キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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天城峠を歩いてみました。
昔の俤(おもかげ)が残っていました。

トンネル(天城山隧道)の入り口で、伊豆の踊子に会いました。

写真は、遅くなります。
とりあえず、1枚を。

IMG_7462dfg.jpg

Vistaの調子が悪いの、写真が載せれません。 これは、XPで。

やっと復活。


追記

下田に来ました。
夏のように暖かい。 半袖の人がいます。

追記から、新しいパソコンで書いています。
実は、一昨日、伊豆市で買っていました。 Vistaで書くのは大変になってきたので。
ソニーのVAIOです。 画面のサイズは、16.4型ワイド。 縦は、前のと同じかな。
地デジが録画できるというので、これにしました。 後は、見た目。

昨夜は、Vistaで写真を載せ終わってから、新しいパソコンを使える状態に設定しました。
終わったら、朝でした。

少し使ってみての感想ですが、速いということと、写真がきれいと言うことでしょうか。
ネットが混んでいるとき、どうなるかは、まだ分かりません。

※今困っているのは、画面を隠したら、どこに行ったか分からない。(追記 分かりました)


この下から、本文です。


天城峠を歩くことにした。  場所はここ

車は、現在地のPに置いた。 ここから、寒天橋まで行く。

9年10月31日 (6)

新しい道は、右にある橋を渡って、トンネルを抜ける。
旧道は、右にある川の左を、川に沿って上っていく。
天城トンネルまで、1時間はかからない。

9年10月31日 (7)

伊豆の踊り子は、川端康成が19歳のときの経験をもとに書いている。
大正7年(1918)のこと。
その時は、バスも通っているから、当時もそれなりの広さはあった。
小説の中の踊子も青年もここを歩いて上った。

左に、碑があった。

9年10月31日 (8)

伊豆の踊子の碑。

9年10月31日 (9)

4行目からは、こう書いてある。
雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

9年10月31日 (10)

氷室があったので行ってみた。 初めて見る。 こんな説明が。

9年10月31日 (11)

この辺りになると、冬は寒いのか。 
氷を作り保管する手順が。

9年10月31日 (12)

氷を貯蔵する小屋。

9年10月31日 (13)

ここで、水を貯めて氷を作った。

9年10月31日 (14)

峠を上り始めたころは、川はすぐ下にあった。
ここでは、谷は深くなり、川ははるか下に流れている。

9年10月31日 (15)

道は、ずっと山の斜面にあった。

9年10月31日 (16)

トンネルが見えてきた。 

9年10月31日 (17)

これが、昔の天城トンネル。 昔のまま。(修復はあるが)

9年10月31日 (18)

正式な名前は、天城山隧道(ずいどう)。

9年10月31日 (19)

重要文化財になっていた。

9年10月31日 (20)

トンネルの説明。

9年10月31日 (21)

今日から、天城越え伊豆の踊り子まつりが始まっていた。
踊り子の服装をした人がいたので、写真をお願いした。
こんな恰好で、芝居の一座の一員として、この峠を越え、河津に向かった。
この峠の茶屋で、青年は踊り子に会う。 茶屋の場所は、後で分かった。

9年10月31日 (22)

提灯を借りて、それを持って歩いた。 写真より、ずっと暗い。

9年10月31日 (23)

反対側の入り口は、こう。

9年10月31日 (24)

トンネルは1車線。 交通整理をしている、若い男の人がいた。
話しかけたら、踊り子について詳しかった。 
※ 河津に研究している人がいて、その人に学んだそう。

茶屋の場所は、出口の少し向こうと教えてくれた。
1.3㎞ほど下ったら、寒天橋があると、それも教えてくれた。

歩いていたら、寒天橋の名前を忘れてしまった。
どこに行くのか分からぬまま、下った。

9年10月31日 (25)

道は、確かに九十九折(つづらおれ)だった。
響きのいい言葉だから、作家や作詞者は使ってみたくなる言葉と思った。

9年10月31日 (26)

寒天橋だ。 踊り子と青年も通った。

9年10月31日 (27)

少しして川をのぞいている人がいた。 見たら、アマゴという魚がいた。(ヤマメに似ている)

9年10月31日 (28)

少し下に、二段滝があった。 高さ20m。

9年10月31日 (29)

もと来た道を戻った。
斜面に積んだ石垣は、昔のままと思う。

9年10月31日 (30)

トンネルの向こう。 誰もいなければと思ったんだが。

9年10月31日 (31)

上の写真の、駐車場辺りに、茶屋はあった。

9年10月31日 (32)

白い車の辺りか。

9年10月31日 (33)

駐車場に戻った。 おなかが空いたので、かりん糖を食べながら。(3時ころ)

9年10月31日 (34)

パーキングのそばの国道の橋から下を見たら、わさび畑があった。
わさびは、どこでも売ってる。

9年10月31日 (35)

橋から、上流を見た。
天城峠は、右の沢に沿って上っていく。

9年10月31日kk

途中、河津七滝があった。 そのひとつ。

9年10月31日 (2)

こんな花が。 トケイソウと誰かが言った。 時計みたいだ。

9年10月31日 (3)

河津という名前は聞いたことがあったが、思い出せなかった。
滝の駐車場の店のポスターで思い出した。
河津桜だ。 2月に咲く。 この写真は、原木。 
日本中の河津桜は、この木から広まった。
店の人が、接ぎ木でないと花はちゃんと咲かないと言った。   関連ブログ

9年10月31日 (4)vv

ループ橋で一気に谷底に下りた。 小樽のキロロの方だったか、あっちにもあった。 通ったのはだいぶ前。

_MG_606bn.jpg

海に出た。 もうすぐ下田。 断崖絶壁が続いた。

_MG_6073dg.jpg

港のそばに、道の駅はあった。 夜、花火大会があった。 秋の花火もいい。

9年10月31日 (5)

天城峠の駐車場で、こんなことがあった。
バッテリーがあがったので、助けてほしいと。 今回の旅で、2度目。
やさしそうで穏やかな老夫婦だった。 
終わった後、謝礼をいただいてしまった。(※ 何回もことわったんですよ)
これで下田で刺身をいただきます、と言って別れた。

晩に、近くの料理店で、刺身がのってる丼ぶりを食べた。
タコサラダと生ビールも。 刺身を食べたのは、象潟以来のような気がする。
おじいちゃん、あばあちゃんに、ご馳走していただいた。
美味しかったですよ。

IMG_7589_20091101145137.jpg

伊豆の踊り子について、十分に調べる時間はなかったので、あっさりした記事になりました。
※ 見つけた資料は、Vistaにはあったのですが。
伊豆の踊り子ラインというのか、このルートは、大きな観光地になっていました。
修善寺から下田まで、見る所は、たくさんありました。


【道の駅】   開国下田みなと     ばしょはここ

【1日の予定】   近くを少し歩いてみます。

山口百恵の伊豆の踊り子(Youtube)    

ランキングは、国内旅行12位、旅行全体で30位です。(1日3時半) 
上がりました。ありがとうございます。
昨日の試しは、大丈夫のようです。 いつも貼り付けられるように、準備したいと思います。
(自動的には、どうするか分からない)


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出発は、今日も午後になった。
浄蓮の滝に向かったが、修善寺(しゅぜんじ)に寄ることにした。

伊豆市の修善寺という所に、修善寺というお寺がある。
そこにある温泉が、修善寺温泉。
富士五湖から何十㎞も下り坂が続いたから、修善寺は暖かかった。 半袖の人もいた。

修善寺は、温泉街の中にあった。

9年10月30日 (2)

修善寺は、温泉街とセットで、人が集まっているように感じた。
※ 私は知らなかったが、
  夏目漱石の「修善寺の大患」、岡本綺堂の「修善寺物語」、朧太夫の「今申楽朧座『修禅寺』」でも名高いそうだ。

9年10月30日 (3)

この寺は、北条早雲が韮山(にらやま)の城主になった時から、栄えたと説明にあった。
今から500年前のこと。   北条早雲(WikiPedia)

とりあえず、お参りをした。 (これを読んでくれてる人のことも忘れなく)

9年10月30日 (4)

石像があったので見てみた。

9年10月30日 (5)

こんなのが。 何かを考えてそうなのが、好きでしょうか。

9年10月30日 (6)

変わったのがあった。

9年10月30日 (7)

ダルマみたいだと、誰かが言った。

9年10月30日 (8)

寺の前には、お土産屋さんが沢山あった。

9年10月30日 (9)

案内板に、源頼家の墓があるというので、行ってみた。
鎌倉幕府の、2代将軍だ。
※ 頼家は途中で失脚する。 そして、伊豆国修禅寺に幽閉され、北条氏の手により暗殺される。
  頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握る事になる(WikiPediaより)

9年10月30日 (10)

説明があった。
昔は、伊豆に流されるというのがあった。 流されるほどの地だったのか。 

9年10月30日 (11)

ここが墓。

9年10月30日 (12)

二つの五輪塔が墓だという。 五輪塔は供養塔だと思っていたが、墓の時もあるようだ。

9年10月30日 (13)

指月殿というのがあった。

9年10月30日 (14)

北条政子という人は、義経の妻静御前にとても優しかった人です。
頼朝は、どっちにも冷たかった。 静御前が男の子を産むが、頼朝は殺す。

9年10月30日 (15)

建物も仏像も古い。

9年10月30日 (16)

仁王像か。

9年10月30日 (17)

川原に足湯があった。 寺は、左手に。  温泉街という雰囲気。

9年10月30日 (18)

この道を通って、車に戻った。

9年10月30日 (19)

修善寺を出ると、天城峠に近づくに従って、谷は狭くなっていった。
あと少しで、浄蓮の滝

9年10月30日
9年10月30日dd

伊豆は、2つで有名になっている。
メインは、伊豆の踊子。 あと1つは、石川さゆりの天城越え

浄蓮の滝の駐車場には、伊豆の踊子の像があった。  この像の横から滝へ行く。

9年10月30日 (20)

深い谷に下りていった。 途中で、滝の音が聞こえた。

9年10月30日 (21)

大きな滝ではないのに、なぜここまで有名なのだろう。

9年10月30日 (22)

浄蓮の滝という、名前がいい。 また、環境も良かった。  それかな。

9年10月30日 (23)

隣に、小さな滝があった。 白糸の感じの。 (写真に見えるシダが珍しいそう。 ジョウレンシダとも言われる)

9年10月30日 (24)

暗かったので、水を奇麗に撮れなかった。 難しい。
滝だけ撮ったら、飛び抜けて美しいというわけでもないが、、周りと一緒に見たらいい滝だ。 浄蓮の名の雰囲気。

9年10月30日 (25)kk

滝の説明があった。    浄蓮の滝の動画(You Tube)

9年10月30日 (26)

女郎蜘蛛の伝説が。 (読みにくいか)     まんが日本昔話「浄蓮の滝の女郎ぐも」(You Tube)

9年10月30日 (28)oo

天城越えの歌碑。
この歌の歌詞の中では、浄蓮の滝が、強い印象を人に与える。
もし、浄蓮の滝の名前が、有り触れた名前だったら、歌には採用できなかった。

9年10月30日 (27)

     天城越え (作詞 吉岡治  作曲 弦哲也)  ※ YouTubeでない。

   隠しきれない 移り香が
   いつしかあなたに 浸みついた
   誰かに盗(ト)られる くらいなら
   あなたを殺していいですか

   寝乱れて 隠れ宿
   九十九(ツヅラ)折り 浄蓮(ジョウレン)の滝
   舞い上がり 揺れ堕ちる肩のむこうに
   あなた・・・山が燃える

   何があっても もういいの
   くらくら燃える 火をくぐり
   あなたと越えたい 天城越え


   口を開けば 別れると
   刺さったまんまの 割れ硝子
   ふたりで居たって 寒いけど
   嘘でも抱かれりゃ あたたかい

   わさび沢 隠れ径(ミチ)
   小夜時雨(サヨシグレ) 寒天橋
   恨んでも 恨んでも 躯(カラダ)うらはら
   あなた・・・山が燃える

   戻れなくても もういいの
   くらくら燃える 地を這って
   あなたと越えたい 天城越え
          関連ブログ(竜飛岬・津軽海峡冬景色 他)


女の人の情念を感じる歌だ。 恐ろしいほどの。

寒天橋は、明日通る。
小夜時雨は、秋遅くから冬にかけて夜降る、降ったり止んだりする雨のことだそう。 
これからの時期の雨だ。

吉岡治の作詞した歌の中では、八月の濡れた砂が好きです。
弦哲也は、北の旅人や五能線を作曲しています。  
     弦哲也が歌う北の旅人
     裕次郎の北の旅人
     テレサテンの北の旅人    画像に、夏に行った函館の立待岬が出てきます。

     五能線 (水森かおり)    関連ブログ


今日のブログは、最後、歌になってしまった。 (全部好きな歌)


【道の駅】    天城越え    場所はここ

【明日の予定】    峠を越えます。 伊豆の踊子との関係で見てみます。

そうだ、ブログの順位を、今日から載せたいと思います。 (ブログを書き終わった時点で)
クリックしていただいたお礼の意味でも。
【FC2国内旅行順位】  20位。  上がってきたんですよ。

※ ここから下は、今あることを試しています。

a_01_20091031103657.gif ここに置いてみたが、うまくいってるかは分からない。 確認が終わるまで試験です。

 

Vistaの方が、起動しなくなりました。
写真の準備は終わったのですが、そこで画面が壊れました。
何回やってもだめです。

今、XPの方で書いてますが、こっちに写真はない。
写真は、やり直しかも知れない。

文を少し書きます。

富嶽百景をの天下茶屋は、道の駅から、遠くはありませんでした。
河口湖から、甲府に行く昔の道にありました。
御坂(みさか)峠を上っていって、トンネルのすぐ手前でした。

今日は雲が少しありましたが、富士山のきれいに見える所でした。
太宰治は、ここに、昭和13年9月13日から11月15日までの、約3ヶ月間いました。

写真をとりあえず1枚載せます。
(XPは、全てが遅い。 私のXPで写真20枚以上は、苦しい。)
(Vistaは、修復に挑戦させています)

IMG_7304.jpg

昨晩、富嶽百景を久しぶりに読みました。
小説に出てくる関係部分の写真を撮りました。

月見草のも、分かりました。
いい話です。 
津軽で滝を見たとき、一緒に行った人が、滝の後ろの写真を撮った。
あの人に似た、おばあさんが(婦人)が登場する。

バスの中で、みんな富士を見ていた。
そのばあさんだけ、反対側を見ていた。

ばあさんは、月見草を見つけて、指をさした。
太宰はそれを見て、美しいと思った。 富士山と同じかそれ以上に。

太宰は、天下茶屋の庭に、月見草の種を植えて、来年来るから大事に育ててねって、娘さんにたのむ。

太宰は、月見草が好きになった。
富士山に似合うと言ったが、自分に似合うと思ったかも知れない。

この頃お見合いしているから、もしかしたら、甲府のその人が月見草とダブったかも知れないとも。
(これは、かってに私が思った)

太宰が、部屋から眺めた風景も写真に撮りました。
子どもと行ったトンネルも。
バスからの風景も。


ほうとうを食べました。
太宰が、放蕩息子だから出されたと勘違いした、太いうどんのような料理です。
信玄も好んで食べたものです。
野菜がいっぱい入ってて、美味しかったですよ。

太宰が使った、机と火鉢がありました。
火鉢は、太宰が寒いだろうと、女将さんが富士吉田まで行って買った物です。


今、11時5分。 Vistaが復活しました。

概要は書いたので、写真だけ、この後載せます。


追記

朝いたのが、赤い所の、道の駅かつやま。 天下茶屋は近かった。

IMG_7314vvp.jpg

上野地図の、大橋。

09年10月29日 (12)

昔の国道に入った。 御坂峠

09年10月29日 (13)

峠を上りきったら、見えてきた。

09年10月29日 (14)

トンネルの手前にあった。

09年10月29日 (15)

今の建物は、横にも建物を足した。(客が増えたからと思う)
外観は、だいたい同じように作ったそうだ。(聞いた)

09年10月29日 (16)

富嶽百景に、こうある。

甲府市からバスにゆられて一時間。 御坂峠(みさかたうげ)へたどりつく。
御坂峠、海抜千三百米(メエトル)。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、
井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。


09年10月29日 (17)

太宰は初め、富士山を好まなかった。

ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。 まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。

09年10月29日 (18)

今の店の中は、こんな感じだった。(中の作りは、昔と違う)

09年10月29日 (19)

こんな暖簾が。

09年10月29日 (20)

これが、ほうとう。 

語源については、WikiPediaにこうある。参考までに。
「ほうとう」の名は「餺飥(はくたく)」の音便したものであるとされる。平安中期の古辞書『和名類聚抄』に引用)に見え、院政期の漢和辞書である『色葉字類抄』に既に「餺飥 ハクタク ハウタウ」として登場するから、この頃にはもう「はうたう」という語形になっていたことがわかる。このように、「ほうとう」は「うどん」以上に歴史のある食品であるが、伝来時期は異なるとはいえ、「ほうとう」が「うどん」と同じく中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。現代の陝西方言でワンタンのことを「餛飩」と書いて「ホウトウ」と発音する。

太宰は、放蕩と思ったのか、機嫌が悪くなったそうだ。
でも、これが好きになっていく。

大きな鉄鍋で、下に野菜がいっぱい隠れている。
すいとんの感じで、私は好きだ。 量が多かったが、全部食べれた。

09年10月29日 (21)

階段の位置は、昔と違うそう。
突き当たりの右が、太宰が使った部屋。 今は、隣と合わせて、小さな記念館。

09年10月29日 (22)

昔の部屋を復元。 床柱は昔のを使用。

09年10月29日 (23)

隣の部屋から撮影。 あの窓から富士山を見る。

09年10月29日 (24)

太宰が見た、風景。 左上に、富士山の上が見える。

九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しづつ、少しづつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。
ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽(かす)かに生きてゐる喜びで、さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、と思へば、をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。くるしいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかへつて私の楽しみでさへあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術といふもの、あすの文学といふもの、謂(い)はば、新しさといふもの、私はそれらに就いて、未(ま)だ愚図愚図、思ひ悩み、誇張ではなしに、身悶えしてゐた。

09年10月29日 (26)

この部屋での写真ではないが、こんなふうに飲んだのか。 そんなには飲まなかったそう。

09年10月29日 (25)

記念碑の写しだろうか。 
※ 近くに記念碑があったが、行かなかった。 後で、パンフレットで知った。

09年10月29日 (27)

これが月見草。(オオマツヨイグサ)

09年10月29日 (28)

峠の途中からも、何度も富士は見える。

09年10月29日 (29)

富士には、月見草がよく似合う、の場面が登場するのは、この部分。

河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆(えいたん)ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(いうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥(いちべつ)も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
 「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。

 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。

太宰は、月見草の種をまく。

 私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播(ま)いてやつて、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。


下のトンネルに関わっては、こんな文が。
富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然(がうぜん)とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。トンネルの冷い地下水を、頬に、首筋に、滴々と受けながら、おれの知つたことぢやない、とわざと大股に歩いてみた。

09年10月29日 (30)

太宰は、井伏鱒二と御坂山に登るのだが、その中にこんな文が。 最後がいい。
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立つてゐる。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営してゐるじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんたうに生憎(あいにく)の霧で、もう少し経つたら霧もはれると思ひますが、富士は、ほんのすぐそこに、くつきり見えます、と言ひ、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つてその写真を両手で高く掲示して、ちやうどこの辺に、このとほりに、こんなに大きく、こんなにはつきり、このとほりに見えます、と懸命に註釈するのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた。

この人と、甲府で見合いする。 石原美知子。

09年10月29日 (31)

昭和14年1月に結婚。

09年10月29日 (32)

長女園子さん。

09年10月29日

この人は、天下茶屋の娘さん。 月見草に水をやってくれた。

09年10月29日 (2)

こんなのが。

09年10月29日 (3)

ここでの写真ではないが。

09年10月29日 (4)

天下茶屋は、富士山がきれいに見える所だった。


この後、伊豆に向かった。 左は、山中湖。

09年10月29日 (5)

静岡に向かう道。

09年10月29日 (6)
09年10月29日 (7)

三島を通った。

09年10月29日 (8)
09年10月29日 (9)

道の駅、伊豆のへそまで、あと10㎞ない。 暗くなった。

09年10月29日 (10)
09年10月29日 (11)mm


津軽の斜陽館は、資料館だった。
ここのように、小説の舞台になっている所の方が、面白い感じがした。
太宰人気を裏付けるように、多くの人(ファン)が来ていた。

富士には、月見草がよく似合う、が どこの場所で、どんな風に生まれたかが分かりました。
                 関連ブログ。
富嶽百景全文はここにあります


【今日の道の駅】    伊豆のへそ     場所はここ

【明日の予定】     天城峠を越えてみます。

今日も午前中は、動けなかった。
郵便局へ行ったり、どこへ行ったり、何を書いたり、少しいそがしかった。

昼過ぎ、本栖湖に向かった。 甲府を離れたら、富士山は見えなくなった。
富士山の前に立ちはだかるように、山が続いた。

途中上九一色村を通った。 オウム真理教で騒がれた村だ。
あることを思い出した。
富士山麓、オウム鳴く」(2.2360679)を。
ずっと昔憶えた、ルート5だ。 (2.2360679×2.2360679=約5)

オウム真理教は、富士山麓で実質終わった。 つまり、富士山麓で泣いた。

途中、富士五湖の一つ、精進湖を通った。

9年10月28日 (5)n

ここを右に曲がった。 後でまたここを通る。

9年10月28日 (6)r

本栖湖の、千円札の富士が見える所に着いた。
※ 五千円にも。(確かめていない)    場所はここ

9年10月28日 (7)m

邪魔をするものは何もない。  雲が少しか。  全体を見るのは初めて。

9年10月28日 (8)r

上はだ。 登れと言われても無理。

9年10月28日 (9)

これが、千円札の富士。 いい形だ。
※ 太陽が後ろの方なので、湖にはなかったが。

9年10月28日 (10)mmpp

千円札を出して比べてみた。 同じだ。
今まで、どこで撮影したかなんて、考えてもみなかった。

9年10月28日 (11)

ただ、同じなんだが、少し違った
千円札の方が、上の方が少しスマートで、斜面が急だ。
また、両サイドの山が、幅の割りに高さがある。

それで、横を10㌫縮めてみた。 こうなった。
少し、近づいた感じがするかな。
でも、もしかしたら、もう少し右の方から撮影したかも知れない。

9年10月28日 (10)aaa

細かいことは置いといて、千円札の富士は、確かにここから見た物でした。
千円札と同じだからというより、美しさに感動したでしょうか。(見るために苦労してないから、中くらいの感動かな)

