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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

清水寺は、人、人、人、人でいっぱいだった。
今日は、写真を多く、コメント少なめ。

東山を、清水寺から、北に上がって行くことにした。

東山には、タテに太い道がある。 東大路通。
駅からバスで行って、この道のどこかで、下りた。
山への道を上って行ったら、この道に出た。

ここは、茶わん坂。 清水坂の、1本南。 ここを通る人も多い。

10年5月20日 (1)

舞妓さんが来た。  左の人がカメラ目線。 この後、撮影をやめて、お礼を言う。
※ 明日か、明後日、祇園に行く。

10年5月20日 (2)

後ろ姿の、首筋下の化粧が独特。

10年5月20日 (3)

ここは、仁王門。 清水寺は、ここから始まる。

10年5月20日 (4)

この寺は、奈良時代に始まっている。 音羽の滝に関わる伝説がある。
何宗かというと、北法相宗。 あまり聞かない。

この寺に来る人は、ここが何宗かなんて、考えることはない。

10年5月20日 (5)

清水坂を上がってきたら、ここに来る。

10年5月20日 (6)

三重塔。 30.1㍍。 江戸時代初期の物。 どこからも、全体が撮影できない。  美しさは、ふつう。

10年5月20日 (7)

修学旅行生がとにかく多い。 小学生から、高校生まで。

10年5月20日 (8)

京都観光は、一時下火になった。 でも、人々の努力で復活した。 今は、年間5000万人になろうとしている。

10年5月20日 (9)

見えたのは本堂。 国宝。 徳川家光の寄進により寛永10年(1633年)に再建されたもの。
「清水の舞台」とも呼ばれる。

10年5月20日 (10)

年末に、世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」が清水寺で発表される。

奥に、本尊がある。

10年5月20日 (11)

ここが清水の舞台。 飛び降りた時の死亡率は15%。 ただし、60歳以上は、全員死亡とある。
4年前に飛び降りた人は、助からなかった。
高さ、13㍍。 もし飛び降りて、怪我がなかったら、願いがかなうそう。

カメラマンが、女の子に、指差してるポーズを取れと、言っていた。 何をやってる事やら。

IMG_3848bbvvcxv

音羽の滝の付近。

10年5月20日 (12)

手を伸ばして、やっと届く。

10年5月20日 (13)

奥の院の前あたり。 普通は、向こうからこっちを撮影する。

10年5月20日 (14)

本堂前。 清水の舞台。

10年5月20日 (15)

縁結びの神とかあるので、子供らみんな行く。

10年5月20日 (16)

途中まで行って、下を撮影。

10年5月20日 (17)

阿弥陀堂。 音羽の滝は、右下少し向こう。

10年5月20日 (18)

こんな感じ。

10年5月20日 (19)

調子のいい流れだ。

10年5月20日 (20)

これが、ぬれて観世音。  この時から、1句、考え始めた。 濡れて~~を使って。

10年5月20日 (21)

さっき、こっちを撮った。

10年5月20日 (22)

阿弥陀堂の中かな。 ※ 隣が、奥ノ院。

10年5月20日 (24)

今のデジカメは、暗くたって撮影できる。
※ 暗くて何も写ってないと思っても、パソコンで加工したら、浮き出てくることがあるんですよ。
  羅臼の熊の湯の写真がそうだった。 

10年5月20日 (23)

こういう風に、見える所がある。 ちょっとした所に登る。

10年5月20日 (25)

音羽の滝の近くから。

10年5月20日 (26)

10年5月20日 (27)

向こうから来た。 間もなく出口。

10年5月20日 (28)

ここは、茶屋。 茶店は、他にも1軒。

10年5月20日 (29)

ここの茶屋は、こんな名前。  調べてみた。 すごい話だった。

10年5月20日 (30)

昔、清水寺の寺侍に月照・信海兄弟がいた。
2人は若いころの西郷隆盛と共に勤王の活動家だった。
時は、大老井伊直弼による大粛清の時代。 

西郷と月照は追われ、行き詰まり、入水自殺を図った。(安政の大獄)
月照は死んだ。 西郷は助かった。
この時、月照に最後まで付き従った大槻重助、拷問に耐えて月照を守った近藤正慎という2人の従僕がいた。

