FC2ブログ

キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

大竹しのぶが演じた、主人公 政井みねの故郷、河合町角川に行ってみた。
みねの墓に、手を合わせてきた。
みねの兄 辰次郎は、みねのために、2つの像を作った。
辰次郎の残りの人生は、みねを弔うものになった。

河合振興事務所のお世話になり、たくさんの資料を見せていただいた。
※ 写真の撮影と、まとまった資料をいただくことも。


河合町角川(かわいちょう つのかわ)は、高山から30㌔ほど北にある。
国道257を走った。 せせらぎ街道とよばれ、道がいい。

ここは、西ウレ峠。 
分水嶺で、峠の向こうの水は、日本海に。 こっちは、太平洋に。   場所はここ

10年6月18日 (1)

峠を下りた時、運転に疲れて一休み。 横を見たら、仕事をしている人がいた。
15分ほど、お話しした。

猪が多くて困ると言った。 人間が囲いの中で生活していると。
鹿や、ニホンカモシカもいるそうだ。
カモシカは、特別天然記念物なので人間に攻撃されない。 だから、人がいても逃げないという。

10年6月18日 (2)

政井みねの墓がある、専勝寺に向かった。 近くまで行ったが、駐車場が分からないので戻った。
公民館の駐車場に停めさせてもらった。  撮影場所は、ここ。  地図の左の方に専勝寺が見える。

向こうに、専勝寺がある。

10年6月18日 (4)

2004年に合併するまでは、河合村。 中心はこの辺り。

向こうに行ったら、高山。 あっちから来た。

10年6月18日 (3)

この道を歩いた。 雨はまだ降らない。

10年6月18日 (5)

こんな標示が。 ここが、政井みねの生誕の地。 お寺は、少し行って右に曲がる。

10年6月18日 (6)

ここが、専勝寺。 左の方から、上がってきた。
墓は、寺の裏にあると、調べて分かっていたので、右の山側に登った。

10年6月18日 (7)

町並みが見えた。 でも、墓はなかった。 お寺で聞くことにした。

10年6月18日 (8)

本堂の裏にあると教えてくれた。
考えてみたら、お寺の裏というのは、本堂の裏のことだ。

10年6月18日 (9)

これが、政井みねの墓。 ※ 真ん中の小さい墓。
昭和6年に、兄の辰次郎がつくった。 
※ 裏に書いてあった。 その場では読めなかったが、写真で読めた。

10年6月18日 (10)

戻る時、何気なく全体を写した。 
後で知るが、写真の中央に、木に隠れて親鸞の像がある。 
兄の辰次郎が、妹のみねのために作ったものだった。

10年6月18日 (11)

ルピナス。 自分は、ノボリフジと覚えていた。
林道なんか走っていて、この花が咲いていたら、昔そこに家があったと分かる。

10年6月18日 (12)

図書館に行くことにした。 
どこにあるか、この建物で聞いた。 河合振興事務所。

この建物の3階に、資料の展示室があると教えてくれた。 案内してくれた。

10年6月18日 (38)

すべて、あゝ野麦峠に関わるもの。 これを見て、うれしくなってきた。

10年6月18日 (13)

映画のポスター。 主演、大竹しのぶ。 兄の辰次郎役は、地井武男。
野麦峠で、飛騨を指差している。

10年6月18日 (23)

この映画は、1979年。
この年、大竹しのぶは、第2回日本アカデミー賞で、最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞のダブル受賞で2冠を独占した。

原作を書いた、山本茂実。
この人がなぜ、政井みねを知ったかが、この資料室で、やっと分かった。 ※ これについては、後で。

10年6月18日 (29)

ここ河合と岡谷、そして野麦峠の位置関係。 河合と岡谷の間は、150㌔。

10年6月18日 (24)

辰次郎は、「ミネビョウキ スグヒキトレ」という工場からの電報を受取った後、2日間で、この距離を歩く。
夜も歩いて。 時速4㌔で、38時間かかる。

左端の人が、政井みね。 写真は、これしかないという。

10年6月18日 (25)

こうです。 目鼻立ちが、はっきりしている。 美人として、評判だったという。

10年6月18日 (28)

