キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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     ※
近くにあるので行ってみることにした。
途中、忠別ダムから旭岳が見えた。
今日にすれば良かったなと、少し思いながら、天人峡に向かった。

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羽衣の滝は温泉街から500㍍ほど。
こんな道を歩く。 森林浴。

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忠別川の上流。 旭川駅の裏を流れているのが忠別川。
こんな川や渚滑川の上流を見ていたら、奥入瀬を見て感動すれと言われても、むずかしいかな。

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これが、羽衣の滝。 
高さ270メートル。日本で第2位。
※1位は、富山県の立山町にある、称名の滝。350㍍。ただ、滝の高さには諸説があるとWikipediaには書いてある。

これ以上長くは出来なかった。
もっといい写真が撮りたかったなあ。
※追記 現場にパソコンを持って行く方法がある。
撮影した写真をパソコンで確認して、カメラの設定を変えながら撮っていく。
こうすれば、いい写真が必ず撮れますね。大変だけど。
ホタルのときは、そうしたんだ。

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滝は、7段に分かれているそう。
木や岩の陰で、見えない所がある。

この写真は、滝の上の方。

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羽衣という名前がぴったりの感じがした。
命名者は、大町桂月。
明治34年に発見。

これは、右の方にある小さい滝。木の陰でよく見えない。

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敷島の滝も見に行くことにしていた。ここから600㍍。
さっそく、この看板だ。
でも、私は鈴も撃退スプレーも用意していた。

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これは、クルマユリでいいでしょうか。

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後から二人連れがきた。
自分の安全のために先に行ってもらおうかと思ったが、子どもがいた。
やめた。

まだ、雪があった。

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熊の足跡や糞はなかった。草を倒した痕跡も。

花なのかな。真っ白。

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敷島の滝。
高さは20㍍ほどだが、迫力がある。

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水しぶきが霧になって舞い上がっている。
思わず、「マイナスイオンだぞ~」って叫びたくなった。

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私ともう一人の人は、シャツを捲り上げて、胸に霧になった水しぶきをあてた。
涼しく、気持ちよかった。
※言葉遣いとして、捲り上げるでいいですね。捲し上げるではない。捲し立てるは、おしゃべりの人がするやつだ。

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最近天気が良くないから、水量が多い。

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綺麗な水だ。

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虹が見えた。

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羽衣の滝は、高さも美しさも、日本のトップクラスですね。

敷島の滝の帰り、トムラウシから下山した人と話しながら歩いた。
トムラウシの魅力の一つに、花畑があるとう。
カムイミンタラだ。
コマクサは一面咲いていたそう。
実は、昨日の写真のコマクサは、あの一株しかなかった。

そう言えば、思い出したことがある。
高校時代、美瑛から自転車で、この滝を見に来た。4人で。
砂利道ですよ。
今なら、それを聞いただけで走らないのに。
私にも、エネルギーのあった時代があったのかな。

層雲峡の温泉街。

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昔、自転車で走った道を通って、美瑛に来た。
時間があったんで、三愛の丘に行ってみた。
近くで、パラグライダーが飛んでいた。

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後に扇風機のようなのがある。
これに乗って四万十川を撮影した映像がありますね。
川の上数㍍を飛んでいた。

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橋は緑橋。
美瑛にいた頃、まるの所に私の家があった。
勤めて数年後家は売って、別の人が住んでだ。
でも、火事になって、家は新しくなった。
高校・大学と、ここから駅まで歩いた。
懐かしい場所ですよ。

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【道の駅】     びえい「丘のくら」   ここは、3泊目。

【明日の予定】  私がトムラウシのことを言うから、姉がトムラウシ温泉のどこだかに行ったら、山が綺麗に見えると電話してきた。どうするか迷っている。もしかしたら、行くかも知れない。


《今日の歌》    想い出まくら (YouTube)  美瑛にいた最後の頃、この歌が出た。

          恋人よ(YouTube)  この歌を聴くと、どうしてか私の心は、美瑛町のある場所に飛んで行く。 その場所は、ここ。 理由は分からない。

          栄冠は君に輝く(YouTube)  これから、この曲が毎日流れる。 高校時代、自分の学校がこの試合に勝ったら甲子園、というのがあった。クラスからピッチャーとキャッチャーが出ていた。授業中みんなでラジオを聞いた。負けた。相手は網走南が丘。ピッチャーは横山という人。巨人に入った横山だった。

          木更津にて(エムズの片割れ)  手仕事屋きち兵衛さんです。運転しながら、しょっちゅう聞いている。 エムズの片割れに、きち兵衛さんのCDはアマゾンで買えると書いてある。3種類。私はあと1枚持っている。「江島」を歌った「風の桜衣(はなごろも)」は、それに入っている。 江島については、ここに書きました。 

 

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     ※
追記】 昨夜は、写真の整理が終わったときには、エネルギーが切れてた。それで、追記を書きます。

※追記 今日の楽しみは、頂上から周りの山を見ることと、高山植物の写真を撮ること。
大雪山のお花畑のことを、カムイミンタラと言う。
神々の遊ぶ庭、と言う意味だそう。

晴れる保証はなかったけど、7時半に旭岳温泉に向かった。
朝は曇りだった。 車で走っていたら、時々晴れた。
それで、ロープウェーに乗った。

※追記 8時40分 上のロープウェーの駅を出発。花の写真を撮りながら歩く。

ここは、姿見の池。 鐘がある。
昔、この山で遭難事故があって、これが作られた。

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天気が良ければ、ここに旭岳が写る。まだ雪が残っていた。

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トムラウシを見られる可能性があると思って、登り始めた。 ちょうど、9時。
少し登って下を撮影。
途中まで、半袖。 時々青空が見えた。

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6合目辺りから、急な登りになってきた。
14日の朝、あの遭難した人達も、この道を歩いた。

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山の稜線を登る。
ゆっくり登れば、そんなに疲れない。小学生も登っている。
降りてくる人と、何回もすれ違った。

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この辺りまでは、下を見ると姿見の池が見えた。

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ガスが濃くなってきて、上はさっぱり見えない。

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8合目。 10時5分。

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左右の斜面が急なので、落ちないようにしなければならない。

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上から、5人が大きな荷物を背負って降りてきた。
トムラウシから縦走してきたという。
山に1週間いたそう。

※追記 トムラウシ山を、だれもそう呼ばない。みんなトムラウシ

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9合目。 10時25分。 あと少し。

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頂上が見えてきた。 人でいっぱい。

※追記 この後もっと増える。

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頂上に着いた。 10時40分。

※追記 ちょうど、2時間歩いた。山登りする人にとって、旭岳は北海道で一番高いが楽な山だそう。

普段、こんなに坂を登ることはないから、疲れた。

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周りは、何も見えない。

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水を少し飲んで、おやつを食べた。
少ししたら、雲の切れ間から、青空が見えだした。
雲の動きは速いから、あっという間に、下のようになった。
右側の高い山は、北鎮岳って言ってたかな。

私は分からないから、他の人の地図を覗いていた。
地図と磁石を使って、調べている人がいた。

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今気づいたんだが、携帯のナビってないのかな。
それを使えば、何でも分かる。道に迷うこともない。
右に曲がれって、言ってくれるかも知れない。

トムラウシや十勝連峰は、最後まで見えなかった。 残念。

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頂上には12時少し前までいた。晴れるのを待った。
退屈だから、いろんな人と話した。

福島県から車で一人で来たという女の人は、トムラウシに登りたいと言った。
土日なら人が多いから、その日にするかも知れないと。
明日は、十勝岳に登るそう。
私が行った、福島県の雄国沼を詳しく知っていた。
※ニッコウキスゲがあったところ。  ここに

下の写真の人は、一人でトムラウシに向かった。
すぐ、霧の中に見えなくなった。

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下のおじいちゃんは、84才。
これから、愛山渓温泉に向かうという。
若い頃、元旦に、ここに来たことがあると言った。

私は「おじいちゃん、一人で大丈夫かい」って聞いた。
「疲れた時は寝る。ずっと寝てしまってもいい」と冗談を言った。

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12時前に、降りることにした。
降り始めたら、天気が回復してきた。
下りは、疲れないが足が痛くなる。

※追記 下る方が、坂が急に感じる。

途中で、12人のツアー登山者に出会った。名札を付けてるので、そう思った。
この人達も、お互いみんな他人なんだろうなと思った。
雰囲気でも、そう感じた。

※追記 同じことを、福島から来ていた人も感じていた。まったく会話がなかったって。

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1時間くらいで、姿見の池に着いた。

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噴煙をあげてるところがあったので、見てきた。
600年前の爆発まで、旭岳はもっともっと高かった。
その説明板があった。

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旭岳がだいぶ見えてきた。

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トムラウシは、雪渓のずっと向こうに隠れている。

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花の写真は下です。
山は花が多い。 いっぱい咲いていた。

花の名前は、上に書いた福島の人が教えてくれた。
別々に降りてきたが、姿見の池で、また一緒になった。

※追記 せっかく教えてもらったが、半分以上忘れてしまった。調べるのに時間がかかった。

ミヤマリンドウ

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これは、?。  花なのかな。

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ハクサンチドリ

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ミヤマキンポウゲ

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エゾノマルバシモツケ

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コガネギク

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エゾコザクラ

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おなじ。

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チングルマ

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エゾツガザクラ

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俵万智が大雪山に来て、この歌をつくった。(いつか、ブログに書いた)
「風吹けば 風吹くままにももいろの 首振るわせる コマクサの花」

※追記 私も考えた
「風吹けば なにを言っても 首振るばかりの コマクサの花」
どうでしょう。 ・・・?


そのコマクサです。もっときれいに写真が撮れないものか。技術とレンズが必要ですね。他に天気とかの条件も。

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カムイミンタラ。素敵な響きです。
神々が遊ぶ庭。まさに、そんな感じのする花畑でした。


【今日の道の駅】    東川の駐車公園にいます。

【明日の予定】     決まっていません。 十勝の方に行きたいが、どっちから行くか。 面白いもにはあるのか。  東北が暑くないのなら、早めに戻ることを検討中。

※追記 天人峡へ行って、羽衣の滝を見てきます。縦に長~い写真に挑戦します。

《今日の歌》     君をのせて(YouTube)  麻衣というひとです。この人は、この曲を作曲した久石譲の娘さんです。

     ※
今日は、少年団の野球を観た。
場所は、旭川市のドリームスタジアムという新しい球場。
以前勤めていた、紋別市内の学校の子供達が出場していた。
午前中の1回戦に勝ったので、午後の試合も観た。
※ 試合の正式名は
      スタルヒン杯争奪全道スポーツ少年団
      軟式野球交流大会 全道大会
午後の試合は負けてしまったが、明後日また札幌で、別の全道大会に出場する。

(今、9時45分、ファイターズが9回逆転した。小谷野えらい)

子どもの試合とはいえ、ファインプレーが時々ある。
観ていて退屈しない。
紋別の親の応援は、他よりにぎやかだった。

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やっと夏らしい天気になった。
それでも、まだ山は見えない。大雪山も十勝連峰も。
明日の天気は、曇りのち晴れ。

明日、旭岳に登ります。
最終的に登るかどうかは、ロープウェーを降りてから判断します。
旭岳山頂が雲の中だったら、登りません。
その時は、姿見の池辺りで、周りの山や花の写真を撮って降りてきます。

下の写真は、ここの道の駅にあったのを撮影。
旭岳は北海道で一番高い。2290㍍。
ところが、去年2291㍍に変更になった。

これは、みんなで石を積み上げたからでなく、測量技術の進歩によるのか。
山が、隆起している可能性もあるのかな。
  (調べたら、両方が関係しているようです)

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トムラウシ山を撮影できたらいい。
先日事故があった山。
下の写真にあります。

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明日は、7時前にはここを出ます。 (ここって、東川にある道の駅)

5時過ぎ、道の駅から数㎞離れた温泉から戻る途中、こんな雲が出現。
雲から、しっぽが出てきた。

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竜巻かなと思った。
雲の場所は、旭川市街地より、少し右(東)。

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少し走ってまた撮影。

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道の駅を過ぎて、旭川に向かった。
途中で撮影。
竜巻のような部分が長くなった。
道路に出て見ている人いた。

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雲の色は、普段見ることのない色。
かなり、濃い。
この雲を見るのは2度目。

前回は、佐呂間の竜巻のあった日。
あの日は、紋別上空全体がこの雲になった。
午後のまだ明るい時間なのに、経験したことにない暗さだった。
    佐呂間の竜巻については、短いですがここに

今日見たこれが何だったかは、今現在調べても分からない。

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しっぽが短くなってきたので、戻った。

ラーメンの続きですが、今日は早く寝るので、少しだけ書いて終わりにします。

最後の一口もスープが美味しい、というのは、スープの味に深みがあるからと思う。
後を引く味なども、これに似ている。
この深みのある味を感じている場所は、舌ではなく、喉や鼻に抜ける部分でないかと、最近疑っています。
このことについては、もっと考えて見たいと思っています。

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今日は、ここまでにします。
12時前には寝ます。


【道の駅】     ひがしかわ「道草館」   場所はここ

【温泉】       森の湯花神楽      ここ


《今日の歌》       恋のバカンス(YouTube)  今がこの季節か。
         
            YES WE CAN(YouTube)  演説にメロディを付けた。 オバマ大統領は、先日のアフリカでの演説で、こう言いましたね。「アフリカが必要としているのは、強権的な指導者ではなく、強力な統治機構だ」と。

            ほうき星(YouTube)   ユンナです。

     ※
5時過ぎまで書いて、続きは9時頃からです。
今は、東川の道の駅にいます。

野球は、雨で延期になりました。
美瑛の丘を見て、蜂屋のラーメンを食べに行ってきました。

北西の丘に行ってみた。
展望台からの写真。

美瑛の街ですが、山が見えないのが残念。

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こっちは、森が多いでしょうか。

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こんな感じ。 ラベンダーは終わりかけか。

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パッチワークの丘と言われるが、この時期、畑の色の違いが少ない。
手前は、ソバの花

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美瑛の丘全体に、たくさんの人が散らばっていた。
これは、別の場所で撮影。

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こんな歌碑が。
この歌が言うように、美瑛の丘は広い。

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蜂屋の本店
旭川の、3条15丁目にある。  場所はここ
街の中に5条店もあるが、車が停めやすいので、こっちに。

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この親父さんも昔からいる。
私は、ほんの少しだけ、5条店の方がいいと思っている。
今日の作り方を見ていたら、5条店より麺の湯の切り方が甘い。
それでも、まずいと言うことはないが。

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湯気は、まったく立っていない。
茶色のラードが覆っている。
焦(こ)がしラードと言われている。
鰹節とか色々な材料を入れて焦がしているらしい。

麺を取り出そうとすると、湯気が噴き出す。
冬なんか、眼鏡が曇るほど。
蜂屋のラーメンは熱い。
ラードは、熱さも閉じ込めていた。

下のは、普通のラーメン。
油濃くで注文。 普通も薄いもある。

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蜂屋のスープは、ダブルスープ
今でこそ珍しくないが、蜂屋は昔から。

一つは豚の骨でとる。
もう一つは、アジの丸干しや昆布など。
特徴は、邪魔になるアクや、マイナスの味になる脂などは、徹底的に取る。
今日も、ラーメンを作る合間に取っていた。
ここの大事さに気づいているラーメン屋は少ない。
中には、アクとかちゃんと取らないで、そのおかしな味が自分の店の個性だと勘違いしている店だってある。

麺は、水分が少ない低加水麺。
この麺は、スープを吸いやすい。
だから、麺を食べたとき、吸い込んだスープと絡んだスープの両方の味がする。
蜂屋の麺は、ストレートに近い縮れ麺。

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蜂屋のスープは、最後の一口のときも、はっきり味を感じさせる。
最後まで味を感じるかどうかは、最初の一口のときに、だいたい分かる。
これは、最近気づいたことです。


※ 5時を過ぎました。 旭川にいる姉のところに行きます。母親のところに寄ってから。
姉は、トムラウシ山に、旦那と登ったことがあるので、どんな山か詳しく聞いてみます。


※追記 午後10時45分。
酔いました。
女の人の話の続きですね。
コメントの中に大きなヒントがあります。

姉の旦那がトムラウシに登ったときのビデオを見ました。
日にちは、7月17日でした。何年も前ですが。
最後の人が下山したのは、7月17日の朝。
たくさんの話を聞きました。

女の人の話の続きですが、今は頭がまわらないので、明日の朝になります。
今、話を作っているのではないのか、と思う人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。
こういう話は、最後はこうなるしかない。
そんな話です。
そんなことで、申し訳ない。

※追記〈29日朝) 野球の試合が9時からになったので、ラーメンの続きは、別の日にします。

白樺街道の話の続きです

タクシーの運転手たちは、その墓地を見に行った。
でも、墓地を見て何が分かるわけではなかった。
近くに家があったので行った。
老夫婦がいた。昨夜のこと、また、それ以前のことを話した。
聞き終わった老夫婦は、「やっぱりな」とつぶやいた。
そして、この地域に昔何があったかを話してくれた。

ある女性が、この地域に嫁いできた。
でも、事情があって数年後別れることになる。
その時、女性はわが子を連れて行くことはできなかった。

女性は旭川で暮らす。でも、涙の日々になる。
生きる力をなくしたその女性は、数年後病気で亡くなったという。
お母さんと暮らせなくなった子供も、病を患ってしまう。
そして、最後はこの子も亡くなる。

子供のお墓はここに。
女性のお墓は旭川だ。


これで、すべてが分かった。
女性はわが子に会いにきていたんだ。

この後、子供の骨は、お母さんであるその女性のお墓に移した。
やっと、いっしょになれた。
再び女性が最終列車を降り、タクシーに乗ることはなかった。


話は以上です。
推理は当たったでしょうか。
この話は、昔担任していた時、何度も子供たちに話しました。
子供たちに話すときは、内容をふくらませ、20分くらい使っていました。
途中で「ワッ」って子供たちを驚かす場面を作るのが、私は好きでした。

他に、マリモ国道の話があります。
マリモ国道は釧路と阿寒の間の道です。
そこを通るときがあったら、ブログに書きますね。
子供たちは、こういう話を喜びました。
私は、子供たちを泣かすことができたら、大成功だと思っていましたね。
こんな意地悪も。
「ヘビだ!」って言って、ひもを投げつけたりした。


【今日の道の駅】     姉の家です。

【今日の予定】      9時から子供の野球を見ます。天気は少し不安定。その後の予定は未定。


※ここまで追記です。

     ※
朝は雨だったが、そのうちに止んだ。
十勝岳の望岳台に向かった。

下の写真は、白樺街道
ここを通り過ぎたら、白金温泉。

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昔、こんなことがあった
夜中、一人の女性がタクシーで白金温泉に向かった。
年の頃は30過ぎか。
白樺街道に入って、運転手が言った。
「もう少しで、温泉ですよ」って。
返事がない。
運転手は、バックミラーでうしろを見た。
しかし、誰もいない。

こんなことが、月に1回ほどあった。
他の運転手も経験し、運転手仲間で話題になった。
この女性は、いつも美瑛駅から乗った。
旭川からの美瑛着11時半の最終列車で来ていた。

どの辺りで消えるかが問題になった。
白樺街道に入ったら、いない感じがすると誰もが言う。
じゃあ、どこだということになった。

次に来る日を待った。
秋も深まった小雨の降る夜だった。
女性はいつものように最終列車を降り、タクシーに乗った。
1台のタクシーが、後をつけた。

20分ほど走ったら、白樺街道だ。
女性を乗せた車に異変が起きたのは、白樺街道に入る直前だった。
走る車から、何かが出て、闇に消えていった。
後を走る車の運転手は、確かに見た。
無線で、前の車に伝えた。
女性は消えていた。