西湖に向かった。

9年10月28日 (12)d

青木ヶ原樹海。 自殺の名所になってしまった。 
20年度の自殺者数ベスト3は、下記のようだ。(ある資料より) 

青木ヶ原樹海(山梨) 71件
三段壁(和歌山) 21件
東尋坊(福井) 15件

ふらふらっと行きたくなったら困るので、止まらないで通り過ぎた。

9年10月28日 (13)v
9年10月28日 (14)c

ここが、西湖コウモリ穴のあるところ。

9年10月28日 (15)

急に、紅葉に出会った。

9年10月28日 (16)

入場料300円。 ヘルメットをかぶった。

コウモリ穴の入り口は、青木ヶ原樹海にあった。
富士山が噴火して、1000年ちょっとしかたってないので、土が少ない。
大きな岩だらけ。 木の根は、岩の上に出ていた。

9年10月28日 (17)

5分ほどで着いた。

9年10月28日 (18)

もしいても見えないくらい、暗い。(この写真よりずっと暗い)

9年10月28日 (19)

受付の人は、いてもなかなか見えないと言った。

9年10月28日 (20)

戻ってくる人が、糞もないし、本当はいないんでないかと言った。

天井の低い所もあった。

9年10月28日 (21)

コウモリは夜行性。 だから、昼間は洞窟の中にいるはず。
何も、ぶら下がっていない。
受付の人は、岩の割れ目に入っているとも言った。

9年10月28日 (22)

奥の方の、電話ボックスがあった。 緊急用か。
追記 これは間違い。変だなと思って調べてみたら、ここから先が保護区だった。申し訳ない。

ここの洞窟は、総延長350㍍。

9年10月28日 (23)

全ての天井の写真は撮った。 後で確認することにして。

9年10月28日 (24)

コウモリがぶら下がるところは、黒っぽくなると聞いていたんだが。(上野村の洞窟で)

9年10月28日 (25)

結局見ることは、出来なかった。

下の写真は、お土産コーナーに飾ってあった写真を撮った物。
この洞窟なんだが、人が入れない、保護区を作っているそうだ。
そこで撮影したもの。

子供も含めて、70匹いるそう。
寒いから、こうしているのか。

9年10月28日 (26)ss

こんな顔。  昔、2度見たことがあるが、もう少し細い顔だった。

9年10月28日 (26)ssff

別の写真。 このように、みんなぶら下がっていると思っていた。

9年10月28日 (27)kk

戻る時に撮影。  急に大きな穴があったりする。

9年10月28日 (28)

青木ヶ原樹海の説明。 

9年10月28日 (29)h

コウモリは、見られなかった。
その代わり、キノコ汁を無料で食べさせてくれた。 おいしい。
入場料が300円だから、まあいいか、と思った。

9年10月28日

管理しているおやじさんが、面白いことを言った。
コウモリを見られないからって、文句言う人いるんだよな」って、文句を言っていた。
当たり前だろうが、と思った。
コウモリ穴と名前を付けなければ、誰も文句は言わない。
そのかわり、誰も来ないが。

繁殖を目的に、飼育したらどうだろうと思った。
その一部を、見られないときのために、見せればいいのに、と。

この後、写真を全部確認したが、写ってはいなかった。
コウモリが棲む場所と、青木ヶ原が見られたので、文句はない。

河口湖にある道の駅に向かった。
途中に西湖があった。

9年10月28日 (2)

道の駅に着いた。 紅葉がきれいだ。

9年10月28日 (3)

夕方になったら、人は減った。 
河口湖の、ここからの風景は、特にいいと言うわけでもない。

9年10月28日 (4)

たくさん上って下った記憶がないので、今は高いところにいますね。
夕べより、大分寒いです。

富士山以外で、いいところを見つけたいです。
太宰治が、富士山には月見草が似合うと言った場所は、どこなんだろう。
分かれば、行ってみたい。

今日のコウモリは、写真の写真になってしまった。
いつか、本物の写真を載せたいです。 
見られる可能性のある洞窟があったら、行ってみますね。



【道の駅】     かつやま    場所はここ

【明日の予定】   調べていません。 上の月見草の場所を調べてみます。


《今日の歌》    富士山(You Tube)  いいのがないので、久しぶりに初音ミクです。

私にも人並みに、生活があるため、用事を足して8時前に戻ってきました。
富士山は目の前ですが、少しの時間しか見えませんでした。
ずっと雲の中です。 雲から頭は、出しませんでした。

甲府市の、今は武田神社がある、躑躅ヶ崎館跡(つつじがさき やかたあと)に行ってきました。

道の駅にらさきから、甲府に向かった。
やっと富士山が見えた。

9年10月27日 (2)

上の方は白く、雪だった。  一目、高いと分かる。

9年10月27日 (3)

県道なので道は細いが、甲府市内に入ってきた。 神社まで、ほぼ真っ直ぐ。

9年10月27日 (4)
9年10月27日 (5)

ここが、武田神社。 信玄の館跡に建てた。   場所はここ

9年10月27日 (6)

ここに、躑躅ヶ崎館があった。 この神社は古くない。 大正時代の物。

9年10月27日 (7)

石垣や濠(ほり)はそのままあった。

9年10月27日 (8)

風林火山の軍旗が並んでいた。

9年10月27日 (9)

神社を建ててしまったら、昔の建物を復元したくてもできない。
でも、武田神社は信玄を祭っているから、いいかなとも。

9年10月27日 (10)

これが本殿。

9年10月27日 (11)

躑躅ヶ崎館とその周り。

9年10月27日 (12)

館の近くには、家来の家があった。 左の方に、勘助
千葉真一が演じた板垣信方と、竜神太が演じた甘利虎泰も見える。
山県三郎兵衛(昌景)も。 札幌のTさんは、この人が好き。 

9年10月27日 (13)kkk

これは、今の様子。

9年10月27日 (15)oo

躑躅ヶ崎館の説明。  大きな規模だった。

9年10月27日 (16)

城とは言ってないが、一応城なんですね。 平城と書いてある。

9年10月27日 (17)

神社のそばに、水琴窟があった。 江戸時代に作られたもの。

9年10月27日 (18)

下のようにして聞いた。 
地中の瓶の中に落ちる水滴の音が、パキ~ンという感じで聞こえた。

9年10月27日 (19)

水琴窟のそばに、姫の水があった。 汲むためのペットボトルが売っていた。
由布姫の水かと聞いたら、違うと言われた。
(由布姫は、諏訪に行かないと、大きく扱われない)

宝物殿があった。 当然、撮影禁止。

これは、そこにあった風林火山の軍旗。 特別展示で、本物。
横に信玄の像があり、それは撮影していいとあった。 申し訳ないが、広く撮らせてもらった。
※ 神社が困るのは、商売用の撮影が困るだけ。
  趣味と商売用の区別が、神社側には判断できないから、撮影禁止にする。

これが、一番撮影したかった物です。

IMG_7087pp.jpg

他には、鉄扇があった。 謙信の刀を受けた物かは分からなかったが。

また、釧路で見つかった、市河文書の写しがあった。(現物は、釧路市に)
この文書は、信玄が書いた物で、文書の最後に、勘助のことが書いてあった。 このように。
重要なことは、山本管助が口頭をもって伝える。(管の字が違うが、これは問題ないとなっている)
この文書の発見で、勘助が実在の人物と見られるようになっていく。 この後、他にも見つかる。

武田二十四将。 下の方に勘助が。 (パンフレットを撮影)

9年10月27日 (20)

これが勘助。 少しかわいい。 他のとは、反対の目が見えてない。 (大河ドラマと同じ)

9年10月27日 (22)

これは信玄。

9年10月27日 (21)

信玄の墓を見に行くことにした。 場所は、上の方の図に。
正面が、甲府の市街地。

9年10月27日 (23)

お濠。 昔のまま。

9年10月27日 (24)

10分程歩いたら着いた。

9年10月27日 (25)

これが、信玄の墓。

9年10月27日 (26)

信玄は死んでから3年間、死んだことを秘密にした。
ここに埋葬して、200年後に見つかったと、説明にある。

9年10月27日

今回私は、全部を歩いていない。
もう一度来て、一日いっぱい、ゆっくり見たいと思う。

甲府の町は、信玄の町でしたね。


【道の駅】    とよとみ    場所はここ

【明日の予定】  富士五湖方面。


《今日の歌》    風林火山OP(You Tube)

台風の影響で、朝からずっと雨が降り続いています。
夕方から、少し弱くなってきました。

どこにも行かなかったので、下記のことについて、思いついたことを書きます。

【冬に向かって】
今の寒さは、車の中でも大丈夫。
でも、雨が降ったり、高原に行くと寒い。
そういうときは、時々、車のFFのヒーターを使う。 すぐに暖かくなる。
ただ電気を使うので、バッテリーに電気がなかったら使えない。
その時は、エンジンをかけて充電する。 今日は雨だし走ってないから、時々エンジンをかけている。

       kogarasi.jpg     

紅葉前線といっしょに下って行くから、11月までの寒さは大丈夫と思う。
問題は、12月から2月まで。
九州の指宿が暖かいと、誰かが教えてくれた。
行くことになるかな。 (そして、1月1日に開聞岳に登る)

寝るとき寒いのは困る。
今は少し厚手で幅の広い寝袋に入って、夏用の布団をかけて寝ている。 十分暖かい。
寒くなったら、湯たんぽを使ってみようかなと思う。

       yutannpo.jpg

それでも寒かったら、どうするか。 考えてある。
冬に使う、登山用の羽毛の寝袋を手に入れる。 旭川の姉が持っていた。
幅が広いのも売られている。 その時は、これだ。

どう乗り切るか考えるのは、楽しい。
※ 車の中を暖かくすることも必要。 服装も。

【名刺が切れた】 
夏に名刺を作った。 
自分の紹介に使うとき、便利だった。 70枚ほど作ったが、無くなった。
さあ、印刷しようと思ったら、ファイルがどこかに行ってしまった。

今日、ブログが早く終わったら、作り直そうと思う。
こういうのに慣れてないから、時間がかかる。

       meisi kk

【困っていること】 
実は、車が雨漏りする。 ベッドの窓側を伝って落ちてくる。
この前の台風の時は、ベッドのマットレスが大分濡れた。 (はがして、干した)
まだ、屋根に上って確かめていない。 ずっと天気が良かったので。

       amadarehh.jpg
  
雨漏りは、いつでもではない。
土砂降りの中を走ったとき。 それと、雨の日、車の後ろを低くして、停めたとき。
だから、前を低くして停めたら、雨漏りはしない。
(このことで、どんな場所から雨が入るか、見当はつく)

普通は、車の後ろを高くなるように停める。 寝るとき、頭は後ろなので。
夕べは反対だったので、雨漏りしてきた。 
すぐに、車の方向を変えたら、雨漏りは止まった。

近々、屋根に上ってみる。

【パソコンについて】 
パソコンの調子は、相変わらず。 それでも、最近は少しいいかな。
症状は、時々固まることと、突然画面ががしゃがしゃに青くなる。
下の写真は、夏に撮影。 パソコンは、DELL。 パソコンの絵は、忘れえぬ女(ひと)

  pasokonn77.jpg

Windows7が気になる。 電気店で説明を聞きたい。
Vistaとの違いがはっきりしたら、買うことになるかも知れない。
写真処理の作業が短くなったら、うれしい。

【カウント数について】 
昨年の今頃は、70くらいだったでしょうか。
旅に出て100を越えるようになり、夏頃は150になっていた。
写真を大きくしてから、200を越えるようになった。
新しく読む人が、過去のをたくさん読んだ時は、たまに300を越えることもあったが。

最近になって、300を越えることが多くなってきた。
400を越えたのは、昨日が初めてだった。
どうやって、私のブログを見つけているのかなと思う。
読んでくれる人が増えることは、うれしいかな。

IMG_7065ghkk.jpg

【ランキングについて】
一時、FCⅡブログ国内旅行の20位くらいにいたのですが、今は、ずっと下
それでも、誰かがクリックしてくれている。 ありがたい。
ランキングを通して、多くの人がこのブログを見つけていることは、分かっている。
※ これは、分かる仕組みになっている。
いいブログを書かないと、ランキングは上がらないかな。

【情報が欲しいとき】
普段私は、ソフトクリームは食べない。 (変わったのがあったら、買うことも)
でも、情報が欲しいときは食べる。
物を売ってる人に、何も買わないで聞くのは、聞きにくい。
これは、ソフトクリームだけでなく、うどんを食べたり、果物を買ったりもある。
誰もが、客に対しては、丁寧に教えてくれる。
下のは、十石ソフト。 道の駅うえのの観光案内所で売っていた。(十石峠が長野県側にある)
何が入って入るかは、忘れた。 食べながら聞いてるから、味は分からない。

     IMG_6776yu.jpg

【人との出会い】
人との出会いは、いいのがいっぱいある
たくさんあるので、いつかまとめて紹介したいと思う。

今日は、一つだけ。 それも良くなかったのを
今の社会には、こういう人もいるのかなと。 
自然と共に生きていたら、こういう人間は生まれないとも思った。

むつばあちゃんの楢尾で出会った人だった。
あの日のブログに一度書いたのだが、削除していた。

それは、最後に、新井さんご夫妻に挨拶に向かった時だった。 こんにゃく畑へ。
途中で、中年の男の人に出会った。
挨拶したら、新井さんの家に行ったが、留守だったと言った。

私は、新井さんはこんにゃく畑にいますよと言って、案内した。
私の後ろを歩いてきた。
どこからいらしたのですか、と聞いた。
でも、それには答えず、あなたはどちらからですか、と聞いてきた。
話しがずれた。
(何の関わりもなく話しかけたら、これでもいい。でも、私は今、案内している立場だ)

私は北海道からですよ、と言った。
その後、答えてくるかなと思ったら、そのままだった。
もう一度聞くことはしなかった。
この会話は、いったい何なんだ、と思った。
その後、私から話しかけることはしなかった。

話しは、これで終わらなかった。
新井さんに挨拶して、坂を下った。
途中で、女性に会った。 さっきの人の奥さんだった。

私は、新井さんは、直ぐ上にいますよと言った。
奥さんはこう言った。
うちの人、ビデオを撮ってくるので、それを見るからいいです、と。

私は、ビデオでよかったら、楢尾まで来る必要もないのに、と思った。
体調が良くないようだったから、そう言ったのかなとも感じたが。
私は、そばまで来ていて、ビデオで事足りるという表現に驚いた。

最初にも書いたが、自然の中で、人といい関わりをもって生きていたら、こういう話し方や表現はしないと思った。
会話の、微妙な機微だって、きっと身に付けるとも。

追記  こういうこと(すぐ上の文)を書くのは最後にします。 後味が良くないかな。


【道の駅】       昨晩と同じ、にらさき。

【明日の予定】    甲府で、信玄に関わる所に行きます。 大きな電気店にも寄りたい。


《今日の歌》     京のにわか雨(You Tube)    雨だれが落ちてきたので。

                 時のいたずら(You Tube)    間もなく、木枯らしが吹きます。



左のコメントにある、富公の記事は、ここにあります。 よかったら。

24日の夕方走ったコースを、載せます。

御巣鷹の尾根を出発して、山梨県に向かった。
道は細いが、近いので、ぶどう峠を通った。 
御巣鷹山は隣の山。  

やっと頂上に着いた。 ここから長野県。    場所は、ここ

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道は細いが、対向車は来る。
車は、向こうも用心するから、特に心配なことはない。
危険なのは、オートバイ。 車よりスピードを出している。
カーブの向こうの状況が確認できなくても、スピードを落とさない車がある。

あるカーブの手前では、急に現れて、私の車の右側の幅2㍍も無いところをすり抜けていった。
私は左に寄って走っていたが、もし真ん中を走っていたら、ぶつかった。(細くて寄れない道もある) 
これがあってから、カーブの手前では、クラクションを鳴らして走った。

そんなことがあって、頂上の手前約5㎞の地点にさしかかった時だった。
左カーブを曲がったとき、事故が起きていた。
バイクと乗用車だ。 
私は、少し過ぎてから、左に車を停めて、困ってるかも知れないから行ってみた。

状況は、バイクが上って来て、乗用は下ってた。 
バイクがカーブを曲がったところで、ぶつかった。
バイクは大破はしなかったが、部品が少し散らばっていた。 動かない。
乗用は、運転席から後ろにかけて、凹んでいた。

バイクの人に、大丈夫ですかと聞いた。 大丈夫のようだと、答えた。
体全体が痛そうだったが、立つことは出来ていた。
顎のあたりから血が出ていたが、タオルで押さえていた。
救急車を呼ぶまではないと思った。(頼まれることもなかった)

何か私に出来ることはなかと聞いた。 警察を呼んでほしいと頼まれた。
すぐに、スタートして、上の写真の場所を通って、長野県側に下りていった。
携帯は、なかなか繫がらない。 繫がったのは30分後だった。

110番した。 何年かぶりの110番だ。
長野県警に繫がった。
事件ですか、事故ですかと、すぐに聞かれた。
事故ですと答えたら、当事者かどうかと、状況を聞いてきた。

事故現場が、群馬県警の範囲なので、そちらに回すと言った。
群馬県警にも、場所と事故の状況を説明した。
警察はマニュアルにそって聞いてくるので、簡潔だ。 無駄がない。
私の考えを聞いてきたのは、救急車がいるかどうかだけ。
いらないと答えた。
最後に、お礼を言われた。

数分走っていたら、電話が来た。 藤岡警察署からだった。
再び、状況を説明した。
警察は、情報は直接本人から聞くのを基本にしていた。
この後は、上野村の警察が現場に向かうことになる。

事故を見たのが、3時20分。 警察に連絡したのが、3時50分。
パトカーが現場に着くのは、4時半を過ぎるなと思った。

こんなことがあって、少し遠回りをしてもいいから、太い道を通った方がいいかなと思った。
どうしても通るときは、用心深く。


ここは、野辺山高原。 珍しいところを通っている。
野辺山駅がすぐそばだが、日本の鉄道の駅で、最高所にある駅。 1345㍍。

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上の写真から、少し走ったら、この地点。 長野と山梨の県境
左の方に、JRの鉄道が走っている。 ここが、鉄道で一番高いところ。 1375㍍。

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道の駅、南きよさとに来た。   場所はここ
ここは、北杜市(ほくとし)高根町。  NHKの風林火山のロケ地は、北杜市にある。(今は、公開されていない)

山本勘助の墓が、この高根町にあるが、今は公開していない。
それでも、行ってみることにした。 
道の駅では買った。 由布姫と同じに。
※ 勘助の墓は、長野県松城町などにもある言われている。

途中ガソリンスタンドに寄った。 
目的は、紹介してるれる人を見つけるため。 でも、若い人ばかりだった。

山本勘助の墓は、山本さんの敷地内にある。
近づいた時に、畑に人がいた。 その人とも話したが、山本さんと親しくしている感じではなかった。

直接、伺うことにした

後で知るが、黄色が山本さんの家。 右の杉の木の根元に勘助の墓はある。
※ 一般公開してないので、地図は付けません。

9年10月25日 (11)

少し行った左手に、小さな駐車場がある。

9年10月25日 (12)

山本さんでは、旦那さんが対応してくれた。 
来た目的を話すと、墓は公開していないと言った。
でも、せっかく来たからと、勘助の位牌がある仏壇の部屋に案内してくれた。

250年は経つという、黒光りのする大きな立派な仏壇だった。
その中に、勘助の位牌はあった。
お花を渡し、少しだけの物を仏壇に供えた。(車に積んであった、カニとホタテの缶詰)

旦那さんが、線香に火を付けてくれた。
位牌に向かって手を合わせた。

二人の、男の子と女の子も、そばに来ていた。
旦那さんが18代目で、男の子は19代目。

平成元年に建てたという家は、今の作りとはまったく違っていた。
柱や梁(はり)の太さは、数倍もある。 
元の家の材料と、自分の家の山の木を使ったそうだ。
とにかく、立派な家だ。

勘助について、たくさん話してくれた。 (その内容は、下の方で)

お礼を言って帰ろうとしたとき、お墓の方もどうぞと言ってくれた。
急に訪ねたのに、ありがたいと思った。
家の裏手の方に案内してくれた。 
子供達もいっしょに。 (男の子も女の子も、可愛くいい表情だった)

これが、勘助の墓

9年10月25日

卵形のが、勘助の墓と言われている。

9年10月25日 (2)

標示があった。

9年10月25日 (3)

卵形のが墓で、無縫塔(むほうとう)。 一つの石で出来ていて、縫い目が無いという意味で、無縫塔。
主に、出家した人の墓に使われるそう。 勘助は出家している。
五輪塔は、この写真では一番右、5つ重なっている塔。(右隣も、1個足りないが五輪塔かも。上の方の写真に)
宝きょう印塔は、背の高い塔。 中に、お経とかを納めたそう。
他のも、供養塔。

9年10月25日 (4)

位牌と同じ戒名が刻まれている。

9年10月25日 (5)

読みにくいので、加工してみた。

右には、永禄四が読めます。 四は小さいが、何とか分かりますね。
その下の字ですが、9月だから、でないかなと思います。
中央は、天徳院武山道鬼まで読めますね。 その下は、居士のの上が見える。
左は、九月十日。 読めますね。

9年10月25日 (6)

山本勘助は架空の人物と言われていたが、最近は、新たな資料が発見され、実在の人物と見られている。
(釧路で発見された資料のことは、以前書いたような気もするが)
NHKはこれがあって、勘助の大河ドラマの作成に入ったと、旦那さんは説明してくれた。

問題は、この墓がどのくらい信頼出来るかです。 (勿論山本家は100㌫確信しています)
私は、他と比較して、信頼は高いかなと思っている。 
その理由は、この墓は、NHK大河ドラマ第4回1月28日放送の最後の紀行コーナーで紹介されてい
ること。また、ドラマ放映前に、NHKのプロデューサーがここに挨拶に来たこと。また、後に墓参りにも
来ていること。
つまり、勘助について調べ尽くしているはずの、NHKの信頼が高いことが、大きな理由でしょうか。

9年10月25日 (7)

旦那さんの話しでは、ここは勘助の知行地だったそう。

私は、大河ドラマの中の勘助と由布姫が好き。 それを通して、勘助が好きになった。
ドラマ以外の勘助については、分からないことが多い。
これからの旅の中でも、ゆかりの地があったら、寄ってみたいと思う。

9年10月25日 (8)

ここは、鎧堂。  勘助の墓から、そんなに遠くない。
武田信玄が、戦勝祈願に訪れたそう。 当然、勘助も来ている。

9年10月25日 (9)

由緒が書いてあった。

9年10月25日 (10)

