キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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帝釈峡は、観光情報誌で、大きく紹介されている。
何があるのか、楽しみにして行った。   帝釈峡は、ここ

でも、帝釈峡は、哀しく見える程、観光地としては寂れていた。
歩いてみて、ここを観光地として発展させるのは、もともと無理だったと感じた。
その根本は、一番人気の神龍湖が、ダム湖であることだった。

帝釈峡を流れる川は、帝釈川。 帝釈峡の北の方は、川。 南は、神龍湖。

初めは、北側に行った。  地図の印から、断魚渓まで歩いた。 それ以上は、通行止め。  地図

少し歩いたら、鍾乳洞があった。 白雲洞。

10年5月12日 (1)

小さいけど、中が乾燥してないので、感じがいい。

10年5月12日 (2)

ただ、綺麗な鍾乳石があるとか、滝があるとか、そういうのは無い。

10年5月12日 (3)

灯りの周りに、植物があった。 この植物にとっては、電球が太陽かな。

10年5月12日 (4)

向こうから歩いてきた。 右から川が流れており、その川は、穴を通っていた。

10年5月12日 (6)

穴を通って、上流から撮影。
昔は鍾乳洞だったが、出口以外は、崩壊したそう。 名前は、鬼の唐門とあった。

10年5月12日 (14)

こんな感じの川が続いた。 ここも帝釈峡なのに、少し物足りない。

10年5月12日 (7)

ラショーモン カズラ。 シソ科だそう。  洞窟の人に、教えてもらった。

10年5月12日 (5)

雄橋(おんばし)が見えてきた。

10年5月12日 (12)

天然の橋。 高さ40㍍。 長さ90㍍。 日本一の天然橋だそう。

10年5月12日 (8)

下流から見たら、こう。 いいですね。 昔は、この橋を生活に使ったという。

10年5月12日 (9)

この橋は、幅19㍍。
もし、幅が100㍍くらいあったら、長いトンネルだ。 
※ 北海道の、西興部村の氷のトンネルは、中が川。
  一昨年しうさんと行った。 ヒグマの糞を見ながら。 数日後、熊と人が出会う。 
                                 ※ 関連ブログ  氷のトンネル(ウエンシリ岳)
                                 ※ ブログを始めた頃の、ブログ。 写真も小さい。 なつかしい。
トンボ。 名前は分からない。 

10年5月12日 (10)

帝釈峡で、一番の急流。 断魚渓。

10年5月12日 (11)

オドリコソウ。 これも、シソ科。  花が、笠をかぶった踊り子に似ているので、この名前。

10年5月12日 (13)

田んぼにいた。

10年5月12日 (15)

神龍湖(しんりゅうこ)に、車で移動。 遊歩道を歩いた。   地図。  車は、印の所に。

10年5月12日 (16)

神龍湖は、ダム湖。 下流に帝釈川ダムがある。 大正13年に出来たと言うから、古い。

遊歩道には、橋とトンネルがある。  大学生が、あっちこっちで、絵を描いていた。

IMG_2414vvcbnjg.jpg

左の階段を登ってみた。

10年5月12日 (17)

矢不立城址公園となっていた。  ※ 矢不立は、やたたず、と読む。

※ この城は、庄ノ氏の居城だったそう。
  戦国時代、毛利、尼子の戦いに重要な役割を果たしたそうだが、詳しくは分からない。
  昨日のブログの最後に、敵は向こうの山に陣を敷いたと書いたが、敵とは、尼子氏のことだった。

10年5月12日 (18)

お土産屋さん、食堂、旅館、ホテルの、半分以上は、閉まっていた。(廃業)
荒れ放題に放置されていた。

10年5月12日 (19)

ダム湖だけで観光が成り立っている所は、どこかに、あるのだろうか。
今は、ダム湖でなくても、湖だけで観光を支えるのは、大変な時代になっている。

10年5月12日 (20)

お店の前に、オオサンショウウオがいた。  金魚は、エサ。

10年5月12日 (21)

頭の上は、ボコボコ。 初め、石かと思った。
でも、サンショウウオの、短い手と、太い指では、石は載せれないと思った。

10年5月12日 (22)

ダム湖には、神秘性はない。 古くからの伝説もない。
もし、バブルの時代で、施設が新しかったら、人は来るかも知れない。

10年5月12日 (23)