次の日、女性が消えた場所を確認した。
そうしたら、畑の向こうに小さな墓地があった。

※ 今日はここまで。 実は、この運転手達、ある取り組みをします。そうしたら、この女性はもう来なくなりました。昔何があって、どんなことをしたら来なくなったのか、推理してください。悲しい話しです。
※ 結末は、明日書きますね。


望岳台に着いたら、山の上半分は雲の中だった。  場所はここ
暖かい。半袖で十分。

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案内図があった。 今いる望岳台は、青。 十勝岳は、緑。
黄色は美瑛だけ。先日一人亡くなった。
そうして、左上が8名亡くなった、トムラウシ。 で囲ってある。
※どうでもいい話しだけど、トムラウシは「弔う死」となります。怖い名前に変身します。

案内図の中には、距離と時間が書いてたった。
十勝岳は、距離は4.5㎞。 時間は、2.3~3.8時間とあった。

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真正面が十勝岳。
登る人、降りてくる人がいた。

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この人は、十勝岳から今降りてきた。 年配の人。
少し話した。 登るのに4時間かかったという。
下りを3時間としても、7時間だ。大変だ。

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美瑛の街。 今日も、ここに。

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上富良野の街。 昨日行った。

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写真の左端が上富良野の市街。
谷が2つ見えました。
の方が、昨日行った、日新の学校のある沢。
泥流は、2つの沢を流れ、最後に合流する。

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日新の学校のある沢。 富良野川の上流がある。

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右側の沢。

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こんな花が。他の花はなく、こればっかり。
苦労して高いところに行かないと、コマクサとかは無いのか。

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牧草畑。

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吹上温泉にある吹上露天の湯に行った。  場所はここ
駐車場から100㍍ほど。沢の斜面にある。
湯船は2つ。 手前が大きく、少し高くなっている向こうは小さい。
大きい方は、43度くらい。けっこう熱い。
小さい方は、47度。普通は、15秒くらいで出るという。一人のおやじさんは1分くらい入っていた。
私も入った。熱いから直ぐに出た。 そばの人が、「はい、2秒」って言った。

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更衣室はない。雨の日のために、屋根だけの建物があった。
女の人が一人、水着で入っていた。
写真を撮るとき、みんなに断った。
女の人には、「女性の方は、男の人の影になるように撮ります」と、伝えた。
女性と言わないで、奥さんでも良かったんだけど、奥さんとはかぎらないからな、と少し思った。

手前の湯船には、宮沢りえが映画の撮影で入ったことがある。
エゾカワラナデシコの雰囲気にぴったりにの、宮沢りえです。
思い出の温泉になりますね。

ネットが使えたら、ここに停泊しても良かったけど、ダメだった。
※ DoCoMoのフォーマが使えたら、いいようだ。

下の地図の黄色の場所に行った。 富良野川の上流。
※ 自分の車の居場所は、カーナビで確認できる。
青は望岳台。 緑は露天風呂。

紫が十勝岳で、赤が、日新

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橋の少し上の砂防ダムから撮影。
ここを泥流が流れた。
噴火口から、4㎞くらいだから、5分かからないで来た。
日新の学校までは、15分だった。

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上は、こんな感じ。
砂防ダムはいっぱいあるが、年月が経つと土砂に埋まってしまう。

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シジミチョウの仲間かな。
ウスバキチョウ」が見られたら最高。もっと高いところにいるのか。

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美瑛の街の近くに、ぜるぶの丘があったので行ってみた。  

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ファーム富田は良かったけど、ここもなかなか。
ラベンダーというより、花畑かな。

これは、となりにあるヒマワリ畑。 遠くに十勝連峰。

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美瑛・富良野方面には、こういう花畑があちこちに。
1枚の写真に、全体は入らない。

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ケンとメリーの木。
たった1本のポプラの木なのに、近くに大きな駐車場まである。

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毎日雨が降る。 明日も雨のようだ。


【今日の道の駅】    昨日と同じ。 びえい「丘のくら」

【温泉】        吹上温泉の露天風呂   無料

【明日の予定】     旭川のスタルヒン球場で子どもの野球の応援。紋別のチーム。でも、天気が良くない。 あと、蜂屋でラーメンを食べます。朝から何も食べないで行きます。楽しみ。


《今日の歌》      時代(YouTube) ずいぶん若い。 中島みゆきですよ。

            北の宿から(YouTube) 本田美奈子です。 上手だ。

            アメイジング・グレイス(YouTube) ヘイリーと本田美奈子

     ※
明後日、スタルヒン球場に行くので、旭川に近づきました。

ファーム富田です。
昼過ぎ着いたが、雨が止まない。2時ころから1時間ほど、雨は止んだ。

バスの数も、車の数もすごい。
人でいっぱい。4月からの旅行では、今回が一番。  場所は、ここ

ラベンダーは、少し時期が遅いのか。
他の花も咲いてる。

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ここは、駐車料はなし。 入園料もなし。
でも、お土産屋さんや食べ物屋さんがいっぱい。
ソフトクリームなど、並んで買ってる人もいた。
お金は、むしり取るのではなく、気持ちよく使ってもらう、そんな感じだ。

これは、ラベンダー。

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十勝岳連峰。
トムラウシや旭岳は、もっともっと右。雲がかかっていた。

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花の色合いや咲く時期は、計算して植えているんだろうな。

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美しければ、何の花でもいい。

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これは、山の斜面。 感動しましたね。

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上のを、場所を変えて撮影。

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上富良野に、三浦綾子泥流地帯の記念碑があるというので、行くことにしていた。
場所は、開拓記念館。   ここ
ボランティアで管理している人が、説明してくれた。

この建物は、話しにも出てくる、当時の吉田村長の家。
場所は、昔のまま。 家は、解体復元した。

この村長は、復興を成し遂げた、中心人物。

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この村長も、二人の娘さんも、泥流地帯に登場する。
下の娘さんは、当時2才。現在も近くに一人で住んでいるという。
ここがいいって、離れないそう。
行かなかったが、ほんとうはおじゃまして、話しを聞きたかった。

大正15年のことです。

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泥流地帯は、災害前、災害時、復興、を通してドラマが展開される。

下の図の赤丸に、災害時まで日新尋常小学校があった。
ドラマの舞台は、ここ。
泥流で、多くの子供達が亡くなる。
物語の中での出来事は、ほとんどが事実。

今日、ここに行くことが出来れば、という期待はもちろんあった。

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上の図で、泥流の流れた跡が分かる。
右下に駅がある。被害を受けたのは、美瑛寄りのほう。

山の木を、はぎ取るように押し流した。

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時速60㎞で流れたという。
噴火口から市街地まで25㎞。 25分で着いてしまった。

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泥流は、人も動物も飲み込んだ。

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死者・行方不明は144名。

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泥流地帯は昭和51年1月4日から、その年の9月12日まで、続泥流地帯は昭和53年2月26日から11月12日まで、北海道新聞の日曜版に連載された。

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碑には、泥流が襲ってきたときの文が。

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日新小学校の情報は、記念館ではつかめなかったが、行けば何とかなると思って向かった。
この辺りでは、谷いっぱいに泥流が広がった。

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石碑があったので寄った。石碑には、亡くなった方の名前があった。

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上の写真の石は、泥流で流れてきたもの。人が小さく見える。

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畑に誰かいないかなあ、と思いながら走った。
古い学校のようなのがあった。
そばの畑で、女の人が仕事をしていた。
教えてくれた。

これは、日新小学校。
災害の後、下流のここに移したという。
昭和53年閉校。(これは、後で調べた)
   ※ 閉校に関わって、三浦綾子の文があります。 ここに

女の人の家には、92才で亡くなったおばあちゃんがいた。
15歳くらいの時、泥流に遭った。
その当時は、家は低い所にあった。
みんなで高いとこに逃げた。
そのおばあちゃんは、こう言ったそう。
「ふだん跳べない川も跳べた」と。
家族全員は、助からなかったという。

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もとの学校の場所を聞いて、さらに奥に向かった。
谷は、だんだん細くなってくる。

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日新尋常小学校は主人公の耕作らが通っていた学校。小説では、日新が日進。
泥流で、学校も家も畑も、みんな流された。
噴火の日は先生が不在のため臨時休校だった。
でも、児童46名中11名が亡くなる。

この学校は、先生一人。菊池雅美先生。小説の中では、菊川先生。
噴火の日は、教員試験で旭川に行っていた。
奥さんと子どもは亡くなった。

その学校の跡地に、標示の柱が立っていた。
川は、すぐ下。 流れる音が聞こえた。

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こんな狭いところで畑は作れない、と思って少し進んだら、開けた。

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泥流地帯の舞台に、いつか行ってみたいと思っていました。
自分が想像していたより、狭い谷でした。
三浦綾子のこの小説によって、泥流による災害が、多くの人に知られることになりました。

※ 泥流地帯に関してのブログは、下に。
       その1  その2  その3  その4  その5  その6

小説の中にある、忘れられない言葉を紹介して、終わりにします。

「棺桶に入っての化粧が、人生で、最初で最後の化粧だった」
「誰でもなあ、耕作、勉強したいもんが勉強できる世の中だといいんだ。そんな日本にするためにも、お前に勉強してもらいたいと、先生は思うんだ。ま、一度じっちゃんに聞いて見れ」
「叱られても、いいことはするもんなんだ」
「人間の一番の勉強は、困難を乗り越えることだ」
「苦難に会った時に、災難と思って嘆くか、試練だと思って奮い立つか、その受け止め方が大事なのではないでしょうか」




【今日の道の駅】    びえい「丘のくら」    場所は、ここ
美瑛は、小学校5年生から勤めるまで過ごした。 故郷なんですよ。

【明日の予定】     白金か、十勝岳温泉かな。 もし晴れたら旭岳。


《今日の歌》      歌ってよ夕陽の歌を(YouTube)  森山良子。動画あり。  吉田拓郎が歌うのは、これ

            愛の終わりに(YouTube)   秋元順子の愛のままでと、作詞者は同じ。秋元順子もこの歌を歌っている。上手ですがダメですね。(それは、ここに) 高田みづえにはかなわない。この人は、相撲取りのおかみさん。


     ※
今までどこを走ったのか。
思い出そうとしたら、全部は無理だった。

一枚ものの地図を買ってきて、赤く線を引いてみた
忘れたところは、ブログで確かめて。

時間のあるときに、詳しい地図に赤い線を引いておこうと思うかな。

まあ、よく走ったものです。

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朝までいた道の駅のそばに、小さな水族館があった。
魚の顔を撮りに行ってきた。
雨が降ってるので、登別の方は行かなかった。

アロワナ

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オオカミウオ

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タコ

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ソイ

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カレイ

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エイ

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クラゲ 顔は?

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ピラニア

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時間がないので、追記は明日になるかな。

今は、千歳です。

みなさまも、いい土曜日の夜を。

そんなことで、飲んできま~す。 (5時30分) 


※追記 26日朝

夕べは、小雨の降る中、千歳のネオン街を3人で歩きました。
居酒屋でなく、料理屋さんで食べました。
サンマの刺身をネギと一味で食べるなど、工夫がありました。
カスベのザンギも良かったですね。
昔の話しや、学校や教育について、楽しく語ったのかな。

スナックで歌も歌いました。
途中で、どこかの学校のPTAのお母さん方10人ほどが入ってきました。
そのにぎやかなこと。
歌は、かき消されましね。

たのしい、千歳の夜でした。


【道の駅】    サーモンパーク千歳    ここ

【温泉】     白老の虎杖浜にある、湯本ほくよう  500円   ここ

【26日の予定】   富良野に向かいます。 富田ファームか?


     ※
4月1日、放浪の旅はスタートした。
その日のブログは、伊達のKさんの家で、夜遅く書かせてもらった。その後、函館に向かった。
夕べは、Kさんとお酒を飲んだ。道の駅のそばの回転寿司で。一品料理がたくさんある。昨年秋と同じ店。

今日は、地球岬が本当に円いのかを確認したく、見に行った。

その前に、白鳥大橋を渡った。

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全長1380㍍。 関東以北で最大の吊り橋だそう。

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高さもある。

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白鳥大橋というだけあって、美しい。
少し、不安になってきた。遠くが霞んでいる。
地球岬は、大丈夫か。

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赤い丸の所が展望台。    ここ

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展望台から海を見た。
アララララ、何も見えない。
何か悪いことしたかなあ。(本気ではこうは思わなかったが。泥流地帯で学んだから)
ついてないなあ。

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近くなら、こんな感じで見える。

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ここが地球岬だという証拠の写真。

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見晴らしがよかったら、このように見える。
私は、下に灯台があるなんて、この写真を見るまで知らなかった。
(写真は、室蘭観光協会のをお借りした)

どうでしょう、水平線は円く見えるでしょうか
確かに、円い感じがしますね。
まさか、円くなるように撮影したのではないだろうな、なんて、私はすぐに疑う。
でも、他の写真を見ても、円い感じがする。この写真ほどはっきりしていなくても。

じゃあ、正確にはどのくらい円いのかが気になってきた。
どうやったら分かるかを考えた。
中学校で習う、ピタゴラスの定理を使えばいいことが分かった。
ただ、私はルートを使える計算機を持ってないので、めんどう。
※ 計算のための図を見ていただいたら、むずかしいことをやってないと分かるんですよ。

地球岬

ここで、問題が一つある。
見晴らしの良いときに、見える範囲の幅は、どのくらいなのか。
この場所は高いから、遠くまで見えます。

※追記 訂正です。
昨日の計算で、地球の半径が間違っていました。
直径を半分にするのを忘れていました。(6370㎞で今日は計算)
それから、見える範囲を200㎞にしてやり直しました。
ゴメンナサイ。

大間から北海道を眺めたときのことを考えても、100㎞ということはないと思った。
とりあえず、遙か彼方の海の横幅200㎞が見えていることにしました。

横幅200㎞の場合、海が円いために、真ん中は、どれだけ高くなるかですね。
こうなりました。
真ん中は、0.8㎞高くなる。

これは、どういうことかと言うと、見えている幅を2メートルとすると、真ん中は8㎜ほど膨らんで高くなっている、ということです。

見えている海は、こんな感じで円い。

地球岬から海を見ると、少しだけど、直線には見えない、ということで、だいじょうぶのようです。
何とか、疑問が解決しました。

※追記  こんな計算です。きたない字ですが。

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自分の目で、円いのを見たかったです。
明日霧がなければ、行ってきます。

夜の白鳥大橋。

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今日いいことがありました。
先日コインランドリーが見つけれなかったので、今日行きました。(伊達)
そうしたら、店の人が、洗い終わったら乾燥機に入れてあげますよ、と言った。
乾燥機代を渡して、お言葉に甘えた。
1時間半ほどで終わるという。

車は、隣のホーマックの駐車場に。
そこで、昨日のブログの追記を書いた。
1時間半が過ぎたので行った。

そうしたら、全ての洗濯物を一つ一つ丁寧にたたんで、袋にいれてあった。
こんなの初めて。20日分だから、大量だったのに。
ここを通ったときは、また寄ります。

さっきまで、花火の音が聞こえました。
室蘭は、花火大会だったようです。
ここからは、見えませんでした。


【今日の道の駅】     みたら室蘭   ここです。  みたらって、どういう意味?

※ 車のシャワーは、とても使いやすいです。慣れてきました。いつか紹介します。

【明日の予定】      千歳に行きます。網走管内で、ある仕事を一緒にした仲間です。晩にお酒を飲みます。 夕方までに、ブログを書き終わらせたい。できるか。


《今日の歌》       テネシーワルツ(YouTube)   パティ・ペイジは82歳。 今も舞台に立っている。

              ナタリー(YouTube)  この歌しか歌わない人がいた。上手だった。

            チキタ(YouTube) メロディです。 初めて知ったのはこの曲。

     ※
夕方、伊達の道の駅、だて歴史の杜に来ました。
昨年の秋に来たことがあります。
今晩は、お酒を少し飲みます。

記事はあとで追加します。少しだけ書きます。

洞爺湖にある、噴火で埋まった家を見てきました。
普賢岳のように保存されていました。

留寿都村に「赤い靴」の像がありました。
気になったので、見てきました。
いい話ではありませんでした。

調べてみました。
今まで言われてきた赤い靴の話しは、少しあやしいことが分かりました。
もし、今までのが本当だとしても、銅像を建てるほどではない、と思いました。

洞爺湖の市街地が見える。

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中島。

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※追記 200年4月5日に泥流が発生。避難が徹底されたので、死傷者はいなかった。この時の報道で思い出すのは、避難勧告等、情報を出す側と住民との信頼関係が強かったように記憶している。

公衆浴場。

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団地。

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右下でも、噴火が。 住宅地のすぐそば。

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右下がこんな感じ。
赤丸が、上の二つの建物。

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泥流(火砕流)の規模の大きさは、はるかに普賢岳の方が大きいように感じた。(現地で眺めただけだが)

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赤い靴公園は、村の中心部にあった。

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表情から、女の子の心の中は、読めなかった。

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この像がどうしてここにあるのか。
何があったのか。
話しの内容や問題点については、明日になります。

※ここから追記

書いてあったのを一応載せますが、これは定説に基づいて書かれたものです。

 この童話は留寿都村に実在した女性の娘をモデルに、大正10年、詩人野口雨情が作詞、11年に本居長世が作曲発表された。
 物語は明治38年、幼い娘を抱いた未婚の母が木枯らしの吹く函館に着いたことに始まる。母は静岡県不二見村(現清水市)出身の岩崎かよ、娘はきみ。
 当時台頭しつつあった社会主義運動の一つ「平民農場」が原子基を指導者として留寿都村八の原に開かれ、運動に情熱を傾けた青森県出身の鈴木志郎がこの農場で岩崎かよと巡り会い、結婚する。厳しい開拓地へ幼子を連れて行けなかったかよは、この子の養父安吉と相談の上、きみを函館の宣教師C・ヒュエット夫妻に預けた。が、その後母と子は二度と会うことが無い。
 平民農場は厳しい気候や重なる災害に遭い、明治40年に閉鎖。鈴木夫妻は札幌に出、志郎は北鳴新報に入社して、野口雨情一家と共に一つ屋根の下で暮らした。かよは娘のきみがヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったと思い込み、雨情夫人に境遇を語ったことが後年雨情の作詞につながる。
 娘の安否を気にしていた岡そのさん(志郎とかよの娘)が、昭和48年、童謡のモデルは実姉であると新聞に投書、報道機関は協力して発掘に乗り出した。特に、北海道テレビの菊地寛氏はアメリカまで赴き調査をして結果、きみは病のために渡航せず、明治41年9月に東京麻生の施設で9才の命を了えたことが判明。
 当時の開拓生活は大層苦労が多く、きみと同様の人生を送った子どもがたくさんいたと思われる。「赤い靴」はその鎮魂歌ともいえるだろう。

以上が内容。
変だな、と思ったのは。

① 娘のきみを手放した土地が、どうして函館になったのか。平民農場が大変なことは函館に来て知ったからか。大変なのは農場に行ってから分かるのでは。もし、清水で知っていれば、連れて来ないはず。
② 養父と相談とあるが、養父はどこにいるのか。清水ではないのか。
③ 2年後札幌に行くが、呼び戻せたはず。なぜ、そうしなかったのか。預けてから、たった2年しか経っていないのに、どうしてアメリカに渡ったと考えることが出来たのか。