9年10月25日 (10)pp


山本さんのご厚意によって、勘助のお墓にお参りすることが出来ました。
勘助に会えるとは思っていませんでした。
だから、今日はうれしい一日になりました。


【道の駅】    にらさき     場所はここ

【明日の予定】   天気が悪いので動かない。


《今日の歌》    風林火山(You Tube)  いろんな場面があります。勘助が由布姫を助ける場面も(短いが)。  その場面はここにも。

日本航空機123便の、事故の日時は、1985年8月12日18時56分
24年が過ぎた。

場所は、群馬県上野村御巣鷹の尾根。    さらに広い地図は、ここ

9年10月24日 (34)

赤いところに、機体をぶつけます。  黄色が駐車場。

9年10月24日 (35)jjoo

駐車場までの道。 紅葉が奇麗だった。
きち兵衛さんだったら、なくなった人の思いが、紅く染め上げたと歌いそうだ。

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事故現場は、駐車場から800㍍。
真ん中の山の向こう。 真ん中の山より、高くなっていく。

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現場の地図。

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登山道 。 救助隊はどこを歩いたんだろうと思った。

IMG_6854.jpg IMG_6860.jpg IMG_6861.jpg 9年10月24日 (32)

赤は、衝突地点。  オレンジは、4人の人が助かった斜面。 黄色はヘリポートで、今は昇魂の碑がある。

地図kk

昇魂の碑。 ここが、ヘリポートだった所。
この場所の奥、数十㍍左手の斜面上部に、飛行機は衝突する。
ドウダンツツジが真っ赤だった。 名前を覚えた、さかんに目に付く。

09nenn  (6)

上の写真に、小さく写っている。 全部読ませていただいた。
もう、1世代に近い時が流れている。

09nenn  (7)

泣きながら書いたんだろうなと思った。
最後の1行を読むのは、つらかった。 

09nenn  (8)

9年10月24日 (4)9年10月24日 (5)uu9年10月24日 (6)9年10月24日 (7)9年10月24日 (8)9年10月24日 (9)9年10月24日 (10)

衝突地点の中心は、この場所の、すぐ左後ろ。  右斜め後方45度くらいの方向から飛行機は来る。

09nenn  (9)

亡くなった方の名簿。  亡くなった人520名全員が、どれだけの恐怖を感じ、痛い思いをしたのか。

IMG_6893no77.jpg IMG_689388.jpg

観音様の後ろの、少し高いところに、操縦士・副操縦士・機関士の碑があった。
よく、出力の調整だけで、操縦できたと思う。 これが出来ることは、それまで知られていなかった。

9年10月24日 (28)

この斜面に墜落した。 遺体発見場所には卒塔婆があった。 山の斜面の多くの場所に。

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9年10月24日 (12) 9年10月24日 (13) 9年10月24日 (15) 9年10月24日 (16)

ここが衝突地点。

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向こうの山の、凹んだ所に、飛行機は最初にぶつかっている。
撮影した場所の後ろが、上の写真。

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   事故現場と川上さんが助けられる様子は、ここに。(You Tube)

墜落時の様子(WikiPediaより)

クルーの努力も空しくJAL123便は降下し続け、18時56分14秒に対地接近警報装置が作動。同17秒頃、機体はわずかに上昇しだしたが、18時56分23秒、機体後部と右主翼が樹木と接触した。このとき、機首を上げるためエンジン出力を上げたことと、急降下したことで、速度は346kt(640km/h)に達していた。接触後、水切りのように一旦上昇したものの、機体は大きく機首を下げ右に傾いた。26秒、右主翼が地面をえぐり、同時に機体の破壊が始まった(垂直・水平尾翼、右主翼の脱落)。28秒には機体後部が分離。機体は機首を下げながら右側に回転してゆき、18時56分30秒、高天原山[※ 1]の斜面に前のめりに反転するような形で衝突、墜落した。18時56分28秒まで録音され続けていたボイスレコーダーには23秒と26秒頃に衝撃音が残されていた。23秒の衝撃音の直前には、機長の「もーうダメだ」とも聞き取れる叫び声も記録されていた。ボイスレコーダーに録音されていた音声は、後に活字の形で公表されたが、この叫び声は判読不能とされている。

衝撃によって、機体前部から主翼付近の構造体は原形をとどめないほどバラバラになり炎上した。後の調査によれば、機体の大部分に数百Gの衝撃が加わったとされ、両主翼も離断し炎上した。一方、28秒に分離した客室後部と尾翼は、山の稜線を超えて斜面を滑落していった。客室後部は尾根への激突を免れて、斜面に平行に近い角度で着地し、樹木をなぎ倒しながら尾根の斜面を滑落して時間をかけて減速した。このため最大の衝撃が小さく、それ以外の部位と比較して軽度の損傷にとどまり火災も発生しなかった。これらの要因によって、客室後部の座席に座っていた女性4名は奇跡的に生還できた。だが、その他の者は即死もしくはそれに近い状況であった[3]。

即死したものも多かったものの、客室後部付近を中心に墜落直後の時点ではかなりの数の乗客が生存しており、翌朝に捜索隊が到着するまでの間に次々と息を引き取ったという生存者の証言がある。


こんな所が、たくさんある。 ここから、反対の斜面。

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九ちゃんが発見された場所。

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今日の歌は、昨日から、これにすると決めていた。 心の瞳(You Tube)

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こんな所も。

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9年10月24日 (20) 9年10月24日 (21) 9年10月24日 (29)

ここに、機体後部が滑り落ちてきた。 右上向こうに、ヘリポート。
川上さんが助かった場所は、写真の右部分か、もう少し上辺り。   関連ブログ。  川上さんインタビュー(You Tube) 

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上の写真の、右側斜面。

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【救助について】

遺体収容(WikiPedia)
墜落時の猛烈な衝撃と火災によって、犠牲者の遺体の大半は激しく損傷していた。盛夏であったこともあり、遺体の腐敗の進行も早かった。遺体は、機体から投げ出され樹木に突き刺さったもの、機体の残骸にはさまれたり切断されたりしたもの、一部が落下の衝撃で地中深くに埋もれたもの、圧力によって2名の体が一つにめり込むように合体したようなものなどが発見された。遺体の部位によっては、挫砕され完全に識別困難となった部位や、墜落の摩擦で完全に消失した部位もあった。当時はDNA型鑑定の技術も確立されていなかったため、身元の特定は困難を極めた。例として、機長の遺体は前歯5本のついた下顎のみであったことや、歌手の坂本九の遺体は胴体のみで、遺体がつけていた笠間稲荷神社のペンダントにより身元が判明したことなどが挙げられる。

遺体の搬出(WikiPedia)
墜落現場に臨時のヘリコプター発着場が自衛隊によって突貫作業で造られ、8月14日午前から遺体搬出作業が始まった、直線距離で墜落現場から約45キロ離れた群馬県藤岡市へ自衛隊・警察のヘリコプターで運ばれた。

地元消防団の動き(昨日、Kさんからの話を中心に)
Kさんたち地元消防団は、翌日の朝6時に集合し、現場に向かった。
林道を車で行けるところまで行って、そこからは、道のないところを山に向かった。

8班に分かれていた。 1班4名くらい。
猟師さんもいたため、山に入っても大丈夫だった。
また、Kさんは、この付近で山火事が以前あって、その時山に入っていた。土地勘はあった。

ヘリコプターが飛んでいたから、大体の方向は分かった。
8つの班は、山の中では別々に分かれて進んだ。

Kさん達の班は、途中で、沢の水を飲んだという。
上で何が起きているかは分かっていなかったが、水はまずかったという。

沢を上っていったら、見えてきたという。
自衛隊が到着するのが8時半で、それより早く着いた。(このことは、WikiPediaにも書いてある)
Kさんたちの班が着いて間もなく、他の班も合流した。

沢を上っていって最初に見えたのは、4名の人が助かった場所だ。
生きている人を探したらいた。

Kさんは、吉崎さん母子の娘さんを担当した。
担架がないので、飛行機のカーテンを使ったという。
棒は切ってきて。 木のツルで縛ったそうだ。

担架に娘さんを乗せて、ヘリポートまで、急斜面を上った。
後ろの人は、高く上げなければならないから大変だったそうだ。
蹴飛ばした訳でもないのに、千切れた足が転がって行ったという。

椅子にシートベルトをして座ったままの人もいたそうだ。
でも、その人の腰から下は無かったそうだ。
Kさん達は、上にあるWikiPediaの惨状を見た。

川上さんは、ヘリコプターで釣り上げられた。
斜面の一番下は、それは出来なかった。
ヘリコプターは、谷の中にまでは下がれなかった。
谷は狭いし、谷に沿っての上昇気流に押されて、危険だからだ。

北海道から戻った人が多かったため、お土産の鮭も散乱していたという。
また、不思議なほど、遺体からは血が出ていなかったそうだ。
(カマイタチに切られた感じだとも言った。  ※カマイタチ )

救助作業の初めの頃は、野次馬のような人達も、現場に入ったそうだ。
その人達は、何をやったか分からないという噂もあるそうだ。(例えば、お金に関して)
途中から、入山は規制された。

救助作業が終わって、村に戻ったら、慰労会のようなのが催された。
上野村は山の中だから、ご馳走は肉だ。 でも、誰もそれには箸を付けなかったという。
(このことは、別の人も言っていた)

Kさんは、見たことは話してくれたが、ずっと亡くなった人を思いやっての話し方だった。
そこから離れることは、一度もなかった。

もう少し救助が早くできたら、もっと助かっていたかも知れないと言った。
生きていた人が、現場で、他にも声が聞こえていたと言ったそうだ。

      ※   ※   ※   ※   ※

今日説明していただいたのは、管理人のKさん。
一回りした後に、お会いできた。
写真を撮り直したところもある。

線香・蝋燭・ライターは、昇魂の碑のそばに置いてある。
その補充も、Kさんがしていた。

Kさんには、現場に行って、多くのことを教えていただいた。
こんなことを話してくれた。
123便に乗る予定だったが、都合で乗らなかった人が、慰霊に来たそうだ。
キャンセル待ちで乗った人が、自分の代わりに死んだように思うと言って。

9年10月24日 (25)

Kさんは、最後に、この事故を風化させたくないと言った。
昔事故のあった雫石に行ってきたそうだ。 あったのは、慰霊碑だけだったと。
私も、雫石の事故は完全に風化したと思っている。
(雫石航空事故・・・1971年7月30日。全日空機と自衛隊機が衝突。161名全員死亡。)
どうして風化したのか。
Kさんは、雫石で関係する所に行ったが、話しは一切してくれなかったと言う。
こういうのを聞くと、風化させたのかと、思いたくなる。(本心は、思っている)


私の普段のブログは、目的があって書いているわけではない。
でも、今日は、それなしに書くのはまずいと思っていた。
これを書くことによって、上に書いた事故の風化を防ぐのに、少しでも役立てればいいと思っている。
亡くなった520名の方のためにも。


3時間ほど歩いて、2時半に駐車場に戻った。
その時、20人ほどの人達がやって来た。
日本航空の人達だった。(バスの運転手さんに聞いた)
みんな無言だった。 大きな花束を用意していた。

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520名の命が散ってしまった御巣鷹の尾根は、小さな尾根だった。
スゲノ沢の斜面が、何とか4人を助けたと思った。
24年前を忘れることのできない多くの人が、慰霊に来ていた。
私も、急だったが、行ってみてよかったなと思う。
520名のご冥福をお祈りして、記事を閉じます。


【道の駅】   南きよさと   山梨県です。 場所はここ
 
【明日の予定】
この近くに、山本勘助のお墓がある。 でも、観光客が迷惑をかけたことで、見られない。
どんなとこにあるかでも、見てこようかなと思う。由布姫と同じだけ好きなんですよ。  関連ブログ

《今日の歌》     歌でなく、当日のニュース速報。   日航ジャンボ機墜落事故

上野村は、群馬県の左下隅にある。(地図上)
神流川が流れており、この川も最後は利根川になる。
今は国道が整備され、藤岡や秩父の方に行くのは便利になっているが、昔は大変だったようだ。
谷が狭くなって、川沿いに道が作れなくなったら、山越えになる。
トンネルの威力は大きく感じる。

それから、近くの湯ノ沢トンネルを抜けたら、北の方にある、関越自動車道の下仁田インターチェンジまで近い。(車で35分ほど)
山の中だけど、交通の便は悪くない。

今日は、動き始めたのが午後だったので、御巣鷹山には行けなかった。
でも、そのことが良かった。
日航機事故のとき、直接現場に行った人、に会いたいと思っていた。
ところが偶然に、現場に最初に到着したグループの一人に、お話しを聞くことが出来た。
ブログには書けないような悲惨な状況まで、聞かせてくれた。
鍾乳洞から出てからのことだった。


近くの山の中腹に、不二洞はあった。
走りやすい道から行ったら、洞窟は吊り橋の向こうだった。

吊り橋の名前は、上野スカイブリッジ
長さ、225㍍。 谷底まで、90㍍。 
人が渡る吊り橋では、日本有数と説明があった。
  ※ 九州にあった照葉大吊り橋は、長さ250㍍。高さ142㍍だった。 そのブログ

9年10月23日 (6)

この辺り全体が高いので、天空回廊とパンフレットにあった。
どんなに揺すっても揺れない。 ※ 揺れる吊り橋を渡るのが好き。 小さくても。

9年10月23日 (7)

真下までは90㍍だが、橋自体が高いところにあるため、橋からの風景は全国トップクラスと思う。
見えるのは上野村。 道の駅はここに。

9年10月23日 (8)

ここも上野村。 川の下流の方。

9年10月23日 (9)

渡ってから撮影。

9年10月23日 (10)

不二洞は、橋を渡って直ぐの所にあった。
昔は、今の出口が、入り口だった。

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入ったらトンネルだった。 長さ120㍍。
大きな縦の洞窟につながっている。

9年10月23日 (12)

螺旋階段で、40㍍上る。 大雨が降ったら、滝のように水が落ちると言う。

9年10月23日 (13)

螺旋階段の途中に、踊り場のような所があった。 そこにこんな説明が。

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洞窟も人が関わっていると、面白さが増すように思う。

9年10月23日 (14)

字はほとんど読めなくなっていたが、黄色の○の中は、書いてあるのが分かった。

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天井から下がっているのは、鍾乳石。 これがあると分かったので来た。

9年10月23日 (16)

入ったすぐの所に川があったが、階段で上ったので川はない。

9年10月23日 (17)

これは、石筍。  

9年10月23日 (18)

上とつながったので、石柱。 
透明感がないので、美しいとは言えないか。 珍しい物ではあるが。

9年10月23日 (19)

昔、この穴に入った老人が、出られなくて、一日さまよったようだ。

9年10月23日 (20)

このように、何カ所も、名前が付いていた。

9年10月23日 (21)

折れてる鍾乳石が多かった。
昔探検した人達が、貴重だとは知らず、邪魔で折ってしまったのもあるそうだ。

これは少し白いので、いい。

9年10月23日 (22)

濡れてるのは、成長しているのかな。

9年10月23日 (23)

大きな石柱。

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珍しい物があるなと思ったら、スピーカーだった。

9年10月23日 (25)

五百羅漢に見えるとあったが、見えなかった。

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これは、マンガの顔に見えたかな。

9年10月23日 (27)

何かが顔に見えるのでは、獅子ヶ鼻湿原の、木のコブが一番だったかな。

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くるっと、まわって来れた。

9年10月23日 (28)

前回、大理石の鍾乳洞を見ていたので、美しさの面ではまあまあでしょうか。 関連ブログ

9年10月23日 (29)

上に穴が空いていた。 下に熊の骨があったそう。 
熊が、落とし穴に落ちてしまった。

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この奥は、ずっと続いているそうだ。

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こんなのが美しい。

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ここが出口。 昔の入り口。

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外から見たら、こう。

9年10月23日

出口(入り口)は、谷の奥の急な斜面の中腹にあった。
今から1200年程前、この穴の近くに猿が集まっていたので、穴が発見されたそう。

9年10月23日 (2)

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今まで、ずっと鍾乳石がなかったから、今回は少し良かったでしょうか。
私は、最初に見た鍾乳洞は、北海道の当麻鍾乳洞だった。
そこは、小さな鍾乳洞だったが、透明感のある鍾乳石がたくさんあった。
また、下のように繊細な、鍾乳管もあった。
それと比べるから、他に行った時、不満に思うことが多い。

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洞窟から吊り橋を渡って戻った。 こっちは、キャンプ場などが整備されていた。
車は、写真の左の方に置いてあった。
出ようとしたとき、男の人が声をかけてきた。
旅について聞かれた。

少し話した後、日航機事故について聞いた。
そうしたら、少し離れたところで木を植えていた、Kさんと言う人が、現場に行ったと話してくれた。
私をその人に紹介してくれた。

Kさんは、仕事の手を休めて話してくれた。
消防団に入っていたため、救助に参加した。
また、Kさんは、以前に御巣鷹山で山火事があったとき、山に入っていた。
地理は、だいたい分かっていた。

今日、こういう人会えるとは思っていなかった。
聞いたことを整理して、明日、御巣鷹山に行ってきます。
知りたいことが出てきたら、電話番号を教えていただいたので、聞くことが出来ます。

※今日は、Kさんの他に、道の駅の案内所の方、食堂のおかみさんにも話しを聞いています。

この続きは、明日になります。


【道の駅】     上野      温泉は、たくさんある。

【明日の予定】  御巣鷹山へ。


《今日の歌》   見上げてごらん夜の星を(You Tube)  夏川リミです。

車の横には、むつばあちゃんが作った石のテーブルと椅子があった。
朝起きて、そこでコーヒーを飲んだ。
小鳥の鳴き声が聞こえた。
初めて聞くものだ。 日本語に直せそうだった。

9年10月22日

その前、コーヒーを準備していたとき、外におばあちゃんが見えた。
出て行って、挨拶した。 新井さんの下の家に、一人で住んでいる人だった。
私が何かを聞いたら、そのことにいつまでも話してくれた。

買い物や病院など、みんなに助けられて生活していると言った。
朝6時過ぎに家を出て学校に通ったこと。(小学校の上の学校)
子供を寄宿させて学校に行かせたこと。(役場のある吉田で、峠のむこう)
など、20分ほど聞かせてくれた。

コーヒーを飲んで、昨晩のお礼と懐中電灯を戻しに、新井さんのお家に向かった。
9時を過ぎていたから、お家は留守だった。
広い玄関に懐中電灯を置いた。(玄関に鍵はかかっていない)

こんにゃく畑に向かった。 一番高いところの畑で、掘っていた。
昨晩のお礼と、神社と墓地を場所を教えていただいた。
楢尾を出るとき、もう一度来ることを伝えた。

地蔵さんが見えたので、細い道を下りてきて撮った。

9年10月22日 (2)

小さな鳥居が見えた。 

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楢尾の諏訪神社だ。 (この名前の神社は、よく見かける)

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墓地は、斜面の上を見て、左の方にあった。(神社は、その下の方に)

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家の方に戻る細い道があった。
テレビの場面で、道を直すのがあったが、この場所だと思った。
むつばあちゃんが、疲れたと言ったんだったかな。

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別の道にあった。 きのう歩いてない細い道を歩いた。

9年10月22日 (7)

車に戻り、出発の準備を終わらせて、こんにゃく畑に向かった。

2日間のお礼を言った。 また来ることも伝えた。
別れ際に、新井さんはこう言った。
この楢尾を、私たちの時代で終わらせたくないと。

素敵な笑顔の、新井さんご夫妻だった。 

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新井さんは、城峰公園に桜が咲いてると教えてくれた。  ※ 楢尾はここだった
ここから、8㎞程だそう。 向かった。

確かに咲いていた。 紅葉も奇麗だ。   場所はここ

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葉っぱがない。 

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どうして咲くのか分からない。(調べてみたいと思います)

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こんな説明が。

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こんな鳥も。

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神流湖。 これを見て、水が溜まっていたら緑色になると分かった。
赤城山の小沼が緑なのも、これと同じだ。

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上野村に向かった。

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恐竜博物館があったので寄ってみた。

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上には本物の標示があったが、他には見当たらなかった。

9年10月22日 (14)

後で受付に聞いたら、多くはレプリカだった。
何のために写真を撮ったか、分からなくなった。
入場料600円は高いと思った。


【道の駅】    上野   場所はここ。

【今日の予定】   昨日のブログが終わらない。 何かの調子が悪いため、時間がかかる。
           11時を過ぎてしまった。 日航機墜落現場と鍾乳洞がある。
           

先ほど(7時半)、あるお家から戻ってきました。

※ あるお家というのは、番組の中で冬、炬燵(こたつ)を囲む場面があった。
  暖かい服装をして、お酒も用意して。 そのあと、むつばあちゃんに電話する場面。
  それが撮影されたお家です。
  そのお家の方が、むつばあちゃんを助け、番組作りを支えた人でもあります。

今晩は、楢尾に停泊します。 

これから写真ですので、遅くなります。
今日の記事は、2つに分けます。

楢尾の魅力は、人と自然の両方によって生まれたものでした

追記  22日は、午前中、神社とむつばあちゃんのお墓に行ってきます。
午後、道の駅上野に移動し、そこで記事を書きます。


※ 独り言 今晩もおそくなりそうだ。 

追記

県道363を、山奥に向かって走った。 県道だけど、両側1車線は覚悟している。
石間交流会館で秩父事件の資料を見たのは、この写真の少し後だったかな。

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太田部楢尾は、谷の奥だと思っていたら違った。 峠を越えてしまった。
対向車が急にやって来るから、運転は油断できない。 音楽はかけない。

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深い谷が見えて、ギアをローにして下った。 中腹辺りで、この看板が見えた。 楢尾だ。
車が1台は入れる駐車場があった。 
となりには、テーブルと椅子があった。 花の咲く木もあった。 むつばあちゃんが作ったものだ。

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むつばあちゃんの家は、上の写真の右の細い道を上がっていく。
上がった右がこんな感じ。

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少し行ったらここに。 標示があったので右に。

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見えてきた。

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大きな家だった。 テレビで何度も見た家だ。 願いが叶って、やっと来れた。

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もちろん誰も住んでいないが、写真が飾ってあった。

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花があった。 記帳するノートがあり、私も書いた。 来るのが1年早かったら、会えたって。

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庭には、小さな池があり、木がいっぱい植えてあった。

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じいちゃんは、むつばあちゃんより先になくなる。 二人一緒だった頃。

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むつばあちゃんは、今年1月30日になくなった。

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一度車に戻った。 道の右に花が見える。 もちろん、ばあちゃんが植えた。