人が来なくなってから、駐車料を無料にしても、手遅れ。 

10年5月12日 (24)

佐多岬、都井岬、竜飛岬、十和田湖、別府など、苦しんでいる所がいっぱいある。
戦略を間違った、ということは共通にあるが、自然の魅力だけで人が集まる時代は、昔の話。
それに気づいていないのかもしれない。

三年坂、黒川温泉、由布院温泉、大内宿、熊本城、旭山動物園などは、戦略で成功した。
どこも、10年、20年がかりの取り組みだった。
それは、プロジェクトXに似ていた。

帝釈峡の今後は、新たな魅力を作れるかどうかに、かかっていると思う。
でも、もう遅い感じがする。
廃墟の雰囲気を、元に戻すには、膨大なお金がかかる。


【道の駅】      遊YOUさろん東城   ここです。  2,3㌔走れば、岡山県。
           夕方、カメさんが突然訪ねてきました。 8時過ぎまで、お話し。
           カメさんは、関宿でお世話になった人。 大沼で焼き肉も。 今、中国地方を旅している。

【明日の予定】    高梁市吹屋


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どこに行くか決まらない。
隣の道の駅の近くに、「神楽門前湯治村」があった。 名前がいい。
ネットで調べたら、昔風の通りがある。 それで十分と、向かった。

ここが、神楽門前湯治村。 
通りの長さは、100㍍ほど。 その両端に、神楽を演じる舞台と温泉がある。

10年5月11日 (5)

昔風の店が並んでいるが、こういうのは今増えている。 そのうち、みんな飽きてくるかもしれない。
何らかの工夫が必要になりそう。

10年5月11日 (6)

鬼のお面に、絵付けができる所があった。 お店ばかりでもない。

10年5月11日 (7)

神楽の絵が飾ってあった。 こういうのを見るのは、好き。

10年5月11日 (4)

ここは、安芸高田(たかた)市。 高田神楽が盛ん。 中国地方には、石見神楽とか、色々ある。

神楽については、どうもはっきり分からない。
岩戸の前での踊りがあるが、他にどんなのがあるのか。

別の施設で、神楽の動画を見たが、岩戸の向こうに、天照大神が隠れた。 
大野市で見たやつだった。

10年5月11日 (2)

これは高千穂神楽の絵。
何の作品展か分からないが、「トレチャコフ美術鑑賞」をもらったとあった。

10年5月11日 (1)

トレチャコフ美術館は、モスクワにある美術館。 ロシアを代表する美術館。 
                          ※ エルミタージュ美術館は、サンクトペテルブルグに。
その美術館の至宝と言われるのが、「忘れえぬ女(ひと)」

wasureenuhitonnhkppp.jpg

昨年の夏に、岩手県立美術館で見た。   ※ 関連ブログ  忘れえぬ女


神楽に関する、資料が、別の建物に展示してあった。

左は、平維茂。 右は、鬼女。  これは、紅葉伝説だ。 鬼無里(きなさ)に残る伝説。
踊りがあるのは知っていたが、神楽にもあるとは知らなかった。
 ※ 調べたら、能や謡曲にあるが、神楽にもあった。     ※ 関連ブログ  紅葉伝説

10年5月11日 (8)

近くに何かないか調べたら、郡山城跡があった。 郡山城は、毛利元就の居城。  場所はここ

10年5月11日 (9)

この人は、戦国時代、中国地方を平定した。
昔、NHKで大河ドラマがあったが、ちゃんと見なかった。 ※ 風林火山は、毎回3回見たのに。

元就は、三人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せ、1本の矢を折るよう命じた。
息子たちが難なくこれを折ると、次は3本の矢束を折るよう命じた。
息子たちは誰も折ることができなかった。
元就は一本では脆い矢も、束になれば頑丈になるということを示し、三兄弟の結束を強く訴えかけた。

これが、有名な話。 子供たちの力に、不安を感じていたようだ。

ここを登った所に、元就のお墓が。

10年5月11日 (10)

お墓とは反対の方に、「百万一心」の石碑があった。
調べたら、こういうことだった。

百万一心(ひゃくまんいっしん)とは、
吉田郡山城の工事の際に、毛利元就が人柱の替りに使った石碑に書いてあった言葉。
百万一心とは「一日一力一心」とも読め、「国人が皆で力を合わせれば、何事も成し得る」という意味だそう。