拷問を受けた近藤正慎は、最後は舌を噛み切って自害した。

大槻重助と、近藤正慎の遺族は、清水寺のはからいで、境内に茶店を営業することを許された。
それぞれ「忠僕茶屋」「舌切茶屋」として、今も営業している。
どちらも、今は、4代目。

舌を噛み切ったから、舌切茶屋だった。 驚き。

※ 追記 さらに、宙太さんから情報が。
  俳優の近藤正臣は、上の近藤正慎のひ孫だった。

三重塔。

10年5月20日 (31)

清水坂。 清水寺への、メインストリート。

10年5月20日 (32)

途中で、右に曲がって、三年坂(産寧坂)

10年5月20日 (33)

石段。

10年5月20日 (34)

途中から、下を。

10年5月20日 (35)

下から。  

10年5月20日 (36)

※ 三年坂の写真を撮ったが、少し不満。
  撮影スポットが悪いのか。 三年坂が大したことはないのか。 腕か。

二年坂に、向かっている。

10年5月20日 (37)

この石段を下りて、二年坂。

10年5月20日 (38)

こんな感じ。 いいですね。 電信柱もない。

10年5月20日 (39)

二年坂は、写真の右まで。

10年5月20日 (40)

坂の上の方。 いい感じ。

10年5月20日 (41)

雨は止まないので、戻ることにした。
ここで、適当に1句つくった。 遊びですよ。

「小ぬか雨 濡れて私も 二年坂」     ※ 二年目の旅に入った。 そんな意味も。

この電車で、亀岡へ。

10年5月20日 (42)

100円のバス。 みんな降りてしまった。 座席は、14。

10年5月20日 (43)

今日、舌切茶屋の提灯を、気になって写真に撮った。
撮ってよかった。
面白いというか、哀しい歴史が、隠れていた。


【道の駅】    同じ

【明日の予定】  明日こそ、高台寺。 そして、八坂神社、知恩院、祇園。 全部は無理かな。
         龍馬の墓は、行けるでしょう。


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三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)には、仏像がいっぱいあった。
それは、1000を越える数だった。


車は、道の駅、ガレリアかめおか に。
息子が京都にいるので、しばらくここにいるのかな。
 ※ お風呂もコインランドリーもあるので、便利。
 ※ 亀岡の駅まで、歩いて20分ほど。 バスもあり、100円で乗れる。

今日は、京都駅から割と近い、三十三間堂にした。
駅前を東に向かって歩いている。 ずっと行くと、東山に着く。 7条通り。 清水寺は、左の方に。

IMG_3594bbvvccx

ここが、三十三間堂。 柱と柱の間が、33ある。 それで、こう呼ばれる。
正式な名称は、蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。
建物の長さは、118.2㍍。

10年5月19日 (1)

堂の真ん中辺り。 
平清盛が、1164年に最初に立てたが、焼けた。
1266年(文永3に)、後嵯峨(ごさが)上皇によって復原されたのが、今の建物。
700年以上経っている。 国宝。

10年5月19日 (8)

三十三間堂は、仏道が多いことや、弓矢のことや、武蔵が戦ったことで知られている。

10年5月19日 (4)

ここから堂内に入るが、撮影はできない。 
修学旅行生がたくさんおり、おしゃべりして、注意されていた。
 ※ 生徒の中には、仏像について話してる子もいたが、寺側は、静寂を求めていた。
   ここに参拝に来た生徒たちに、寺側は何を求めているのか、それは見えない。
 ※ 今の子どもたちはダメだと、批判する声は多い。
   寺側の姿勢として望ましいのは、どんな子どもたちにも来てもらって、仏像を見ることによって、
   生きる上での何かを考えてもらうこと、また、それを願うことかなと思う。
 
10年5月19日 (2)

ここからの写真は、買った、寺の説明にあったもの。
ずらっと並んでいるので、壮観と言うのかな。 像は全部で、1032。

10年5月19日 (20)

後ろに並んでいるのが、千手観音立像。 1001体。 重要文化財。
前に、風神・雷神と、28部衆の像。 国宝。

10年5月19日 (22)

中央に、千手観音坐像。 これが本尊。 国宝。

10年5月19日 (21)

雷神像。 この後に作られる、他の寺の雷神像は、これに似る。

10年5月19日 (24)

28部衆の一人。 鳥っぽい。

10年5月19日 (25)