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この花は、むつばあちゃんの雰囲気だ。

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秋に咲く花も植えてあった。

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ばあちゃんの足跡を探すため、この辺り全部を歩くことにした。
車の後左に、登って行く道があった。 ここにも木は植えてあった。

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ばあちゃんの家の上。 全部植えた木だ。 大きく育っていた。

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細い道が、編み目のようにあった。 直ぐに分岐して、下りたり上ったりする。

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畑は、全部こんな斜面。

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むこうからやってきた。 遠くに見えるのは、上太田部か。
※ 太田部は、上太田部・下太田部・楢尾の3つに別れている。

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さらに上に行くと、また畑はあった。(こんにゃく畑だと、後で知る)

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どこに行っても、誰にも会わない。
遠くが見渡せるところまで上った。

楢尾は、コの字のように、小さな山に囲まれていて、暖かい。
※ 戻ったとき、半袖に着替えた。

9年10月21日の2 (22)

3時半頃になって、お腹が空いてきた。 昼は食べてない。
車に戻って、食事の準備をした。 

4時頃外で声がした。 夫婦らしい人が、車から降りていた。
私はすぐ車から出て、挨拶した。
この辺りを見させてもらったことを話した。

むつばあちゃんのことなど、花のことなどを3人で話した。
20分ほど立ち話になった。
二人はご夫婦で、むつばあちゃんが大好きだったことを感じた。

続きの話しは家でしようとなった。 その言葉に甘えた。
用事を終えた後、迎えに来てくれた。

楢尾で、斜面の一番に上に家がある方だった。

むつばあちゃんの植えた木が、あっちにもあると案内してくれた。
斜面に向かって、左の方に行った。

大きな柿の木があった。 数え切れない、実の数だ

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畑の向こうの木が、ばあちゃんが植えた木。

(※ 22日に昼頃、こんにゃく畑に、出発するので挨拶に行った。ブログには、写真も名前も載せていいことになったので、ここから本名)

畑にいる方は、新井武さん。 この後、たくさん話しを聞かせてくれる。
キャベツを採った後、大根を抜こうとしている。
他の野菜と一緒にいただいた。 漬け物も。

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ここが新井さんのお家。 建物が、7つあった。
こんにゃくを干している。 1年物、2年物は、来年また植える。 3年物は売る。

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庭にこんな花が。 見たことあるような気もするが。

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こんにゃく畑に連れて行ってくれた。 

9年10月21日の2 (27)

大きい。 5㎏くらいはあるそうだ。

9年10月21日の2 (28)

畑は、これで起こす。 全部起こしたら、横向きになって、これで土を上にあげる。
この作業は収穫が全部終わって、冬の仕事だそう。 雪はたくさん降らない。

9年10月21日の2 (29)

見晴らしのいい所に、連れていってくれた。 ここには来ていたが、さらに高いところだった。
楢尾全体が見えた。
むつばあちゃんの家は、黄色の○。 新井さんのお家は、一番右

9年10月21日の2 (30)mm

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家の前に、の花があった。
二本松で見たより、葉の色が濃く感じた。 茎も太く。
たまに、人の背丈より高くなるそうだ。 下から見上げるので、こまると言った。

9年10月21日の2 (31)

太い柱で作られた家だった。
テレビに映っていた炬燵で、お話しを聞かせてもらった。

この地域の戸数は、現在3戸。
新井さんのところが2名。 下の家に1名。 一番下の家に2名。 計5名だ。

どうして、NHKがむつばあちゃんを知ったかを聞いた。
写真家の南さんという人が、おもしろい人がいるということで、紹介したそうだ。
南さんは、花のあとさきの番組の構成を担当している。

何回も撮影に来るので、撮られているのは気にならなくなったという。
また、話しの内容の打ち合わせなどは、まったく無かったそうだ。

新井さんは、むつばあちゃんのことは、むっちゃんと呼んでいた。
番組で、むっちゃんいつ戻るのと電話した。
あの電話の後、予定を早めてむつばあちゃんは戻ってきた。
やっぱりここがいいって、言ったそうだ。(息子さんの所にいて、何の不満も無いはずだけど)

むつばあちゃんが、いくら番組で目立っても、だれもその事に何かを思う人はいなかったという。
みんな、むつばあちゃんが大好きだったから。
とても話しのおもしろい人だった、という。

新井さんも、話題の豊富な人に感じたから、私はこう言った。
みんな集まって、むつばあちゃん新井さんがいたら、話しが途切れることはないねって。

むつばあちゃんが残してくれた物を、どうしたら引き継いで行けるかについて、ずいぶん話した。
ここを出た人が、定年で戻ってくるかも知れない。
楢尾の人でなくても、住んでくれる人がいればいい。(1名、予定者がいる。家も改築済み)

むつばあちゃんの番組を陰で支えたのは新井さんだから、これからも、新井さんの存在はいっそう大
きくなると思った。
いつか、今のように動けなくなるときが来たら、その時は若い人に知恵を授ければいいと、私は言った。

新井さんは、井上伝蔵についても詳しかった。
秩父事件の内容は、すべて知っていた。
伝蔵は、知識人で頭の切れる人だったそうだ。

新井さんの話を聞いて、
秩父事件の意義は、人間の生き方を、後世に伝えたことだと感じた。
井上伝蔵が光る理由は、そこにあった。

買い物はどこに行くかと聞いたら、群馬県の藤岡市と言った。 車で45分だそう。
ここは埼玉県だが、生活圏は群馬県だった。
ここに来るとき、峠を越えてしまうのは変だと思った。

ある写真家が、楢尾を中心に太田部の写真を撮った。
その写真集を3人で見た。 思い出を聞かせてくれた。
みんないい表情をしていた。
写真集を見るのも勉強になると思った。
何を考えて、この写真を撮ったかを考えるのが面白い。

いただいた物の中に、ハヤトウリの漬け物があった。
初めて食べた物だった。 ハヤトは、薩摩隼人の隼人だそう。

7時半頃まで、いろいろ教えていただいた。
3人で、にぎやかに話した。
楽しい時間だった。

奥さんが、キャベツの浅漬けを作って持たせてくれた。 ハヤトウリも。
たくさんの野菜といっしょに抱えて戻った。
貸していただいた懐中電灯で、足下を照らして坂を下った。
上を見上げたら、暗闇の中の空は、満天の星空だった。


楢尾を歩いて、新井さんご夫妻と話して、楢尾の魅力は、
ここに住む人の言葉では表すのはむずかしい温かさと、むつばあちゃんが手がけた楢尾の自然にあると感じた。
その魅力に惹かれて、多くの人がやって来ていた。 

私は、もう一度、きっとここに来る。 そう思いました。


【道の駅】       むつばあちゃんが作った駐車場に停泊。

【明日の予定】    午後に移動。


《今日の歌》    秩父山中 花のあとさき(You Tube)   歌ではなく、アニメっぽい。

道の駅龍勢会館には、前日遅くに着いた。
ドウダンツツジ。

9年10月21日の1 (2)

灯台躑躅(つつじ)と書くそうだ。
灯台をどうして、どうだんと読むかだが、辞書には、とうだいどうだんに音変化したとあった。

9年10月21日の1 (3)

楢尾に行くが、道が不安だった。 細いのではと。
道の駅に調べに行った。
そうしたら、こんな建物があった。

秩父事件と、大きなロケット花火の資料館だった。
二つとも、ブログで触れたことがあった。
秩父のここだとは、知らなかった。

9年10月21日の1 (4)

ここは、龍勢会館。
天井にあるのが、吉田龍勢といわれるもの。 椋(むく)神社の龍生とも言う。

9年10月21日の1 (5)

これに火薬を詰め込んで、竹の先に取り付ける。
300㍍の高さまで、打ち上がるそうだ。
以前、You Tubeの動画を載せたことがある。

9年10月21日の1 (6)

龍勢会館に併設して秩父事件資料館があった。 井上伝蔵の家を復元した形で。

秩父事件は、明治17年に起きた。
明治政府の急進的な改革による圧政で、生活苦におちいった農民達が武装蜂起した事件。
自由民権の理念の下で行われていた。 単なる暴動ではなく。
中心人物の一人が井上伝蔵

9年10月21日の1 (7)

井上伝蔵は死刑を宣告されていたが、北海道に逃げた。

9年10月21日の1 (8)

伝蔵は野付牛(現北見市)に潜伏していたが、死ぬ間際まで、自分の過去は家族にも話さなかった。
この写真は、大正7年6月23日に北見市で撮影。 この日に、65歳で亡くなっている。(WikiPedia)
過去を話したのは、この10日程前。 札幌の病院で、妻と長男に。

9年10月21日の1 (9)

私は秩父事件についても、井上伝蔵についても詳しくは知らなかった。
北見に逃げてきたのを知ってた程度だった。

今回初めて知ったのは、この事件が多くの人の心をとらえていることだった。
戦いの目的が、苦しんでいる人達を救うということだったから。

伝蔵の家は生糸の貿易商をやっていたから、裕福だった。
でも、伝蔵は自由民権運動の考えに共鳴していた。
伝蔵は賢くもあり人望もあったので、それを買われて、若くして自由党の上から3番目の地位である、
会計長になった。

これは、伝蔵の家を復元した物。

9年10月21日の1 (10)

道の駅の近くに、椋神社がある。
ここで、決起集会が開かれ、下の軍律が示された。 私利私欲の戦いでないことをはっきりさせた。

軍律
第一条 私ニ金品ヲ掠奪スル者ハ斬
第二条 女色ヲ犯ス者ハ斬
第三条 酒宴ヲ為シタル者ハ斬
第四条 私ノ遺恨ヲ以テ放火其他乱暴ヲ為シタル者ハ斬
第五条 指揮官ノ命令二違背シ私ニ事ヲ為シタル者ハ斬

下の写真が、椋神社。

9年10月21日の1 (11)

これは、武装蜂起したときの想像図。 
ある画家が描いた物で、楢尾に行く途中の、石間(いさま)交流学習館にあった。

9年10月21日の1 (13)

秩父事件を映画化したのが、草の乱
主人公は井上伝蔵。 演じたのは、緒方直人。
上の復元した家は、映画の撮影に使われた。

9年10月21日の1

今回、秩父事件について少し勉強してみて、むつばあちゃんの心と同じように、秩父事件の心も、今
の人々に大きな影響を与えているように感じた。

椋神社は、もう一つで有名だった。
向こうの山に、櫓が見える。 あそこで、椋神社の龍勢が打ち上げられる。
今年は少し前の、10月11日だった。

9年10月21日の1 (12)

こんな感じで飛んで行く。 神社の前は大きな広場になっていた。 その日は、人でいっぱいになる。

IMG_6699ll.jpg
 
     吉田龍勢(You Tube)

秩父事件について、知りたくて分からなかったことは、井上伝蔵の魅力だった。 映画でなぜ主人公になったか。
そのことが書いてある物は見つからなかった。
死ぬ間際に過去を語ったことは大きな話題になったが、それだけではないと思う。
若くして、人望を買われて会計長になったところに、理由がありそうだが。

このことについては、機会があれば調べてみたいと思う。

午前中はブログを書いたため、赤城山のビジターセンターに着いたのは、12時半頃だった。
登って下りてくるまで4時間。
地図をもらって考えていたら、そばにいた人が、やめた方がいいかもねっ、て言った。
途中で何かあって、遅くなったら困るので、やめた。

登ってしまったら、赤城山ともお別れだ。
やめたから、赤城の山とも今宵限りでなくなった。
来年来たとき、お世話になったSさんと一緒に登る。

考え方って面白いもんで、いい方に持って行くことが出来る。

赤城山は、いくつかの山の総称で、一番高い山が黒檜(くろび)山
そこが無理なので、近くの地蔵岳に登ることにした。
上からの景色がいいそうだ。 片道30分。 

頂上は目の前と言っても、走っていくのは無理だ。

9年10月20日

この山は、いい山だった。
理由は、限りなく誰にでも上れる山だからだ。
どうして、そう思ったか。
途中まで上ったら、幼稚園の子供達が、ぞろぞろ下りてきた。

挨拶してくる子もいた。
一人の子と顔が合った。
たいしたもんだね、と言ったら、4歳だと言った。 それを聞いたつもりではなかったが。
そして、山に登ったんだ、と言ったら、いや下りてるって言われた。
先生におんぶして欲しいって言ったんでないの、とも言ってみた。
そうしたら、首を強く横に振った。

階段を用心深く下りる子や、元気よく飛び降りる子がいた。

9年10月20日 (2)

頂上には、テレビ局のアンテナがいっぱいあった。
横浜の小学生が、宿泊学習でこの山に登っていた。 小学生はよくしゃべる。 楽しそうだ。

9年10月20日 (3)

下の赤い○から、上の○に来た。
希望していた登山は、オレンジの○

9年10月20日 (4)

見える沼は大沼。 赤城神社があって、観光客が多い。
見える高い山が、赤城山の最高峰、黒檜山

9年10月20日 (5)
IMG_6447pp.jpg

これは小沼だ。緑色だ。 珍しい。
この沼は川が堰き止められて出来たのではなく、爆発でできたそう。
それも、熔岩が吹き出す爆発でなく、水蒸気爆発のような小さいので。

9年10月20日 (6)

どうして緑なのか、調べたが分からなかった。

9年10月20日 (7)

ちゃんとした野の花を、久しぶりに見た。 うす~い紫だった。
自分の影に入れて撮ってみた。 花びらが光らなかった。

9年10月20日 (8)

山から下りて小沼に行ってみた。 上から見たようには見えなかった。
水底に、緑のコケなどはなかった。
光によって、色が変わるのかもしれない。

9年10月20日 (9)

3時頃、秩父山中にある道の駅、龍勢会館に向かった。
着いたときには、暗かった。 場所は、下の地図のオレンジの○。

明日行くところは、上の方の赤い○

IMG_6473.jpg

赤い○の辺りの地図。 楢尾が目的地。

IMG_6487mm.jpg

以前、NHKのBSで、「花のあとさき」という番組があった。
そこに出ていたのが、むつばあちゃん
番組は、むつばあちゃんの生き方を追っていた。

楢尾は限界集落だ。 
むつばあちゃんは、使わなくなった畑や道端に、花や木を植えた。
このおばあちゃんの考え方が好きで、何度も番組を見た。

私の旅のコースは決まっていなかったが、楢尾に寄ることは決めていた。
 (※他に決めているのは、半田市だけ)

明日行ってきます。

関連ブログ。   秩父山中・花の後先(9年2月10日)

           ムツばあちゃんのふるさと~埼玉県秩父市 吉田太田部 楢尾 他(2月12日)


2月8日の記事の一部
秩父の山の中で暮らす、一人のおばあちゃんの番組を見てる。 ブログを書きながら。(7時から8時
半 BS)
これを見るのは、3回目。 なかなか面白い。 自然と共に生きている。 
冬寒くなっても、ストーブがない。 こたつだけ。 いっぱい服を着て。 
山の中の急斜面の、ちょっとした平らなところに家がある。
花の咲く木をいっぱい植えた。 しゃべることが面白い。
(1月30日に 亡くなったそうだ)

1月9日の記事の一部
 「人生なんて、あっけないもんだ。 あっという間に過ぎた」

※ この日のブログは、キム・ヨナの記事です。 よかったら、ここにあります。 


【道の駅】      龍勢会館です。

【明日の予定】   楢尾に行きます。 8時頃には向かいたい。


《今日の歌》     異邦人(You Tube)

             愛の終わりに(You Tube)

             北の岬(You Tube)

「東京から近く、二千米に近い高度を持ち、しかも標高のわりに岩根こごしい高山的風貌をそなえてい
るからでもあろうが、やはり人気の大きな理由は、谷川岳という評判にあるのだろう。これほどしばし
ば人の耳を打つ山の名は少ない。絶えず何か事件を起こしている」


これは、日本百名山を書いた深田久弥のことばです。
確かに谷川岳は、多くの人を魅了する山でした。
でも一方で、一ノ倉沢の大岸壁からの登山を中心に、700名以上の命を飲み込んだ山でもありました。(Wikipediaより)


朝6時に、Sさんの車で道の駅白沢を出る。
高速を通って、みなかみ町で降りる。 
谷川岳ロープウェー乗り場に向かう。 7時過ぎに着く。

9年10月19日 (4)

今日の登山コース。 あとで見に行く、一ノ倉沢の断崖も見える。

IMG_6431yy.jpg

ロープウェーで天神平へ。

9年10月19日 (5)

寄り道になるが、リフトに乗って天神山の展望台に行った。
(たくさんのバスでやってくる観光客は、ここに来る)

遠くまで、ずっと山脈。

9年10月19日 (6)

これが、谷川岳。 

9年10月19日 (7)

耳の形をした、が頂上。

9年10月19日 (8)

ここを一旦降りて、熊穴沢ノ頭避難小屋に向かう。
9時20分に着く。 ここまでは、なだらかな登り。

9年10月19日 (9)

小屋を過ぎたら、急な登りになった。
この山には、ごろごろした、東北の山のような石はなかった。
石でなくだった。 登山者の靴で磨かれた部分は、緑色になっていた。 
滑りやすく、注意が必要だった。

9年10月19日 (10)

まわりの山が、しだいに低くなっていった。
風は微風。 温かく上着はいらない。
途中、天狗のとまり場という所があり、少し休憩。

9年10月19日 (11)

11時過ぎに、天神ザンゲ岩に着いた。
懺悔は少しだけ。 上に向かった。

9年10月19日 (12)

11時20分、肩の小屋に着く。 ここは宿泊もできる。

9年10月19日 (13)

珍しい人に出会った。 谷川岳3000回登頂を目指している人。
Sさんと一緒に記念撮影。

9年10月19日 (14)

今日は2725回目。 気の遠くなる回数だ。

9年10月19日 (15)

少し休んで、頂上を目指した。 ここは、左に見えたトマの耳

9年10月19日 (16)

頂上は、もうすぐ。

9年10月19日 (17)

ここが、山頂。 12時ちょうどだった。

9年10月19日 (18)

少し通り過ぎたところで食事。 その場所から、頂上を撮影。 
快晴。 雲は、遠くの山の上に少しあるだけ。 風もなく、温かい。

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一ノ倉沢を眺めながら食事をした。 少し下には、大岸壁がある。 川の水は利根川に。
Sさんから、りんごや漬け物やお菓子などを頂いていた。(奥様が用意してくれたと思う)

9年10月19日 (25)

下山したあと、一ノ倉沢に行く。 駐車場が見えた。 国道291号線の終点。

9年10月19日 (26)

食事のあと、写真を撮る。 登山道は、向こうに続いている。

9年10月19日 (19)

日本海側の山脈。 四方八方、遠くまで全部見渡せた。
天気が良く、このように見渡せる日は、年に何回もないと誰かが言った。

9年10月19日 (20)

左下に、ロープウェー終点が見える。

9年10月19日 (21)

アルプスの方向。 右に降った雨は日本海に。左は太平洋に。

9年10月19日 (22)

ここで食事した。 下山の準備。

9年10月19日 (24)

午後1時5分、下山開始。

9年10月19日 (27)

みなかみ町の温泉街が見える。

9年10月19日 (28)

ずっと向こうに下りて行く。

9年10月19日 (29)

ザンゲ岩が見えてきた。

9年10月19日 (30)

山全体の紅葉は十分ではなかった。 やっと1本Sさんが見つけた。

9年10月19日 (31)

ゴールが見えてきた。

9年10月19日 (32)

3時ちょうどに着いた。
もう一度、谷川岳を振り返って見た。

9年10月19日 (33)

ロープウェー乗り場に咲いていた花。 Sさんに名前は教えてもらったが、忘れてしまった。

9年10月19日 (34)

一ノ倉沢に向かった。 上にいるとき、こんな崖だとは予想できなかった。

9年10月19日 (35)

ここを、ロープを使って岩登るする人がいる。 
日本3大岩場の一つで、ロッククライミングのメッカだそう。
多くの人が亡くなっている。 昨日もヘリコプターで助けられた人がいた。

9年10月19日 (35)no9

垂直に近く切り立っている。

9年10月19日 (2)

いろんな登坂コースがあるのか。 新しいコースの開拓もあるだろうし。

9年10月19日 (3)

近くの岩の所々に、亡くなった人の名前を書いたプレートがあった。 昔の事故のニュース(You Tube)

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谷川岳の頂上は、右の耳の左奥かなと思う。 ※ 人に聞いたがはっきりしなかった。

9年10月19日

頂上から、これほど多くの山を見渡すことができたのは、初めてだった。
休みながら登ったから、そんなに疲れはしなかったが、山の風貌をふくめて厳しい山に感じた。
この山を間近で見るためにも、多くの人がロープウェーで登っていた。
1回登っただけで、谷川岳の魅力を全部分かる事は、出来ていないと思った。


白沢に戻って、晩に、Sさんご夫妻に温泉のレストランで食事をごちそうになりました。
ビールもごちそうになりながら、山の話しなどを楽しくしました。
来年、尾瀬沼に一緒に行くことになりました。
Sさんに出会って、谷川岳に登ることが出来たことは、忘れられない思い出になりました。
ありがとうございました


【道の駅】    前日に同じです。 白沢。

【明日の予定】   赤城山に行ってきます。 登るの大変ではなさそう。 麓にも見所があるので。
 追記 時間が足りなくて登れません。 どこかを歩きます。

今、私は沼田市にいるが、どんなとこか調べてみた。
ここは、群馬県の北部で、長野県・新潟県・福島県・栃木県と接していた。
そこの中心都市が沼田市だった。

また、ここは北毛と呼ばれている。
毛の意味が知りたくなったが、調べても分からない。
ある人のブログでやっと分かった。

群馬県は昔、上野(こうずけ)と言われた。
上野は、上つ毛野国(こうずけのくに)とも書いたそうだ。
上野の北部だから上毛だった。

北の方は、ぐるりと山。 清水トンネルを抜けたら、新潟県。
将棋の藤井猛という人が、この町の出身だった。 私の好きな棋士。

今日は、行くところが決まらなかったから、道の駅の近くを歩いた。

道の駅の向こうは、赤城山。(いくつかの山の総称)

9年10月18日 (9)

上とは反対の、北の方に向かった。
りんご園の暴風ネットを、捲り上げている人がいた。
この前の台風に備えたそうだ。
設備に金がかかると説明してくれた。 その割にリンゴは高くないとも。

9年10月18日 (10)

道の駅で買った柿をかじりながら歩いていた。
そこで何食べてんのよ、って後から大きな声が聞こえた。
ふり向いたら、修学旅行の子供達が、道の駅にいた。

国道に出て、歩いていたら、柿の木があった。 たくさんなっている。

9年10月18日 (11)

向こうに行ったら日光。 反対側は、沼田市街に行く。

9年10月18日 (12)