10年5月11日 (11)

ここが墓。

10年5月11日 (12)

中は、こんな感じ。 墓は、さらに囲まれていますね。

10年5月11日 (13)

毛利元就は、こんな人。(Wikipediaより)

ppp毛利元就

元就が信頼した、えらい坊さんの墓があった。 横を通って、城跡へ。

10年5月11日 (14)

とちゅうで、安芸高田市の中心街が見えた。

10年5月11日 (15)

こういう道は、歩きやすい。 マムシに注意が、時々。

10年5月11日 (16)

明智光秀が武者修行中、ここにやってきた。 信用してもらえなかった。  ※ 関連ブログ  明智光秀は老ノ坂を通って本能寺へ
山本勘助も、曲者と思われ、追い返された。
※ 武田信玄は、山本勘助を見抜き、雇った。  ※ 関連ブログ  勘助の墓

10年5月11日 (17)

斜面でない所は、建物の跡。

10年5月11日 (18)

毛利氏は、広島に移るので、江戸時代に入ったら、使われなくなった。
島原の乱の後、利用されたら困るので、幕府は破壊した。

二の丸跡とある。

10年5月11日 (19)

ここが頂上。 本丸跡。 麓からの高さは、200㍍。 木で、下は見えない。

10年5月11日 (20)

直ぐ下は、こう。

10年5月11日 (21)

途中からの風景。 向こうの山に敵が陣を張って、真ん中の平地で戦ったそうだ。

10年5月11日 (22)

安芸高田市は、広島県なのに、川は島根県に流れる。
この、中国地方は、水の流れる境目(分水嶺)が、中間より、ずっと南にある。

また、南北に走る国道はいっぱいあるが、東西は少ない。 
私にとっては、不便。 時々、県道の細い山道を走る。


【道の駅】    リストアステーション   ここです

【明日の予定】   帝釈峡   直ぐ近くまで来た。

【今日の歌】    鬼無里の道(YouTube)


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今日も、海遊旅人さんが案内してくれた。
※ 昨日書かなかったが、旅人さんは、キャンピングカーの旅では私よりずっと先輩で、今の車は数代目。

雨は降り続けている。 平和記念公園に向かった。

途中、新日山安国寺に寄った。 地理的な条件が幸いして、原爆の被害を受けなかった。
その時代の権力者と関わって来ている、大きな寺。

本堂が国宝になっていた。 この写真は、その内部。

10年5月10日 (1)

楠(くすのき)町を、通ってもらった。
昔、小学校3年生の国語の教科書に、「かあさんのうた」というお話があった。 ※ 原題は「夜のくすのき」
そのお話しの舞台がこの町。 ※ 実際にあったことを元に、作られた。

このお話を、授業で最初に読み聞かせた時、子供たちは泣いた。 こういうことは、滅多にない。
全文はここに。  「かあさんのうた」(夜のくすのき)  ※ 短いお話です。

10年5月10日 (2)

これが、原爆ドーム。 爆心地に近い。 当時は、広島県産業奨励館と呼ばれていた。   ここです

ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
“二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて、負の世界遺産と呼ばれている。

10年5月10日 (3)

ビルの間に、島病院が見えた。 ここが爆心地。
私の後ろに、原爆ドーム。 ここから、200㍍。

10年5月10日 (4)

慰霊碑が、いたるところにあった。

10年5月10日 (5)

原爆供養塔。 身寄りのない人の遺骨が、ここに。

10年5月10日 (6)

原爆死没者慰霊碑。 

10年5月10日 (7)

真っ直ぐ向こうに、原爆ドーム。

10年5月10日 (9)

平和の灯(ともしび)

10年5月10日 (8)

広島平和記念資料館に入った。 雨だと言うのに、多くの人が来ていた。

アメリカで原爆が作られた経緯は、こうだった。
これを読むと、完成したら、ドイツを攻撃するためと考えてよさそうだ。

10年5月10日 (12)

昭和20年に入った5月7日、ドイツは降伏した。 ドイツに使用する必要はなくなった。
矛先は、日本になった。

下の内容は、なぜ原爆を使用する必要があったのかが、書かれている。
    (書くのが大変なので、写真です。 ちゃんと撮ればよかった)

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下のことが、広島が、候補地になった理由の一つ。 この内容は、旅人さんも言っていた。

