く。

9年12月7日 (13)

池には、小さな滝が。 カモも。

9年12月7日 (27)

庭園内で、一番大きな石。 分割して運んだ。 (これでも、一番大きいでいいのかな)

9年12月7日 (26)

お茶をする所。

9年12月7日 (7)

カラスが飛ぶ瞬間を、待った。

9年12月7日 (28)

兼池軒という建物。 茶を飲んでる人がいた。 休憩所のよう。

9年12月7日 (9)

この場所を借りて、こんなのを売っていた。

9年12月7日 (8)

築山から見た。 芝生が緑で、花が咲いてるのを見てみたい。

9年12月7日 (10)

ガイドの人から聞いたのだが、昔藩主は、一般の人を、日を決めてここに呼んだそうだ。
自分だけが楽しむのではないという考えだ。

当初は、「御後園」と呼ばれていた。
明治に入って、中国・宋の時代の書物にある、「先憂後楽」からとって「後楽園」とした。
先憂後楽の意味は、こうです。
国家の安危については人より先に心配し、楽しむのは人より遅れて楽しむこと。

この考えが、今も引き継がれているように感じた。 最初に書いたように。

下の写真は、八橋。 板が8枚あった。(京都のお菓子、八ツ橋とは関係なかった)

9年12月7日 (11)

この建物の下を川が流れていた。 川を見るためのもの。

9年12月7日 (12)

後楽園は、時代とともに変化してきた。
でも、当初、どうしてここまでの庭園を作ることが出来たのか。
ガイドさんに聞いた。 こうだった。

作った当時の藩主は、池田綱政。 綱政は新田を開拓したそうだ。
何年かは、税金を納めなくていい。 それで、財力があった。

後ろに城が見えるのはいい。

9年12月7日 (14)

築山から見たら、右の方の道。

9年12月7日 (15) 

場所を変えながら、城と庭園を撮った。

9年12月7日 (18)

小さな神社が、いくつかあった。 

9年12月7日 (16)

こういう撮り方は、絵葉書みたいだねと、ガイドさんと話した。 やり過ぎたらダメかな。

9年12月7日 (19)

この人が、ガイドさん。 退屈しなかった。 1時間以上だ。 
感謝です。

9年12月7日 (21)

私が終わったら、別のグループに説明していた。

9年12月7日 (31)

庭園見て、いつも面白いと思うわけではないが、今日は良かった。
後楽園と言う名前がよかったからかな。
そして、開放的だったことも。



【道の駅】      アリストぬまくま   ここです。  道の駅がないので、ここまで来た。 遠かった。

【明日の予定】    尾道ラーメンと坂です

【今日の歌】    クリスマスの曲が聞こえてきました。 2曲。

             Silent Night(YouTube) Aly&AJ
             Happy Christmas (War Is Over)(YouTube)

【ブログランキング】  国内旅行3位、旅行全体で11位です。 感謝です。

ランキング

フェリーで、小さな前島に行ってみました。

そこに行ってからの発見を楽しみに歩く。 
これが、一番面白いかも知れない。 そう思いました。

瀬戸内海は、島に彩られた、美しい海でした。


朝いた道の駅、一本松展望園から。 遠くに小豆島が見える。
その手前の、細長い島が、前島。 右に、昔の塩田の跡が見える。

9年12月6日 (4)

上の写真に、の木があって、花が咲いていた。 (どうしてこの時期?)
こんな、八重の花。

9年12月6日 (5)

小さなフェリー。 近いので、運転手は下りない。 客室には、私だけ。

9年12月6日 (7)

港を出たなと思ったら、すぐに着いた。 下りて少し行ったら、案内所。  場所はここ

9年12月6日 (8)

ここは、瀬戸内市牛窓(うしまど)町 前島。

こんな看板が。 「でーれー」の意味は分からない。

9年12月6日 (9)

案内所の中。 ここで地図をいただいた。 (途中で、なくす)

宅急便の荷物や、新聞があった。
案内所の人が配達する。 自分で取りに来るのもある。

9年12月6日 (10)

野菜が売っていた。 帰りに、大きなキャベツを1つ買った。 100円。

9年12月6日 (11)

島の周囲は、4㌔ほど。 人口は、200人位。
案内書の女性の方が、見所や、歩いてどこまで行けるかなど、教えてくれた。
展望台を目指すことにした。

9年12月6日 (12)no9

9年12月6日 (12)no7

明治17年に大きなクジラを捕まえた。 長さ30㍍。 二日がかりだった。
骨をここに埋めた。 

9年12月6日 (13)