国道と平行の細い道を歩いた。 りんご園だ。
手を伸ばせば採れるところになっている。

9年10月18日 (13)

途中で曲がって、北の谷に下りて行った。

9年10月18日 (14)

知らない花が、玄関前に咲いていた。

9年10月18日 (15)

谷に下りたら、里山の雰囲気だった。 田んぼがあった。

9年10月18日 (16)

反対側で、西の方。
ここらの水はどこに流れるのか。 それは、利根川だった。 この辺りは利根川の上流域だった。 

9年10月18日 (17)

稲は倒れていたが、ちゃんと刈り取っていた。

9年10月18日 (18)

刈り取ったあとから、新しい稲が出ていた。

9年10月18日

歩いていたら、ちぎり絵館が見えた。
山下清を思い出した。 長野の方で、花火のちぎり絵を作った。
どんな絵があるのか、行ってみることにした。

9年10月18日 (2)

Sさんという家の隣にあった。奥様がここでちぎり絵を作っていた。
11月に個展があるというので、作品のほとんどは、大きなケースに仕舞われていた。
いくつかを見せていただいた。

和紙をちぎって貼り付けたものだった。

9年10月18日 (4)

こんなのは、水彩や油彩では表現できないと思った。

IMG_6150uu.jpg

私は北海道から来たといった。
奥様は、私の話し方で、北海道の人かもしれないと思った、と言った。
奥様も旦那様と共に、以前北海道にいたと言った。

9年10月18日 (5)

私が、山を登ったりしながら旅をしていることを言った。
そうしたら、うちの人も山が好きだからと言って、旦那様を呼びに行った。
3人で、北海道やここの話しをした。

旦那様は、高校生の頃、暑寒別岳に登ったと言った。   関連ブログ。  関連ブログ
あの、雨竜沼湿原から見えた山だ。

絵の感じはやわらかく、独特の雰囲気だ。

9年10月18日 (3)

旦那様は、明日谷川岳に登るという。
私は、赤城山に登る予定だったが、お願いして同行させてもらうことにした。
谷川岳に登れるなんて思ってもいなかったから、うれしい。

突然の訪問なのに、お茶やリンゴまでご馳走になった。

写真の真ん中奥に、谷川岳は隠れている。 (Sさん宅の前から撮影)

9年10月18日 (6)

北方面の山。 右のでこぼこした山は、越後駒ヶ岳と教えてくれた。

9年10月18日 (7)

明日6時に迎えに来ていただくことになった。 お世話になる。

交差点で右に曲がって戻った。

9年10月18日 (8)

明日の朝は5時に起きるので、キムヨナの記事は、少し書いて終わりにします。
追記を別の日に書きます。
フランス大会に向けて、ヨナや真央が、そしてコーチがどんなことを言ったのかは調べました。
たくさんの資料が手元にあります。

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今日のテレビで知ったのだが、ヨナのオーサー・コーチは、
ヨナが力を出し切れば、別の世界に突き抜ける、と言ったそうだ。
フリーで、ジャンプを跳ばなかったが、こう言っている。
氷に何かがあったみたい。恐怖感があった、と。

自身の限界はと聞かれて、
フィギュアスケートは得点じゃない。私自身を表現するわ、と涼しげに言ったそうだ。

真央のタラソワコーチは、
練習で出来てどうして本番で出来ないんだろう、と言ったそうだ。
本番で出来るようにするまでが、コーチの責任なのに。

荒川は何度も、自信を持てばいいと言った。
本番で成功するための手順は、そんな単純なものではないことを、本当に知らないのだろうか。
そう思った。

yonaqq.jpg

キム・ヨナの演技は、一層安定してきたように感じた。
真央が復活してほしいと思う。
背中が見えなくなったら、追いつけない。


【道の駅】    同じです。

【明日の予定】   谷川岳に登ります。 体調は戻りました。


《今日の歌》     遠くへ行きたい(You Tube)   また、知らない街を歩いてみます。


群馬県に入りました。  道の駅、白沢にいます。  ここです
7時からのテレビを見ます。 
そういうことで、いつもより早く書いてます。


戦場ヶ原を出て、金精峠に向かった。 ここを越えたら群馬県。  ここ。  吹割の滝が左の方に。
下の写真は、峠を上っている途中。
自分が写っているのを知らなかった。 今まで、足しか撮ったことはない。

9年10月17日

昨日見た、湯ノ湖が見えた。 戦場ヶ原は、その向こう。

9年10月17日 (2)

峠を下る途中、丸沼というのが寄ってみた。 小さな湖の感じだった。 特に何がってものはなかった。 ※峠の地図にある。

9年10月17日 (3)

ニジマスとかが釣れるそうだ。 この人は、フライという釣り方。

9年10月17日 (4)

大きな木がたくさんあったので、ムササビでも出て来ないかなあと、上を眺めた。
すぐ戻るのも何なので、右に見える店で、キノコ汁を買った。

9年10月17日 (6)

ヒラタケ、ナラタケなどが入っていると、店の人が教えてくれた。 少し食べてから撮影。こういうの時々。

9年10月17日 (5)

吹割の滝には、すぐ着いた。 地図では遠いと思っても近い。
土曜日だからか、人がたくさんいた。
ガソリンスタンドの人が、この辺は、ここしか見るとこないんだ、と言った。
でも、これ一つで十分と思えるくらい、いい滝だった。

案内図の真ん中辺りに、滝はあった。

9年10月17日 (7)

滝は、向こうにある。

9年10月17日 (8)

見えてきた。 変わった滝だ。 周りから中に落ちてる。

9年10月17日 (9)

吸い込まれそうだ。

9年10月17日 (10)

横から見たら、こんな感じ。 
白線があって、これ以上近づけない。 無くても近づけないが。 ※監視員がいた。
高さ7㍍。 幅30㍍。

9年10月17日 (11)

東洋のナイアガラと呼ばれているそうだ。
滝は、毎年7㎝上流に移動しているそうだ。

9年10月17日 (12)

滝の下流は、こんな感じ。 

9年10月17日 (14)

小さな滝もあった。

9年10月17日 (15)

山の上から見る道があったので行ってみた。
吹割の滝の、左の方が見えた。

9年10月17日 (16)

途中、何カ所からか見えた。 ここからが一番よく見えた。

9年10月17日 (17)

深い谷に滝はある。

9年10月17日 (18)

事故が多発しているので注意を、という放送が、下ではずっと流れていた。 

9年10月17日 (19)

滝の上流に吊り橋があった。

9年10月17日 (20)

川は、向こうに行って落ちる。

9年10月17日 (21)

人の前に滝はある。

9年10月17日 (22)

ここは周りの環境もよく、他では見られない、いい滝だと思いました。


いよいよ始まった。
フィギュアスケート、グランプリシリーズ第1戦、フランス杯
来年2月に行われる、バンクーバーオリンピックの前哨戦。
最初から、キム・ヨナと浅田真央が登場した。

キム・ヨナはボンドガールを演じきり、76.08という高い点数で、ショートプログラム1位に立った。
初戦でこの点数には驚いた。

感じたことをいくつか書きます。

※ 写真は、ネットで見つけて、カメラで撮った。 

IMG_6097.jpg

点数について】 
76.08は、ヨナの持つ世界最高得点76.12に、あと少しだった。
最初でこの点数だから、今後、同じ演技をしても、もっと高い点数が出る可能性がある。
例年のことだが、審判は、最初は自信をもって思い切った点数を出さないことがある。
それなのに、どうして今回出たかだが、審判も観客といっしょに、007の世界に引き込まれてしまった
からだと思う。 
何が、そうさせたか。
今回細心の注意を払っていたのは、一つ一つの演技の間のつなぎの部分だった。
他の選手と違って、ジャンプの前に間を置かないし、ジャンプをするために、体を反対にひねるとか、
不自然な動きはなかった。
また、手の使い方にも進化が見られた。

この部分があって完成度は高まり、観客だけでなく審判をも魅了したのだと思う。

IMG_6044.jpg

ジャンプについて
着地が柔らかくなったように感じた。
単発のジャンプの時に、それを強く感じた。
着地が以前より、沈み込む感じで、これによって着地の安定感が増していた。
筋力トレーニングの結果と思う。

最初の3回転3回転だが、カメラの位置によるのか、少し遅いように見えたが、いつもと同じと思う。
解説の荒川も、スピードに驚いていたから。

最初の3回転3回転のジャンプについて
テレビの解説で、ここ部分の点数が高くなったと言った。
調べてみたら、最初の3回転のジャンプの種類を変えていた。
以前は、フリップだったのを、ルッツにした。(エッジの使い方が違う)

IMG_6019.jpg

コスチュームについて
昨シーズンもを使ったが、ヨナに黒は似合うと思った。
ただでさえ細いからだが、引き締まって、背が高く感じた。
今後多少変更はあるかも知れないが、オリンピックに向けてのものだ。

光っている部分は、スパンコールかと思っていたら違った。
ラインストーンと言うそうだ。 表面にが張ってある。

音楽について
この曲が使えることは、きっとアーサーコーチは知っていた。
でも、オリンピックまで取っておいた。 そう思う。(以前書いたことがあるが)
曲の激しい部分は、後半のステップに使っていた。
いつものことだが、音楽に合わせた振り付けになっていた。

IMG_6098.jpg

表情について
以前ヨナはこう言ったことがある。
曲を聴いて、心で感じたことを表現しようとしていると。
演技の中で、様々な表情をするが、女優(役者)だなと思うことがある。
今日は化粧が違った。 特に目の部分が。(ボンドガールだからか)

IMG_6042.jpg

今日書き忘れた部分は、明日書きます。

最後に。

ヨナが、スタート位置に立って、軽く天井を見上げた。
これには意味があって、空間を認識するために役立つと聞いたことがある。
不安な気持ちで、リンクを見続けるのがダメなそうだ。

演技が終わって、小さくガッツポーズをした。
70点を間違いなく超える自信がないと、やらない。
上の写真の表情は、審判の評価が、自分の評価と大きなズレが無かったことへの喜びと安心の表情
と思う。

フリーの結果は、何時頃分かるでしょう。
日本時間の午前1時に始まっているから、6時か7時には分かるのか。
分かったら、ブログに追記で載せます。
   ヨナのショート演技(You Tube)


【道の駅】    白沢    場所は1行目に。

【明日の予定】   群馬県のどこを見るか決まっていない。
            今後のコースを検討するため、動けないかも知れない。
            その時は、この町を散策します。
           ※ 群馬県にいる間に、赤城山に登りたい。 (体調は今80㌫)

《今日の歌》    望郷(You Tube)  道の駅の温泉が、望郷の湯だったので。

           メンデルスゾーン・バイオリン協奏曲(You Tube)  サラ・チャン  中野ゆかりの曲の演奏者です。 中野ゆかりに似てる。


追記   18日朝7時5分
キム・ヨナが、歴代最高の210.03優勝しました。 おめでとう
        キム・ヨナ、フリー演技(You Tube)   


今いる所は戦場ヶ原だが、昔ここで、男体山と赤城山が戦ったそうだ。
それで、ここは、そう言う名前になった。

ちょうど紅葉の時期だったので、歩いて見ることにした。
今日歩き終わって、男体山も宝の山と分かった。

9年10月16日 (2)

9年10月16日 (2)no7

この近辺を全部歩こうと思って、光徳沼に向かった。 出発は、三本松の所。
この道は地図にない道で、誰も歩いていなかった。

9年10月16日 (3)

まず、光徳牧場に着いた。 これを見たかったわけではないが、途中にあった。
歌にある、牧場の朝の雰囲気だった。  牧場の朝はこんな歌
牛の数から言ったら、大きな牧場ではない。

9年10月16日 (4)

その近くに、光徳沼があった。
川が広がって流れているんだが、魅力が何なのかは分からなかった。
こういうことはよくあるから、気にしなかった。

9年10月16日 (5)

私には、楽しみがあった。 ここは、鹿が出るかも知れないという。
熊の撃退スプレーは持ったから、何が出ても怖くはない。
もう、花の楽しみはない。 何か出てくれないかなあと思っていた。

9年10月16日 (6)

歩いていたら、笹藪でガサッと音がした。 だった。
すぐカメラを向け撮ったが、写ったのは尻だけだった。
どこに逃げたかと思って探したら、いた。 こっちを見ている。 この後すぐ消えた。

9年10月16日 (7)

メジロの様な小さな鳥がいたが、せわしなく動くので、撮れない。
何でお前は落ち着きがないのよ、と言いたくなった。
でも、私は俊敏なだけですよ、と言われると思った。

道を間違って、地図にない道を歩いた。 それでも、湯滝に着いた。
完璧な紅葉ではないが、そこそこいい状態か。 

9年10月16日 (8)

湯滝は、急な斜面の滝だった。 高さ110㍍。 末広がりに落ちていた。
お湯が流れている感じではなかった。

9年10月16日 (9)

これは、上から。

9年10月16日 (10)

滝のすぐ上に、湯ノ湖はあった。 
標高1478㍍。 中禅寺湖より、200㍍以上高い。

9年10月16日 (11)

カモを、あちこちで見た。 人を見ても逃げない。

9年10月16日 (12)

湖は、紅葉に引き立てられ、静かにたたずんでいた。

9年10月16日 (13)

湖を1周するコースがあったので、歩いた。 一番遠くの湯元温泉まで、あと少し。

9年10月16日 (14)

着いた。 紅葉が綺麗だ。

9年10月16日 (15)

湖は右に広がっている。(逆光でうまく撮れない)

9年10月16日 (16)

ホテルの庭にこの木があった。
おまえ、どうしたのよ」と言うくらい、葉は赤く染まっていた。
どんな条件をクリアすれば、この色になるのか。

9年10月16日 (17)

こんな道を歩いた。

9年10月16日 (18)

湖の右に滝はある。

9年10月16日 (19)

この木も、いい色だった。 目立った。

9年10月16日 (20)

この川は、湖から出る川。 すぐ先に滝がある。

9年10月16日 (21)

湯滝を通って、戻った。 これは、滝。

9年10月16日 (22)

戦場ヶ原に入ってきた。 池と名があるが、川が広がりゆっくり流れている感じ。

9年10月16日 (23)

木が少なくなってきた。

9年10月16日 (24)

戦場ヶ原は、昔浅い湖だった。 それが湿地になり、今は木が生えてきた。
ここの木は、小さくても50年以上経っていると説明にあった。
でも、高層湿原の木は、どこもこうだ。
正面の山は、男体山。

9年10月16日 (25)

まだ木の生えてない所もある。

9年10月16日 (26)

こんな木道を通って戻った。

9年10月16日 (27)

キツツキがいた。 突いた木くずは、横に放り投げていた。

9年10月16日 (28)

花はないので実を撮った。

9年10月16日 (29)

戻った。 ここが今いる駐車場。 

9年10月16日

滝や湖がたくさんあったが、すべて男体山がつくった。
ずっと昔の爆発で、何カ所も川が堰き止められた。 そこに出来た。
今は、華厳の滝を初め、観光地になっている。

東照宮だけでは、日光はこれだけの観光地にはならなかったと思う。
寺見て何になるのよ、という人間だっているのだから。

そういう意味で、男体山も宝の山と言えそうです。
いつか登ってみたい山です。


【停泊場所】     昨晩と同じ、戦場ヶ原の駐車場。

【明日の予定】    群馬県に向かいます。


《今日の歌》      北の旅人(You Tube)   テレサ・テンはいいですよ。

                  北の旅人(You Tube)   裕次郎もいっしょに。


追記   ニュースが入りました。(17日朝)
フィギュアスケートのグランプリシリーズの第1戦(フランス大会)が始まりました。
まだだと思っていたので、日程を調べていませんでした。

ショートプログラムが終わりました。
キム・ヨナ76.08で1位です。 完璧な滑りです。 (真央は、58.96で3位)
   動画は、ここです
今日の見学を早めに切り上げて、詳しく調べます。
17日のブログに書きます。
いよいよ始まりました。

出発が遅かったため、見学開始は1時頃になった。
東照宮は、平日なのに人が多かった。
外国の人と、修学旅行の子供達が目立った。

これが、東照宮。   ここ
陽明門をはじめ、目立つ建物は国宝。 ここ全体で、世界遺産になっている。

9年10月15日no3

東照宮は、家康を祀っている。 3代将軍家光が造営に力を尽くした。

料金所の手前左に、五重の塔があった。 1818年に再建されたもの。
こうやって、ちゃんと色が付いてるのもいいかな。 
緑が入っている、独特な色遣い。 (東照宮の建物の色遣いについては、まとまった研究があるようです)

9年10月15日 (18)

入って右を撮影。 陽明門は、突き当たって右の方にある。

写真の左の建物に、猿の彫り物があった。

9年10月15日 (2)

それが、これ。 
見ざる、言わざる、聞かざる」を意味する。
これは、幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいいという教えだそう。

9年10月15日 (3)

日光東照宮の特徴は、豪華さですね。
徳川幕府の威光を示すのが、これを作った目的。

正面に陽明門。  後にある本殿より、こっちの方が有名。

9年10月15日 (4)

豪華・絢爛で立派。そして国宝。
だが、建築物としての美術的評価はどうなんだろう。 完璧では無いような気がするが。

9年10月15日 (5)

彫刻物が、びっしりと張り付いている。

9年10月15日 (6)

彫刻物の評価は、高いようだ。

9年10月15日 (7)

何をモデルにして、こんなのを考えるんでしょうね。

9年10月15日 (8)

思わず、笑ってしまいました。

9年10月15日 (9)

この建物を通って行ったら、家康の墓があるというので、行ってみた。

9年10月15日 (10)

入ったところに、眠り猫があった。
家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしていると言われている。
もう一つの教えとして「猫も寝るほどの平和」を表しているそうだ。

9年10月15日 (11)

この階段を、子供達は走っていった。 私には、階段を走って登る発想はなかった。

9年10月15日 (12)

奥の方に見えてきた。

9年10月15日 (13)

これが、家康の墓。 この場所全体は、奥社となっていた。(上の地図で)

9年10月15日 (14)

これは、薬師堂。 鳴竜と言われる絵が、天上に描かれていた。
竜の顔の下で拍子木を叩いたら、叩き終わった後も、音が響いた。
それだけのことだが、珍しいのかな。

9年10月15日 (15)

反対側から見た陽明門。

9年10月15日 (16)

本殿は、修理中だった。

9年10月15日 (17)

ここから入って、ここから出た。 この人はキップを切る人。
入るとき写真を撮ろうとしたら、早く入って欲しいのか、いい顔しなかった。
出るとき、並べて写真を撮った。 似ているように感じた。

9年10月15日 (19)

東照宮を出て、華厳の滝に向かった。
途中に、新橋(しんきょう)が見えた。 昔から、一般の人は通れなかったそうだ。

9年10月15日 (20)

いろは坂を登ったところに、明智平という見晴台があった。 そこからの風景。
見える道は、下りのいろは坂。

9年10月15日 (21)

ここが、華厳の滝の見晴台。    場所はここ

9年10月15日 (22)

ほぼ、下まで見えた。  高さ、97㍍。

9年10月15日 (23)

中禅寺湖の水が流れ落ちている。

9年10月15日 (24)

別の方から、上だけ見えた。

9年10月15日 (25)

中禅寺湖に向かった。 正面の神社は、立木観音。 その近くに行った。

9年10月15日 (26)

これが中禅寺湖。 標高、1269㍍。 高いところにある。
2万年前に男体山の噴火でできた堰止湖。(WikiPediaより) 正面の山が、男体山。(百名山の一つ)
※ この近くに登山口がある。 頂上まで3時間ほどで行けるが、体調が戻ってないので登らない。頂上が遠くに感じる。

9年10月15日 (27)

夕方だったので、薄暗い。

9年10月15日 (28)

戦場ヶ原に向かう途中、こんな川があった。 急な斜面を勢いよく流れていた。
中禅寺湖が見える。 (追記 竜頭の滝の、頭の部分)

9年10月15日 (29)


観光地はお金がかかります。
東照宮の拝観料は1300円。(世界遺産だからかなと、思った)
客の誰かが言ってた。 家康は死んでからも金儲けしてると。 他と比較して高い。
また、陽明門はすごいなと思うが、繊細な美しさとは別のものだった。

まとめになるが、
日光東照宮は何度も行くところではないが、一度は観てもいい、という辺りでしょうか。
もう結構とは思っていないが。



【停泊場所】     戦場ヶ原駐車場    ここ

【明日の予定】    この近くを歩いて見ます。


《今日の歌》      ドレミの歌(You Tube)

会津西街道は、会津若松から南に下がる街道だ。
その道は、会津鉄道と国道の通っているところだと思っていた。
どうして、大内宿がそこから離れているかが、分からなかった。
行ってみたら、いろいろ分かりました。


喜多方の近くを南に下った。 ナビは、国道でない道を案内した。
見覚えのある所を通った。
下の写真。 左に行ったら、昨日のブログに書いた、雄国沼だ。

09年10月14日 (23)

会津の街を過ぎた。 国道121号線だが、ここが会津西街道だと思っていた。

09年10月14日 (24)

途中から国道を離れて、県道131を走って大内宿に向かった。
後で知ったが、ここが会津西街道だった。

小さな宿場町かと思ったら違った。 昼過ぎに着いた。   場所はここ
平日なのに、駐車場の整理をする人が、10人くらいいた。

人がたくさんいた。 道が広い。

09年10月14日 (25)

駐車場はいっぱいあって、近いところは300円。 離れたら無料のようだ。
春と秋の連休は、交通渋滞を起こすそう。 それが、ずっと離れた国道までも。

昔から道の広さはこう。

09年10月14日 (26)

両側は、全部お店屋さん。 そば屋が多い。

09年10月14日 (27)

店の前には、水が流れている。
綺麗な水だ。 昔はここで洗い物などもしたそうだ。

09年10月14日 (28)

ここは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
昭和56年のことで、日本で3番目。
最初に指定された所は、妻籠(つまご)宿。   関連ブログ

09年10月14日 (29)

建物だけでなく、通り全体の雰囲気がよかった。
今の人達のセンスも取り入れて。
すべて昔のままにするのは難しいから、それでいいと思った。

09年10月14日 (30)

向こうから、ゆるい坂を上ってきた。
保存されてる所の長さは、450㍍。 全体の規模が、妻籠宿より大きい。

09年10月14日 (31)

店は覗かないで、写真を撮りながら歩いた。
突き当たったところに、説明板があった。

09年10月14日

上の方に神社があったので行ってみた。 近くから、下の方全体が見渡せた。

09年10月14日 (2)