初め読んだとき、子どもを捨てた話しなのに、何だかんだ言って美談にしているな、と感じた。
それで、注意深く読んで、上のことを思った。

ネットですぐ調べた。
私が疑問に思ったことは解決できなかった。

その代わり、論争が起きてることを知った。
Wikipediaにも載っている。  ここに。

私は、中身の部分に疑問を持った。
そうでなくて、初めから、全体に疑問を持てば良かったんだ。

定説に異議を唱えている中心の人は、作家の阿井渉介という人。
この人の考えを、ネットで読んだ。
私も、定説はあやしいと思った。

ただ、この人の論理の展開というか、人を納得させる技術というか、そんなのが足りない感じがした。これは、他の人も指摘している。


結論になりますが、
定説は個人の調査に基づいている部分が多いので、全ては信用できないかな。
私の本心を言えば、定説も、定説の基づいて書かれた碑の文も、事実とは違うなと感じています。きつい言葉を使えば、「ねつ造」があるのではと疑っています。

これからは、こういう像や歌碑があっても、ちゃんとした物かどうか確認してから行くことにします。

※追記はここまでです。


北の湖記念館。
今日入った温泉のそばにあった。

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時間がなくなりました。
とりあえずここまで。

※追記
【24日の予定】   地球岬に行ってみようかと。ほんとうに丸く見えるのか。どのくらい膨らんでいるのか知りたいです。計算できるのか、考えて見ます。

     ※
今朝、道の駅の資料で、旅行雑誌に載ってないものを探した。
森小町」と「鳴き砂」があった。
迷わず、それに決定。

森小町は、
森町の青葉ヶ丘公園にある。    ここ
日本でたった1本。ここにだけ。 
そう書いてあった。 

行ったら分かるだろうと思ったが、大きな標示とかなく、見つけられない。
人にも聞いたが、分からない。1時間近くたった。
観光協会に電話した。だいたいの場所が分かった。
でも、分からない。
おじいさんが通った。聞いた。分からない。
その、おじいさんは、木のベンチに座って一休み。

私は探した。
あきらめかけたその時、おじいさんがさけんだ。
ここにあるぞ~」って。
おじいさんが座っていた、目の前だった。
そのベンチは、きっと、森小町を見るためにあった。

これが、森小町。もちろん花は咲いていない。

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この桜は、森町の桜研究家、田中さんと言う人がつくった。
森町には、ある人のお墓の側に、紅い花の咲く桜がある。それと染井吉野を配合し、田中さんが望む色を作り出したそう。

小さな標示があった。

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ネットに、フリーの写真素材があったので、堂々と載せます。
これが、森小町。

白に赤が入っている。 でも、正確には赤ではない。
だからと言って、紅でも緋でも朱でもない。
濃いピンクが近いのか。

日本語で何とかできないかと思うが難しい。
ピンクと言う色には、明るさとか輝きが感じられる。
でも、赤や、紅、緋、朱には、色合いの繊細さの表現に重点があるようだ。
ということで、白に入り込んでいる色は、濃いピンクにしますね。

一つ一つの花の色合いが、みんな違います。

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普通の桜と違って、頬や唇に紅を付けて、お化粧をしている感じがする。

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この桜を見に来た理由は、小町という名前が付いているから。
「今さら書かなくても分かってるよ」と言う人もいるかな。

ということで、この桜の花が、小町の名にふさわしいかどうかが問題です。
どうでしょう。
結論を言えば、不満はないですね。

下のポスターは、小町の生まれた雄勝の町が、小町をイメージしてつくった物です。
ポスターと花は、同じ雰囲気に感じます。
※ 小町については、あっちこっちに書いていますが、小町の美しさについては、ここにあります

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森小町という名前は、公募で決めたそうです。
この名前を考えた人は、よく小町と結びつけましたね。
こういうのは、公募しないと駄目ですよ。誰かが勝手に決めたりしないで。
公募は、みんなで決めたことになる。

一つ、問題を感じます。
それは、名前に小町を付けたのはいいんだが、森小町となると、森の字が小町と合わない。
森小町の名前で人を惹きつけ、全国区にするには大変だ。
染井吉野、小彼岸桜、誰が名付けたのか、センスの良さを感じますね。
森小町はモリコマチと書くこともある。これなら、だいぶいいでしょうか。

この花を、艶(あで)やかと表現していいのか。

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今は1本しかない。増やせないのかなあ。
また、森小町を見てみたい。
そのためには、桜前線と共に北上しなければならない。

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森の道の駅は、少し走ったら着いた。   ここ
朝は曇っていたが、青空が見えてきた。

今日は、日食だ。
11時前、空を見上げる人が出てきた。

写真を撮るための準備は何もしていなかった。
サングラスを3枚重ねて撮った。
それでも、明るすぎた。
パソコンで修正して、下ので精一杯だった。

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考えて見たら、昼間の月は見えない
青空の向こうだ。
遠くにあると思っていた青空は、意外に近い。

朧月は、明るいときに見える。
太陽といっしょに空にあることはないのか。

朧月と太陽が段々近づいて、そして日食になったら面白い。
朧月が太陽に近づきました。あ!朧月が太陽を食べ始めています
そんな解説が聞きたい。

静狩湿原に、アヤメが咲いていた。   ここ

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この花は何だったか。(分かったら追記します)

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静狩湿原の海岸の砂は、鳴き砂だという。
でも、こんな状態。
噴火湾の奥だから、ゴミが集まるのか。

浜に降りて、ずいぶんと試してみたが、多少湿っていたのか、砂の質が変わったのか、鳴かなかった。
砂は、こんな海岸になって、鳴けなくて泣いていた
そんな感じでした。

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道の駅とようら に寄った。内藤大助一色だった。  ここ

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今日は、道の駅あぶた。  ここ
白いハマナスが、たくさんあった。

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見晴らしのいい所に車を停めた。
噴火湾が目の前。

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【今日の道の駅】   あぶた  

【明日の予定】    晩は、伊達に。 昼間は洞爺の方かな。


《今日の歌》     白い花(YouTube)  この人の歌を目の前で聴いたことがあるが、暗い感じの人だと感じた。 年を取ると共に、明るくなってきた。

              裏切りの街角(YouTube) 甲斐バンド  今日、ボーカルの甲斐よしひろの娘がテレビで歌ってた。



     ※
鹿部間歇泉(かんけつせん)は、しかべ間歇泉公園にあった。 場所は、この辺
間歇泉を取り巻くように、建物がある。

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300円を払って入ったら、吹き上げてるところだった。
15㍍以上吹き上がるが、近くに家があるため、10㍍位の所で抑えている。

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間歇泉だから、時間を置いて吹き出す。
ここは、10分置きに。

上の写真から10分後に別の場所から撮影。 
お湯の温度は、100度

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これは、4回目に見たのを撮影。
足湯につかりながら。
吹き出し始めた。

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一番勢いのいい時。

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30秒に近づいたら弱まる。 35秒くらいで終わる。

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3回目のは、高いところから撮影。
吹き出すのを待った。
その前に、吹き出すメカニズムの説明は読んでいた。

この場所の、地下26㍍以下の岩盤は、水を沸騰させるだけの高温になっている。
※これは、普通でなく、非常に浅いそうだ。以前のブログに書いた、鬼首の温泉もそうだった。

吹き出した後は、まだ沸騰していないお湯が、縦に入っているパイプに溜まる。
26㍍下のお湯は、103度までに上昇していく。
でも、26メートルの高さのお湯に押され、沸騰できない
水圧は26気圧。
そのお湯は、次第に上昇してくる。

間隔の10分が近づいたら、吹き出し口の辺りに湯気が立ちこめた。
パイプの出口に、高温でも沸騰できなかったお湯が近づくと、上から押される力が小さくなり、気圧が下がる
そうなると、下のように沸騰が始まる。
※ 気圧が低い方が沸騰しやすい。山の上の気圧の低いところで、100度前に沸騰するのはこのためかな。

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沸騰が始まると、お湯の中には水蒸気の気泡(あわのようなの)が出来る。そうなると、それは軽いから、沸騰は勢いづく。上から押す力は、どんどん弱まり、吹き出し始める。

下の写真は、吹き出し始めた瞬間。

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少し後。

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吹き出しが大きくなった。

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この段階では、上から押さえていたフタが、無くなった感じ。
直後に、一気に噴出。

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すぐに、高さ5・6メートルに。

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勢いづいてきた。

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26メートル下のお湯は、103度だったから、なんぼでも沸騰して、飛び出してくる。

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お湯の柱のようになる。

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26メートル下では、高温のお湯をつくるのが間に合わなくなる
その時、吹き出す高さは低くなる。

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35秒が近づくと、こうなる。

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上からは、あっという間に、下のように。

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もし、26メートル下で、どんどんお湯が作れたらどうなるか。
その時は、吹き出し続ける。
それが、鬼首の吹き上げ地獄。  それは、ここに

足湯です。

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入りました。 
足湯は体にいいって書いてありました。
足は心臓から遠いので、血行が悪くなりやすいそうです。

温めたのは足だけなのに、体全体が温まりました。
心もすこし。

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休憩所がありました。
床を触ったら温かかった。冬でも温かいそうです。

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1年に1回は、パイプの掃除をするとのこと。
昔、間歇泉は羅臼にもあった。
でも、穴に石を投げ込む人がいた。
(これは、間歇泉に大きなダメージを与えるそうだ)
それで、ダメになった。
※ まてよ。 ダメは、ダメージのダメか? つまり、駄目ージ。(・・・。)

今は、北海道には、ここにしかない。
日本には、他に4カ所あるそうです。

今回、やっと、間歇泉と鬼首の吹き出す仕組みが分かりました。


【今日の道の駅】    つど~る・プラザ・さわら   ここ

【明日の予定】     北に行きます。 コインランドリーに寄ります。


《今日の歌》      ビリーブ(YouTube)

            びしょぬれワルツ(YouTube)  西島三重子です。kameさんも、この人のアルバムを買った。私と同じの。 今、雨が降っているのでこの歌に。

            ラーメンどんぶり流れ歌(YouTube)  初めて。全国のラーメンが出てきます。城の内早苗と湯原昌幸。 美味しそうなのが、次から次なので、夜食に食べたくなりました。


     ※
を見ながら飲みました。
遠くにいる人も、同じように見えてるんだなって、少し思って。

久しぶりに酔いました。
キーボードのねらったところに指がいかないで、明日の朝書きますね。
内容は、Kameさんと話したことなど。
寝たら、全部忘れてしまいそう。

昨日のブログ、内容は十分ではありませんでしたが、たくさんの人に読んでいただきました。
ありがとうございます。 

大沼は、人でいっぱいでした。
閑な人間が多いなと思ったら、今日は祝日でした。
夕方知りました。
あんたより、閑な人間はいないと言われそうです)

夏だけど、夜は寒いですね。
夕べは、ちゃんと寝てないので、寝ます。

そんなことですので・・・。


※追記  朝でなく、午後になってしまった。

19日に撮影したもの。
この日は、天気が悪く、写真でも寒そう。

この人達は、ヘラブナを釣っています。
※紋別のKさん、釣ってますか。
  Kさんのヘラブナ釣りは、ここここに。

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左側の方。
ここから内陸に数㎞行くと、大沼公園駅がある。
そこは、観光地。人でいっぱい。

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19日はテントが少なかったが、20日はびっしり。

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焼き肉をしている人がいる。いい匂い。

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近くに、ヤギ(山羊)がいた。
子ヤギを見るのは、久しぶり。
天塩中川の国府にいたころ、飼っていた。

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素敵なヒゲ。 貫禄十分。

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Kameさんは、ここに5時前にやってきた。
さっそく焼き肉。
テーブルもコンロも初めて使う。
こういう日のために、積んであった。
見える足は、亀でなくKameさんの足。

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Kameさんは、下の写真の軽自動車で旅をしている。
今回は、2か月くらいの予定で北海道を。
三重県の亀山の人。
車の中の工夫は完璧。特に収納に関して。
私の、車や生活の工夫は、まだ五合目あたりかなと思った。

Kameさんも温泉に詳しかった。
いい悪いがわかる。
アルカリ温泉がどうだとか言う。少しヌルッとしてるとか。
そうでない方がいい温泉だとも。

今回も、下北半島に入ってから、薬研温泉に3日間いたそうだ。天気が悪かったので。
そこには、無料の露天風炉があった。
いろんな情報は、私よりずっと詳しい。

今晩のために、大間のマグロを用意してくれた。
正確には、大間で買ったマグロか。
言い方次第で、まったく違うマグロになってしまう。
でも、美味しかった。

夜は何してるのさ、と聞いた。
本を読んだり、カーナビでテレビを見るという。
でも、後ろから見るのは不便なので、小さいのを後(うしろ)に付けたいという。
テレビがちゃんと入るかどうかはアンテナ次第だね、ということになった。

私のテレビは山の中では入らない。
今、函館の会社に性能のいいアンテナを探してもらっている。
ソーラーパネルの近くには、取り付けれないという。電気が邪魔するらしい。
その辺の工夫もお願いしている。
結局私も、テレビ人間だったようだ。

ビールが無くなったら、焼酎を飲んだ。
一人なら、目出度いことがあるか、やけ酒でない限り、そんなに飲めない。
二人ならなんぼでも飲める。不思議だ。

ああだ、こうだと話して、10時前まで飲んだ。
楽しかったですよ

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Kameさんは、松前に向かった。
松浦武史郎が好きだそう。その人の、何かがあるそうだ。

私は、しかべ間歇泉(かんけつせん)公園に向かいます。
北海道唯一の間歇泉がある。

     ※
トムラウシ山で遭難事故がありました。
夕方から、遭難の時刻と場所、走行ルートを調べてみました。
だいたい分かりました。
情報源の中心は、読売新聞のネットの記事です。
※毎日新聞からも。

ヤフーの地図を、直接貼り付ける方法が分からないので、写真に撮りました。
これから、それの整理です。
今日は、遅くなっても、事故の経過や問題点をまとめてみたいと思います。

今は、東大沼のキャンプ場の駐車場にいます。


山の好きな人の年賀状に、よく、トムラウシ山の頂上での写真がある。
北海道で一番高いのは旭岳なのに、トムラウシ山です。
旭岳は、ロープウェーを使うと、誰でも登れます。
しかし、トムラウシ山は、トムラウシ温泉の方から、5・6時間かかる。
この山を目指す人は、ほんとうに山の好きな人だ。

今回のツアーは、18人。 客15人。ガイド3人。
名古屋や広島の人達。
このパーティーで亡くなったのは、8人。
※ トムラウシ山で単独の人が一人と、美瑛岳で一人亡くなった。
※ 全体では、10名。

18人のパーティの日程は、14日の朝に旭岳温泉を出発して旭岳に登り、16日にトムラウシ山に登って、トムラウシ温泉に着く予定だった。2泊3日。
※追記 白雲岳、忠別岳にも登って。

トムラウシ山の北に、16日の朝スタートする、ヒサゴ沼がある。

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14日の朝、ロープウェーに乗って、旭岳・トムラウシ山の縦走はスタートした。
旭岳には、ロープウェーの終点から、姿見の池の側を通って行く。
点線が、登山道
若い頃、登ったことがある。3回。

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次の日の15日には、予定通り、ヒサゴ沼に着いていた。
見づらいが、点線の登山道が見える。

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18名は、下の地図の避難小屋に泊まる。

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ヒサゴ沼。

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16日朝、出発予定は5時だった。
強風が止むのを待っていたが、ガイドの判断で、5時半頃スタート
※追記 この日の、行動日程は11時間。悪天でなくても、大変なコース。

上の方の写真の点線を歩く。
ここでのガイドの判断が、全てを左右することになる。
※ ガイドの判断の材料は何だったのか、については後ほど。

スタートした後、強風は止まない。20メートル以上。
※この風は、大人でも立っているのがやっと。
  3年程前の台風で経験した。校舎の周りの木が、何本も倒れた。
も降っていた。 横殴りになる。
気温は、10度以下っだたと予想されている。

服装が十分ではない人がいた。(報道で言ってる)
ということは、雨を通さないカッパなどは、全員着ていなかったと予想される。

出発して、2・3時間後には、体温を奪われて歩みが遅くなる人が続出する。
体を濡らした人から、先に体温を奪われていく。

出発して約5時間後の、午前11時前には、下の写真の北沼の近くまで来た。
この時、一人の女性が低体温症で動けなくなった。さらに1時間後には、別の女性が意識不明になった。

参加者の中から、救助要請を求める声があがった。
でも、実際に救助要請する最初の電話は、午後4時前だった。
4時間以上後だ。
ここでの判断も重要だった。

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上の写真の北沼の近くにテントを張った。
3人のガイドのうち2人と、男女5人計7人が、ここでビバークすることにした。

残りの11人は、トムラウシ山の山頂は目指さないで、山を迂回するように、上の写真の左の点線を通って下山するコースを歩き始めた。(そう見られている。間違いないと思う)
この時、12時頃と予想される。
※追記 トムラウシ山の近くは、四つん這いで歩いたと言う。(男性の証言)

この11人の中にも、体力を消耗する人が出てくる。
男性1人が、上の写真の、トムラウシ山の左下の分岐点で、動けなくなった。
距離から考えて、午後1時頃か。

さらに、そこから2㎞先の、前トム平で、女性4人が動けなくなった。
一番下の地図に、この場所が載っている。

下山を始めた11人のうち、5人が動けなくなった。
さらに下山を続けることが出来たのは、6人。

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6人は下山を続け、午後4時前に、五合目付近にたどり着いた。
下の地図では、前トム平の下の方で、川を渡って少し下っている辺りか。

この頃には、6人のうち、ガイドを含めた3人が衰弱していたという。
道警への最初の電話は、この頃だった。
ガイドが電話した。 上にも書いた4時前。

誰もが体力の消耗が激しかったから、最後は、みんな散り散りになってしまう。

上の少し後の4時半頃、北沼近くのテントでビバークしていた7人の中のガイドから、メールで、「7人下山できない」と救助要請が道警にあった。
さらに、30分後の5時頃に、「4人くらいダメかもしれない」と連絡が。
道警側からも、この後連絡を取っているが、午後11時18分には、電話に応答しなくなったと言う。

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救急車は、上の写真の登山口で待機していた。

真夜中の午後11時30分頃、最初の1人が下山してきた。
6人のうちの1人だ。やっと、たどり着いた。
※ この人は、男性。
※追記 18時間歩き続けた。

その1時間半後の、午前1時頃に2人。 これで、3人が下山。
※追記  同時にかは分からないが、女性と男性。19時間以上歩いた。
6人のうち、自力下山したのは5人。
5人目の人(男性)が下山したときには、午前4時45分。
夜が明けていた。
※追記 この人は、23時間以上かかった。

この時は、もうヘリコプターでの救助は始まっており、最初の犠牲者は、ヘリで収容されていた。

※ この頃、単独で登山していた男性の遺体が、南沼の近くで見つかっている。南沼は、分岐点辺りか。

読売の記事に、こんなのがあった。

仲間とはぐれ、1人で下山したという女性は、「途中で座り込む人もいた。途中から2人で行動していたが、相手が歩けなくなった」と振り返った。

上の文から考えると、この女性の後には、あと2人います。
午後11時半頃に1人、午前1時に2人ですから、この人は4番目に下山した人ですね。
※追記 4番目です。

ここで、亡くなった人は、どこにいた人かと言うことだが、上に6人のうち自力下山できたのは5人という表現をしているから、後の1人は助かっていますね。
※追記 助かりました。女性です。(ヘリで救助の写真がありました)