IMG_1982bnhmm.jpg

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候補地は、広島、小倉、新潟、長崎、となった。 下の理由で、広島が第1候補になる。

10年5月10日 (13)

候補が4つに絞られる前は、下の町が候補だった。
 東京 川崎 横浜 名古屋 大阪 神戸 京都 広島 呉 八幡 小倉 下関 山口 熊本 福岡 長崎 佐世保
全部で、17。
この中から、破壊された町は、外れて行った。

上の写真に、8月2日に最終決定とある。
では、その前に、広島に、また日本に原爆を落とされないチャンスはあったのかというと、あった。

8月2日の1週間前の7月26日、日本は、ポツダム宣言で、無条件降伏を求められた。
もしここで降伏していたら、原爆を落とされることはなかった。
国は、最後の最後まで、国民のことを考えることはなかった。

そのことについては、ここに。

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8月6日。 広島の空は晴れていた。 広島の運命が決まってしまった。

10年5月10日 (14)

これが、広島に投下されたもの。  高性能火薬、16000トン分の威力。

10年5月10日 (29)

10年5月10日 (10)

10年5月10日 (11)

原爆投下目標地点は、黄色の○。 橋の上。 300㍍ずれて、島病院の上に。

10年5月10日 (16)

黄色の○の上空、600㍍で炸裂。

10年5月10日 (15)

破壊される前は、こう。

10年5月10日 (17)

3時間後、カメラを持って、市内に入った人がいた。

10年5月10日 (18)

座ったまま、動けない人も、いますね。
私は、地獄はないと思っている。 もしあるとすれば、この世にだ。

10年5月10日 (19)

上の写真にも写っている人が、いる。

10年5月10日 (27)

焼けた皮膚が垂れ下がったというのは、実際にあったという。

10年5月10日 (28)

こういう写真は、たくさんあった。
※ 記念館の中の撮影は、フラッシュをたかなければいい。
  多くの人に知ってもらうのは、この方がいいと思う。

10年5月10日 (30)

絵で残す取り組みもあった。

10年5月10日 (35)

爆発後、20~30分して、北西部地域に、黒い雨が降った。 夕方まで続いた。

10年5月10日 (34)

翌日だが、まだくすぶっている。

10年5月10日 (31)

こんな展示物

10年5月10日 (32)

泣いてるように見えてくる。

10年5月10日 (33)

1年後の街の様子。

10年5月10日 (21)

当時の、人の表情が分かる写真を探した。

10年5月10日 (24)

これは、原爆傷害調査委員会(ABCC)の建物。 
ここに、被害にあった人をあつめ、調査・研究した。 治療はしなかった。

海遊旅人さんは、戦後、爆心地から1.5㌔位の所に住み始めた。
小学校に入ってたら、ケロイドのある子供もいたという。
そういう子は、授業中でも、とつぜん、下の建物に連れて行かれた。
※ 検査の時は、全部服を脱がされたという。

10年5月10日 (20)

平和祈念資料館の中は、こんな感じ。 他もあって広い。

10年5月10日 (22)

核の地球儀。

10年5月10日 (23)

戦後も、世界中から戦争は消えない。 これは、ボスニア。 必死に、生きようとしている。

10年5月10日 (26)

原子爆弾は、戦争の産物と言っている。

10年5月10日 (25)


戦争という、取り返しのつかないことをやってしまった。
でも、もし、ポツダム宣言を受け入れていれば、広島や長崎の人達は、死ななくて済んだ。
その判断をした人間は、亡くなった人たちや、苦しんだ人達に、責任を感じたのだろうか。
国を大事とは考えても、国民が大事とは考えない。 だから、反省することは、きっとない。
腹が立つ。

広島は、長崎と同じように、世界へ、平和のメッセージを伝え続けていました。
そのことを確認できたので、うれしい。

海遊旅人さんのおかげで、いい広島になりました。 


【道の駅】     舞ロードIC千代田     ここです

【明日の予定】   山の中を、京都の方向に。 

【今日の歌】    Let The Sunshine In(YouTube)  この歌は、上の写真にあるボスニアで歌われた。
                                   世界のマスコミを動かし、戦争終結への大きな力になった。


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先日、私のブログに、広島弁のコメントが入ってきた。
海遊旅人さんという方。
昨日メールをいただいて、広島を案内していただけることになった。