この宿場の向こうは、狭い谷が続き、次の宿場まで遠かった。
反対側の後の方は、峠が続く。
会津西街道の交通の難所に、ここはあった。

ここだけ、少し大きな谷が合流しているため、土地が開けていた。
峠に向かう人、峠を下りた人誰もが、この宿場で休んだ。 重要な宿場だった。

屋根の形は、みんないっしょ。  人、人、人だ。

09年10月14日 (3)

こんなに広い道が、どうして必要だったのか。

09年10月14日 (4)

店は奥が深く、店と店との間は、小路のように中に入っていける。

09年10月14日 (5)

全体の写真は撮り終わったので、この店で蕎麦を食べることにした。

09年10月14日 (6)

となりに客がいた。 写真を撮らせてくれた。 
こうやって食べるんだと、教えてくれた。

09年10月14日 (7)

ネギ蕎麦。 このネギで食べる。
ネギをどこに置いて写真を撮ろうかと考えていた。
隣の客が、箸を置くつもりで置けばいいと言った。 なるほどと思った。
それで、ここに。

ネギの箸はだんだん短くなった。 そして、苦くなっていった。
平たい麺で、美味しかった。 

09年10月14日 (8)

つゆまで飲んでしまった。 
※ それがまずかった。 この後、水をしょっちゅう飲んだ。(そして、晩に調子が悪くなった)

09年10月14日 (9)

上の写真にも写っている、店の主人。 この人が、たくさん教えてくれた。

09年10月14日 (10)

鉄道や国号は向こうなのに、どうして街道はこっちなのかを聞いた。 こう言った。
昔は、今の国道の方に、道を造る技術がなかったと。 なるほどと思った。

よく昔の家が残ったねと言ったら、説明してくれた。
その内容は、私には予想がついていた。(妻籠宿と似ていると思った)

ここは、取り残されていた。
経済の発展が始まった時代、他の宿場は、みんな家を建て替えた。
大内宿の人達は、それが出来なかった。
家を新しくしたり、屋根をトタンにしたのは一部だけだった。 

昭和50年代に入って、古い家を残そうとなった。
意見は分かれたが、何とか今のようにできた。
反対だった人達も、家を昔に戻した。

そんなことを話してくれた。 
※ この他、街道を造るときに、農民に大きな負担がかかった。 
  そのため、喜多方事件(福島事件)がおきた。 これについても説明してくれた。

この後は、面白い物がないか見て歩いた。 観光だ。
どこも、店の雰囲気がいい。 ここもいい。 黄色の丸のが気になった。

09年10月14日 (11)

ホオヅキを薬品で、繊維だけにして、中に小さな電球をつけた。
こんな雰囲気。(写真を暗くしてみた)

09年10月14日 (12)

愛嬌があった。 リンドウもいい。

09年10月14日 (13)

南蛮は、赤か緑のどっちかだ。
店の人に、赤いのと緑があるのですか、と聞いたら、青から赤になると言った。考えれば当然だ。
でも、中間が無いのが不思議だ。 急に赤になるのか。

09年10月14日 (14)

こんなのもいい。 何の実だったかな。

09年10月14日 (15)

これもいい。

09年10月14日 (16)

こんなカエルが売っていた。 一番小さいこれを買った。 1200円。
この値段なら買えるので、買って帰ることにした。

また問題です。 このカエルは面白いです。 どうしてでしょう。 答えは、最後に。

09年10月14日 (17)

じゅうねん味噌がどこでも売ってる。
十年寝せるんですかと聞いたら、十年は「エゴマ」のことだと言った。

09年10月14日 (18)

じゅうねんあんパンがあった。

09年10月14日 (19)

10年長生きできると書いてあったので、買ってしまった。

09年10月14日 (20)

いろいろ見て、甘酒を飲んだりして、楽しくすごした。

大内宿を出たら、道はすぐ狭い谷に入って行く。

09年10月14日 (21)

国道に出たら、会津線の列車が来た。

09年10月14日 (22)

大内宿はいいところでした。 
昔の様子が残っているだけでなく、楽しむこともできました。
近くには、昔の街道も残っているので、今度来たら歩いて見ます。

問題の答え
棒を引き抜いて、太い方でカエルの背中をなで上げると、カエルの鳴く声がします。
気持ちいいから鳴くのか、その辺は分かりません。


【道の駅】    たじま    場所はここ

【明日の予定】    日光に行ってみます。 (時間があれば)

※ 時間がないので、歌は省略。

※ このブログの細かな修正は、まだ。 誤字脱字がありそう。


南下を急ごうと思っているが、日光までどう行くかが決まらない。
面白そうな所が見つからない。
こういう時は山だ。

ということで、磐梯山の登山ルートと、天気を調べた。
大変な山でないことは、分かった。 3時間みたら、行けそうだ。
天気は、晴れるが午後から下り坂。

朝5時半に起きた。 片付けたり、ブログのコメントを書いていたら、6時半。
安達太良山の駐車場を、急いで出た。

有料のゴールドラインを最後に通る。 宝の山だから、ゴールドラインだ。
途中食べ物を買って、8時前に、八方台登山口に着いた。 人は少ない。  場所はここ

これは、案内板。 6月に行った、雄国沼が見える。   地図の上が南。

09年10月13日

熊に注意の看板があったので、スプレーを持った。 人が少なそうなので、ナビも。

ここから入っていく。 8時30分出発。

09年10月13日 (2)

25分ほど、こんな所を歩いた。 ぱらぱらと、人はいた。

09年10月13日 (3)

林を抜けたら、ここに出た。 中ノ湯。 磐梯山が見えた。 8時55分。
ここには、昔、温泉があった。

09年10月13日 (4)

上を過ぎたら、登り始めた。 時々見晴らしがよくなった。
これは、檜原湖。 磐梯山が爆発して川を堰き止めた。 だから、ダム湖ではない。

09年10月13日 (5)

いつものことだが、石の多いこんな道を登った。 上の人とは、しばらく一緒だった。

09年10月13日 (6)

1時間ほど歩いたら、視界が開けた。 頂上は見えてない。 すこし奥。
丸の所に、弘法清水小屋がある。

寒くはなく、そよ風に誘われるように歩いた。

09年10月13日 (7)

小屋は、もうすぐ。 

09年10月13日 (8)

10時10分過ぎに、弘法清水小屋に着いた。 疲れはない。
飲み物や、食べ物も売っていた。
朝ご飯は食べていなかったので、ここで食事をした。 豚汁を300円で食べた。

ここにある全ての物は、店の主人が毎朝、担いで登るそうだ。 
荷物の重さは30キロくらい。 毎日、登山だ。

09年10月13日 (9)

10時40分出発。 あと30分だ。 
道は急になり、こんな状態。 この写真の数分後に、頂上に着く。
足が疲れたら、30秒くらい休めばいい。 写真を撮ってもいいし。

09年10月13日 (10)

頂上に着いた。 11時10分。 休みを入れて、2時間40分。
小屋があるが閉まっていた。  
頂上の標識は、小屋の横に。  写真中央の少し右に、会津若松市が霞んで見える。

09年10月13日 (11)

09年10月13日 (12)

頂上には、石が積まさっていた。  北に檜原湖が見える。

09年10月13日 (13)

南の方に、猪苗代湖が見えた。 日本で4番目の広さ。 大きい。

09年10月13日 (14)

昨日登った安達太良山が見えた。 真ん中より少し右。 ぽつんと、出てる。

09年10月13日 (15)

この山。 左の方に下りて行った。

09年10月13日 (16)

西より、少し北の方向。 雄国沼が見える。 ニッコウキスゲを見に行った。
その向こうは、喜多方市。 

09年10月13日 (17)

こんな感じ。 丸の所まで、小さなバスで上った。

09年10月13日 (18)

丸の右の方に、道が見える。 左の方から下りた。 花は、満開だった。  関係ブログ

09年10月13日 (19)

北より、少し東に、小野川湖と秋元湖が見える。

09年10月13日 (20)

写真を撮り終わって、知人に電話をしたりしていた。
周りが急ににぎやかになった。
登山家の田部井淳子さんが来ているという。

そっちの方に行ってみた。
人に、田部井さんはどの方ですか、と聞いたら、この方ですよ、と言った。
私のそばにいた。 その声にこっちをふり向いた。
写真をお願いしたら、快く撮らせてくれた。

田部井さんは、現在70歳。
世界最高峰エベレストに、女性世界初の登頂に成功したことで知られている。

09年10月13日 (21)

田部井さんと一緒に登る、団体の登山の様だった。 この後下山した。(食事は、弘法清水小屋の広場で)

09年10月13日 (22)

私も、少しして下山開始。 11時50分。

少し下ったら、テレビ局の取材班が登ってきた。
止まって、下山する人達を撮影していた。 
私もそこに近づいた。 カメラは、こっちに向いている。
私は、アナウンサーの雰囲気の人に、「田部井さんを取材してるのではないのですか」と聞いた。
違うんですよ」と言った。 そして、こう付け加えた。
私も、もっと知られた人だったらな~」と言った。
※ 意味は、田部井さんには人がいっぱい集まったが、自分はそうでなかったから。

どこのテレビ局ですか」と聞いたら、
テレビ新潟ですよ」と言った。

話しが雑談ぽくなったので、途中から、取材カメラは下の方を撮っていた。

いつまでも話せないから、写真のお願いをした。 撮らせてくれた。
それが、この写真。 明るい雰囲気の方だった。

09年10月13日 (23)

こんな道を下った。

09年10月13日 (24)

山の紅葉は、山場を過ぎていた。

09年10月13日 (25)

昔あった温泉が見えてきた。(中ノ湯)  もうすぐだ。
お湯が湧き出ている所があった。 手を入れてみたら、40度くらい。 源泉でこれなら低い。

09年10月13日 (26)

ゴールが見えた。 着いたのは、13時40分。 往復、4時間ちょっとだった。

09年10月13日 (27)

すぐ、五色沼に向かった。 場所はここ

空は暗い。 雨が降りそうな雲行きだ。
せっかくの沼が、いい色にはならない。  正面右の山が、磐梯山。

09年10月13日 (28)no3

雰囲気はいい。

09年10月13日 (29)

実際は、これよりもっともっと暗いが、それで評価するのは悪いので、明るく撮ってみた。
こんな風に写った。
鮮やかさには欠けるが、柔らかい、いいブルーだ。

09年10月13日 (30)

木の隙間から撮ることが多かった。
場所によって、色が違った。

09年10月13日 (31)

ミルキーブルーという感じか。 (これを見た後、雨が降ってきて戻った。見たのは2つかな)

09年10月13日 (32)

感動のブルーだったかですね。
きっと晴れてたら、写真のよう見えると思います。
でも、この写真は、いい所を探して撮りました。

倒れた木が、だらしなく沼に入っていたり、何かの建造物が沼の中で壊れたままになっていたり、問題がありました。
木が育ちすぎて、見えないのも考え物です。
周りの環境は、絵の額のようなものですから。

結論は、環境が整ったら、感動のブルーの可能性がある。
そんなとこでしょうか。 


磐梯山が、宝の山かどうかについて

まず調べてみました。

磐梯山の民謡の歌詞に、こういうのがあります。
「会津磐梯山は宝の山よ。笹に黄金かエ~なり下がる

磐梯山には、どこにでも笹が生えている。
昔、この地方で飢餓があった。その時、この笹に黄金色の実がなり、それを食べて飢えを凌いだという言い伝えがあるそうだ。
笹は数十年に一度しか実を付けないので、その時の笹の実は、人々にとってだったということでしょうか。

今も宝の山かというと、そのようです。
観光客がたくさん来て、お金を落としますから。
私も、普通に見える道を走るのに、730円払った。

また、磐梯山から流れるが、周りを潤し豊かにしている。そう言う意味でも宝の山。

ということで、磐梯山は宝の山でした。

※ その宝の山を大事にしているのか、と言うことだけど、そうとは言い切れない。
  スキー場の造成によって、山肌はたくさん剥がされた。 観光開発も進んでいる。


【道の駅】       裏磐梯    近くに温泉もあった。 少しぬるい。

【明日の予定】    大内宿に行きます。 


《今日の歌》     会津磐梯山(You Tube)

             もう一つ。   いいですよ。 外国の子供達が歌っている。

智恵子抄の智恵子が、「この上の空が、ほんとの空です」と言うから、その山に登って見ました。
ハイキングの感じで登ることが出来ました。
見下ろした風景が良いため、たくさんの人がいました。

※ 今日は少し急いでいます。
  明日早く起きれたら、磐梯山に行こうと思っています。
  ほんとうに宝の山か確かめたい。 
  また、近くに、自慢している五色沼がある。 感動のブルーか、それも確かめたい。


上りは、ゴンドラに乗った。 6人乗り。 片道900円。
昨日、麓のガソリンスタンドで100円割引の券をもらったので、800円。

9年10月12日

ゴンドラの終点駅出発は、8時23分。 少し歩いたら、展望台があった。
そこに、これがあった。 
昨日のブログの、智恵子抄の歌に出てきた画像は、ここでの写真だった。

9年10月12日 (2)

その展望台から、遠くに駐車場が見えた。 私の車は、○の中。
実は、今もそこにいる。 明日からのコースが決まらなかったので、動けなかった。
ネットの調子がいいので、パソコンは快調
楽な時だけ張り切っても、実力は認めてもらえないのに。

手前に並んでいる人は、券を買うために。 向こうは、乗るために。 観光地だ。

9年10月12日 (3)

ササとシャクナゲのトンネルの様な道を歩いたら、こんな感じの道になった。

9年10月12日 (4)

人は、数珠つなぎの様だった。 
お年寄りも多い。 
人のことは言えないが、他に行くとこはないのか。
そのことを聞いたら、「川の向こうに行くのはまだはやいので」と、言われそうだ。

9年10月12日 (5)

なんぼも歩いていないのに、頂上が見えてきた。

9年10月12日 (6)

この人の数です。 頂上に上がるために並んだ。

9年10月12日 (7)

ここが、安達太良山の頂上。 1700㍍。 
10時ちょうどだった。 1時間半ちょっとで来た。
これで、100名山、7つ目。
さっきまで雲はなかったのに、周りは見えなかった。

9年10月12日 (8)

下の様子。

9年10月12日 (9)

風が冷たいので、別の方からすぐ下りた。 

9年10月12日 (10)

下山は、くろがね小屋を通るコースにした。 下の駐車場に着く。
写真に見える道。 来るときは、右の方から。

9年10月12日 (11)

分岐点に来た。 くろがね小屋を通らない近道があった。
今日は、分岐点が4つあったが、全部遠回りをした。

頂上が見える。

9年10月12日 (12)

秋が深まってきたので、風は冷たい。 ずっと上着を着ていた。
小さな雲のかたまりが、駆け足で通り過ぎていく。
陽が差してくると温かい。 そんな時、太陽の有り難さを、直に感じる。

この場所で、食事をした。 

9年10月12日 (13)

今日はどうだい、って足に聞いてみた。 そうしたら、
「ふだんと、いっしょじゃん」って、生意気なことを言った。 鳥海山では、泣きごとを言ったくせに。

9年10月12日 (14)

紅葉が始まっているが、完璧ではない。 (追記 訂正 始まっているのではなく、終わりかけていた)
それを、綺麗に撮るのは大変だ。 ここでは、カメラの設定をいろいろ変えて撮った。全自動も含めて。
※ この写真の情報は、ISO640。 シャッター速度は、400分の1。
もっと何とかなりそうだが、分からない。

9年10月12日 (15)

下に見えるのは福島市。

9年10月12日 (16)

この辺りで温泉が湧いているのか。 硫黄の匂いがした。

9年10月12日 (17)

こんなところを降りて行った。 まあまあ綺麗ですね。

9年10月12日 (18)

くろがね小屋に着いた。 11時23分。 ここで、温泉に入ることもできる。

9年10月12日 (19)

さらに下山した。 くろがね小屋が見える。

9年10月12日 (20)

分岐点があったので、こっちの道を。 遠回りのぶん、急な下りはない。

9年10月12日 (21)

報道のヘリと思う。 紅葉が始まったことと、人出が多いので。

9年10月12日 (22)

コップが置いてあった。 飲めるのかな。 今日は、ほとんど水は飲まなかった。

9年10月12日 (23)

ゴンドラの乗り場が見えてきた。

9年10月12日 (24)

道は、また分岐していた。
あだたら渓谷自然遊歩道があったので、そっちを通った。

若い男の人が、何かを見ていた。 何見ているんですかと聞いた。
この木を見ていた。 別々に生えた木が、途中でくっついていた
どうしてこうなるか考えた。 今日は、すぐ分かった。

いつものことですが、ここで問題です。
どうして、この木はくっついたのでしょう。 答えは、写真の下に。

9年10月12日 (25)

答えは、気が合ったから。
真面目に考えていても、こんなことばっかり思いつく。 
ほんとうは、そういう自分が、好きではないんですよ。

9年10月12日 (26)

山に登らないで、ここを見に来る人もいた。

9年10月12日 (27)

小さな滝が、いくつもあった。

9年10月12日 (28)

13時40分に、駐車場に着いた。 のんびり、5時間ほど歩いた。


今日は、智恵子が毎日見て育った、安達太良山に登りました。
その空は、抜けるように青い、ほんとの空でした。


【停泊場所】   昨晩と同じ。 少し寒い。 時々、ヒーターを入れます。 
          山から下りて、すぐここの温泉に入りました。 少し熱めで、それがいい。

【明日の予定】  ブログが早く終わりました。 
           明日は、早く起きて、磐梯山に向かいます。 五色沼に何とか寄りたい。


【今日の歌】   昨晩と同じ。  智恵子抄(You Tube)  菊人形の会場では、この歌がずっと流れていた。       

春がなら、秋はでしょうか。
菊は、なぜ秋に咲くのでしょう。 虫も少ないだろうに。
寒い地方の花でもないようです。
他の花と咲く時期をずらしたのかな。 わからない。

二本松の菊人形祭りは、大きいようなので行ってみた。
場所は、二本松城(霞ヶ城)のあった所。 今は公園。   場所はここ

少年隊の像が見える。 
戊辰戦争で12歳から17歳の子供達が戦ったんですね。 その多くが死んだ。

9年10月11日 (2)

連休だから、人でいっぱい。 高速が安いから、遠くからでもやって来る。

9年10月11日 (3)

菊人形の全てが、天地人だった。 これは、兼続の子供時代。

9年10月11日 (4)

こういう展示が、9つあった。

9年10月11日 (6)

今年は55回目。 技術の積み重ねがあって、作れるのでしょうね。
服は菊。 水はどうやっているのかな。

9年10月11日 (7)

人形の顔なんだけど、この顔は他とは目線(視線)が違いましたね。

9年10月11日 (8)

これは普通。 人形の目です。 

9年10月11日 (9)no9

華やかというか、艶やかというか、そんなのがあって退屈しなかった。

9年10月11日 (10)

この子は、じっとここで見ていた。
完成したものを見るより、子供にとっては、こっちの方が面白いんですね。

9年10月11日 (12)

菊の花と言えば、葬式の花を思い出すのだが、今日はそれを忘れていた。
この菊もよかったですよ。

9年10月11日 (13)

この花は、好きになった。

9年10月11日 (14)

色んな色の菊があった。 

9年10月11日 (15)

大きな菊の花で、完璧なのを探した。
なかなか見つからない。 
菊の花は傷みやすいのか、どこかにスキがある。
やっと最後に一つ見つけた。 でも、写真は失敗した。

菊人形のお芝居をやっていた。 面白そうな題名だ。

9年10月11日 (18)

舞台は、こんな感じ。 (これは、最後の場面)

9年10月11日 (19)

※ 話の内容はだいたい分かったが、周りがうるさくて、全部聞き取れなかった。
  下の文は、内容を調べて、穴埋めして書いたもの。

その昔、岩手という女性が京都の公家屋敷に乳母として奉公していた。
だが、彼女の可愛がる姫は生まれながらにして不治の病におかされており、5歳になっても口がきけ
なかった。

岩手は何とかして姫を救いたいと考え、妊婦の胎内の胎児の生き胆が病気に効くという易者の言葉
を信じ、生まれたばかりの娘を置いて旅に出た。

9年10月11日 (20)

奥州の安達ヶ原に辿りついた岩手は岩屋を宿とし、標的の妊婦を待った

9年10月11日 (21)

長い年月が経ったある日、若い夫婦がその岩屋に宿を求めた。女の人は身重である。
ちょうどその人が産気づき、夫は薬を買いに出かけた。 絶好の機会になった。

岩手は出刃包丁を取り出して女に襲い掛かり、女の腹を裂いて胎児から肝を抜き取った。
腹を割かれた女の人は、岩手に何かを言おうとした。
その時、岩手はその人が身に着けているお守りが目に入った。
岩手は驚いた。それは自分が京を発つ際、娘に残したものだった。
今しがた腹を割いた女の人は、他ならぬ我が子だった。

9年10月11日 (22)

あまりの出来事に岩手は気が狂った。
以来、旅人を襲っては生き血と肝をすすり、人肉を喰らう鬼婆と成り果てた。

それから数年後。
紀州の僧・東光坊祐慶が安達ヶ原を旅している途中に日が暮れ、岩屋に宿を求めた。
岩屋にいた鬼婆は薪を拾いに行くと言い、奥の間を覗かぬよう祐慶に忠告して岩屋を出た。
祐慶が好奇心から奥の間を覗くと、そこには人間の頭蓋骨、手足、内臓などが散乱していた。
鬼婆の正体に感づいた祐慶は岩屋を逃げ出した。

9年10月11日 (23)

でも、鬼婆に追いつかれた。
如意輪観世音菩薩を取り出して必死に経を唱えた。
すると、その菩薩から光の矢が出て、鬼婆に突き刺さった。
鬼婆は死んだ。 元の岩手の顔に戻って。

9年10月11日 (24)

こんな感じの話しだった。 我が子だったと言うところが、山場だった。
何が、こういう話しを生み出すのでしょうね。

話しの最後に、ナレーターがこんなことを言った。
自分の心に鬼が棲んでいる。 
だから人は、神に祈り、仏にすがるのでしょうか。



菊人形を見た後、公園(二本松城跡)を歩いた。

9年10月11日 (25)

智恵子抄の詩碑があった。 安達太良山が正面に見えた。

9年10月11日 (26)

この人が、高村光太郎の妻、智恵子。

9年10月11日 (27)

仙台の瑞巌寺にあった仏像をつくったのが、高村光雲。
その長男が、光太郎。
また、一昨日のブログに書いた佐藤オリエが、智恵子役をやったことがある。(TVドラマ)

あれが安達太良山  あの光るのが阿武隈川 と書いてある。 (読めないので調べた)

9年10月11日 (28)

  智 恵 子 抄 (You Tube)