と言うことは、命の危険にさらされていたのは、
北沼でビバークしていた7人の中の4人と、分岐点で動けなくなった男性1人。それと、前トム平で動けなくなった女性4人。 計9人です。
犠牲者は8人ですから、この中で、1人助かっています。
テントに残った人が、助かる可能性が高いように思う。
テントから出て動けなくなったら、体は一気に冷えていくと思うから。

男女の人数が分からなかったが、亡くなった方と助かった方の名前が発表されているので、それで分かった。

参加者は、男性8名(3名はガイド)と女性10名。 計18名。
亡くなった方は、男性2名(ガイド1名)と女性6名

ガイドの男性が1人亡くなっているが、この人は61歳。
ガイド3人のうち、二人は30代。
今回のコースを経験しているのは、1人だと言う。
その1人が、下山に付き添ったと考えていい。
それは、61歳の方だ。 
「ガイドを含めた3人が衰弱した」とあった。(上にも書いた)


今回の遭難事故について、いろんな声があるので、いくつか紹介します。

ヒサゴ沼を出発するとき、風が強いと感じた。ガイドは出発すると言ったが、無謀だと思った。(朝の4時半過ぎ、5番目に下山した男性。自力で最後に下山した人)

参加者の技術や体力に差があって、隊列が長くなって、はぐれそうになったことがある。(このよう な企画に参加したことのある女性。70歳)

このような企画は、見知らぬ人ばかりのため「きつくて歩けない」と言い出しにくい雰囲気になる。(登山家 田部井淳子 69歳)

帰りの飛行機の時間が決まっており、天候が急変しても、日程を変更しにくい面がある。(男性)

ひと夏に、2・3回あるかないかの、ひどい暴風雨だった。(山岳ガイド この人も、今回ツアー客を連れて、トムラウシを目指していた。事故のあった前日の15日に引き返した)

中高年の人は、体熱をつくる能力や体内の異変を察知する力が、若い人より衰えている。(登山医学界理事の方)


まとめ

ガイドが、ヒサゴ沼の山小屋を出発するときの判断材料の中に、上にも指摘があった、帰りの飛行機の時間があったのは確か。それをどれだけ気にするかの大きさは、社長の日常の姿勢によると思う。社長はインタビューで、そういうことはないと言っているが、それは嘘。

なぜ、もっと早く電話をしなかったのか。客がガイドに要請しているのに。客が勝手に電話してもよかったと思う。意識不明の人が出ているんだから。
救助要請したら、遭難とみなされ、山小屋を出発するときの判断の誤りは当然指摘される。でも、今となっては、全員の命を守ることの方が大事だと判断することは、そんなに難しいことではなかったように思う。この時点でパニックになっていたのか。

最初の異変があった午前中に電話していれば、その日に救助は始まった。そうしたら、亡くなった8名のうちの多くは助かったと思われる。

※追記 スタートして2・3時間後か少なくても北沼辺りで、ヒサゴ沼の避難小屋に戻るという判断がありましたね。それなら、みんなで助け合って全員戻れた。火を焚いて体を温めることができた。体力のある人が、まだ残っていたし。救助隊にとっても、まとまっていてくれた方が助けやすい。

疑問が一つ。
救助の最初の電話は、午後4時前。
ヘリはすぐに出せなかったのか。
風速20㍍を越えたら、飛ぶのは無理か。
ヘリが飛んだのは、次の日の未明からのようだ。

責任者の判断が、人の生死を左右した。
残念な事故です。

亡くなった方のご冥福を祈って、ここまでにします。


今日は、この事故がなぜ起きたか、それを詳しく知りたかったので書きました。
東大沼の写真は、明日載せます。

北海道の夜は、平地でも寒いです。
もうすこしで、5人目の人が下山した時刻になります。
夜は、寒くて長いです。


【今日の道の駅】   道の駅でなく、東大沼のキャンプ場。  この辺り

【明日の予定】     決まっていません。
※追記 先日のブログに、私が通ったコースを追いかけてきいきてるKameさんのことを書きました。そのKameさんは、20日の14時に、大間から函館に渡ります。16時前に函館に着きます。そのあと、今私がいる東大沼のキャンプ場に来ます。今晩(20日)は外で焼き肉です。必要な物は積んでます。

《今日の歌》      無しにしましょう。


     ※
昨日の夕方から雨。
朝になっても止まない。

朝から、昨日のブログを直し始めたら、10時になった。
さあどうしようか、と思っていたら、函館の会社から電話が来た。
バッテリーを取り替えるため、すぐ会社に向かった。

ここに来て、何も見なかった。
道の駅なとわ・えさんは海のそば。

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恵山は雨で霞んでいた。

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トラピスチヌ修道院が通り道にあった。
寄ってみることにした。    場所は、ここ

修道院って、いったい何なのか。
どんな表情で生活しているのか。
その辺りが、知りたいことの中心だった。

小さな門をくぐると、この状態。
完璧に整備されている。

中央のマリア像が、迎えてくれた。

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上の写真の奥にある木を越えたら、この風景。
まるで、庭園だ。

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左に、こんな二つの像があった。
説明によると、これは、フランスにあるルルドの洞窟を模したもの。
右のマリアが、左の少女に、祈りと犠牲を捧げるよう伝えた。(1838年のこと)
それを聞いて、少女はその場所を手で掘ったら、和泉が出てきた。
その水で、多くの病人が癒された。
そんな、内容。
ルルドの洞窟は、現在巡礼地になっていうそう。

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上に行くと、この修道院のメインの建物の前に出た。

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聖テレジア像。修道女の模範だったそう。24歳でなくなる。
100年以上の前の話。

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こんな花が。

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上から下を見るとこんな感じ。

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函館の街も見えた。

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順路の標識どおり歩いていたら、元の場所に戻った。
あれ! 中に入れないのか。
ずっと、どこから入るのかばかり、考えて歩いていたのに。
建物だけなら、何しに来たか分からない。
あ~あだ。
考えて見たら、入場料を払う所はなかった。

入ることが出来たのは、お土産屋さんと、下の写真の小さな建物。
名前は、旅人の聖堂
お祈りをしてくるかと思って、入った。
こんな感じ。

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正面にキリストの像。

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壁には、こんなのが。
見る人が見れば、意味が分かるんだろうな、と思った。

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写真を撮って、眺めて、終わったら出てきた。
出てきて、お祈りを忘れたことに気づいた。

お土産屋さんに入ったら、小さな資料館があった。
たくさんの写真で、トラピスチヌ修道院を説明していた。
写真の撮影は、ダメだった。
仕方ないから、パンフレットを200円で買った。
ここから下の写真は、パンフレットを撮影したもの。

下の写真は、空から、この修道院を撮影した物。
左上に、中心の建物が見える。

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修道院だから、ここの入ったら、一生ここで暮らす。
ここは、女の人だけ
結婚することはない
遊びに函館の市街地に行ったりすることはない。
※選挙の時は出かけると、資料館に説明があったかな。

考えて見たら、私と正反対の生活だ。
この人達は、毎日、同じ場所。ここから、出ない。
私は、毎日、場所が変わる。

このように、みんな一緒の生活。
パンフレットには、ここに何人いるかは書いてなかった。
ここに写っている人が全員かも知れない。

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ここの修道院の正式な名前は、厳律シトー修道会 天使の聖母トラピスチヌ修道院
厳律とは厳しいきまり、と言う意味か。
シトーの意味は、フランスの地名。そこに初めて、このような修道院ができた。
日本には、男の人の修道院が2つ。女の人のが5つ。

ここの修道院は、日本で最初
1898年、8名の修道女がフランスから来て、ここにつくった。
※函館を選んだ理由は、何でしょうね。函館は、早くから外国と貿易をやっていたからか。

ここでの生活の大きな部分は、3つ。
一つ目は、お祈り

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2つ目は、仕事

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自給自足に近いのかな。
詳しい説明はなかった。

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これも、何かの仕事。

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3つめが、読書。 聖なる読書と呼ぶ。
聖書を読むのかな。

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ここの修道院に入るには、カトリックの洗礼を受け、3年位を経た方で、35歳位までが適当とあった。

下の写真は、食事の様子。
ここでの生活は、基本的には沈黙
おしゃべりという雰囲気の会話はない。

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ここでの生活を体験したい場合、2泊3日で予約すれば可能。
書いてなかったが、男はもちろんダメだろうな。

日課表です。
朝が早い。夜も。

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上の日課表では分からないが、テレビを見ることはあるのか。新聞を読むとかも。
社会の情報は、どのように知るのだろう。
社会から離れた生活をしていると、考えていいのか。
パンフレットに、隠世共住修道院生活、という言葉があるし。

宗教のことは全く分からない私にとっては、むずかしいです。
社会と離れて、規律正しく、信じるものを信じて生きているのであれば、ああだこうだ言わないで、そっとしておくのが、いいのかなと思います。

建物しか見られなかったことは、仕方ないことにします。


【今日の道の駅】   一昨日と同じ場所。 函館山が見える、海辺の駐車場。

【明日の予定】     未定。  実は、三重県のKameさんという人が、私の走ったコースを追いかけてきている。今連絡は取れないが、多分下北半島に入っている。函館近辺で待っていようかなと思っています。 四国の高松の近くの道の駅で知り合いました。


《今日の歌》     J(YouTube)  門倉有希です。 松前町に来るらしい。近々。これは、韓国の歌だが、韓国と言えば、キム・ヨナだ。まだ、新しいプログラムの曲が分からない。

           大連の街から(YouTube) 城之内早苗です。新しい動画です。この人も、昨日のブログの立待岬を歌っている。アルバムにある。それで、立待岬の曲を知っていた。YouTubeにはないが。

     ※
立待岬です。     場所は、ここ
森昌子が「立待岬」を歌ったこともあり、結構知られている。
天気が良く、たくさんの人が来ていた。

ここは見晴らしがよく、昔の人は、ここに立って魚がいないかを見た。(来るのを待った)
それが、名前の由来とあった。

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遊歩道や東屋、それに駐車場などがよく整備され、感じのいい岬になっていた。
写真の中央に、上の写真の石碑が。

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この海岸沿いには、昔、道があった。向こうの山の陰に、寒川という集落があった。このことは、昔から知っていた。マムシが、いっぱいいるということで。
行ける道がないか調べたが、通行禁止になっていた。(山を下りる道がある)

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上の写真の反対側。
正面に大間が見えるのだが、天気が良すぎて、霞んで見えない。
この海でマグロが捕れる。
大間の人が獲ったら、大間のマグロ。 超ブランド品。
函館の人が獲ったら、普通のマグロ。

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の時期は、少し過ぎたのか。少ない。
鉄の柵に、何かが付いている。これについては、後で。

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柵を越えたら、向こうまで行ける。
柵が出来る前は、みんな行っていたようだ。
何人飛び降りたのか。そんなのがあって、柵ができる。

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写真の右の方が、湯の川温泉でしょうか。

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今日の本題です。
森昌子の「立待岬」の歌詞は、ある伝説が元になっていると言う。
それを知りたくて来た。
説明はない。
団体のガイドをしていた人にも聞いたが、分からないと言った。
歌詞は、こうです。

   立待岬    (作詞 吉田旺  作曲 浜圭介)

      北の岬に咲く 浜茄子の     
      花は紅 みれんの色よ
      夢を追いかけ この海越えた   
      あなた恋しと 背伸びする 

     ※待って待って 待ちわびて     
      立待岬の 花になろうと
      あなたあなた 待ちます
      この命 枯れ果てるまで ※

      霧笛かすめて 飛び交う海猫よ
      もらい泣きする 情けがあれば
      北のおんなの 一途なおもい
      どうか伝えて あの人に

      哭(な)いて哭いて 哭きぬれて
      立待岬の 石になっても
      悔いは悔いは しません
      ひとすじの この恋かけて

      (※をくりかえす)
 
      
    「立待岬」の曲は、ここに。 冬の立待岬で歌った。 YouTubeの画面をかくして、歌詞を見ながら聞くのもいいですよ。 哭(な)くの哭の字は、慟哭(どうこく)の哭で、悲しみのあまり声をあげて泣くときに使いますね。

この歌詞の最初の4行が、むずかしい。
夢って何だ。好きな人と一緒になることと考えていいのか。
そうだとしたら、何で、この岬に立っているのか。
男は、海で死んだのか。

そのことは、海を渡ってから知ったのか。
いや、渡る前から知っていた。
そう考えた方が、自然だ。 みれんとあるし。

好きな人は海に消えた。その海に叫んでいるのか。
どうでしょう。こんな感じか。

夕方、ネットでずいぶん探しました。
伝説について書いてある物はなかった。

ただ、「立待岬」の詩の女の人は、この岬から飛び降りたと書いてあるのがあった。
その女の人の事情が、伝説の中身かも知れない。

それ以上のことは、分からなかった。

追記 飛び降りたというのは、これでいっしょになれると、その女(ひと)は考えたんですね。

歌詞の中に出てくる、この岬の花と海猫(ゴメ)の写真を撮った。
浜茄子(ハマナス)です。  

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チシマフウロ。 可憐と表現していいのか。
※ いつだかのブログに書いた、「がんばるは なんて言うなよ 草の花」の花は、これでもいい感じがする。 このことについては、ここに。もしよかったら。

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この花が、上の文とも関係のある、エゾカワラナデシコ
少し、状態が良くないけど、いい。

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思いを伝えてくれと、海猫(ゴメ)に頼んだ。

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柵に、イカ が ついて いました。
ここで、問題です。
そのイカは、変わった顔をしていました。どんな顔でしょう。
答えは、最後に。 かんたんかな。

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石川啄木の墓。

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東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたは(わ)むる」とあった。

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調べてみたら、啄木は、明治40年5月から9月まで、函館にいた。
明治45年4月に亡くなる。27歳。次の年の3月に未亡人の節子さんの希望で遺骨はここに移される。その年の5月に、節子さんも亡くなる。後を追うように。

与三野鉄幹と晶子の歌碑。岬のすぐ近く。

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読みにくい。こう読めた。
鉄幹  浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立
     待岬の岩かげの土
晶子  啄木の草稿岡田先生の顔も忘れる
     はこだてのこと

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帰るころ、レスキュー隊の人が海岸にいた。
何してるんだろうと、観光客はながめた。

私には気になることがあった。
その1時間程前、若い女の人が、獣道のような細い道を、一人で岬の右の方に行った。関係は無いと思うが。

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函館山の上の方は、雲の中。

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【今日の道の駅】  なとわ・えさん   ここ

【温泉】        これから、車の。

【明日の予定】    恵山の近辺。まだ、調べていない。


《今日の歌》      立待岬(YouTube)  別のです。 気合い入っています。

 

              愛傷歌(YouTube)  森昌子は、立待岬とか、こういうのを歌うと上手。自分の人生と重なるからかな。

※問題の答えは、いかつい顔、でした。 やさしすぎたか。

     ※

道の駅しりうち、のそばを鉄道が通っている。
その脇で、何やら作業をしている。
線路をつないでいた。新幹線に使うレール。

線路の山。1本、25㍍。
※ 通りがかった責任者のような人が、くわしく説明してくれた。

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右側には、25㍍置きにテントが。

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線路の山からクレーンで降ろした、25㍍の線路の両端を、グラインダーでまず磨いてる。
線路は,ローラーの上に乗っている。 人の力で動く。

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ここは、最初のテント。作業の中心。
ここに移動した2本の線路の両端を、もう一度磨いている。

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2本を近づけ、つなぐ部分に機械をかぶせた。
バーナーの炎が見えた。
接着している。

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接着した部分の周りを磨いている。

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次のテントでも、その次でも、別の作業があるようだ。
25㍍のを8本つないで、まず、200㍍のを作る。
それを、4本つないで、800㍍にする。
それを、トンネルに運んで、全部つなぐ。

こうするから、新幹線は走っていて、ゴトンゴトンしない。

聞くのを忘れたことがある。
今日つないだのは、みんな真っ直ぐ。カーブしている所は、どうするんだろう。
きっと、現場で曲げますね。ギュッて。(そんな、単純でないか)
また、800㍍のを、どうやって運ぶのかな。運ぶ線路は、曲がっているだろうし。
ちゃんと、考えながら聞けば良かった。

ここは、近くにある、青函トンネルの出入り口

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北島三郎の実家は、道の駅の地図を見たら、確かに知内町の市街地だった。
銅像を造るとか、派手なことはしていなかった。
1年に1回は、地元に戻ってきて歌うそうだ。
北島三郎らしいと、思った。
※ 道南のある場所に、現役の歌手の銅像がありますからね。

私が美瑛にいた中学生の頃だったかな、映画館から出てくるのを見たことがある。
まだ、北島三郎の若いときだ。

松前に向かった。
ここは、渡島半島。
この半島の日本海側は、崖が崩れやすい。
雨が強く降ったら、行かないと決めていた。
昔、豊浜トンネル事故があった。(積丹 古平町 1996年2月10日)
バスと乗用車が埋まった。20名全員が亡くなった。

道路は、鉄道と平行して走っているが、海岸の崖が急になると、鉄道はトンネルの中。羨ましかった。
道路に覆道はあるが、こんなの信用できない。

そう言えば、富士山のキャンピングカーの事故、テレビで見たと思います。
私は、フェリーの中で見ました。
あの車は、アウトドア・ジュニア。
私が、当初買おうと思っていた物。
小さいのと、電気を発電機に頼っていたので、やめた。(今のは、ソーラー)
あれを見るために、4年前、東京まで行ってきた。

今日、キャンピングカーステーションで、本社(ビッグフット)の社長さんにお会いした。(この方が、昨年春、札幌のキャンピングカー・フェスティバルでこの車を詳しく説明してくれた方の旦那様)
こう言っていた。私の車もそうだが、ここの会社の車や名の知れた会社の車は、フレームが入っているため、あの大きな石でも、突き抜けることはないんですよと。あの会社は、キャンピングカーの協会に入っていないと言った。

こんな感じの道でした。雨は降っていません。

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白神岬。北海道最南端。大間岬より南にある。   ここ

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海は、大荒れ。
この海だったら、船が座礁したとき、助けるのは大変。(昨日のブログとの関係)

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波しぶきが、霧のように飛び散るから、遠くが霞む。

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松前の町に入ったら、道の駅があった。
今年の春に出来たという。

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松前城。写真ならまあまあに見えるが、鉄板屋根なので、少し物足りない。

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上の道の駅に停泊するつもりだった。
ところが、車のことで気になることがあったので、函館に引き返した。
問題は解決。(ガスと、温水ボイラーの関係)

正面に見える山は、大千軒岳。   ここ
悲しい歴史があることを知った。行ってみたかった。
Wikipediaにはこうあった。

『寛永16年(1639年)、松前藩による隠れキリシタン処刑によって106人が殉教した地でもあり、金山番所跡(知内川コースの5合目付近)と、千軒平の尾根には十字架が建てられており、毎年7月の最終日曜日には千軒岳殉教記念ミサが行われる。 』

島原の乱は、1637年から1738年。同じ時代だ。
調べてみると、ここでは、砂金掘りが行われており、その人達に混ざって、取り締まりの厳しくなった土地から、ここに来たようだ。

カトリック情報ハンドブックというのに、こう書いてある。

『この時代、全国で迫害が激化する中、松前藩では、地理的に江戸から遠く離れていたことが幸いして、鉱夫として働くキリシタンに対してそれほど厳しくはなかった。しかし、寛永14(1637)年に起きた「島原の乱」を境に、幕府のキリシタン禁制が強化されることによって、同16(1639)年、松前藩内にいたキリシタン106名は捕らえられ殉教した。この殉教の史実は、昭和29(1954)年に新史料として発見された松前家の正史「福山秘府・福山年暦部巻之四」で公となった。史料によれば、大沢で50人、そこから逃げた6人が日市(現上ノ国町石崎)でそれぞれ処刑され、後日さらに金山で50人が捕らえられ殉教した。
  この106人は、城下町に住む者ではなく、鉱夫としてえぞ地へ渡り砂金場近くに住んでいたキリシタンだったようだ。 』