車は、ショッピングセンターに置くことに。
ところが、途中で変更になり、海遊旅人さんのお家の、隣の空き地に置くことになった。

旅人さんのお家は、広島市内の北部にある、可部という所。   場所はここ
広島市内は、高速を使って抜けたが、着いたのは、2時頃になった。

時間が少ないので、原爆ドームとかを見るのは明日にして、可部の街を歩くことに。
旅人さんが案内してくれた。


旅人さんの家から、車で少し走って、お店の屋上に車を置いた。
旧道を歩いた。 ※ バイパスの雰囲気は、どこの街もいっしょ。

古い家が、時々ある。

10年5月9日 (1)

可部は、ずっと前は、安佐郡 可部町だった。 
今は、広島市 安佐北区 可部。

うだつがあがらない、の「うだつ」。
当初の目的は、 隣が火事の時、火が前へ回り込むのを防ぐものだった。 後に飾りの意味にもなる。

10年5月9日 (2)pp

この地域で、太田川、根之谷(ねのたに)川、三篠(みささ)川が、合流している。
※ 川が集まった所に、町はできやすい。

酒屋さんですね。

10年5月9日 (3)

可部は、国道54が通っている。 北に向かうと、松江に着く。

新酒が出来たら、丸い球をぶら下げると聞いたが、ここはいつでも下がってるそう。

10年5月9日 (4)

今まで歩いた所は、伝建地区が多かったから、建物は修復済みだった。
ここの古い建物は、普通はこうですよ、という状態。 そういうのを見るのもいい。

10年5月9日 (5)

広島を出て、可部で、出雲への街道と、石見(いわみ)への街道が分かれた。

この家は、いいですね。

10年5月9日 (6)

壁がきれい。 

10年5月9日 (7)

ぶら下がっているのは、大根。 どうして大根(?)

10年5月9日 (8)

鉄灯籠。 ここは、舟入掘りと呼ばれ、川船の発着場だった。 鉄灯籠には、毎晩灯がともされた。
 
10年5月9日 (9)

昔のようす。

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可部の地図があった。

10年5月9日 (10)

どんな飛行機も、雲が出来るのかな。 雲が出来る条件は、何なんだろう。

10年5月9日 (11)

裏小路を歩き始めた。
空き地がこんな風に。

10年5月9日 (12)

いいですね。

10年5月9日 (13)

可部駅は、可部線の終点。 線路の終点は、ここ。

10年5月9日 (14)

こういう道が、網目のように。

10年5月9日 (15)

道の下には、川が流れている。

10年5月9日 (16)

面白いことを、言ってる。

10年5月9日 (17)

こんな道を歩くと、楽しい。

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女優の戸田菜穂さんの実家。 旅人さんが、教えてくれた。

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一時、松井選手との噂があった。

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酒屋か何かの、裏の壁。

10年5月9日 (19)

海遊旅人さんの家のそばを、根之谷(ねのたに)川が流れている。
せせらぎの音が、いつも聞こえる。

10年5月9日 (20)

ごちそうになってしまった。  

10年5月9日 (21)

蝋燭の灯り。 外で、暗くなるまで、奥様と3人で。

10年5月9日 (22)


今日は、旅人さんに案内していただいて、知らない町を歩いた。
何もない町はない。
いつも思うけど、今日のような旅が、私の旅の基本かな。


【停泊場所】   旅人さんの家の隣の空き地。

【明日の予定】  広島市内

【今日の歌】   モーツアルトのピアノ(YouTube)  戸田菜穂が小さな旅。 CM。


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バスと電車で、行ってきた。 
どうして世界遺産なのか、それが知りたかった。
結論は、いい所だった。 日光より、上に感じた。


宮島は、宮島口という所から、フェリーに乗る。
そこに、広い駐車場は無いようだった。
錦帯橋の駐車場に車を置いて、バスで岩国駅へ、そして、JRで宮島口に行った。

フェリーは、JRの連絡船。
宮島は目の前なので、海中に立つ大鳥居は、直ぐに見えてきた。 
下の方が黒いので、潮が引いてるのが分かる。

10年5月8日 (1)

このような通りが長い。 カキ、アナゴめし、もみじ饅頭が、多く売ってた。
道が曲がったりするので、迷いそう。 人がいっぱい。

10年5月8日 (2)

この島は、厳島ともいうが、宮島が一般的のよう。(情報誌も宮島)