東京の空  灰色の空
ほんとうの空 が見たいと云う
すねて甘えた智恵子 智恵子の声が
あ丶安達太良の山に 今日も 聞こえる

千代紙がすき 折り鶴が好き
故郷の空へ 飛ばすと云う
願いひとすじ 智恵子 智恵子の夢が
あ丶安達太良の山に 今日も はばたく

真ごころの花 純情の花
散らない花が 欲しいと云う
黒い瞳の 智恵子 智恵子の姿
あ丶安達太良の山に 今日も 生きてる



2代目のコロンビア・ローズが歌っているが、上手ですよ。


天守閣跡から見える、安達太良山
中央右の、ぽつんと出たところが、頂上。  そこに、明日立つ。

9年10月11日

ゴンドラがあって、その頂上駅が、かすかに見えた。
私は今、下の方の、赤い丸の近くにいる。

IMG_9872no4.jpg


【停泊場所】    安達太良山の、ゴンドラの乗り場近くの駐車場。

【明日の予定】   山に登ります。  戻りは別の道です。  場所はここ
            かかる時間がはっきりしない。 情報がバラバラ。  
            6時間はかからないで、戻って来られると思います。
            出発予定は、8時です。


七ヶ宿に行きました。   場所ここ
街道は、湖のでした。 すぐそこと思ったんだけど。 
一番見たい物は消えていました。

少しだけ街道が残っていました。
そこにおばあちゃんが一人で住んでいました。
たくさん話しました。

でも、今日は眠いので続きは明日です。

問題を一つ。

温麺(うーめん)を食べました。
下に写真があります。
その右下に、紫っぽい食べ物があります。

店の人に聞きました。 これは何ですかって。
そうしたら、こう言いました。

それを聞くのは、以ての外(もってのほか)です、って。

はい。 この食べ物は何でしょう。

50点の人は、多いと思いますが、100点はむずかしい。

ヒントは言いましたからね。
答えを聞いたら、なあんだ、という人と、ビックリする人がいますよ。

答えは、明日の朝です。
正解の人には、下の写真のホオズキを一つあげます。
自分でコピーして取ってくださいね。

食事して寝ます。 10時30分。


続きです

問題の答えは、一番下に書きました。

下の写真は、道の駅七ヶ宿。
湖は、七ヶ宿湖。
ダム湖の美しさは、難しい。
本当に必要があって作られたのであれば、美しいと感じることは出来るんだが。
作るための理由が、後付になっているものも多いですから。
このダムは多目的ダムで、宮城県の大きな水瓶になっているそうだ。

9年10月10日  (2)うう

観光客はたくさんいた。 ダム湖を見に来ている人が多かった。
左側の方にダムはある。

9年10月10日  (3)

江戸から仙台・盛岡方面に向かうのが奥州街道
福島の北から分岐して、山形に抜ける街道がある。 
それが、羽州街道で七ヶ宿を通る。

9年10月10日  (4)

七ヶ宿は最も山の中で、冬の山越えは大変だったそうだ。
雪が多く、軒先までも積もった。
麓から、ここに1里近づくと、雪は1尺増えたと言われる。

街道は湖の底なので、何を見たらいいか分からなくなった。
少しだけ見て、次に行くことにした。

滑津宿に、振り袖地蔵があった。 1735年(享保20年)に作られたもの。
昔秋田の殿様が、参勤交代でここを通った時、素敵な娘に出会った。
しかし、江戸の帰りに寄ったときには病気で亡くなっていた。 それを悲しんで作った。

9年10月10日  (5)

近くに、昔の街道があった。 ほんの少しだけ。 100㍍ちょっとかな。
湧き水があるためか、街道が谷に入りこんでいた。 そのために残った。
(今の国道は、街道の上にできた)
後でまた、ここを通って戻る。 車は、地蔵さんの駐車場においた。

9年10月10日  (6)

国道を歩いていたら、お店があった。(道の駅の店のような感じ)
そこに、滑津大滝があった。 小さな滝。   ここ。
木が倒れていた。 そのために、下の遊歩道にも行けなかた。

9年10月10日  (7)

さらに行くと、親子松と大わらじというのがあった。
わらじにはお世話になるから、こういうのが出来るんですね。
大きい方の松は変です。 枯れていた。

9年10月10日  (8)

吊り橋とか本陣はあったが、どこか歩きたかったので、ここに来た。

9年10月10日  (9)

15分ほどで着いた。 
山道を歩くのはいい。 カモシカが出るかも知れないとあったので、楽しみにしていた。
カケスに会った。 まあまあ姿のいい鳥だ。
鳴き始めた。 ギャーギャーとうるさい。 鳴いたら、興ざめの鳥だ。
人にもいるかな。 しゃべらないで黙ってたら、それなりに魅力的に見える人が。

9年10月10日  (10)

国道を見渡せる高台だった。 昔、古屋館という建物があった。
伊達政宗が山形に出兵するとき、ここで冬を越したとあった。

9年10月10日  (11)

遊歩道を歩いた。 木が倒れていたり、小枝が散らばっていた。
先日の台風では、この辺は風が強かったようだ。
滝の倒れた木も、その時倒れたようだ。(観光客の話で)

急に雨が降ってきた。 傘を出した。 秋の空には、傘は必需品。
落ち葉に、大粒の雨が落ちると、その落ち葉は跳ね上がる。
雨が強くなると、次から次と跳ね上がり、最後は踊っているようになる。
一枚一枚がずぶ濡れになると、踊りはお終い。 いつか写真に撮りますね。

9年10月10日  (12)

旧街道の所に戻ってきた。 左手に昔のお墓があった。
明治時代のもあったが、ほとんどは江戸時代。 延享元年とか読めた。

9年10月10日  (13)

地蔵さんの首は折れていた。
雪が多いから、春に倒れて他のにぶつかったのか。

9年10月10日  (14)

これだけ、何とか表情が分かった。

9年10月10日  (15)

ここから入って行ったら、おばあちゃんがいた。

9年10月10日  (16)

向こうから入っていて、こっちに来た。
おばあちゃんは、雪が降るまで一人で暮らす。 ここがいいから。
雪が降ったら息子のいる仙台に行く。

ここは、どんぺ(ひっこんでいる)だから、風が弱くていいと言った。
おばあちゃんが子供の頃は、旧街道をみんなが使っていたという。
湧き水で、小さな池を作っていた。 がいた。
余ったご飯や、味噌のかぶれた(いたんだ)のをやるという。

鯉を食べるのかいと聞いたら、食べないと言った。
40年以上生きてるのもいると言った。

9年10月10日  (17)

古いお墓について聞いたら、今でもお彼岸には、訪れる人がいるそうだ。
そう言えば、線香が置いてあるお墓もあった。
下の写真の実は、なつめと教えてくれた。

9年10月10日  (18)

車で道の駅に戻って、そこで、食べたことのない物をさがした。
これが、問題に出した、うーめん
油を使っていないので、体にやさしいそうだ。 昔は病気の人が食べた。 材料は小麦粉。
店の人は、以ての外とは言わないで、ちゃんと教えてくれた。

9年10月10日  (19)

羽州街道を通って、福島市の南にある道の駅、安達に向かった。
途中、温泉に入った。 山の中だった。 この辺りには、ずっと昔から温泉がある。

昔、泉宿に一人の老人が立ち寄った。 ひと晩の宿をお願いした。女将はその人の身振りをみて、お金はないと判断し、宿はいっぱいなのでと断った。老人は、せめて納屋でもと言った。女将は言った。納屋もいっぱいですと。 その老人、この地を離れるとき、お札のような何かを川に流した。それが着いた所から温泉が出ると書いて。 今、この地域には温泉がいっぱいある。 その老人は、弘法大師だった。 こんなことが、お風呂の壁に書いてあった。 これを読んだから、久しぶりに10分ほどの長湯になった。 ※ 女将のいう、納屋の話しがおかしいです。

ここは、小坂峠。 少し行ったら、福島県に入る。   ここ
旧街道が残っていた。 道が急なので、残った。

9年10月10日  (20)

見える町は、国見町。 
この町の南隣に、桑折(こおり)町がある。 そこで、羽州街道は、奥州街道に出る。

9年10月10日  (21)

滝のあった所の店で、ホオズキを買った。 秋の雰囲気になった。

9年10月10日

きょうは、少し残念でした。
感じのいい宿場町を、いつか歩いて見たいです。


問題の答えはもってのほかという名前のの花でした。
私は初めて知りました。


【道の駅】    安達    場所はここ。   智恵子抄の千恵子の故郷です。

【明日の予定】    道の駅の情報がいいです。 近くに何かありそうです。


《今日の歌》    セントルイス・ブルース(You Tube)    古いです。

仙台です。
広瀬側のそばにある、西公園の駐車場を目指しました。 情報は、伊達のKさんから。    

ナビで行ったが、入り口が分からず通り過ぎた。
川を渡ったら宮城県美術館に着いた。   今日歩く所の地図
その中に、佐藤忠良記念館があることは調べてあったので、それをまず見た。

記念館は美術館の左の部分だった。
女の人の像が見えた。

09年10月9日 (2)

09年10月9日 (3)

若い女と、名前があった。

09年10月9日 (4)

佐藤忠良の作品は全国にあって、琵琶湖のそばで若い女・シャツというのを見た。

これは、帽子・立像。 帽子シリーズのモデルは、笹戸千津子という人。

09年10月9日 (5)

この人の像は、美しいと感じることと、顔の表情が好きだ。

09年10月9日 (6)

写真は、いろんな方向から見て、気に入ったのを撮ることにしている。

これは、カンカン帽。 悪くないでしょうか。 

09年10月9日 (7)

名前は、メモするの忘れた。 モデルはいると思う。 王監督のもあったから。

09年10月9日 (8)

ここまでの像は、外やホールにあったので、撮影は大丈夫だった。
展示室のは撮影禁止だった。

たくさんの像があったが、メインは2つでしょうか。
その一つが、これ。 名前は、帽子・夏。(パンフレットを撮影)
これを見たときは、驚きました。 感動は、クラムスコイの忘れえぬ女の半分くらいはあった。
他の作品とは、別物だった。

09年10月9日 (9)

すごかったのは、口の表情だった。
正面からのこの写真では、少し分かりにくいが、近くで斜めから見るとよく分かった。
唇をほんの少しすぼめて、次の表情に移っていく感じでもあった。
今まで、絵でも写真でも実物でも、それは見たことのない物だった。

09年10月9日 (10)uu

これは、もう一つの代表作、群馬の人。(ネットにあったのをパソコンで修正。大きいのはコピー出来ない仕組み。)
これは、視線(目線)に惹きつけられた。 それは、中空にあるようだった。
自分が動いても、自分を追ってはこなかった。(忠良の作品のほとんどがそうだが)

2群馬の人7nn

作品の中には、娘の佐藤オリエの像もあった。 柔らかな目で見つめて作ったように感じた。
監視員に聞いたんだが、今は97歳で、作品を作る体力はないそうだ。

上の二つの作品がなかったら、今の佐藤忠良の地位はきっとなかった。そう思った。


そこを出て、仙台城のあった丘を通って、青葉通に向かった。
下の写真の向こうは、東北大学の広いキャンパスが広がっている。

09年10月9日 (11)

上の写真の所を、後に少し下ったら、この風景。
橋は、広瀬川に架かっている大橋。 それを過ぎたら、青葉通

09年10月9日 (12)

橋の上から、大学の方を撮影。

09年10月9日 (13)

これが、あの青葉城恋唄にで出てくる、広瀬川。 上流方向。

09年10月9日 (14)

こっちは下流。
左の丸の中は、伊達のKさんが6年間お世話になった下宿。 この建物は5年前に新しくした。
Kさんに訪ねてみたらと言われていたので、行ってみた。
おばあちゃんと、10分ほど話した。

09年10月9日 (15)

ここが青葉通。 地下鉄工事が行われていた。

09年10月9日 (17)

道路を覆うように、木が茂っていた。 昼間でも、少し暗かった。 夏はきっと涼しい。

09年10月9日 (18)

途中に、晩翠草堂というのがあった。
土井晩翠は、戦災で家が焼かれたそう。それで、晩翠会の人達が、この建物をプレゼントしたとあった。

09年10月9日 (19)

アーケード街が、横にのびていた。 ここが一番人が多かった。
三越とかも、ここにあった。

09年10月9日 (20)

青葉通をさらに進むと、仙台駅。 途中で、左に曲がった。

09年10月9日 (21)

街角に石碑があった。

09年10月9日 (22)

芭蕉の辻とあった。 
松尾芭蕉とは、関係ないようだ。 ここに芭蕉の木があったとか、説明にあった。
城からの道と、奥州街道が交差する地点が、ここだそう。

09年10月9日 (23)

ここは、楽天イーグルスの根拠地。
※ 野村監督は、監督交代の話しがあって、面白くないそうだ。

09年10月9日 (24)

定善寺通も歩いて見た。 青葉通からこの道まで、ずっと繁華街。 二つは平行にある。

09年10月9日 (25)

川の方に戻ってきて、定善寺通はここでおしまい。

09年10月9日 (26)

街の中には、電車のようなバスが走っていた。

09年10月9日

仙台は、都会の感じがした。 
通り過ぎる人は、背筋を伸ばして、「スッ」とした感じで歩いていた。 
みんな、少しいそがしそうでした。

仙台の街に来たんだが、佐藤忠良を見に来たようになってしまった。


【道の駅】     七ヶ宿      場所はここ

【明日の予定】    七ヶ宿のどこかを見ます。 どこがいいのか、分かりづらい。

《今日の歌》     青葉城恋唄(You Tube)  庄子眞理子さんもいる。

             青葉城恋唄(You Tube)  普通のです。

台風は、頭の上を通過したのか。 今はおだやか。(午後4時20分)

4月1日にスタートした放浪の旅は、少し前、半年を迎えた。
今は、車の生活も安定してきたが、最初の頃は、この先どうなるかと思ったこともあった。
旅先で、いろんな人に出会い、助けられてきた。
また、ブログを読んでいただき、コメントや拍手やメールで元気づけられてきた。
ずっと一人ではない感じで、旅を続けることが出来た。

今日は、思い出の一部を振り返ってみます。(順不同)   気に入ったとこだけ、読んでみてくださいね。


放浪の旅スタート
4月1日、上渚滑のお母さんに頂いた、おにぎりなどを食べながら、伊達に向かった。
旅がスタートした。 不安より、開放感の方が大きかった。   関連ブログ 放浪の旅、スタート。(※旅の前日のブログ)  

本州1日目】  
まだ、寒かった。 カーナビの使い方が分からないので、この後数日道に迷う。
知らない土地に来たという印象をもった。    津軽海峡を渡る

一番長くいた道の駅
象潟には、6日間いた。 芭蕉・鳥海山・滝などがあった。 歴史資料館の人にも出会った。
これからの旅の方向が見えた、貴重な6日間。    象潟や雨に西施がねぶの花

車以外で寝たこと
旭川の姉の所以外は、一度だけです。 熊本の菊池市にある、しうさんのお父さんの山小屋です。
山小屋は、初めての経験。 猪鍋など、たくさんご馳走になった。   山小屋で、宴会。

感動のブルー、ベスト1
北海道のオンネトウだった。  道を走っていたら、急に視界が開けた。
別世界だった。      オンネトー他

一番大変だった山
十勝岳。 登山靴が新しかったため、靴ずれした。 それもあって、最後は歩くのがやっと。
この後、青い池を見る。       十勝岳・青い池 

きれいな川ベスト1
四万十川。 大きな川では、一番水がきれいだった。 また、魚がたくさんいたのも、ここが一番。
源流まで行ってきた。      四万十川・海に国道が

一番不安になったとき
四国で、車の調子が悪くなった。 車の力がなくなった。 壊れたかと思った。
徳島トヨタでお世話になった。     車のトラブル 他

こんな偶然って、あるのか
新潟であったこと。 車をたまたま止めた場所が、その人の家の前だった。
                         まったくの偶然でした

一番、時間がかかたブログ
トムラウシの遭難事故の記事です。 調べるのにかかった。
最後に下山した人は、前の日の朝から歩いて、その晩夜通し歩き、朝の5時前に着いた。
ブログは、その時刻までかかった。 途中からそうしようと思った。
後日、この記事は、ほぼこうだったと、確認できています。  大雪山系遭難~登山者の足取り~

一番、頭を使ったブログ
このブログは、自分でも気に入ってるものです。
岩手県立美術館で見た、クラムスコイの忘れえぬ女の記事。
いい絵を見ました。               忘れえぬ女(クラムスコイ)

一番きれいだった海
積丹岬ですね。 海の色が違った。     積丹ブルー 他

一番長くいた地域
津軽に半月いた。 岩木山に登ったときがメインでしょうか。 八甲田山もよかったかな。
     岩木山に登りました~山頂の風は爽やかでした~    強風の八甲田山

【旅先での酒
福岡での教え子との酒は別にして、旅先での酒をふたつ。
   五木のお祭りで、しうさん親子と祭りの実行委員の人達と飲んだ。 突然知り合って。
                                  ここに、あります。
   もう一つは、九州でホタルを見たとき。     蛍の里山国 

一番よかった温泉
これは、ランプの宿ですね。 ここでも、津軽人の温かさを感じた。   ランプの宿

私が一番行きたかった所
それは、鬼無里だったのですよ。 紅葉伝説のあるところです。 もう一度行きたい。 紅葉の綺麗な時期に。
  この歌で知りました。 鬼無里の道        鬼無里伝説

一番美味しかったラーメン
これは、高山のラーメンですね。 そのあとは、出会っていない。 蜂屋は別にして。
                                  飛騨高山、ラーメン

素敵なおばあちゃんとの出会い
二十四の瞳の小豆島で出会った。 また来るから、元気でいるんだよと言って別れた。
映画は、田中裕子の演技がいい。                 二十四の瞳の小豆島

一番熱かった温泉
十勝岳の麓にあった、吹上温泉ですね。 10秒入れなかった。  吹上温泉

最大の発見
それは、マムシですね。 ずっと探していた。 これを越えるのは熊です。
熊を撮影した日のブログは、撮りましたよ、がタイトルです。
撃退スプレーの準備をしたら、写真を必ず撮りますからね。  マムシの記事はここに

峡谷で一番よかった所
九州の、高千穂峡ですね。 このブログには、ミヤマキリシマもある。それも良かった。
                                  高千穂峡

一番魅力的な山
それは、鳥海山。 時間はかかったが、変化のある山だった。
百名山に5つ登ったが、ここが一番。     鳥海山

一番追いかけた人物
芭蕉や小町もそうですが、一番は、風林火山の由布姫だった。 墓にお参りできた。
諏訪を通った時は、また寄りますよ。    由布姫と高遠城    小坂観音院

どうしても知りたかったこと
それは、涙香岬(るいかみさき)についてです。 私が、根室にいた時代の話しですから。
           涙香岬   涙香岬(まとめ)   以前のブログ(風葬の舞台、ルイカ岬で何があったのか
            

思い出は、たくさん残りました。
これからも、いろんなものに関心を持っていきたいと思います。
広く浅くになりますが。



【道の駅】          昨日と同じ。

【明日の予定】       仙台に行ってみます。


《今日の歌》        歌に関するものの記事があります。  立待岬です。  悲恋の物語です。

                     

三陸海岸のしめくくりで、松島。 日本三景の1つだ。   場所はここ
芭蕉は、「いづれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ」と言って、ここでの俳句はない。(正確には、作ったが残さなかった)
松島や ああ松島や 松島や」は、後世の人の作り話だと、Wikipediaにはある。
このことについては、後で。

駐車場を心配したが、少し離れたところに、広いのがあった。
まず、五大堂に向かった。
赤い橋を渡った、小さな島にあった。

9年10月7日

橋の名前は、すかし橋。 下を見て歩かないと、板を踏み外しそう。
島が聖域とされているため、身も心も引き締めるために、そうしてるそうだ。

なぜ五大堂と呼ぶかは書いてありますね。 古い歴史をもっている。

9年10月7日 (2)

いい場所の小さな島に、形よく建っているので、人気があるのか。
歴史的に価値あるだけでは、こんなに人は訪れない。
近くから見ても、遠くから見ても、どこから見ても、になっていた。

9年10月7日 (3)

芭蕉が最初に訪れた、雄島に向かった。
途中に、観瀾亭(かんらいいてい)という建物があった。
見晴らしが良さそうなので、行ってみた。

9年10月7日 (4)

この辺りの土地は岩が多いから、入り口はこうなる。

9年10月7日 (5)

ここは、藩主や姫君や側室が松島に来たとき、泊まったりしたそうだ。
島全体が見渡せた。

9年10月7日 (6)

遊覧船が多い。 
松島には、大小260ほどの島がある。 
奥の方までの島全体は、山の上からでないと見えない。

9年10月7日 (7)

これから行く、雄島が見える。

9年10月7日 (8)

上にあがって、松島湾を見ながらお茶を飲むこともできる。(お金はかかるが)

9年10月7日 (9)

博物館があった。
松島湾の全体は、こんな感じ。 

9年10月7日 (10)

伊達政宗直筆のもの。

9年10月7日 (11)

お姫様が乗った籠。 狭いけど部屋だ。
本物を作る前に、模型を作ったそう。 これは、それ。 乗る所の長さは20㎝くらい。 小さい。

9年10月7日 (12)

雄島に向かった。 赤い橋が、自然の中では映える。

9年10月7日 (13)

島にはこんなのがあった。
ここの石像は状態がいいが、岩に直接のものは風化していた。 岩がやわいようだ。
島も、波打ち際は削られている。

9年10月7日 (14)

橋が見えるが、自分が渡ることは考えつかなかった。

9年10月7日 (15)

遠くの島は、どうしても暗く写る。 遠くの島は、実際に緑には見えないからか。

9年10月7日 (16)

絵に描きたくなるような島だ。
松島の松は、横に広がっている感じがした。  盆栽のようだ。

9年10月7日 (17)

何を思っているのか。

9年10月7日 (18)

芭蕉の石碑があった。
芭蕉はここで、島々や千々に砕きて夏の海、という句を詠んでいたが、推敲の段階で奥の細道から削除された。
石碑にあったのは、朝よさを誰(たが)まつしまぞ片心だが、これは奥の細道出発前に読まれたと言われている。

9年10月7日 (19)

雄島全体の管理の状態は良くなかった。

瑞巌寺に向かった。
途中の天麟院という小さな寺に、西行の石像があった。
他にあった物をここに移したそうだ。

9年10月7日 (20)

ここは円通院。 瑞巌寺のすぐそば。
庭園が素晴らしいそう。 拝観料がかかるので、外から見えるとこだけ撮影。

9年10月7日 (21)

近くにこんなのが。

9年10月7日 (22)