天草四郎の島原の乱が、影響していた。
こんな北方の地にまで。   島原の乱についてのブログは、ここに

キリスト教を信じるのと、仏教を信じるのとでは、何が違ったのかな。
仏教は、時の権力者にとって、不都合は少ないと言うことか。もしかしたら、都合がよかったと言うこともあるのか。

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林は、松でなく、青森ヒバでした。
大間は、本州でなく、北海道。
松前は、北海道でなく、本州と言うことか。

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ここにいます。あすも、会社に行くので。
ただの、駐車場。そばに、コンビニと交番があるので、治安は大丈夫と考えて。
正面に函館山

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暗くなってから、三脚を立てて撮影。

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【今日の道の駅】    道の駅でなく、駐車場。  場所は、ここ

【温泉】        昨日に同じ。 しんわ温泉。 370円。

【明日の予定】   立待岬に行ってきます。


《今日の歌》      立待岬(YouTube) いいのが見つかりました。 昨日、大間から来るとき、見えました。今いるとこからは、少し山の陰で見えない。  立待岬の石になるまで待つと言っている。 立待岬に、伝説があるなら、それを調べてみましょうか。

     ※
何十年ぶりかの北海道なら、感慨深いものがあるかも知れないが、そういうのはない。
夕べは2時頃寝て、5時半に起きた。
寝坊したら困るから、乗船する時に並ぶ場所に停めた。
ずっと寝てたら、起こしてくれると思った。

夜通しの雨
起きてすぐ、手続きを済ませた。
6時30分ころ、船の後の「ふた」のようなのが、降りた。
一般乗客が先に乗る。函館に買い物に行く人達。

6時50分乗船。 7時10分出発。

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手続きの後時間があったので、朝食は済ませていた。
パンをアルミホイルでくるんで焼いたのと、いつものごちゃごちゃ混ざったドリンク。バナナを食べるのを忘れた。こうしてダメにして、捨ててしまう。

フェリーの中では、テレビを見ながら、寝てた。
冷房がききすぎて寒い。
風邪を引いたら困るので、起きた。
テレビは、最近見てない。
みのもんたの顔を久しぶりに見た。

大間と函館は、近い。1時間半ほど。
函館山が見えてきた。
雨は、止まない。

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フェリーを降りて、この車を買った、キャンピングカーステーションに真っ直ぐ向かった。  ここ
バッテリーの調子が悪いことと、水漏れがあることを伝えた。
時間が掛かるので、車を貸してあげるから、どこにでも行っておいで、と言ってくれた。
すぐそばに、ホーマックがあるので、そこの駐車場に止めた。ダイエーが隣に。

少し寝て、両方の店をブラブラした。
ホーマックで、小さな絨毯を二つ買った。デザインと色が気に入った。
足下に敷くのと、キッチン前に敷くのを。

ダイエーでは、下着を少し。下着の数にばらつきがあったので、そろえた。靴下を含めて、どれも、20位になった。
あと、携帯とズボンとかをつなぐ、クルクルした伸びるやつを。(分かるかな)
携帯を落としたら、大変だからです。

3時間ほど経った1時頃、会社から携帯に電話が入って、戻った。
水漏れは直ったが、バッテリーは性質の違う別の物に取り替えることにした。二つとも。
それは注文なので、早くて2日。札幌になかったら、4・5日かかる。
しばらくは、函館近辺にいることになった。

近くの温泉に入って、道の駅しりうち、に向かった。50㎞ほど。
走っていたら、何かがあるので寄った。

咸臨丸終焉の碑があった。ここは、サラキ岬。   ここ

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咸臨丸について知っているのは、勝海舟が乗って、アメリカに行ったことぐらい。
説明を読むと
この船は、歴史的偉業を成し遂げた後、北海道へ移住する人を乗せたんですね。そして、この岬の近くで沈没した。
詳しくは、下を。

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絵は、こうです。

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沖で座礁したとありますね。
また、401名全員が助かったと読み取れます。
これを読んだとき、疑問を持ちました。
変ですね。

絵から想像すると、嵐です。
沖で座礁して、全員助かるのは、無理です。

調べてみました。
北海道歴史探訪というのに、書いてありました。
一部抜粋して載せます。

また、杉浦は公文書に咸臨丸の座礁・沈没によって怪我人は1人もなかったと書いています。そして、それを東京政府にも報告しています。

ところが、更木岬の近くの大泉寺には9月21日付けで高橋仁吉という咸臨丸乗船者が亡くなったという記録が残っています。それには、開拓史の役人も立会って埋葬されていることが記されており、咸臨丸の事故と関係があることは明白です。

この高橋の死と咸臨丸の事故を無関係に見せたいがために、彼らは、早く咸臨丸が出航したということにしなければならなかったとも考えられます。

暴風雨についても大いに疑問です。木古内に土地には伝承が残っていて、咸臨丸座礁の時に地元の人が開拓史貫属の船が座礁したと聞き、提灯を持って外に集まりました。さらに小船で人々を助けました。

また、浜辺にかがり火を焚いたともあり、それができるとすれば、暴風雨であった可能性は低くなります。

さらに札幌宮城県人会刊の「伊達藩士と北海道開拓」によれば、座礁は安定した天気の中、突然やってきたと書かれています。


全体は、ここに

このサラキ岬で座礁して沈没したのは確かですが、内容には疑問が残ります。

これは、復元した咸臨丸。 小さくしてますね。

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咸臨丸の本物のイカリなのか、説明はなかった。

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近くにこんな花が。ツツジみたいだけど、まだ咲いてるのかな。満開です。

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道の駅しりうち、に来ました。
こんな看板が。
ここは、北島三郎の出身地みたいです。
詳しくは、明日調べてみます。

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雨は、降り続いています。

※追記 上に書いた、サラキ岬、まあまあいい響きの名前です。
このように、いい名前の岬は、時々見ますね。

根室のルイカ岬、厚岸のバラサン岬、紋別のウエンヒラリ岬。
ルイカ岬は、涙香岬とも書く。 どっちもいい。
この夏、必ず行きますよ。  この岬については、ここに


【今日の道の駅】    しりうち    場所は、ここ

【温泉】      名前を忘れてしまった。 4月2日にも入った。

【明日の予定】   この辺りで。


《今日の歌》     風雪流れ旅(YouTube)  盲目の三味線弾き、高橋竹山を歌ったものです。高橋竹山の三味線は、3回ほど昔聞いたことがあるんですよ。  ※追記 竹山の動画がありました。最後に演奏も。いいですよ。

          ダンシング・ヒーロー(YouTube)     別のパターンも。

     ※
本州最北端、大間崎。  ここ
ここは、もう北海道です。

理由
① ラジオは、STVがはっきり入る。日ハム戦が聞ける。
② 寒い。 本州の気候ではない。
③ 大間の人達は、函館に買い物に行く。フェリー埠頭の駐車場には、車がたくさん置いてある。車を置いて、フェリーに乗って行く。

本州最南端は、佐多岬だった。
でも、土地を個人の所有にしてるから、誰も行かない。
ここはいい。
広い無料の駐車場は、夜もトイレが使える。
車で停泊している人も、テントで泊まっている人もいる。
お土産屋さんや食堂がいっぱいある。
明るく、にぎやかな岬。

そんなことで、とてもいい所でした。

岬の先端は、こんな感じ。

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4月1日に出発して、本州、九州、四国、本州と、あっちこっちに行って、ここにきた。
北海道に戻ってきたことになるが、実際は本州が暑いので逃げてきたわけで、涼しくなったら、引き返す。早ければ、8月の末には。

車での生活の仕方も、ブログの内容も、まだまだですが、3か月半が過ぎた今、意欲はしぼんでいません。大丈夫。

こんな碑があった。

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なつかしい函館山が、うっすらと。

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私は毎日、函館山をながめている。パソコンのデスクトップの写真は、去年の秋からずっと函館山。

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展望室のある、レストハウスで、こんなのを買った。
そこの人が、詳しく説明してくれたので、お礼にと思って。
裏に、今日の日付が。

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ここは、大間のマグロで有名。
これは、400㎏のマグロのモニュメント。
今朝も船は出た。
ただ、時化(しけ)が強くなって、戻ってきたそうだが。
昼頃には、船は見えなかった。

ある、おじいちゃんが通りかかった。話しかけてみた。
「この波で、船は大丈夫だろうかね」って。 こう言った。
こんなの、凪だ」って。
もっと荒波でも、漁に出るときは出る、という意味か。
昔は海の男。荒波と戦った。 そんな感じのおじいちゃんだった。

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石川啄木の歌碑。 焦燥の旅の途中、ここにも寄った。

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真ん中は
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたは(わ)むる

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地元の人は、ここの砂浜が、上の歌の原風景と考えている。
ただ、一般的に考えられているのは、函館の大森浜のよう。

石川啄木は、明治35年にここに来ている。
盛岡中学を中退したとき。

野村胡堂の記念館に行ったときに、1枚の写真を見た。
その写真には、石川啄木、野村胡堂、金田一京助の3人が写っていた。
その当時、3人は、交流があった。(啄木が、一番年下)
石川啄木は、文学への夢があったため、勉強にならなかった。
退学することになる。
まだ、才能が認められているわけでないから、苦悩の日々が続く。

啄木は、文学で苦悩する自分の姿から、いくつかの歌(文学)を生み出した。
啄木だから、まあいいかなと思う。
でも、例えば、ある歌手が、自分は歌手として大きくなれいと、その悩みを歌っていたら、聞きたくないかな。
広く生き方に悩む姿を歌にするのだったら、まあいいかな、とも。
芭蕉は、自分を持ち出さないところが、いいと思うし、好きですね。
宮沢賢治もそう言う面で好き。

これは、ブラキストン線について。

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津軽海峡は、流氷が来ないし、流れが速いので、動物の行き来がなかった。

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アッカムイは、エゾモモンガ。本州にはいない。代わりに、大きなムササビがいる。

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慰霊碑の前に、人が集まっていた。

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一人の人に、聞いてみた。
昭和19年の今日、7月14日の午後、下の写真の沖で、豊国丸という船がアメリカの爆撃機に攻撃されて沈没した。135名が亡くなった。
今日は、慰霊祭をやってるという。
地元の人も乗っていたのか、と聞いた。いなかったと。
今日は、他から人が来てるのかも聞いた。
数年前までは来ていたが、今は来ないという。(関係者が、年をとったから)
ただ、遺族会の会長さんが来たと。

船は、島の向こうの海に、今も沈んだままだという。
今日の慰霊祭の準備は、すべて地元の人がやっていた。
このことから、この地域の人の、何かが見えましたね。

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大間に来たからには、食べなければならない物がある。
初入荷と書いてあったので、ここに入った。

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ここの店は、正直に感じたので、信用できた。
まず、今日の品物は、昨日穫れたマグロだと言った。
まだ、脂ののりは、まだ十分でないと。
それから、これは私が聞いたから言ったのだが、初入荷は毎日が初入荷だと。

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けっこう脂っこい。
また、箸でつまんだ時、重たい感じがした。
ふだん食べないから、美味しいとかどうだとかは、ラーメンのようには分からなかった。
そうは言っても、せっかく食べたんだから、美味しかったことにしますね。
2500円。

感じのいい若い二人が、店を出していた。
何か話せると思って、イカのポンポン焼を二つ買った。
※ イカを焼いた時、ぽんぽんに膨らむから、ポンポン焼だと。
売っているものは、実家で作っているもの。漁師でもある。

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店の奥に、大間のマグロの写真が。
今日、こんなのをいっぱい撮した。この写真が、一番いい。
お父さんと、お兄さんだったかな。

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男の人(旦那さん)がこう言った。
旅ができていいですね、って。
何て答えたか忘れた。答えなかったかも知れない。
後で考えた。こういえば良かったなって。
「あなた方のように、二人で楽しく仕事ができたら、旅に出る必要はないよ。1週間の旅で十分」と。
会話は、一瞬の勝負です。
まだまだ、修行が足りません。
でも、反省したから、成長したか。
上の1行がなければ、成長していましたね。


【今日の道の駅】   昨晩と同じ、フェリーターミナル。

【明日の予定】    朝7時10分のフェリーで函館に。 そして、車の会社に。


《今日の歌》     思い出の九十九里浜(YouTube)
           
            池上線(YouTube)


     ※
恐山。 すごい名前だ。
名前の由来は分からなかったが、雰囲気にぴったりの名前。
恐山という山は無くて、取り囲まれてる山全体の総称。
また、霊場の名前も恐山。

むつ市を過ぎたら、山の中に入った。
どんどん上る、そして最後に一気に下る。
宇曽利湖という湖が見えてきて、そのそばに、霊場恐山はあった。   ここ

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この霊場の開基は、山寺と同じ円仁
1200年の昔だそう。

入ったらすぐ、山門が見えた。
そのむこうに、地蔵殿
円仁の彫った地蔵菩薩が祀られている。

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まず、この霊場恐山は何なのかということです。
説明では、下北地方の人たちは、「死ねば 魂は お山(恐山)に行く」と昔から考えていたそうです。
だから、人々はこの山に、亡くなった人に会いにきていました。
後で触れる、イタコは、その仲立ちをしていたわけです。
少し、分かってきました。

左の方に行くと、賽の河原や地獄や極楽がある。

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すぐ左は、こんな感じ。
温泉があった。入っていいことを後で知った。

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ここは、日本の三大霊場の一つだそう。
高野山と比叡山とここ。
一番は、高野山でしょうね。二番が比叡山。

高いところに上って振り返ってみた。
湖も見える。

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霊場って何かを調べてみた。
神や仏の力が、あら(灼)たかな所、とあった。
あら〈灼)たか、とは何だとなる。
調べたら、はっきりしていること、とあった。
灼の字は、灼熱地獄の、灼だ。
何となく意味が分かってきましたね。
霊場は、神や仏の力が、強く出ている所。そんな感じでしょうか。

こんなのが。

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湖の白い砂浜は、極楽だそう。
今いる所は、賽の河原。

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小さな地蔵が、いっぱいある。
勝手に置いていいよう。(大きなのは、許可がいるだろうが)
置いていいですよと、お土産屋に売っているのもあった。

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こんなのも。

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鋭い目つきでした。

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賽の河原。

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ここもです。

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悲しき過去持ちて 小石を積みたり」とあるが、なぜ積むのでしょう。
こんな考えが、ネットにありました。
「賽の河原」の思想によるものだそう。

 親より早く死んだ子どもは親不孝の報いで極楽に行くことができない。子供だから地獄にも行けない。賽の河原にとどまって苦を受ける。
 子どもたちは親を想い、その供養のため石を積みあげて塔を築く。でも、鬼がそれを壊わす。
 それで、親は亡くした子の冥福を祈のって石を積む。

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水子供養の場所。

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八角円堂。血の池地獄があったのだが、気づかなかった。

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これを見て、いつものように、わくわくしたが、出てこなかった。

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小さな地蔵。これが、お土産屋で売っていた。

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こんな所が。

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小さな穴から、湯気が出ている。 手をかざして見たら、熱くて飛び上がった。

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一番関心があったのは、これ。

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入ってみたら、誰もいなかった。
この場所で、例のことが、行われるようだ。

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この時、雨が降っていたので、左隣にある休憩所に入った。
しばらくしたら、70歳くらいの女の人が現れた。

イタコの方だった。ここに住んでいるという。
口寄せ」の値段を聞いたら、3000円だと言った。
信じていない私にとっては、高かった。お願いはしなかった。
でも、後で、後悔した。
口寄せは少しでいいから、私の質問に答えてくれる形でお願いすればと。

少しだけ話せた。
若いときからしてると言った。
誰にも学んでいないとも。
子供たちは、みな大きくなったと。
今は、いろんな相談にものると。

イタコについて。
イタコは、口寄せというのをする。これは、死者の霊を自分に乗り移らせて、死者の言葉を語ること。昔は、東北地方で広くあった。今は、恐山の夏と秋の大祭のときに、路上に露天を開くように行われている。イタコマチと言われる。ただ、普段も、恐山にいることがあるそう。それで、今日たまたまいた。

こんなことを思いました。
この仕事で、生きていくには、人の心を見抜く力が必要だと。占い師に似ている。また、カウンセラーにも。
私は、聞いて見たかったと、後で思った。
すぐ意地悪なことを考えた。
今生きている人を、少しの間あの世に行って貰って、その人で聞いてみれば面白かった。終わってから、イタコのおばあちゃんには、実はその人生きているとは、言わないけどね。

大間のフェリー埠頭の駐車場に来ました。
強風警報が出ています。車が揺れます。

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【今日の道の駅】    道の駅は無いので、フェリー埠頭にいます。 場所は、ここ

【温泉】   大間温泉海峡保養センター  370円

【明日の予定】   この近くにいる予定。 この車を買った函館の会社は明日休み。 明後日の朝、函館に渡る予定。


《今日の歌》      ジュピター(You Tube) 

             北の旅人(You Tube)   

     ※
朝7時頃から、外は賑やかだった。
ラジコンカー・レースの大会が、駐車場であった。

目の回る速さ。 驚くテクニックだ。
車をコントロールする人は、向こうの台の上にいる。(6人)

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スタートに並んだ。
1秒おきくらいに、順にスタートする。

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路外に飛んで行く車は、滅多にない。
5分経ったら、ゴールを目指して、早いのが勝ち。
こういうのに、燃えている人もいる。

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今日は、地図などの情報を、ネットで確認してから行った。
まず、沼袋の水という、湧水があるので行ってみた。  場所は十和田市。
公園になっている。 ペットボトルを一つ持った。

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さあ飲もうかと思ったら、こう書いてある。
湧かしてから飲んでください」と。
それなのに、水を飲む杓子を置いている。
すぐ近くの沼袋の水も飲めない。
ここは、名水100選になっているのに。
名水返上だ。

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こういうガッカリするところも、時々ある。
仕方ないから、花の写真を撮った。

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今日の予定は、道の駅七戸で、馬肉ラーメンを食べて、道の駅みさわに行く予定。
そのラーメンがこれ。   場所は、ここ
ネットで調べたら、あった。 詳しい評判は分からなかった。

馬の肉は、赤身だと思っていた。
肉は、白身の混ざったのだった。 ちょっと苦手だ。
そのうち、馬の顔が浮かんできたら、食べれなくなった。
麺も3分の一ほど残した。

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食べた後の、後味というのが良くなかった。
道の駅の外で、甘エビの唐揚げが売っていた。
口直しにと思って買って食べた。
半分食べたら、脂っこいから飽きてきた。
口直しに、今度は、野菜ジュースを飲んだ。 やっと落ち着いた。

寺山修司記念館に向かった。
道の駅を出て、5分ほど走ったら、火事に出会った。
そう言えば、ラーメン食べて外に出たとき、サイレンの音が聞こえた。

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家の中の物は、全部だめでしょうね。
建物が、この状態の時、保険金はどう下りるんでしょうね。

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車で毎日走っていると、事故に出会うことがある。
書かなかったが、6月に軽の乗用と軽トラの正面衝突を見た。事故直後。
みんな助かったようだが、軽トラの運転手が、はさまって出られない。
そんなのがあった。   この日のブログに、別の事故の写真がありますよ。

道を走っていると、こんな木が目立った。青森ヒバだと思います。

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上の木のないところは、北海道の土地の感じに似ている。
畑の中の道は真っ直ぐ。高い山はない。

ここが、寺山修司記念館
いい言葉か、面白い言葉に出会えそうなので行ってみた。 場所は、この辺り

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この人も、石川啄木も、太宰治も東北出身。3人とも変わっている。
寺山修司は、多才な人だった。 詳しくは、ここを

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この人は、職業を聞かれたら、「寺山修司」ですと、答えていた。
言葉の錬金術師と呼ばれていた。
こんな詩がありました。

ひとの一生かくれんぼ
あたしはいつも鬼ばかり

赤い夕日の裏町で
もういいかい まあだだよ

百年たったら帰っておいで
百年たてばその意味わかる

かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく

人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる

どんな鳥だって
想像力より高く飛ぶことは
できないだろう

わかれは必然的だが
出会いは偶然である

野に咲く花の名前は知らない
だけど野に咲く花が好き

人生はたかだか
レースの競馬だ!