婆藪仙人(ばすせんにん)像。 何とも言えない表情。 説明には、名作とあった。

10年5月19日 (26)

1000体ある、千手観音は、大体こんな感じ。 (正確には、1001体)

10年5月19日 (23)

この寺は、1164年に創建され、1249年に焼失した。
救い出された仏像は、124体。 
足りなくなった876体は、1254年までに作られた。
たった、5年間で、876体。 これについては、こうだったよう。

仏師のグループがいくつかあった。
そのグループで、分担した。 一つのグループは、80とか100とかの数になる。

どの仏像も、寄木造りだった。 仏像が、部品ごとに、バラバラにできた。
ここにポイントがある。
グループの中心人物は、頭とかを作る。
経験の浅い者は、やさしい所を作る。
この方法が採れたので、集団での大量生産が可能になった。

グループが違うと、仏像の表情とかも、微妙に違ってきた。
だから、1000体の像は、似てるようで、どこか違った。

全てが、一流の仏師が作ったわけでないから、まあまあの質の物もあるそうだ。
だから、1000体は、国宝にはならない。


建物の裏の、この場所で、通し矢は行われた。 

10年5月19日 (3)

和服の人に出会った。 藤の花の色だった。 新緑に生えた。
爽やかな何かを残して、通り過ぎて行った。

10年5月19日 (5)

通し矢の的は、向こうに。 距離、118㍍。

一晩で、何本当てるかの勝負。 (他もあるよう)
最高記録は、18歳の青年。 江戸時代のこと。 13053本発射して、8133本、的に当てたという。
1分間に、9本の割合。   ※ 的に当てるのを、通すという。
強靭な体力が必要だそう。  

今は行われていなく、代わりに弓道大会。

10年5月19日 (6)

昔の様子。

10年5月19日 (27)

なお、上の場所で、宮本武蔵と吉岡一門の決闘があった。 蓮華王院の決闘と言われる。 
武蔵が縁側を走る。 1612年頃のこと。

建物の前から、左方向を撮影。

秀吉は、見える塀の向こうに、大仏殿方広寺を作った。 1789年の落雷で焼失した。
その建物の塀が、この塀。 大仏は、奈良の大仏より大きい、18㍍あったそう。

10年5月19日 (7)

方広寺を見に行った。 ここは、大仏殿方広寺の跡。

10年5月19日 (9)

方広寺の鐘。

10年5月19日 (10)

字が書いてある。

10年5月19日 (12)

この鐘に刻まれた「国」「君臣豊楽」の銘文が、徳川家康を怒らせた。
家と康を分断し、豊臣を君主としていると。 大坂の役による、豊臣家滅亡を招いたとされる。

※ でも、家康は、これがなかったら、何か別のをきっと見つけた。
※ 鐘の文は、南禅寺の禅僧、文英清韓の作。

10年5月19日 (11)

そばに、豊国時があった。 秀吉を祀っている。

10年5月19日 (13)

30分ほど歩いて、東福寺へ行ったが、5時半で閉まった。
公家の九条家を祀っている寺。

10年5月19日 (14)

近くに、天徳院と言う建物が。
開いたのは、鐘の文を考えた、文英清韓。

10年5月19日 (15)

雪舟時。 庭園があるとあったが、入らなかった。 

10年5月19日 (16)

疲れたので、東福寺駅から、電車に乗った。 駅の近くの商店街。

10年5月19日 (17)

京都駅。 設計は、こうだった。(Wikipedia)
 
設計者には、原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの
7名の複数の建築家が指名された。
審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれた。
更なる協議を結果、原広司案が最終案として採用された

10年5月19日 (18)

今回は、下から撮影。 京都タワー。

10年5月19日 (19)

この後、息子と食事をして戻った。 遅くなった。

三十三間堂は、仏像が整然と並んでいた。 
不思議に思ったのは、人が通る通路がなかった。
聞いてみた。 しゃがんだら、通りぬけることが出来ると。 ジグザグに。
年に2回掃除をすると、教えてくれた。

修復が、ずっと続いていることも。


【道の駅】    ガレリアかめおか

【明日の予定】  ねねの高台寺か、知恩院か、あの辺り。

【今日の歌】   歌でなく、三十三間堂の動画(YouTube)    決闘は、無かった。


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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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