じつは、象潟の 蚶満寺に、紅蓮尼の碑があった。(ブログには書いてない)
追記 写真が見つかったので載せます。 こんなのがあった。

IMG_7700ww.jpg

少しだけ書くと、

昔、松島の若い男と、象潟の女の人が結婚することになった。女の人が、秋田から松島に行くと、男
の人は亡くなっていた。女の人は松島にとどまり、舅と姑に仕え二人が亡くなると出家し紅蓮と言う名
の尼になり、瑞巌寺で過ごした。

象潟と松島では、知られた人です。
この人の名前が付いたお菓子がある。
松島にはあるが、象潟では見つけられなかった。

瑞巌寺は、ここから入る。
※ 出るとき撮影。入る時は、別の方から入った。(左の方)

9年10月7日 (23)

この道の突き当たりにある。

9年10月7日 (24)

伊達政宗の力で、立派な寺に。

9年10月7日 (25)

国宝の本堂は解体修理中。 完成は8年後。 だから、本堂は見られない。

9年10月7日 (26)

この庫裡(くり)という所に、本堂のものが、ここに展示されていた。(ここも国宝)

9年10月7日 (27)

庫裡というのは、寺の台所だそう。 大きいから、僧がたくさんいたのか。

9年10月7日 (28)

中は、撮影禁止。 外から、建物を撮った。 その一部を拡大。 パソコンで修正。
展示室の仏像に比べたら、これは明治時代のもので新しい。
瑞巌寺が知っても、クレームは来ないと思っている。(瑞巌寺のことを悪く書いたら別だが)

9年10月7日 (29)

さらに拡大したので、鮮明でない。 美しい像だ。(高村光雲作)

9年10月7日 (29)no2

展示室には、仏像や、伊達家や寺の禅師の位牌などが、整然と並んでいた。
圧倒される雰囲気があった。
監視員の人がいた。 本堂の解体修理の方法を詳しく説明してくれた。
展示物は撮影できないので、中庭を撮った。

9年10月7日 (30)

ここは大書院で、博物館のようなもの。
本尊や正宗の位牌など、重要な物は、こっちに展示してあった。 ガラス越しの展示。

9年10月7日 (31)

本堂が見られないと言うことで、非公開の御霊屋(寶華殿)が特別に見ることができた。

9年10月7日 (32)

これは、正宗の正室陽徳院のお墓。

9年10月7日 (33)

建物の下に、納骨されている。

9年10月7日 (34)

この建物は、解体修理が終わっている。

9年10月7日 (35)

向こうが出口。

9年10月7日 (36)

真っ直ぐ戻らないで、左の道を通ったら、洞窟群があった。 岩が掘りやすいようだ。

9年10月7日 (37)

三十三観音巡拝所とあった。

9年10月7日 (38)no5

本物の城ではなく、昔旅館があって、その一部。
見晴らしがいいかと思って行ってみた。

9年10月7日 (39)

真ん中を撮影。 今までの中では、ここが一番高い。 五大堂はいい感じだ。

9年10月7日 (40)no2

左の方。 大きな島の向こうにも島がある。

9年10月7日 (42)

右の方。 雄島が見える。

9年10月7日 (43)

笹かまぼこを食べながら、駐車場に戻った。

9年10月7日 (44)

松島は、島だけでなく、この辺り全体の呼び名です。
大きな庭を観ているように思った。
美しい風景・瑞巌寺・観光船・海と山の幸などがあり、大きな観光地でした。
私の感動は、中くらいでした。 山の上からの風景を見ていたからか。

半袖で歩いていたのは、私だけでした。 上着を着ている人が多かった。
知らない人に、寒くないですかと言われた。


【道の駅】     おおさと   近くにあったので、ここにした。

【明日の予定】   台風が行ってしまうのを待ちます。   場所はここ

《今日の歌》    斉太郎節(You Tube)  松島~、で始まる民謡です。 三橋三智也。

            もう一つ、斉太郎節。 誰が歌っているかは分からないが。

            最後にもう一つ。  歌ってるのは、ガクトか。 2・3回聞いたら、味があるのに気づく。
いいですよ。

 

午前中、気仙沼のケーズデンキに行ってきた。
分かったことは、10月下旬に、Windows7が発売されることだった。
行かないで、ネットで調べれば良かった。

松島に近い道の駅、上品の郷(じょうぼんのさと)に向かった。
見るところは決めてなかった。 何かあるだろうと思って。

※ ニュースが2つ入ってきました。
 一つは、日ハム優勝。 おめでとう。
 もう一つは、小野小町の靴が復元新調されました。 これについては、記事の最後に。

途中に、魚竜館の案内があった。 左折したらその建物は見えた。
でも、お店に見えたので素通りしたら、下の写真の場所に着いた。  場所はここ

ここは館崎の岬で、ウタツ魚竜と名付けられた魚竜が最初に発見された場所だった。  昭和45年のこと。

9年10月6日

岬の横は、小さな湾になっており、養殖が行われていた。 
調べなかったが、牡蠣かホタテかホヤあたりでしょうか。 三陸は、ホヤの産地ですね。

9年10月6日 (2)

戻って、魚竜館に行ってみた。 
本物の化石が展示されていた。 もしレプリカしかなかったら、見なかったかも知れない。

食堂があり、刺身定食が500円。 ごはんのおかわり自由。 食後にコーヒー付き。
漁師の人も食べに来ていた。

9年10月6日 (3)

東北はこのように、温泉とか食事とかが安い。 人を差し置いて儲けるより、みんなで生きているという感じがつよいでしょうか。

魚竜の化石は、隣の建物に展示してあった。
そこは、昭和60年に、2つ目の魚竜が発見された場所だった。 
化石は発掘しないで、建物で覆っていた。 発掘は、後の世代に任せることにして。
※ この考えは、吉野ヶ里遺跡でもあった。 発掘は、遺跡を壊すことでもあり、技術の進歩を待つという考え。

9年10月6日 (4)

赤い丸の中に、化石は眠っている。  ※ 剥がした部分は、別に展示してあった。

9年10月6日 (5)

化石は、このような状態です。

9年10月6日 (6)

説明は下に。 違って写っていますが、同じ物ですね。
ネットで調べたら、ウタツサウルスで載ってる物が多い。
※ 三畳紀の生物として、認知されていた。

IMG_9346gg.jpg

IMG_9348ss.jpg

骨格は、こうなるんですね。

9年10月6日 (7)

イルカのようだったと、説明にある。

9年10月6日 (8)

発見の経緯です。 遙か昔は、海の底だったとある。

9年10月6日 (9)

ウタツ魚竜の説明。 専門的な内容。(興味のある方、読んで見ては)

9年10月6日 (10)

地質年代図。 気が遠くなるほど昔。

9年10月6日 (11)

食堂の2階は、外国の魚竜とかの展示館だった。
この魚竜の化石は、外国の物。 イクチノサウルス。 本物。
※ この名前だけ、聞いたことがありましたね。

9年10月6日 (12)

展示室からの風景。  左に見える防波堤の、左の端に、最初の発見場所があった。

9年10月6日 (13)

養殖のウキが、きれいに並んでいた。

9年10月6日 (14)

魚竜のことはまったく知りませんでした。 今日は勉強になりました。
2億年前にの太古に、少しだけ思いを馳せた一日でした。


北上川に沿って走った。 川の流れは分からなく、湖の縁を走っているようだった。

道の駅上品の郷にあった案内板。
松島仙台に近づいて来ました。

9年10月6日 (15)

ふたごの湯の前の通路。

9年10月6日 (16)

こんな絵がたくさんあった。

IMG_9388.jpg

小町のことですが、こんなニュースです。

京都三大祭の一つ「時代祭」(22日)を前に、主催の平安講
社は6日、京都市左京区の平安神宮で、復元新調した平安時代婦人列の小野小町役の沓(くつ)などの衣装を報道陣に公開。
鮮やかな色彩がよみがえった。 
 沓は正倉院宝物を参考にデザイン。和紙で土台を作り、上から蜀江錦(しょっこうにしき)と呼ばれる
文様の布地を張り付け、底は皮で仕上げた。昭和29年に制作され、数回補修されたものの老朽化が進み、新調された。

他の関連記事は、忘れなければ、7日の記事の最後に。


【道の駅】       上品の郷(じょうぼうんのさと)  温泉あり。

【明日の予定】    松島に行ってきます。 仙台を見る時間はない。 

※ 台風が近づいている。 ここの道の駅に戻ってきて、過ぎ去るまで待機するかも知れない。
   コンビニ・温泉・テレビ付き案内室・お店・レストランなど、何でもある。
   ほぼ完璧な道の駅。 (ゴミも捨てられる)


《今日の歌》     CALENDAR(You Tube)  仙台で、もし庄子眞理子さんの歌が聴けるの
           なら、日程調整してもいいが、コンサートの日程が分からない。HPは見つけたが。

道の駅のパンフレットを見たら、近くに、隕石が落ちた場所があった。
調べてみたら、こうだった。

気仙隕石(けせんいんせき)とよばれ、1850年6月13日(嘉永3年5月4日)、道の駅高田の近くにある長圓寺前に落下した。

日本最大の隕石で、落下した時の重量は135kg。
住民たちがお守りとして削るなどして、約106kgに減った。
落下日時や飛来方向、落下時の様子などの記録が文書に残っている。

現在は、国立科学博物館にある。
陸前高田市立博物館には実物大レプリカが展示されている。

実物は見られないが、行ってみた。
ここが、長圓寺。 立派な寺。  場所はここ。 

09年10月5日 (2)

場所は、本堂の正面下にあった。
大きながあるかと思ったが、なかった。 隣に池があったが、標示はなかった。  

09年10月5日 (3)

石碑に説明があった。
もう少し、読みやすい字で、分かりやすい説明にしてくれないと、理解が難しい。

09年10月5日 (4)

これの重さは106㎏。 横の長さは、50㎝以上はあるでしょうか。
住民が30㎏くら削ってしまった。
昔の人も、珍しい物だと分かっていて、欲しいと思ったんですね。

09年10月5日 (5)

隕石自体は、南極で大量に見つかるため、珍しくはないそうだ。
また、恐竜が絶滅したのは、巨大隕石の落下によるともいわれている。
※ 巨大隕石につては、ここで詳しく分かります。 動画です。


大理石海岸も、パンフレットに載っていた。  ※ 最初の地図にある。
駐車場の案内板には、下のように書いてあった。ここの大理石が、三越本店で使われているとある。

09年10月5日 (6)

波に削られにくいのか、小さな島のように、海から出ていた。
一目、輝いている風景では無かった。 

09年10月5日 (7)

ところが、波に洗われてる部分は、下のようにまさに大理石だった。

09年10月5日 (8)

大理石は、石灰岩が熱によってガラスっぽく硬くなった、変成岩だそう。

今日は、毛虫に出会った。 触ったことはない。

09年10月5日 (9)

地図の左の遊歩道を行った。 
輝いている景色ではないが、こんなの他にはない。
※ 逆光なので、暗く写った。

09年10月5日 (11)

何となく岩は白っぽい。 見る人が見たら、すぐ大理石と分かるのか。

09年10月5日 (12)

小さな海があったので、を探した。

09年10月5日 (13)

この前撮った魚と同じだ。 2匹いる。 海面より2㍍程高いが、時々波は来そうだ。

09年10月5日 (14)

昨日の石は黒かったが、今日のは白かった。

09年10月5日 (15)

地図の右側の海岸に行った。 昔切り出した跡があった。
石は重いから、船に積むのは大変な作業だった。
ここは、一目、大理石と分かった。

09年10月5日 (16)

きれいだ。 コケも付いてない。 ここのが一番だった。

09年10月5日 (17)

ここもやはり、三陸の風景。

09年10月5日 (18)

帰るとき、を見つけた。 墓石は、大理石だ。 新しく見えるが古い物だった。

09年10月5日 (19)

黄緑の中には、延享三、とある。 調べたら、江戸時代の1746年で、将軍は9代家重。
200年以上前なのに、全く風化していない。
 
09年10月5日 (20)

黄色の方は少し読みにくいが、享和元とある。
これは、1801年で、将軍家斉の時代だった。

このように風化しないことを考えると、大理石は見た目もいいが、質の高い石に感じた。

09年10月5日 (21)

気仙沼の中心街から、少し南に来た。 大型商店街が集まっていた。   この辺り
下の写真の宮城トヨタで、車の点検とオイル交換をした。 ここも、親切で丁寧な店だった。

IMG_9311kk.jpg

09年10月5日jj

1時間ほどかかるので、近くのジャスコを散歩した。 
秋の服を2つ買った。 探すのが面倒だったので、セットになって吊り下げてあるのを買った。
長袖のシャツと、その上に着る、袖のない上着。(これは、何て言うんでしたっけ)

今日は、あまり知られていない物を見てみました。


【道の駅】    大谷海岸    場所はここ


【明日の予定】    Vistaの方は調子悪いし、Xpの方は遅い。
            気仙沼で、今どんなパソコンが出ているのか、見てこようと思う。 ついでに洗濯も。

 
まず、こんなニュースが入りました。
座敷童で有名だった、岩手県二戸市にあった旅館「緑風荘」が、全焼しました。(今晩9時前)
私は、7月10日に行っていました。
その記事は、ここにあります。 写真は、2枚しかありませんが。  そこのHPは開けない。


今日は、三陸のリアス式海岸を見に行った。
ここは岩手県南部の、大船渡市
碁石海岸と呼ばれるところ。  この辺り

これは、穴通磯(あなとおしいそ)
大きな穴が、3つあった。

9年10月4日

ここは、陸中海岸国立公園。
山からすぐ海なので、平地が少ない

海岸線の風景は、荒々しい。 今日は波が大きかった。

9年10月4日 (3)

リアス式海岸は、昔は谷が沈んで出来たと考えられていたが、今は、氷河期が終わった時の海面の上昇によって出来たと、考えられている。(WikiPediaより)

遊歩道が整備されていた。 どこも、小さな松原だった。

9年10月4日 (4)

この海岸は、魚にとっては住みやすいようで、どの町も漁業が盛んだ。
道の駅が、魚屋さんみたいだ。

岩には、波で削られた穴があり、そこに波が入ると、大きな音がした。

9年10月4日 (5)

道路は、上ったり下ったり大変だ。 
山の上にも家はあるから、トンネルばかりにはできない。 ※ 自動車道はトンネル。

見晴台以外は、松の木の隙間から見る。

9年10月4日 (6)

遊覧船もある。 今日は波が荒いので、動いてない。

ここが、碁石岬

9年10月4日 (8)

碁石岬から。

9年10月4日 (7)

碁石浜に向かった。 碁石のような石があると言う。
白石なのか黒石なのか、白黒をはっきりさせなければならない。

9年10月4日 (9)

碁石浜のとなりに、小さな浜があった。 石を探している人がいた。
行ってみた。 石の色は、黒だった。

9年10月4日 (11)

思ったより、黒くない。 黒いのが混ざっている感じ。
写真の人が、こう言った。
自分が子供の頃は、ほとんどが黒い石だったと。

波に濡れたら、石は黒くなった。
ここで問題です。
どうして、濡れたら黒くなるのでしょう。 答えは写真の下に。(ヒント まじめに考えない)

9年10月4日 (12)

答え  濡れ衣を着せられて、黒にされてしまう。

歩いていて、いい雰囲気の道に時々出会う。
ここを下りたら、碁石浜

9年10月4日 (13)

浜全体は、普通の浜より、少し黒い程度。
ただ、手前の方に、黒い石の集まっている所があった。

9年10月4日 (14)

昔は、こういう所ばかりだったのか。
碁石のように、丸くて黒いのを探した。 なかなか無い。

9年10月4日 (15)

こんな石だった。 確かに真っ黒だ。 右のは、普通に黒い石。 

9年10月4日 (16)

見終わって、道の駅高田松原(たかたまつばら)に行った。 ここは、陸前高田市。

大きな松原があった。 日本百景の一つ。 

9年10月4日 (18)

右に傾いてるのがあるから、海は左に。 

9年10月4日 (19)

夕方で、薄暗くなってきた。 

9年10月4日 (20)

散歩している人や、走ってる人がいた。

9年10月4日 (21)

石川啄木の歌碑があった。 これは、駐車場にあった案内板に。

9年10月4日 (17)

読めなかった。
啄木の歌は、味わいがあるというか、おもしろい。 
最後は自分も砂になってしまったのか・・・。

9年10月4日 (22)

2つの線は、どうして出来るのか。 鳥の足がつくっているのか。

9年10月4日 (23)no7

花壇の花は、ほとんどが枯れ出した。 この花だけが、美しさを保っていた。

9年10月4日 (24)

三陸の風景の中では、どんな人が育つのでしょう。
津軽とは違うでしょうね。
海ではたらく人は、ことばや気性は少し荒い。でも、肝っ玉はやさしい
誰とも話せませんでしたが、こんな感じかも知れません。


【道の駅】      上に書いた、高田松原。  車は、400台駐車できる。

【明日の予定】   せっかくだから、もう少し海岸線を見るか、それとも山には入るか。


《今日の歌》        スパニッシュ・ロマンス(You Tube) クラシックギターより、こっちの演奏が好きです。

失敗しましたよ。
近くに、もう一つ鍾乳洞があった。 白蓮洞というのが。
買った入場券は、両方入れる共通券だった。
さっき、パンフレットを見て知った。
おまけに、そっちには、鍾乳石や石筍があった。
白蓮洞は、離れていると思っていた。

今日は、頭がすっきり。 昨日は眠かった。 昼間も。
小町を書くのは最後だったので、朝近くまでかかった。
小町についてある程度分かったことは、私にとって、うれしいことなんですよ。
※ 小町の10月1日のブログの最後に、過去の小町のブログを3つリンクしました。よかったら、読んでみてください。


どんな鍾乳洞なのか、期待して行った。
遠野からは、自動車道を通ったから、すぐだった。 場所はここ

入場券を買ったら、ヘルメットと長靴を貸してくれた。
自分は気を付けるから、帽子のままでいいと思ったが、それは間違いだった。

入り口は、写真の左に見える。

9年10月3日

ここの鍾乳洞の目玉は、鍾乳洞の中にある滝では、日本一だという。
調べてみたら、間違いなかった。 高さ29㍍。 
普通の滝でも、これだけあれば恥ずかしくない。

最初から、頭をぶつけそうなほど狭い穴を50㍍程あった。 腰が痛くなる。
その通路は、鍾乳洞につなげるために掘った通路だった。
こんな所に、出た。 川は、3㍍程下。

9年10月3日 (2)

滝は、一番奥にある。 そこまで、880メートルだという。
洞窟の中でのその距離は大変だ。 しょっちゅう天井が低くなって、何回頭をぶつけたことやら。

こんな感じで、低くなる。

9年10月3日 (3)

ここの鍾乳洞は、過去こんなランキングに入っている。(Wikipediaより) 
2006年 - お得に楽しめる鍾乳洞 第1位(日本経済新聞社)
2007年 - 暗闇の中の宝石!日本の美しい鍾乳洞BEST3 第3位(ザ・ベストハウス123)

美しいと言われるのは、中の岩が大理石のためかも知れない。

このように、縦に出来た岩の割れ目を通ることが多かった。

9年10月3日 (4)

ここの鍾乳洞は、3635㍍確認されている。(日本で10位)

聖観音像があった。 荘厳な雰囲気。

9年10月3日 (5)

聖観音だから、左手に蓮華を持っているのが特徴のようだ。

9年10月3日 (6)no99

スーちゃんには、会えなかった。
どうしてスーちゃんなんだ。 コーちゃんでいいんでないか。 

9年10月3日 (7)

800㍍を過ぎたら、滝の音が聞こえてきた。

ここを通り過ぎたら、見えた。

9年10月3日 (8)

急に開けた。 周囲50㍍の広さ。 水しぶきが霧になって飛んできた。 狭い空間だから、滝の音が大きく響く。

9年10月3日 (9)

灯りはあっても暗い。 滝のいい写真は撮れなかった。
水がはっきり写らない。(パンフレットもそうだから、仕方ないのか)
※近い距離から全体を写すには、特別なレンズが必要。

滝の名前は、天の岩戸の滝。 水は、右から流れ落ちている。

9年10月3日 (10)

天井を撮った。 真ん中辺りから、水が噴き出している。 高さは、滝の2倍の60㍍
パンフレットにあった、神秘の迷宮の雰囲気だ。

9年10月3日 (11)

きれいな水だ。 岩手の名水20選の一つだそう。
飲んでみればよかった。

狭くすると写るんだが、広くするとダメだった。 

9年10月3日 (12)

天井の低い、ここから出て戻った。

9年10月3日 (13)

水の一滴石をも穿(うが)つ、って言うやつか。 ポットホールと呼ばれる。 直径、6~7㎝。

9年10月3日 (14)

白く丸いのは、ウミユリの化石。

9年10月3日 (16)

お金がたくさん投げ入れられていた。
みんな余っているのか。 小銭だからそうでもないか。

9年10月3日 (18)

ここの滝の見所の一つに、セピオライトがある。(Wikipediaにも書いてある)
説明は、こうでした。

IMG_9138u.jpg

説明を読んだとき、どこにあるか分からなかった。 写真の真ん中にある、大きな割れ目だったのかな。 触ってみたかった。

9年10月3日 (19)

1977年(昭和52年) に、ここで映画「八つ墓村」のロケ が行われた。

9年10月3日 (20)

スタッフ・キャストは、こうだった。 私は、覚えていない。

IMG_9162k.jpg

洞窟を見終わったら、白蓮洞には気づかず、とっとと、道の駅さんりくに向かった。
だめですね~。

釜石を通ったら、製鉄所があった。 まだあったのか。

9年10月3日 (21)

これは、釜石大観音。 高さ、48.5㍍。 昭和45年のもの。 見に行こうとは思わなかった。

9年10月3日 (22)

初め、湖かと思った。 三陸は、こんな風景が続くのかな。

9年10月3日 (23)

今朝は、おじいちゃんの家でキノコ汁をご馳走になった。
美味しかった。 おじいちゃんが、自分で山に入って獲ったキノコだ。 
だんごも入っていたけど、うすく引き延ばした感じだった。

今度遠野に来たときは、どこかに行くことに、二人で決めた。
おじいちゃんには、体を動かすよう、お願いした。


鍾乳洞の魅力は何なんでしょう。 人が関わっていないし、見るだけだし。
長い年月をかけて出来上がった、自然の芸術というか、そこに生まれる神秘性というか、その辺りなのかな。
もう少し、他のにも入ってみますか。


【道の駅】      さんりく

【明日の予定】   三陸の魅力を探します。


《今日の歌》    十五夜お月さん(You Tube)  今夜は、十五夜です。

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           北の岬(You Tube)   


akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
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