写真をもとに、ある人が描いたもの。 上の写真は、実際よりつぶれた感じ。
だから、こっちの方が、実物に近いのではないか。 

10年6月18日 (30)

この人が、晩年の、辰次郎。

10年6月18日 (26)

辰次郎は、妹みねを亡くしてから、人が変わったように働いたという。
その目的は、供養のために、地蔵とかを作るためだった。
そして、二つ作った。
一つは、上の写真にあった親鸞聖人像。 もう一つは、後で行く、弘法大師像。

この二つによって、みねに対する、人々の記憶は消えなかった。
そうして、製糸工場の女工について調べていた、原作者の山本茂実の耳に入ることになる。
※ 山本茂実は、昔女工をしていた人に、聞き取り調査をした。
※ みねが百円工女と言われたことも、人々の記憶に残る理由になるが。

このように何かに書いてあったわけではないが、上のように私は思う。

映画「あゝ野麦峠」  

10年6月18日 (18)

この時、大竹しのぶ、22歳。

10年6月18日 (14)

場所は分からない。 今私がいる古川がロケ現場になったから、ここかもしれない。

10年6月18日 (15)

野麦峠は、飛騨と信濃を結ぶ、古くからの峠道。
明治のころ、何千、何万人ともいわれる製糸工女たちがこの峠を越えた。

この峠を通る時、北に乗鞍岳が見える。
乗鞍岳の北に、安房峠があり、そこに安房トンネルが出来た。 主要道路はそっちに移った。 野麦峠の今は、観光道路。

10年6月18日 (16)

この町だから、撮影現場の写真が残っている。

明治の最盛期、輸出の60%は生糸だった。
大きな利益を生み出し、兵器などの軍備を賄った。 そして、明治の日本は軍事大国になっていく。

10年6月18日 (17)

右の子は、原田美枝子。 この子も病気になった。

10年6月18日 (27)

みねは病気になって、辰次郎が迎えに来た。 
辰次郎は岡谷の病院を勧めたが、みねは、飛騨に戻りたいと言った。

野麦峠まで来た。

10年6月18日 (19)

10年6月18日 (21)

そこでの台詞(せりふ)。

10年6月18日 (22)

撮影現場。 大竹しのぶは、ここに書いてあるような役者ですね。

10年6月18日 (31)

振興事務所の方が、弘法大師像への道を、ていねいに教えてくれた。
お寺を過ぎて、さらに歩いた。

10年6月18日 (32)

途中、ローズガーデンがあった。

10年6月18日 (33)

橋の左の方に、小さく見えてきた。  場所はここ

10年6月18日 (34)

10年6月18日 (36)

弘法大師像。 親鸞聖人像とこれを作る費用のため、辰次郎は夢中で働いた。

10年6月18日 (37)

この谷の国道360を更に進むと、天生峠があり、それを越えたら白川郷。
この辺り一帯は、豪雪地帯。

10年6月18日 (35)

この町に来て、なぜ、政井みねの人生が、野麦峠という映画になったかが、分かった。

荻昌弘という人の、あゝ野麦峠の解説がある。 これがいい。 映画を見る前と後のを、二つ載せます。
    映画の前の解説   映画の後での解説

工場の男たちの女工に対する態度は、人間そのものを毒したと言っている。
それは、言い直せば、女工の人としての尊厳を、踏み蹴散らしていた、とも言える。
人間の尊厳を思う時、クラムスコイの描いた「忘れえぬ女」を思い出す。


※ 河合振興事務所には、お世話になりました。 感謝です。

【道の駅】    アルプ飛騨古川   ここです

【明日の予定】  野麦峠を予定しているが、天気予報がよくない。

【今日の歌】   思いだして下さい(YouTube)  テレビドラマ「あゝ野麦峠」の主題歌

           奥飛騨・星の宿(YouTube)  安房トンネルが出てきます。 城之内早苗。 もう少し上手に歌ってほしい。

【ブログランキング】  国内旅行1位、旅行全体で3位です。  
             クリックするバナーは、左の一番下にあります。気に入った所がありましたら、よろしく。
スポンサーサイト



akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

名前:
メール:
件名:
本文:


-天気予報コム- -FC2-

この人とブロともになる

QRコード

気にいったところがありましたら、クリックをお願いしますね。

FC2Blog Ranking

ありがとうございます。