島の人みんなで食べても、余ったんでないかな。 

9年12月6日 (14)

こんな道を来た。 道が細いので、軽自動車が多い。

9年12月6日 (15)

家も周りも畑も、雰囲気がいい。 自然には、瓦屋根が似合う。

9年12月6日 (16)

こんな道を、東に歩いた。 景色がいいので、飽きない。

9年12月6日 (17)

どこかで、見たような気もするが。

9年12月6日 (18)

無人の家の庭に、ぽつんとあった。

9年12月6日 (19)

川を探しながら歩いたが、見つからなかった。  屋根の水とかは、ここに集まる。
きっと水を大事にしている。 水は、藻で緑。

9年12月6日 (20)

この家も良かった。

9年12月6日 (21)

壁の板が、表面を黒く焼いた板だった。 ※ 室津でも見た。

9年12月6日 (22)

この辺りは、畑が平らで広い。 

9年12月6日 (23) 

キャベツ畑が、とにかく多い。
案内所の人は、美味しく人気があると言った。 確かに、近くで見たら、生き生きとしたキャベツだった。
男の人がいた。

9年12月6日 (24)

畑の整備。 土地を大事にしているのが分かる。

9年12月6日 (25)

この時期に花の苗を植えるのか。 今は冬なのに。 苗は春植えるものだと思っていた。
きれいな花畑だった。 花壇とは違う魅力。

9年12月6日 (26)

キャベツ見たいな花。

9年12月6日 (27)

こんな所に家が。 ベランダから釣りが出来る。 海釣りの好きな人には、理想の家だ。

9年12月6日 (28)

展望台は、あの山の上。

9年12月6日 (29) 

石切り場があった。 大阪城に、ここから運んだ。

9年12月6日 (30)

割った石の間から、木が。

9年12月6日 (31)

これは、小豆島の大阪城残石記念公園にあったもの。 こうやって運ぶ。

pppe.jpg

展望台に着いた。 こっちは、赤穂の方。

9年12月6日 (1)

西の方。 島と牛窓の市街地とは、近いのが分かる。 
北海道の島と違って、最果ての地に来たという感じは、全くしない。
楽園と言ったら、ほめ過ぎになるかな。 でも、そんなかんじ。

9年12月6日 (2)

瀬戸内海。 大型船の航路は、小豆島の向こう側なのか、静かな海だ。

9年12月6日 (3)

なつかしい小豆島が、目の前に横たわっていた。

9年12月6日 (33)

小豆島大観音が見えた。

IMG_1905mp

まちがいない。

9年12月6日 (32)

この写真は、6月に撮影したもの。

ppdf.jpg

途中から、別の道を通った。 この辺りは、低地で土地が平ら。 キャベツ畑が多い。

9年12月6日 (35)

この島には、昔から学校はなかった。 子供たちは、船で町の学校に通った。
海が荒れそうになったら、早く帰ったそう。

最後にまた、案内所に寄った。 キャベツを買った。

案内所の人に聞いた。 この島の良さは何ですかって。
そうしたら、素晴らしい答えを言いました。

ここで問題です。 何と言ったでしょう。 ヒントは、時間です。 (ヒントが大きすぎるかな)
答えは、写真の下に。

今日のすべては、下の写真の人に教えていただきました。
フェリーに乗る直前、手を振ってさよならをしました。

IMG_1919gyu.jpg

答えは、時間がゆっくりと流れる、でした。

   ※ そういえば、秋葉山に登った時、あのお父さんに出会って、時間がゆっくり流れた。
     そこに、楽しい女性の方がやって来て、すこし速くなった。
     そんなことがあった。  ここに

私は今日、時計をほとんど見なかった。
この前島が、そうさせたのかも知れない。


【道の駅】    みやま公園   ここです

【明日の予定】   この辺りか、もしかしたら、岡山の後楽園。

【今日の歌】    瀬戸の花嫁(YouTube)   動画に小豆島が出てるようだが。

           眠れない夜を抱いて(YouTube)  もし、今いたら、どんな歌を歌っているでしょう。


【ブログランキング】 国内旅行3位、旅行全体で10位です。 感謝します。

ランキング

午前中大変でした。
インターネットは、DoCoMoのモペラというのを使っているが、朝から通信不能
電波は来てるけど、うまくいかない。
場所を移動してみたが、ダメ。