ここが、厳島神社。 平清盛の時代に、まず栄えた。
源氏の時代になって衰退したが、毛利氏が再び復興した。

厳島神社と弥山(みせん)という山を含めた一帯が、世界遺産になっている。(島の14%)

潮が引いていたので、砂浜を歩けた。

10年5月8日 (3)

この大鳥居は、どうして水の中にあるのだろう。
海の道を通って、神社にやってくるからかな、と思うが。
※ 船で来たら、ここを通るんだろうか。
※ 追記 島全体が信仰の対象になっているため、昔からこうだったよう。

鳥居は、置いてあるだけで、土には埋まっていない。 そういう説明があった。

10年5月8日 (4)

五重塔が見えたので、石段を登って行った。 下に、厳島神社が。

10年5月8日 (5)

千畳閣というのがあったので、入った。(100円)
この建物は、秀吉が造ったそう。 正確には、857畳の広さという。

太鼓の練習をしていた。
少し聞いたら、素人でないと直ぐに分かった。

10年5月8日 (6)

この人が、中心の佐藤健作という人。 今晩コンサートがある。 5000円。
ただで見られたので、もうけた感じがした。 写真も撮れたし。 ※ 本番は、撮れない。

10年5月8日 (7)

これが、コンサートのパンフレット。

10年5月8日 (8)

隣に、五重塔はあった。 美しさは、普通でしょうね。
1407年の建立とあったが、新しい感じがした。 

10年5月8日 (9)

厳島神社を見た。 300円だったかな。

ここは、全国に約500社ある厳島神社の総本社。 港町に多いでしょうか。

10年5月8日 (10)

正面が、拝殿。 本殿は、その奥。 どこも、こうでしょうか。

10年5月8日 (11)

朱塗りが美しい。 他の神社と、造りも違う。 

10年5月8日 (12)

こんな通りも。 町屋通りなど、色んな通りがあった。

10年5月8日 (13)

清盛神社。 清盛が、厳島神社に大きな力を果たしたので、見に行った。 説明はなかった。

10年5月8日 (14)

山の上への道を行くと、下が見えた。 宮島の色んな風景が、日本三景になっている。

10年5月8日 (15)

大聖院という、境内の広い寺があった。
真言宗御室派(総本山仁和寺)の大本山。 806年 空海の開基とあった。

10年5月8日 (16)

境内のいたるところに、仏像があったり、独特の雰囲気があった。

10年5月8日 (17)

筒のようなのは、回転する。 1回まわしたら、きっと、書いてあるお経を読んだことになる。

10年5月8日 (18)

上へ上へと、どこまでも続く。
書くの忘れていた。 観光客の3分の1は、外国の人。

10年5月8日 (19)

一番上のお堂。  

10年5月8日 (20)

下が見えた。 
※ ここは、広島市ではなく、廿日市市(はつかいちし)。

10年5月8日 (21)

摩尼殿。

10年5月8日 (22)

こんな仏度が。 
この仏像かどうか分からないが、ダライラマがこの寺に来て、仏像の開眼をしている。

10年5月8日 (23)

もみじ歩道というところがあった。 見晴らしがよかった。

10年5月8日 (24)

五重塔は、どこから見ても目立つ。 形に魅力があるからでしょうか。

10年5月8日 (25)


宮島は、歩くことが楽しめる、新しい雰囲気のする観光地だった。
厳島神社、大聖院、色んな通りや小路。 山の斜面の散歩道。 それに、登山。
狭い地域に、みんな、まとまって入っていた。

島なため、車が少ないのもいい。
また、参拝料金も安かった。
日光に比べたら、観光客に優しい感じがした。

歩く楽しさが大事というのは、京都の三年坂で学んだことでしょうか。
※ 街づくりに関わっている人から、教えてもらった。

宮島は、いいところでした。 


別の話ですが、弥山(みせん)に登ってみたい。 検討中です。

今日のニュースから。

ニューヨークの国連本部で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が、開かれている。
その中で、長崎市の谷口稜曄(すみてる)さん(81)が被爆者を代表して演説した。

もしかしてと思ったら、この人だった。   ※ 関連ブログ  長崎原爆 背中に火傷の少年の今 他                 

IMG_1789bbvvccc.jpg


【停泊場所】     同じ。

【明日の予定】    広島に行く。 車を、どこかに置いてバス。


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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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