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47歳で亡くなる。
肝硬変だったというから、お酒を飲み過ぎたのか。

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記念館の中は、撮影できない。
外の壁に貼ってあったのを、撮した。

凡人には、思いつかない発想です。

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涙のことを言っているが、涙がただの水ではないと言ってるのか。

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俵万智の歌はいい。こんなのもありましたね。
四万十に 光の粒をまきながら 川面をなでる 風の手のひら

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詩碑がありました。記念館から歩いて、5分。
書いてあることは、難しかった。 

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こんなのが。

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見下ろすと、沼が見えた。。

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釣り人がいた。フライという釣り方。うっすらと、ラインが見えるでしょうか

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寺山修司が、たくさんの質問答えていた。(音声で聞ける)
人の肉を、必要があれば食べれるかと聞かれた。
こう答えた。(要約すると)

人は、牛の肉とか食べる。
牛は、大量の穀物を食べる。
その穀物は、輸入している。
その穀物の生産のために、犠牲になっている人達がいる。
その中には、亡くなっている人もいる。
牛の肉を食べることは、その人達を食べてる様なもんだ、と。


あと一つ。
寺山修司に、小包が届いた。
お礼の手紙(ハガキ)は、こんな内容。

漂着せし 小包の中に
ただひと筋ではありますが
正体不明の黒髪のありましたことを
ご報告いたします。

退屈しない資料館では、ありました。


【今日の道の駅】   道の駅みさわ の予定だったが、ゲートを閉めるという。 6時に、40数㎞離れた所まで走った。 道の駅を返上すればいい。  
             今いるとこは、道の駅よこはま。  場所は、ここ。 こんなとこまで、来てしまった。

【温泉】         三沢市民の森温泉浴場  150円  安いです。 記念館の近く。

【明日の予定】    恐山   どうして、こんな霊場ができたのか。知りたいですね。 


《今日の歌》     時には母のない子のように(YouTube)  作詞は寺山修司

           わすれ雪(YouTube)  手仕事屋きち兵衛

     ※
久しぶりに、雨は降りませんでした。
ブログの右に、天気予報を載せました。
大雑把ですが、全国のが分かりますから。

面白そうな所を見つけるのは大変です。
今朝いた道の駅の近くには、ありませんでした。
記念館とか資料館はあるんですが。

その町の小さな情報は、行ってみないと分からないのかな。
義経伝説だって、あるはずなのに。

そんなことで、十和田湖に行ってきました。
湖を見てかんたんに感動しないことは、自分で知っています。
美幌峠から見た屈斜路湖のすばらしさを知ってしまったら、それを越えないと難しいんですね。

十和田湖で気になっていたのは、乙女の像です。
どうして、素晴らしいのか、美しいのかが、分からない。
それを、調べて、考えてみました。

発荷峠からの景色が一番だというので行った。 場所は、ここ
この地方を探検して、この湖のあることを知らないで、この風景を見たら、間違いなく感動しますね。
感動するためには、条件が必要なようです。
山の頂上に登って、たいてい感動するのは、苦労という条件を乗り越えたからかな。

こんな風景でした。悪くはないですね。

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大きくなります。 

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乙女の像です。  休屋という所の、ここにあります

この像を見て感動するのは、難しいですよ。
厳しい自然の中で生きる逞(たくま)しい女性を表現したのは、見当がつきます。
でも、女性の姿として、美しくないのかな。
作品は、作者の手を離れたら、見る者が作者の意図を理解してないと批判されることはないですからね。

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この作品について。(調べてみました)
① 作者は、高村光太郎。(最後の作品)
② 昭和28年に完成。
③ 同じ像が向かい合っている。この発想は、作者が湖に映る自分の姿を見て、思いついたそう。
④ 妻の千恵子を作ったと言われている。
⑤ そうであるが、モデルがいる。藤井照子という人。当時19歳。28年秋の除幕式に、この人も参加している。
⑥ この事業を進めた、この時の青森県知事は津島文治。太宰治の実の兄。
⑦ この像の原型となった、高さ60㎝の像がある。青森県庁の知事室に。

二つの像を、少しスマートにしてみました。
それでも、右はダメかな。
時代が変わって、女性の体型はすっかり変わってしまった。
だから、逞しさが表現できていたとしても、感動するのは難しい。

今の時代に、モデルの藤井さんに頼んだら、藤井さんは絶対断りますね。
そう、思います。

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反対側から見たら、こうです。 同じに見えます。

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佐藤忠良の作品はこうです。
女性の美しさを基本において、様々に表現しています。
だから、好きです。 こんなのがあります。

  佐藤忠良

それから、女の人の像について少し。
どうして裸にしないとダメなんでしょうね。
むずかしい問題です。
服には流行があるからなのか。
きっと、そうではない。

芸術と言われるときは大丈夫で、それ以外は社会通念上認められない。
不思議です。
いい答えがあったら、知りたいです。

乙女の像を、もう一度見に行くことはありません。

遊覧船です。

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ボートに乗っている人がいました。 

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十和田神社。 大きな木に囲まれて。

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奥入瀬渓流に行ったが、なかなか駐車ができない。
雨のため、水量が多い。

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このような小さな滝があちこちに。

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雲井の滝。 車から、10分ほど歩いた。

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千筋の滝。 倒れた木がじゃましてる。

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魚がいないかと、ずっと探していた。
やっと見つけた。 ヤマメ(ヤマベ)。 大きさは、20㎝ほど。

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今日は土曜日だけど、観光客は少しだけ。
十和田湖より、奥入瀬の方が多かったかな。
また、閉めてしまった、お土産屋さんや旅館の廃屋が道路沿いに目立った。

観光地は色々あるけど、あの旭山動物園の人の数は、何なんでしょうね。
富良野のラベンダー畑も多い。
他の観光地は、人は何を求めているかを知るために、学ぶことがいっぱいありそうです。


【今日の道の駅】   奥入瀬  駐車場が広い。   場所は、ここ

【温泉】     十和田湖温泉郷にある、市民の家  300円   この辺り

【明日の予定】    少しは調べたが、見つけてない。 恐山の方向かな。
※ ここの道の駅の駐車場で、ラジコンカーのレースがある。それをまず見ようかなと。


《今日の歌》     1週間程前に載せた曲です。曲名は分かりません。いい曲なので、再度。(YouTube)  写真が、いいですよ。          

           異邦人(YouTube)  坂井泉水です。

           スパニッシュ・ロマンス(YouTube)  クラークという人。 アコースティックギターです。             

            

     ※
昨晩から、今日の午前中にかけて強風が吹いた。
青森県には警報が出ており、ここは岩手県の北だから、それに近い風だった。
車が揺れて、午前中は動けなかった。

道の駅のそばに、石神の丘美術館があり、野外に石の彫刻が展示されていた。
今日何も無かったら困ると思って、見に行った。
結論は、まあまあのものでした。
見て良かったかな。

丘の上に散策路があって、あっちこっちに、石の彫刻があった。
最初はこれ。 いくつかだけ、紹介。
名前は、森の友達。

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ここの彫刻は、外国の人も作っている。
知っている作者はいなかった。

ここは、恋人の聖地に認定されているそう。
全国に65あると、説明にあった。
何々100選もそうだけど、いろんなのがある。

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ここの丘は、センスがいいというか、歩いていて気持ちがいい。

下のは、風私考~通り風~と言う。 難しい名前だ。
風というと、風の桜衣(はなごろも)を思い出す。 ※ 絵島の物語の中に歌も
あんまり近づいて写真を撮るのは、気が引けた。

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ラベンダー園がこのように。
ここのは、バイオレットメモリーという種類。
特徴は花の部分が長く、濃い紫色だそう。

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東北新幹線
20分ほど待ってたら、列車が来たんだけど。

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名前は、マ・マ・マ。 意味が分からない。
昔、こんな顔した総理大臣がいた。

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海鹿。 尻尾は花。

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ブルーベリーの畑があった。 初めて見た。
道の駅で、時々売っている。

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2時過ぎ、二戸市にある緑風荘という温泉に向かった。
途中に、馬仙峡と言うところがあるので寄ることにした。
カーナビで調べても、駐車場がない。
現地に着いても、結局ない。
その代わり、男神岩・女神岩が見られる展望台の案内があった。
山の上だけど、行くことにした。

途中の畑に、リンゴの木があった。
今は、この大きさ。(追記 この大きさでは分からないか。玉子くらい)

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展望台に着いた。 せまい駐車場があった。  場所は、ここ
そうしたら、高校生の感じの男の子3人がいた。
自転車で来ていた。 よく登ってきたもんだ。

車から降りたら、子供達から挨拶してきた。
爽やかな3人組だ。
みんなで、木で出来た展望台に上がった。

その子達は、二戸市にある工業高校の1年生だという。
見える物全部を説明してくれた。
※ 説明版はあったが古くて読めない。この子達がいなかったら、何が何だか分からないまま帰った。

写真の右に見える町は、一戸町。
左の大きな岩が、男神岩。女神岩は、木の陰で見えなかった。男神岩の左の方にあるという。
昔は、この岩は、自殺の名所だったと教えてくれた。
今は、通行禁止になっているそう。
展望台の下に、そっちに向かう細い道が見えた。

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男神岩の左の方。
ここが、二戸市。子供達の住む町。
卒業したら、この近くには仕事がないから、東京とかに出るそうだ。
私は、みんなが卒業するまでに、景気が良くなるといいね、と言った。

話しの中で、温泉の話しになって、一人の子が緑風荘に行ったことがあるという。
それ、おじさんこれから行く温泉だよ、と私は言った。
その温泉宿が、座敷わらしの出るとこだという。
忘れていました。そんな宿があることは、遠野で聞いていました。
ちゃんと温泉の本を読んでいませんでした。
ずっと先まで、座敷わらしが出る部屋は予約済みなことも教えてくれた。

その後、遠くに、虹の下の方があるのを、一人の子が発見した。
みんなで見た。
それから少しして、写真のように向こうの山が白くなってきた。
通り雨だ。 降ってきた。 下にみんなで降りた。

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出発するとき、車の中から看板の写真を撮った。そうしないと、名前を思い出せなくなる。
子供達はそこにいた。
この後、子供達はこっちに来た。
お互い手を大きく振って別れた。 もちろん、言葉もかけ合って。
※ 写真は、これ以上大きくはできない。本人達に載せることは言ってないから。最後に手を振ったときのを撮ればよかったかな。いい写真になったと思う。

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緑風荘は、金田一温泉にある。  場所は、ここ
※ 言語学者の金田一京助の先祖は、この辺りの出身だそう。
建物は、昔の曲がり屋を利用して作った。 
座敷わらしが出るので有名なのは、この宿だった。

暖簾の向こうに、その部屋はあった。 槐(えんじゅ)の間
3年先まで、予約で埋まっているという。

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見せてもらった。 
人形がいっぱい。客が持ってくると言う。 座敷わらしにあげるためか。

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どうして、座敷わらしが出るようになったかを、簡単に。(宿のホームページから要約)
今から660年前の南北時代。
ここの宿の先祖は、南朝側(後醍醐天皇)に付いた。負けて、ここに来た。6歳の子がいた。病気で亡くなった。その子の霊が奥座敷(槐の間)に住み着いた。
※ この部屋に入ったら、幸福になると言い伝えられている。

ここの宿には有名人がいっぱい来ていた。その写真が廊下に貼ってあった。小野小町の舞台の台本を書いた内舘牧子も来ていた。   詳しくは、ここを

さっき会った高校生が、温泉は期待しない方がいいと言った。
その通りだった。
温泉だけでなく、建物の中の整備が不十分。何年も廊下のカーペットは取り替えていないのでは。
宿の廊下を歩くと、匂いがしてくる。外から来た物にしか分からない。
大きな財産があるのだから、もったいないと思った。

道の駅さんのへ、に来ました。    場所は、ここ
※ 道の駅で切って読んでください。 「の」で切るとおかしくなる。 こういうのに気づく自分がいやです。
薄暗くなって、高いところから写真を撮ってみました。
こんな感じの所に、今日は停泊です。

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今日のような高校生を見たら、今の高校生はどうだとか、一般的な物の言い方は出来なくなる。
そんな子供達でした。
山の上に行ってみるかと、3人のうちの誰かが言った。そして、行ってみようとなった。その流れが好きです。(想像ですが、きっとそうですよ) 
あの子達は、いい人間(大人)に成長しますね。
いい一日でした。 

※追記 こんなことを教えてくれた。 この地方には、一戸・二戸・三戸って、~戸という町がいっぱいあるが、四戸はないことを。そして、九戸とかまであることも。(もっと多かったかな)
これについては、調べてみた。十戸はなかった。この十戸が遠野に変化したとの考えがあるようだ。現在あるのが九戸までで、昔はもっと多かった。


【今日の道の駅】  さんのへ    場所は、上に。 すぐ近くにコンビニがある。便利。 

【温泉】        緑風荘   500円

【明日の予定】    十和田湖に向かおうと思っていますが、暑くないので、寄り道してもいいかなとも。 本州の最後は、下北半島です。


《今日の歌》     今日の歌は、今日出会った3人にプレゼント。
                     (どの曲も、詩がいいですからね)

            栄光の架け橋(YouTube)

            空も飛べるはず(YouTube)  

               
            タッチ(YouTube)   ユンナですよ。

     ※
雨の日が続きます。
昼間のどこかで止みますが、さすが梅雨です。
※ 今、歌を聴いています。 
   きち兵衛が「何のために生まれた」と叫んでいます。

今日は、何も見ませんでした。 
張り切って出かける気持ちでもなかったでしょうか。
実は、5月に九州の菊池の山小屋でお世話になった、しうさんのお父さんが体をこわしました。大事にはいたらず、治る見通しですが、心配です。
山小屋完成の夢の途中ですから、元気になって山小屋づくりに燃える姿を見たいと思います。
体力のある人ですから、きっと大丈夫です。

道の駅の近くに大きなホームセンターや、ツルハがあります。
昼間は、ずっとそこの駐車場に止めていました。
何が今不便なのか、何が必要なのかを考えて、買い物をしました。

最近は、車の中を少しずつ変えています。
パソコン周りも、変わりました。 便利になりました。
下の写真の感じです。

必要な物は、手の届く所にあります。
ビールだって、座ったまま冷蔵庫を開けて、取ることができます。
ボーズのスピーカーは、横に並べました。
しばらくは、この状態でしょうか。

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忘れえぬ女」の絵を入れる額を買いました。薄いクリーム色です。
絵(写真)はB4の大きさです。
どういうふうに飾るかに、ずいぶん時間をつかいました。
インテリアデザイナーでないから、どうすればいいかの理屈(理論)が分からない。だから苦労する。
何かが足りないと思って、花を買ってきたりもしました。
最終的に、これで落ち着きました。

絵の下のお守りは、新潟の守門温泉で頂いたものです。
「ありがとう・・・」は、コピーして車の外に見えるようにも貼っています。
車を外から見ると、写真やら何やら、いっぱい貼ってあって、賑やかですよ。
いつか、紹介しますね。
ああそうだ、私の印刷機はカラーコピーが出来ることを、初めて知りました。
何やってんだか。

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忘れえぬ女」です。
写真は、斜めからですが、こちらを見ています。
原画の色合いは、これと同じです。
ずっと貼っておきますよ。
大きな思い出になりましたから。

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この場所も変わりました。
山寺の写真を貼りました。
この写真で、あることを知りました。
ブログの写真は、縦になんぼでも長くできることを。
※ 今度、そんな写真をのせてみますね。 画素数を大きくして撮らないとだめかな。
逆に、サムネイルの写真は、パソコンいっぱいに横に伸ばせます。

ジャージの上の花は、今日買った物です。
これは、存在感が強すぎて、使えませんでした。

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温泉のことについて書いたこと無いので、かきますね。
それと、思い出に残った温泉を。

私は、温泉の建物に入って出てくるまで、30分はかからない。
湯船につかっている時間が短い。長くて5分。すぐ飽きる。
これは、子供の時から。母親はいつも、私が湯船から出ようとしたら、100数えたら上がっていいと言った。

ときどき、受付の人から、早いですねと言われる。それがいやだから、受付に戻るまで、15分以上かかかるようにしている。それでも、早いか。

下の写真は、野沢温泉。 唯一、無料だったところです。
水で薄める前は、熱かった。     ここ

野沢温泉

九州の山の中で、こんな温泉に出会った。
お風呂に行ったら、先客が何やらしゃべっている。湯船の湯に何かが浮いている。ここにその名前は書けないが、それに似ている。何人かいたが、誰も湯船に入らない。みんな体を洗ったら出てきた。
そのことを管理人に話したら、今朝は湯を全部取り替えたんだけどな、って言っただけだった。

湯船のそばで、ぐっすり寝てしまった人にも出会った。

体を全く洗わないで入る人もいる。
かけ湯をしてから入ってくださいと、よく書いてあるが、これはダメですね。いいのは、体を洗ってから入ってください、ですね。

下の温泉は、赤倉温泉の、湯守の宿三之亟。  
湯船の下が、岩盤。 隙間から、お湯が出てくる。
こんなの、他にあるのかな。
一度行ってみる価値がありますね。混浴ですし。    ここ

しょう湯守の宿三之

この前道の駅で会った人は、ここの温泉はよかった、あそこの温泉はどうだったとか、うるさいくらい講釈した。私にとっては、どこの温泉も同じようなもんだ。高くても安くても。清潔だったら、文句なし。
でも、ラーメンのように、ああだこうだ言えるようになったら面白いかな。

一度も入ってない温泉がある。それは、真っ白い温泉。硫黄の温泉かな。一度入りたい。匂いが好きだ。

今日は、こんなとこで。
どこにも行かなかったので、今日はこんなことを書きました。


【今日の道の駅】    昨日に同じ。

【明日の予定】     天気は雨の予定ですが、何か探します。 北に向かいます。


《今日の音楽》     歌詞の一節が好きな曲を載せます。
            
              涙から明日へ(YouTube)  なぜ一人行くの、燃える頬ぬらして。 これが好きです。

              岬めぐり(YouTube)    哀しみ深く胸に沈めて・・。 これがいい。 

              北国行きで(YouTube)  いつも別れましょうと言ったけれど、そうよ、今度だけはほんとうのことなの。   何がいいかってかい。 それは、むずかしい。

     ※
昨日のブログは、書くのに時間がかかりました。
書く内容の順番を考えたり、自分の考えを整理したり、歴史的背景を調べたり、ノートを何度も読んだり、そんなのに時間を使います。 一度書いても、文章が気になると、また時間を使います。
今日はここまでって、終わりにしたのは、朝の3時半でした。

朝起きて読み直してみると、気になるとこがあちこちに。その修正に午前中2時間使いました。午後は、追記に40分。
もともと、文章を書くことなんか、そんなに多くない生活を送ってきたから、こうなってしまう。