9時を待って、DoCoMoに電話。
全国的な問題と分かった。 いつ回復するか分からないという。
時々試してみてた。
やっとつながった。(12時過ぎに)

今は、岡山県の北の外はずれ。 道の駅 風の家にいる。
朝から動かないでいた。

今日はこれから動く。 決めてない。
とりあえず。


【追記】  
今日、最後は、いい一日でしたよ。

昨夜は、道の駅 犬挟(いぬさばり)。
     ※ 挟の漢字が出ない。 ネットは、みんな、狭をつかっている。 やっと。
          場所は、ここ
夜は、山の中で、一人ぼっち。 

 DSC00525.jpg

湧水があったので、汲んだ。

  DSC00526no2.jpg

午後から、時間がないので、近くの道の駅、蒜山(ひるぜん)高原に移動した。 ここも、寂しそうなので、やめて、元の道の駅 風の家に戻った。
     場所はここ。  今もいる。

蒜山高原に行く途中、休暇村 蒜山高原のホテルで、風呂に入った。 
そのホテルからの風景。 蒜山という山は、一番左か。    

  DSC00527.jpg

戻って、近くを自転車で散歩した。
そうしたら、石の大鳥居があることが分かった。 山の方にあるので、車で行った。

高さ、10.65㍍。 日本一

  DSC00539.jpg

鳥居の側に、案内板があり、ここが昔、郷原宿と呼ばれていたことを知った。
道の広さは昔のまま。(後で、詳しく知る)

  DSC00537.jpg

反対側。 ここの住所は、岡山県真庭市蒜山西茅部
          場所は、ここ
昔、美作(みまさか)と伯耆(ほうき)を結ぶ、大山道の宿場町だった。
    ※ 美作・・・岡山県北部   伯耆・・・鳥取県中部及び西部
    ※ 函館に、南茅部というとこがあるが、関係ないのかな。 

  DSC00538.jpg

写真を撮りおわって戻ろうとしたとき、薪を割ってる、おじいちゃんに会った。
街道のことを聞いた。

近くに、昔、この地域の庄屋さんの家があるという。そこに牛をつないだ石があるという。 年貢を納めるとき、牛の背中に米を積んだという。

   DSC00547.jpg

戻って、見に行った。 それが、これ。

  DSC00541.jpg

こんなのも、あった。 石の風呂。 どうやって作ったんだろう。

  DSC00544.jpg

おじいちゃんは、昔のままの家が残っていること。
鳥居の石は、この地域の山奥から、「ころ」で運んだこと。 明治19年に。
などを、教えてくれた。

おばあちゃんが来たので、大きな鳥居だねと言った。
おばあちゃんは言った。 私の家は石家だと。 ※ 石材店のことか。
おじいちゃん(夫)は、これを作った人の、4代目だと言った。
これを作る時、足場を組む木材などは、家2軒分使ったそうだ。

自慢話だと思われたら困るのか、教育委員会に行ったら、詳しく分かるよと教えてくれた。
  DSC00548.jpg

上の石は、載せてあるだけ。

  DSC00551.jpg

鳥居の向こうに神社があるので、見るために歩いた。
畑で仕事をしている人がいた。
歩いたら遠いから、車で行ったらいいよと、道を教えてくれた。

  DSC00553.jpg

道端に、こんな可愛い車が。 フロントに、ライガーと書いてあった。
※ 調べたら、小型特殊自動車。 こいうの、あるんだ。

  DSC00552.jpg

駐車場からの道。

  DSC00554.jpg

茅部神社。

  DSC00555.jpg

この地域には、こんな伝説が。
  DSC00557.jpg
見晴台から。

  DSC00556.jpg


【今日の温泉】  上に書いた温泉。  500円。  驚く無かれ、ラドン温泉でした。 初めて入った。 
不動温泉も、ラドン温泉だった。  そのブログ


今日は、疲れた気持ちでいたが、この旅で、いちばんいい日になった。 今日のようなのがいい。
ビールを買ってきて、乾杯した。



「今日の歌」は     ケ セラ セラ(YouTube)

                  テレサ・テン「愛の終着駅」(YouTube)


akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

名前:
メール:
件名:
本文:


-天気予報コム- -FC2-

この人とブロともになる

QRコード

気にいったところがありましたら、クリックをお願いしますね。

FC2Blog Ranking

ありがとうございます。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。