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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

今年の「紋別市流氷祭り」のメイン氷像は、上藻別駅亭
この駅亭は、昨年、「登録有形文化財」に認定された。 たぶん、紋別市唯一の文化財だ。 例年は、前年話題になった物を作ってた。 昨年は、「ザ、ウインザーホテル洞爺」。 そう言う意味で、今年は、いいものを作ってる。 下の写真は、裏側。

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横から見たら、こんな感じ。 手前にサイロがある。

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これが、実際の上藻別駅亭。  ここのブログ

  駅亭

斜め前から見たら、こう。 手前にあるのは、滑り台。(たぶん)

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氷は重たいので、こうやって持ち上げる。 人のそばに、氷をつかむ器具が見える。 一つの氷の大きさは、縦80㎝くらい。横35㎝くらい。(だいたい) 人の力では持てない。 引っ張って動かすことは出来る。

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娘が保育所に通ってた頃、保育所で小さな滑り台を作った。 その手伝いをした。 夜、寒い中で。 氷が重いので大変な作業。 休憩所がある。 そこでは、温かいものが食べられる。 タダで。 それは皆、市内の会社や個人からの差し入れ。

氷像は、この他、小さいのも含めて、50基くらいが作られる。
下の写真は、初代ガリンコ号。 近くにある。 

  _MG_6766.jpg

流氷祭りの会場は、ガリンコ号の乗り場、また、オホーツクタワーに近い。



【佐呂間町 栃木】について、追加。

先日のブログに、明治44年に、16戸、137人が谷中村から移住と書いた。 この他にも、渡良瀬川流域の他の村からも来ていて、全体で91戸が入植した。 大正に入ってからも、少しの入植があったようだ。 1年目から離農者がいたとの記録もある。

補償費用に付いて調べた。 農地は反(たん)当たり30円。 家屋は一坪8円。
当時の貨幣価値も考えてみると、 だいたい、一軒、今のお金で、300万円くらいかな。(私の計算。正しいかどうかは?)
多そうに感じるが、家、開拓の道具、生活費、などを考えると、すぐなくなる金額。

政府は、住民に谷中村を離れるように勧告した。でも、実際は脅しだったようだ

移転先は、色々あって、希望したようだ。 北海道の肥よくで広大な大地をもらえると信じて。 実際は、太い木の生え茂る、原生林

明治44年4月7日。 臨時列車で小山駅を出発。 記録には、陸別、」北見、留辺蘂を通り、峠を越えたと書いてある。 若佐を通ったのかな。

移住地の苦労は尋常ではなかった。 厳しい気候と闘いながら未開の土地を開墾し、ジャガイモやハッカの栽培で生計を立てた。 1960年頃からは、酪農に転換する家も多かった。(記録から)

現在は、栃木県出身者の子孫は数世帯。 (直系はいないかも?) この地区には、愛媛、熊本からの移住者もいる。

谷中村は、とっても肥よくな、たくさん米の穫れる土地だった。 それと比べるから、落胆は大きかった。 だから、話が違うと戻る人が多かった。 1972年には、帰郷運動が起こった。

  「サロマ町のカメラスケッチ」に、佐呂間町栃木の写真が、多数載ってます。
  「谷中村や足尾銅山、渡良瀬川」の写真はここ。

※ この追加の部分は、先日の栃木のブログに、いつか移動します。



なお、小山(おやま)駅のある小山市は、江戸と日光を結ぶ日光街道の途中にある。 昔は宿場町。 高校の修学旅行で通った。 街の記憶はない。 野球の江川の出身地。


「今日の歌」は、久保田早紀の「異邦人」(YouTube)

もう1局は、高田みずえの「愛の終わりに」(YouTube) 

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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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