ただ、面白くないかというと、そうではなく、結構おもしろい。
書くことによって、新しいことを考えたり、知ることが出来るからでしょうか。

昨日の絵が、どうして魅力的だったかと言うと、作者の考えていることが絵に反映してると予想出来たからですね。 もし、それがなかったら、10分も見れば十分でしょうか。

パリのルーブル美術館に、モナ・リザがあります。ずっと昔見たことあるんですが、何も知らないで行ったから、「これがモナ・リザだ」って言って、1分ほど見てお終いでした。見たという証拠を手に入れただけでした。

私は、今回調べたことで、「忘れえぬ女」が、本当に好きになりましたね。 作者のクラムスコイの人間性、また、この絵に吹き込んだ思い、も気に入りました。

質のいい複製画が売っていたのですが、大きかったので買いませんでした。
B4くらいの大きさで、いいのがあったら、手に入れたいと思います。
昨日は、印刷した写真を1枚買っただけでした。

      
今日はどうしようかと地図を見ていたら、近くに「焼走り熔岩流」というのがあった。そばに温泉もある。丁度いいと思って出発。  場所は、ここ

噴火の跡は、桜島や、美瑛の望岳台で見たが、ここは違った。
上の二つは、噴火で岩が飛んできたけど、ここは、熔岩が流れて冷えてできたそう。
石が、ゴロゴロあるんだけど、普通の石とはちがった。
軽石のようだけど、そんなに軽くはなかった。
     桜島の噴火の跡はここに。    十勝岳の爆発はこれ
カメラを持って歩き出したら、雨が降り出してきた。
写真の左の方が白いのは、雨。向こうから雨が襲ってくるのが見えた。
この後、すぐに戻った。

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しぶとく木が生えてる所もあった。 
木の葉が集まったりした所に、種が飛んできて育ったそうだ。 監視員の人がいて、教えてくれた。

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石は、このように、円いところがない。

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上の写真の場所は、駐車場から近い。
この時、実は、駐車場ではあることで、人が集まっていた。
それは、ここの場所は岩手山の麓だが、山に登った人で連絡が取れない人がいた。今日の朝は、強い雨だった。今は、午後の3時に近い。
遭難のニュースはないから、きっと見つかったと思う。
山は、たいてい携帯が使える。 携帯で何度も連絡を取ろうとしていた。

この後、そばの温泉に入った。
帰りに、別の場所に行って、焼走り熔岩流を見た。
広く見渡せた。 正面の山が、岩手山。 2038㍍。

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いつ噴火したかというと、1732年。
広さは、縦に2.8㎞。 横は広いとこで、1㎞。
厚さは、5㍍~10㍍。
水がすぐ下に落ちていくので、木や草は生えないそうだ。
夏のここの気温は、40度を超えるとあった。

大きくなります。
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遊歩道があったが、ゴロゴロした石の上は歩きにくいので、行かなかった。

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宮沢賢治がここに来て、詩を作った。
どんな詩を書くのだろうと想像した。
自分は、これを見ても、「すごいなあ」くらいしか思わない。

大きくしたら読めます。右半分。
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左の部分。
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文章を書くとき、関心だけでなく、知識があった方が書きやすいのかなと思いますね。
それと、とにかく必要なのが、感性の鋭さでしょうか。
今日の自分を考えたら、あるとは思えませんでした。


【今日の道の駅】    石神の丘   場所は、ここ

【温泉】       焼走り温泉。  焼走り熔岩の駐車場のそば。

【明日の予定】     この近くを調べます。 十和田湖に寄るかどうするか。 ここが面白いとか、思い出の地だとか、誰か情報をくれたら、とんで行きますよ。 このところ、毎日雨が降るので、自転車で動けません。


《今日の歌》      銭形平次 主題歌(YouTube)  昨日、野村胡堂の「あらえびす記念館」に寄ったが、私の知りたい資料はありませんでした。 ただ、ソニーの初期の時代、野村胡堂がソニーを助けたことは事実でした。 ずっと昔のお金で1億円。

              パピヨン(YouTube)    見たのは、根室時代です。

               着物(YouTube)   山崎ハコです。 いいのは3分から。
    

     ※
この女の人の、心の中を知りたい。
そんな思いで、絵を見に行ってきました。
ほぼ、分かりました。

国立トレチャコフ美術館展。
忘れえぬロシア
会場は、盛岡市にある岩手県立美術館。 
展示作品数、75。

ロシアには、二つ大きな美術館があります。
エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルグ)と国立トレチャコフ美術館です。
モスクワにあるトレチャコフ美術館は、10万点以上の作品を所蔵し、年間133万人が訪れるそうです。
   トレチャコフ美術館
その中で、絶大な人気を誇っているのが、この「忘れえぬ女(ひと)」です。
ロシアのモナリザとも呼ばれています。

会場は幾つかの部屋に分かれており、メインの部屋の奥の真ん中に、この絵はありました。 大きな存在感をもって輝いて見えました。

作者は、イワン・クラムスコイ。 1883年の作品。 油彩。 大きさは、75.5×99.0。
この写真の色合いは、原画とほぼ同じです。

この表情です

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初め、絵の左側に立って見ました。 しばらくして、右側に絵を見ながら移動してみました。 彼女の視線は、私を追いました
傲慢な表情だという意見があるが、そうは見えません。

この絵が描かれた場所は、サンクトペテルブルグ。(昔のレニングラード)
冬の冷たい朝靄(もや)の中を、馬車でネフスキー大通りを通った時、クラムスコイと視線が合いました。
着飾ったこの女性(麗人)が誰かは、分かっていません。 クラムスコイは記録を残しませんでした。 今も、伝説に包まれています。 
この絵の原題は、「見知らぬ女(UNKNOWN LADY)」です。 

会場には、ほぼ2時間半いましたが、そのうちの2時間は、この絵の前にいました。 説明をメモしたり、絵を見て感じたことや気づいたことを小さなノートに書き続けました。 また、音声の説明が聞けるのを、首から下げ、イヤホンで聴いていました。

※ 大きくなります。
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絵について気づいたことは。

 
① 帽子の飾りにある、真珠のような二つのものが、実物では写真以上に輝いていました。それは、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の、真珠のような存在感でした。 その絵はここに
② 頬(ほほ)と顎に、うっすらと、が入っていました。
③ 唇に、つやを出している。(このような化粧品が、ありますね)
④ 服装は、黒で統一している。 ただ、髪は黒でなく、少し焦げ茶っぽい。 写真でも分かります。 朝靄でバックの家が霞んだのは、その黒を引き立たせるには、ちょうど良かった。 (引き立たせるために、朝靄にした)
⑤ 黒いリボンが胸に掛かり、とてもいいアクセントになっている。 体つきを豊かな感じにしている。
⑥ この馬車は、幌を上げた状態。
⑦ 手の状態がはっきりしない。 毛皮の手袋を浅くはいているのか。
⑧ 単純に、つんとした感じではなく、誇り高い感じに見える。
⑨ 近づくに従って、目の表情がはっきりするため、心の中の想像がしやすくなった。
⑩ 耳は、下の写真より色が白く、薄く感じる繊細な耳。
⑪ 耳の前の髪は、小さくカールしていますね。
⑫ 髪は後でまとめていると考えていいでしょうか。
⑬ 頬から顎にかけては、ふっくらとしており、小野小町と共通のものを感じた。
⑭ 誘惑の視線とも言われているが、そうも見えるし、そうでなくも見える。
⑮ 目を至近距離でみると、潤いがある。
⑯ 保存状態がとてもよく、近づいても、ひび割れは全くない

誇り高い、端正な顔立ちです。
  ※ 右から見たら右を、左から見たら左を見ますよ。

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本題に入ります。 心の中についてです。
まず、クラムスコイはどんな人間だったかです。
説明に、こうありました。

サンクトペテルブルグには、美術アカデミーという組織があった。 約束事や厳格な行動基準があって、彼はそれに反発した。 アカデミーを脱退した。 彼は、常に民衆の立場に立ち、民主的理想を胸に、リアリズムを追求した。
この作品を描いた1883年は、ロマノフ王朝の時代。 30数年後、1917年のロシア革命で王朝時代は終わりをつげる。 そういう時代。

そして、こうありました。(想像で)
彼は、社会の中での女性の平等といった、来るべき新しいロシア社会の到来を見据えていたのでしょう。 それは、忘れかけていた人間の誇りだったかもしれません、と。

説明は、ここまででしたが、これで分かりました。

この女性の、尊厳と誇りに満ちた表情は、クラムスコイのアカデミーに対するものでした。 また、その時代の社会、つまりロマノフ王朝に対するものでもありました。 個人の自由や尊厳が抑圧された時代であり社会でした。
彼は、女性の美を借りて、自分の意志を表現していました。

それは、クラムスコイが、一番描きたかったものでした。 また、描かなければならないと考えていたものでした。 考え方によっては、この絵は、クラムスコイの自画像と言ってもいいかもしれません。

これは、本物の自画像。 何かを思っている目ですね。
映画のパピヨンの中で、命をかけて自由を求めた、スティーブ・マックイーンの目と同じですよ。  ※ここに
権力や社会の矛盾に対して挑戦する目です。 もちろん、鋭く見抜いて。

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クラムスコイは、絵の中の女性を知っていたのか、という問題です。
想像ですが、知っていたと思いますね。
この人の考え(思想)も知っていた。
その日、通ることも。

これだけの服装をしているから、上流階級です。
でも、そういう人の中にも、今の社会に矛盾を感じてる人は、います。
その女性は、クラムスコイを見て、何らかの表情をし、気持ちを伝えたと思います。 それは、私もあなたの考えと同じですよ、かもしれない。
クラムスコイは、女性の表情に、自分の心の中の表情を重ね、この絵を生み出したと考えます。

絵の題名は、彼はその女性を知っていたし自分を重ねていたから、反対の「UNKNOWN LADY(見知らぬ女)」にしました。 知っていたから、記録に残さなかった。 そう思います。

※追記  別の考えです。 もしかしたら、この二人は、綿密な打ち合わせをしていた可能性がある。モデルを彼女にお願いした。馬車に乗っている姿は、別の場所でも描ける。服装も表情も要求したかも知れない。望む表情は分かっているし、彼女の内面を知っているから、彼女がそういう表情を作れことも知っている。 外に対して、そのようにして描いたとは言えない。見知らぬ女にすれば、一瞬を捉えて描いたことになる。 どうでしょう。この可能性はありますよ。彼女の身なりが、あまりにも完璧なので、そう思いました。 考えすぎでしょうか。

今日は、この絵の女性の心の中が、何とか見当がつきました。 想像の部分が多いですが。
女性の美しさには、男にはない、大きな力を持っているように感じました。
いい絵を見ました。


これは、トルストイを描いたもの。

トルストイ

この女性の心の中も、いろいろ想像できますよ。

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クラムスコイの絵には、そういうものが多いと、説明にありました。

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「忘れえぬ女」の、絵の前から去るとき、最後に、2メートルほど離れて正面から彼女の目を見つめました。 彼女もこっちを見ます。 私は、クラクラッとなって、後に倒れそうになりました。(笑)

何時か、また見る機会があれば、もう一度見たいと思います。



【今日の道の駅】     にしね   場所は、ここ

【明日の予定】      北に行こうと。 明日は、のんびりするかな。


《今日の歌》      モスクワ郊外の夕べ(YouTube)    

               コロブチカ(YouTube)   いつものとは、違うのを。

     ※
宮沢賢治は、昔は読んだが、最近は読んでない。
それでも、記念館があるので行ってみることにした。

途中、道の駅みやもり があるので寄った。
この鉄橋は、道の駅のすぐそばに。 
眼鏡橋と呼ばれている。  場所は、ここ
この橋のイメージが、銀河鉄道の夜になったと言われている。

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冷やしわさび蕎麦を食べた。 立ち食いの小さな店。
わさびの茎がいっぱい入っていた。 辛い。

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客は私だけだったので、店の女の人と話せた。
こんな話しをしてくれた。
宮沢賢治は、銀河鉄道の夜を書く前、この眼鏡橋にやってきた。
そして、寝っ転がって、鉄橋と星空を見ていたと言う。

この後、宮沢賢治記念館に向かった。
見晴らしの良い、丘の上にあった。  場所は、ここ

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これは、「よだかの星」をイメージしたもの。

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鳥の仲間に相手にされなくて、星になって死にたいと思った。
星にも冷たくされた。
泣きながら、空高くを目指して飛んで行った。 そして死んだ。  星になった。

小学校4年生の時だったかな、その時の劇が、よだかの星でした。
初めて宮沢賢治を知りました。
今の日本の社会から、まだ、よだかの星の世界は消えていませんね。

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宮沢賢治は、花巻農業高等学校の教師をしていたことがある。
今でも、このように花を飾ってくれている。

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花巻の農学校に勤めているときに、貧しい農村のことを知った。
農学校をやめて、農民のために、肥料や稲作の指導に力を尽くした。
いそがしさのあまり、体をこわし、燃え尽きるように死んでしまった。
37歳。
雨二モマケズ、の中に、丈夫ナカラダヲモチ、とあるが、本心そう思っていたことが分かります。

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本を書くときも、それに没頭したとあった。
疲れ切ったら、書いた字が、お辞儀をしていたとあった。

原稿用紙の字は、決して上手ではなかった。
中身のレベルが高くなったら、字のことは、どうでもいいことにるのかな。

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真ん中の山の向こうに、早池峰山が霞んで見えた。

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注文の多い料理店」があったので、入らなければと、入った。

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素敵な店でした。 久しぶりですね。
文は全部、お話しの中にある、ことば。

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お客が食べるのではなく、食べられるためのお店ですね。
お話しの世界はですよ。

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帽子も外套も、食べるためには、じゃまですからね。

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これと同じなのは、お土産屋さんにはなかった。

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座った席のすぐ横に。

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これは、前に。 リンドウ。

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これも、よこに。

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面白い名前の料理を探しました。
やまねこ雑炊にしました。 
ネコまんまとは違って、雑炊です。
お世辞でなく、美味しかったですよ。 650円。

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この店は、プロのインテリアデザイナーが関わっている、そう感じました。

宮沢賢治記念館に行ったんだが、こういうとこは、何かつまらない。
写真は撮れないし、資料は複製だし。
勉強するってことでは、いいんだが。
それだって、今は、インターネットで何でも分かる。

そう言う意味で、今日は、橋を見たり、注文の多い料理店で食べる方が、面白かったかな。

宮沢賢治も、人のためになろうと思って生きた人ですね。
その事は、今日、はっきりしました。

忘れてました、こんなのを買いました。 絵はがき。

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今の時代、このことに気づくのは、そう難しいことではない。
でも、昭和の初めに、こう言うんですからね。
すごいですよ。



【今日の道の駅】    とうわ    場所は、ここ

【温泉】          日高見の霊湯東和温泉   道の駅の中に。

【明日の予定】     あたえびす記念館に。 記念館という問題はあるが。 時間に余裕があったら、あの絵を見てしまうか。 盛岡で。


《今日の歌》      砂の祈り(YouTube)  この人は、世界が等しく平和であるようにと・・。  

           ケ・セラ・セラ(YouTube)  スパニッシュバージョンです。 いいですよ。  どうにかなるさ、って歌ですね。



     ※
柳田国男遠野物語を書き、遠野の町は、全国に知られることになった。
その町です。

カッパ淵に行く前、道の駅で「カッパ捕獲許可書」を買った。 200円。
裏に、捕まえたときは、皿を割るなとか書いてあった。  
気を付けなければ。

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街外れにある。  場所は、ここ
駐車場に車を置いて歩いた。 常堅寺という寺の境内を通り過ぎたら、川が見えた。
これが、カッパ淵

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緑に囲まれ、感じのいい川だが、と言われる深くなって水が溜まっている所がない。 観光客が結構いて、「これなら、人を水の中に引き込めない」とか、話してた。
私も、もうちょっと、雰囲気があればなあと思った。

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小さな祠があって、その中には、いろんな物が。  おじいさんの写真が?

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こんな木彫りのカッパが。
このカッパは、遠野ではどこでも売っている。
少し、つぶれた感じ。 カエルみたいでもある。 皿はちゃんとある。

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これは、少し雰囲気がちがう。 
おっぱいがあるので女のカッパ。

ここのカッパは、馬を引きずり込んだりして悪いことをしたけど、謝って許してもらった。
今は、母親とその子供の守り神として、大事にされていた。

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上のカッパ、四国でのブログの、ニホンカワウソに少し似てる。

ニホンカワウソ

  カッパ淵の説明。
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私は、どうしてカッパの話しが生まれたのか、その元になるのが知りたかった。
カッパ淵の説明では分からなかった。
後で、少し分かる事になる。

カッパ淵のそばに、池があった。 淵の感じだ。
説明があった。
それには、いつかカッパが帰って来たとき、淵がなかったら困るだろうからと、地元の人達が造った。
地元の人も、今の川では、カッパは住めないと考えていた。

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この寺が、常堅寺。  カッパ淵は、この裏に。

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昔、寺が火事になったとき、カッパが皿の水で消してくれたという。
それで、寺には、1対のカッパ狛犬(こまいぬ)があった。

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観光のための施設はあったが、行かなかった。 伝承園とか。
昔のままの水車があると聞き、行ってみた。

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行ったときは止まっていたが、手で動かしてみると回り始めた。

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中は、こんな感じ。

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この地方には、南部曲り家と呼ばれる家がある。
千葉家が、昔のままなので行ってみた。  場所は、ここ
今も人が住んでいる。 大きい。 

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昔は、庄屋。 使用人15人。 馬20頭がいた。
国の重要文化財に指定されている。

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中には、昔の物が展示されていた。

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馬屋もあるから、全体はコの字の形。
家の前が広い。
写真で見ると、悪くはないが、保存状態がよくない
どうしてかなあと、思っていた。

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ここが、入り口。 遠野の市街地は、写真の右奥。

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家の下の方に、受付があるのだが、そこの人に聞いてみた。
カッパのことと保存状態のことを。
  (その人は、千葉家のおかみさんだった。)

面白いことを言ってくれた。
この遠野には、カッパ伝説の有るとこと無いとこがあるという。
この地域には、ない。 それは、昔からを作っていて、それなりに生活できたから。

米を作っていなかったところに、カッパ伝説が残っているという。
それは、座敷童子の話しもそうだという。

米を作っていないと貧しい。 アワやヒエだ。
子供が多すぎると、食べさせれない。
どうするか。 山に捨てるか、川に流したそうだ。

この事実があると、話しはなんぼでも生まれる。
生まれた子が急にいなくなったら、カッパにさらわれたことにもできる。

昔だって、我が子は我が子だ。
子を思う親の気持ちは、変わらない。
夜、亡くなった子を思って寝られないときに出たのが座敷童子でないか。

母さんの話を聞いてて、いろいろ想像することができた。
他にも、話しが生まれる元になるものはあると思うが、なるほどと思った。

保存の話しについては、市の管理にならないのかと聞いた。
母さんは、はっきりとは口にしなかった。
でも、この岩手県は、政治の面で多少ゴタゴタしている。
そのことと関係あるなと思った。
個人で管理するのは、無理なところにきている。

全面改修には、6億かかると、試算されているそうだ。
市が、そして、県がどう考えるかにかかっている。

遠野物語の本を、そこで買った。

この町に来て、いろいろ見学して、不思議なことがあった。
それは、一度も、柳田国男の名前が出てこない。
遠野物語が無かったら、いまの遠野はないのに。

母さんがヒントをくれた。
遠野物語は、地元の佐々木喜善という人が柳田国男に話したのをまとめたものだ。
地元は、佐々木喜善の方を大事にしていた。 記念館もあった。

遠野物語は、どうして有名になったか。
それは、中身だけでなく、文章が優れていたから。
それがなかったら、だれも読まない。
柳田国男が書かなかったら、決して世に出ることなかったと思う。
遠野市は、そのことに、気づいてくれたらいいなあと、思っています。

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続石という変わった石があるというので、見に行ってきた。
こんな注意が。 やっぱり、撃退スプレーを用意しないとだめだ。 どこにしまったか。
他にも人がいたので、気にはならなかったが。 

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弁慶が持ち上げて造ったという伝説がある。
この地域の人達が、弁慶に親しみを持っていた証拠かな。

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一つの岩の上の載っている。
隙間は、らくらく人が通れる。 私も通った。 

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遠野市には、大きな期待を持ってきたけど、少し残念でした。
この町の若い人達の考えが、この町の将来の発展を左右すると考えます。

ただ、道の駅の人も、この土地で出会った人達みんなが、ここの豊かな自然と同じように、やわらかで素敵でしたね。 
それがよかったです。

※追記 朝、出発するとき、一人の男の人が声をかけてきた。 私より少し年上。 すぐそばに住んでいる。
北海道の石狩で働いたことがあるという。 愛別には親戚がいると。
私を見て、北海道を懐かしく思い出したようだ。

いろいろ話して、もう一日遠野に居れないのかという。 そして、うちに泊まって行けと。 私の予定は、あってないようなもんだけど、甘えるわけにはいかないから、しばらく話して、遠野を出ました。


【今日の道の駅】   昨日と同じ。 遠野風の丘

【温泉】    この町に温泉はない。  近くに静養園という所に沸かし湯があった。 210円。 わたしは、温泉でなくても十分。 温泉について書いたこと無いので、いつか書きますね。

【明日の予定】    花巻に向かいます。 


《今日の歌》     ケ・セラ・セラ(YouTube)  ジュディ・オング  この人も私も20歳くらいの時だったかな、会ったことあります。 握手しました。

           ケ・セラ・セラ(YouTube)    ドリス・デイ  本家です。

          コロブチカ(エムズの片割れ)   新潟の記事の日が、これでしたね。


 

     ※
予定していた道の駅は、ネットがだめだった。 
山の中過ぎた。
それで、遠野まで来てしまった。
着いたのは、7時過ぎ。 あ~あ。


朝、遠野の方に向かうことにした。
地図に、ここから遠くなく、達谷窟が載っている。 
何だろう。 読み方も分からない。 窟は洞窟の窟だ。  
期待はずれが何度もあったので、大きな期待はしないで出発した。
   場所は、ここ。 
着いたら、駐車場はあるし、いくつか建物もある、おまけにお金もとられそうだ。
仕方ないかと思って、車から出た。
そうしたら、一人の男の人が近づいてきた。
ここを見るのかい、と言う。 そうです、と言うと。
拝観券余ってるからあげるよ、と言う。
28人で来たんだが、30人の団体で券を買ったそうだ。
1枚を私にくれた。

仙台の北にある、美里町からバスで来た。 町内会で。
その人は、責任者。
また、頂いてしまった。
※ 何日か前の朝、ある人から、キュウリの料理したのを頂いたことも。

そんなことがあって、見物開始。 
いい縁起話でもあればいいなと思って。
結論を言ってしまえば、まあまあだったでしょうか。

ここから入っていった。

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毘沙門堂
こういう所にお寺のお堂を建てるのは、時々見る。
どうして、洞窟のような所に建てるのか、聞いてみればよかった。

どこかの建物に、少し似てると思いませんか。
寺の話では、京都の清水の舞台を模(まね)て、作られたそうです。

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どうして、ここの窟(いわや)に毘沙門堂があるのか。
寺の縁起では、こうなっていた。

今から、1200年ほど前、悪路王という悪党がいた。
女・子供をさらう等、悪いことばかりしていた。
国府というお役所も、抑えることが出来なかった。

そこで登場するのが、坂上田村麻呂
征夷大将軍に任じられ、蝦夷征伐にやってきた。

悪路王の陣地は、毘沙門堂のある窟(いわや)だった。
家来は、3000人。
坂上田村麻呂との戦いは激戦になったが、最後は首をはねられた。

田村麻呂の蝦夷征伐は、ここの戦いをもって、終わった。 田村麻呂の守り神は、毘沙門天だった。 それに守られたと、感謝した。 それで、京都の清水寺に似せて、毘沙門堂を建て、毘沙門天を祀った。 窟に建てたから、窟毘沙門堂と言われる。 (別名は窟堂)
※ そういえば、山本勘助も毘沙門天を守り神にしていた。 自分は、毘沙門天の化身とも言っていた。

下の写真は、毘沙門堂のとなりの岸壁にある、麿崖仏(岩面大仏)。
前九年・後三年の役で亡くなった者を供養するために造られたという。

この戦いには、義経をやっつけた頼朝の、4代上の源義家が来ている。 そのとき、ここで戦勝祈願をした。
また、頼朝もここに来ているそうだ。
他に、藤原氏の初代清衡は、ここに、建物(七堂伽藍)を建てたと伝えられている。

この寺は、昔は、なかなかの寺だったようだ。

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下の写真は、毘沙門堂の舞台から眺めたもの。

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毘沙門堂の中。  

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昔、毘沙門堂が火事になった時、この大杉が延焼を防いだという。 枝の半分を焼きながら。

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姫待不動堂という。 面白い名前。
上に書いた悪路王が、京から姫君をさらってきた。
後年、姫君のために、2代藤原基衡が建てた。 平安後期のもの。

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これは、本堂。

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この後、道の駅みずさわに向かった。 途中に、ジャスコとホーマックが並んでいた。 駐車場が広いので寄って買い物をした。

買い物のことは、いつもは書かないが、何を買ったかと言うと、
ジャスコでは、五穀ご飯のレトルトパック。 安かった。 110円くらい。 あるだけ買った。
ホーマックでは、26センチのフライパン。 小さいと、材料が重なって、うまく焼けない。
他に、蚊取り線香や水など。

お酒や、納豆など、コンビニで買える物は買わない。
コンビニで何かを買って、ゴミを捨てなければならないから。
ホーマックでは、ゴミを捨てた。

買い物から車に戻ったとき、隣りの大型トラックの人と話した。
宮沢賢治が好きだと言う。
花巻の、宮沢賢治記念館はいいと言うので、行くことにした。

また、花巻に、「あらえびす記念館」があるという。
これは、銭形平次を書いた野村胡堂のだという。
そして、この人とソニーの創業者の盛田昭夫との関わりを教えてくれた。
この話は、面白い。
詳しく調べて、数日後に書きます。

道の駅みずさわは何も無いというので、道の駅種山ヶ原に向かった。
着いてすぐ、ネットが大丈夫か調べた。 ダメだった。 全くダメなのは初めてかな。
高原の山の中で、道の駅と温泉しかない。
温泉に入って、道の駅遠野風の丘に行くことにした。

道の駅種山ヶ原は、宮沢賢治との関わりがあった。
何かありそうだったが。

歌碑を写真に撮った。

の2

大きくなります。  読みにくいので、原文をネットで探したが、なかった。

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湯船がヒノキの、いい温泉でした。
湯がいっぱい出てきて、せせらぎの感じで。 

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今日は遠野まで来たので、いそがしくなりました。
その日の道の駅には、5時頃までに着きたい。


【今日の道の駅】  遠野風の丘   ここ

【温泉】        遊林ランド種山   ここ。   道の駅種山ヶ原はそぐそば。

【明日の予定】    遠野で、河童をさがします。


《今日の歌》   アスタ・シエンプレ(You Tube)   ナタリー・カルドンが歌ってるのを。 この歌につて詳しく知りたい方は、ここに。

        オー・ソレ・ミオ(You Tube)   ダリダ  この人のが一番いい。

    画面はゴッド・ファーザー 曲名は?(You Tube)   久しぶりに、いい曲に出会いました。

     ※
道の駅の名前が厳美渓だから、それを見て、どこかに行こうと思っていた。
道の駅の看板に、「骨寺(ほねでら)村荘園遺跡」があった。
名前に惹かれる。 渓谷を見た後、行くことにした。

厳美渓は、長さ2km。 そのいい部分を見た。
有料駐車場やお土産屋もある。 小さな観光地。
高千穂峡とか見てるから、感動するのはむずかしい。

それでも、まあまあの感じ。

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ツツジのようなのが、まだ咲いている。

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この川に、大変な苦労で、橋を架けたとあった。

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こんな穴がいたるところに。 どこも、ゴツゴツしてない。

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若者が、柵を越えて遊んでいた。
一人が、川をのぞいていたら、後ろから脅かしていた。

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道の駅から歩いた。 途中にこんな実が。

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骨寺村荘園遺跡は、10kmほど山奥に。 向かった。
駐車場に車を停め、案内所で地図をもらった。
500mほど離れたところに神社がある。
そこに、説明してくれる人がいると言う。

その神社がこれ。 説明を聞いたのは、私を含めて5人。
神社なのに鐘がある。  説明の後、鳴らした。

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本殿の横に、こんな石像が。
頭は折れていて、乗っかってるだけ。
この像に、代々伝わる話をしてくれた。

それは、子供が具合悪くなったら、ここにお願いに来る。
その時は、いつも頭が落ちていると言う。
そうでない時に、落ちることはないと。 それだけの話ですが。

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下は、今の航空写真。 赤い丸が神社。(駒形根神社)
赤い線のところを歩いた。 1時間半。 のんびり。

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これが、昔の地図。
何が珍しいかの問題。

荘園の古地図は、現在日本に40枚ほどあるという。
その中で、古地図とほぼ同じに残っているのは、ここだけだそう。
「骨寺村荘園遺跡」として、国史跡に指定されてる。
国の重要文化的景観に選定されてる。

どこの家も、許可なしに改築は出来ない。
景観のすべてを、自由に変えれない。
世界遺産を目指している。 (こういう所は多いが)

赤い丸の所に、今の神社が。

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上の地図の黄色の丸の中に、骨寺堂跡と書いてある。
これが、骨寺村の名前の由来。
どうして、こんな名前が付いたのか。
それは、岩の穴に骨を置いた(埋葬した)からという。
山寺の岩の穴と同じです。
骨は風化してしまって、見つかるのは歯が多いそう。
※ 今は、骨寺が本寺になって、ここは本寺地区と呼ばれる。

荘園って言うから、時の権力者に税を払わなくていい。
ここは、誰の荘園だったかというと、中尊寺の経蔵を管理する責任者のもの。
昔から、中尊寺との関わりが深かったと言う。

下の写真の所があるのだが、道が整備されていないため、行けなかった。
この地域は、多くのところで発掘が行われている。
観光面での整備も。

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今の中尊寺は平泉にあるが、ずっと昔は、ここにあったんでないかと、発掘してる人たちは考えている。 その証明が出来ることを願っていると言う。

ただの風景。 家は見えない。 神社から、地図の下のほうを撮影。
ところが、見えないのは、イグネという風を防ぐ林があるためだそう。

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反対側。地図では、神社の右上。

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歩いた。 ヘビが時々出ると言うので、楽しみにした。
熊が出るので、森には地元の人も入らないそう。

こんなのがあった。 何だかな。 高さ1m。

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遺跡。 荘園時代ここに家があった。 柱の跡や土器類が見つかった。

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歩いた赤い線の下まできたら、このように家が見えた。 左のほう。

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こっちは、右。  何も見えなかったのに、驚きです。

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お昼を食べないで、2時過ぎに歩いていたから、疲れました。
楽しみにしていた、マムシは、出てきませんでした。
いつか山の中に入るときは、熊よけの撃退スプレーを持たないとだめかなと思いました。

帰るとき、説明してくれた人に会った。
どこに行くのと聞くから、決まってないと言った。
地震の跡を見に行ったら、と言った。

何のことだと思った。
そうです。 去年、岩手・宮城内陸地震があった。(6月14日)
橋が折れるように壊れた。 テレビで何回も放映した。
その場所が、ここから10kmという。
行くしかない。
荘園より見たかったとは、言えなかった。

山の斜面が、何箇所かで崩れていた。

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5kmほど走った所から、道のほとんどに、工事の跡があった。 今も続いている。

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新しい橋が出来ていました。 戻るときに撮影。
この事故で、二人が亡くなっている。

どんな揺れ方をしたのか。 山が揺れたのか。

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この道は秋田の湯沢の方につながるが、橋から少し行ったら、通行止め。
こんな機械で削ってた。

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今日、骨寺村荘園遺跡を見ました。
日本のいろんなところで、昔を残す取り組みをしています。

壊すのは、いつでも壊せるから、考え方に、もし明確な部分がなかったとしても、とりあえず残すのがいいかなって思います。

残す意義も、残す方法も、これからもっと研究されて、いい方向に向かいます。
それまで、とりあえず壊さない。 それが大事でしょうか。

どこだかで、遺跡を掘った。
でも、十分な調査に不安があった。
その町は、後世に調査を委ねると、また埋めた。
いい方法だと思います。

九州の吉野ヶ里遺跡で、発掘することは壊すことでもある、と聞きました。

地図にも観光情報誌にもない、今日のようなのが面白いです。
自分から、見つけようとしないと見つからない。 


【今日の道の駅】    昨日と同じ。 厳美渓。

【温泉】          同じ。

【明日の予定】      近くに、1箇所気になるところがあるので、そこに寄って、その後どうしましょう。  
※ それから、「忘れえぬ女〈ひと)」という絵を、盛岡で見ることが出来ます。 盛岡には、数日後必ず行きます。 この絵については、別の日に。 
とりあえず、絵だけ載せましょうか。 こんなのです。 どこかで、見たことあると思います。 

忘れえぬ女


《今日の歌》    カリンカ(You Tube)   上の絵がロシアなので。 40秒過ぎから、変わったメロディが。

                        ロシアの最近のヒット曲をひとつ。(TouTube)

                             セラ(You Tube)   メロディという人が歌ってる。 スペインの歌手。 現在19歳。 南米でも活躍。  今日のは初めての画像です。  この人は、こんな人。 

     ※
頼朝は、なぜそんなに、一人の人間を恐れたのでしょうね。
義経の平氏討伐の活躍を、誰よりも知っていたのは、頼朝でした。
自分の地位を脅かすのは、人身掌握にも長けた、義経しかいないってきっと考えた。
それで、義経を恐れた。
今日、義経堂の前に立って、そう思いました。

朝から雨は、降ったり止んだりだった。
中尊寺の駐車場に着いた時、雨は止んでいた。   ここ
大きな杉に囲まれたゆるい坂を上った。

これは、弁慶堂。  義経と弁慶の木像があった。 (撮影禁止)

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雨が降ってきた。 霧雨か小ぬか雨の感じだ。
ついてると思った。
五月雨の 降り残してや 光堂」の写真が撮れると。

傘をさしてだから、撮りにくい。
金色堂だけ、どやったら、明るく撮れるか。
たくさんのうち、この1枚が、何とかその感じになったかなと思うんですが、どうでしょう。
※ 雨は、小さすぎて、写っていません。
※ この後、雨が止んだときのを撮りますが、まったく変わります。

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上の写真は、実際は、覆堂を写したもの。
中に、金色堂がある。
※ 撮影禁止なので、写真を撮影。

金色堂は解体修理されているが、屋根の一部に昔の木材が使われてるのが分かった。
とにかく、金ピカ。

金色堂

阿弥陀如来を中心に、たくさんの仏像が。
この仏像の下の、須弥壇(しゅみだん)の中に、清衡・元衡・秀衡・泰衡の遺体(ミイラ)が安置されている。 全員の血液型が分かってるそう。

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芭蕉が、ここに来たのは、1689年の6月29日〈新暦)。 3日前だ。 一関に泊まってここに。
句は、上にも書いた、
 「五月雨の 降り残してや 光堂

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松尾芭蕉像。 奥の細道の中尊寺の部分が書いてあった。

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古い覆い堂。 近くの場所に移築した。 それを、修理していた。
中は、こんな感じ。

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この絵は、義経と秀衡が、対面した場面。

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雨が止んで普通に撮影。 こんな感じ。

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義経堂(ぎけいどう)に行くため、中尊寺を出た。 そこに、弁慶の墓があった。
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この絵は、義経堂にあった。

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弁慶の墓を見た後、道の歩道で、地図を見ていた。

そこに、下校途中の女の子が、私に声をかけてきた。
「おじさんなにしてるの」と。
義経堂へ行きたいんだけど、どう行けばいいのかな、って言った。

その子は、義経堂を知っていた。
地図をいっしょに見た。
そして、「あそこで曲がるんだよ」と、教えてくれた。

何年生なのと聞くと、1年生と言った。
ありがとう、気をつけて帰ってね、と私は言った。
女の子は、にこっとわらった。
めんこいなあと、思いました。

不審者に気をつけなければならない時代だ。
こういうことは、ないと思っていました。

小高い丘の上に義経堂はあった。 北上川が見渡せた。

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中に義経像が。

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これは、上の像を横から見たもの。 (パンフレット)
こっちの方が、凛々しいか。
でも、この木像少しイメージが違うかな。

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夏草や 兵共が 夢の跡」と、芭蕉は詠んだ。

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北上川です。  左から、衣川が流れ込んでいる。 

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上の写真の左側を拡大。
写真の中央辺りで、衣川の合戦があった。
義経と泰衡が戦った。(義経は泰衡の急襲を受けた)
弁慶立ち往生して討ち死にする。

「夏草や・・」の句は、ここを眺めて生まれた。

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義経は、三代秀衡を頼ってここに来た。 少年期にも頼朝に追われここに来ていた。 頼れるのは、秀衡しかいなかった。

でも、秀衡は亡くなる。 四代泰衡は頼りなかった。 頼朝の策略にはまる。 義経を攻め、最後は自分もやられる。 秀衡だったら、きっと一緒に戦った。 結果はどうなったかは分からないが。 知略に長けた義経がいる。 簡単には負けなかったと思う。

尿前(しとまえ)の関や鳴子の名前の由来になった子も、その母も一緒に自害した。
どこかに生き延びてほしいと言う、人々の願いが、たくさんの伝説を生んだ。
無理と思うが、生き延びたと言う、新しい資料が発見されたらいいなあって思う。

芭蕉は、義経を慕い、ここに来た。
藤原氏の栄華や義経を思い、名句を作った。
320年前の今日の夜は、封人の家で、馬の尿(ばり)の音を聞きながら寝ている。
明日の朝、出発する。  ※追記(3日朝) いい天気になりました。 快晴です。 
山刀伐峠を超えたら、日本海側だ。
人との出会いが待っている。

中尊寺は、秀衡・義経・芭蕉をとても大事にしていました。
寺だけあっても、そんなに人は来ないのに、平日の今日、雨の中、たくさんの人が来ていました。
義経・芭蕉の大きさには驚かされます。
中尊寺はお寺だけど、二人はこの寺にとって神様です。

芭蕉については、これで、一段落ですね。


【今日の道の駅】    厳美渓(げんびけい)  ここ

【温泉】   宝竜温泉 かんぽの宿一関  600円  道の駅の近く。 設備が整っていた。

【明日の予定】   厳美渓を見ます。 その後、北に向かうか、太平洋側に行くか、迷っている。


《今日の歌》   北上夜曲(You Tube)  

           ビリーブ(You Tube)

           わすれ雪(エムズの片割れ) 車の中で、今日はこればっかり。  この歌が出来たいきさつが分かりました。 この人の本で。 いつか書きますね。

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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