キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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暑いです。 夏本番。

せっかく会津若松にいるから、鶴ヶ城を見ることに。

10年7月20日 (1)  10年7月20日 (2)  10年7月20日 (4)

この城は、戊辰戦争の時、幕府軍と明治政府軍とが戦った。 丈夫な城だった。

石垣の隙間に、薄い石がある。

10年7月20日 (3)

太鼓門から入った。

10年7月20日 (5)

石垣に変わった階段があった。 武者走りとあった。 太鼓門に登る。

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鶴ヶ城稲荷神社。 この城の守護神。

10年7月20日 (7)

瓦を、新しいのにしていた。 ここの城は、1965年に復元されたものだった。

10年7月20日 (8)

石垣は、昔のまま。 ここは、塩蔵。 会津に海は無いから、塩は貴重。

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城の中は、資料館。 鉄筋コンクリート。

少し前に、あったのかな。

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鉄砲を持つことができた。 重い。 日本刀は、鉄砲よりは大分軽い。

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昔の城と、今の城。

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寺の建物を復元する時、鉄筋コンクリートにはならない。 城は、どうしてかな。

熊本城は、木造での復元に切り替えましたね。
本丸御殿は、素晴らしいものだった。 新しいけど、見応えがあった。
熊本城の人気の秘密は、この辺にあるように思う。

結論を言うと、鶴ヶ城は、何かが足りない。 見所が見つからない。 

外を歩いた。

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茶室麟閣を見た。 千利休の子の、少庵が作ったとあった。

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ここが、茶室。

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茶と言うのを、ちゃんと飲んだことはない。

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感じのいい庭だった。

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荒城の月の碑。

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「荒城の月」の詩は、土井晩翠が、取り壊された鶴ヶ城をモデルに書いたと言われている。 ※ 他に、青葉城も。
瀧廉太郎がイメージしたのは、岡城址。  ※ 関連ブログ 岡城址

10年7月20日 (24)

飯盛山。 打ち水をしていた。

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ちょっとの石段なのに、エスカレーターがあった。 250円。 高い。

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山を人巡りすることに。

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上の写真の、左の像。 重そう。

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山にトンネルがあって、水が来ていた。
今から400年前に、掘った。 長さ150㍍。 1日平均50人働いて、3年かかった。  
猪苗代湖の水を引いた。 白虎隊も通ったとあった。

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この上に、さざえ堂が。

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雰囲気が違う。

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拝観料400円。 入ってみた。

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時計回りで、スロープ。

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頂上。 反対回りで下りる。

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こう。

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真中は、このように。

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出口。 同じ道を通っていない。 不思議な建物。

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一番下は、上り。 その上は、下り。 その上は、上り。 その上は、下り。

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こんな建物。  江戸時代に建てられ、明治に入って修理。

10年7月20日 (33)

当時日本に伝わっていた、このような図。 ※ 2重螺旋(らせん)と言うそう。

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宇賀神堂。

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白虎隊の像があった。 服装は洋服。

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会津若松の町並み。

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少し歩いたら、白虎隊の墓があった。

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1868年、この山で自刃した。 19人。 16歳から17歳の若者。
 
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向こうに下りる。

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小さな広場が、自刃した場所。

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像と碑があった。

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真ん中辺りに、鶴ヶ城が。

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鶴ヶ城を見ている。 この表情は、どういう意味だろう。

10年7月20日 (51)

登山口に向かった。 高い所なので、涼しいだろうと期待も。

途中に会った、小野川温泉。 ここも、小町と関係がある。 近々歩いてみようと思う。
ここの温泉は、黒川温泉を学び、再開発を行っている。  ※ 黒川温泉

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ロープウェー乗場が見える。

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近くに白布観音があったので見た。 古い。

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ここは、ネットの繋がりが悪かったので、この後、100㍍程下に動く。
この場所は、直江兼続が、鉄砲を作った場所とあった。

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さざえ堂が、面白い建物だったでしょうか。

ここへ来る時、草木塔の古里を通って来た。 去年取材した。


【停泊場所】      白布温泉の、ロープウェーの近く。  ここです

【明日の予定】     吾妻山へ

【今日の歌】      愛しき日々(YouTube)  

              白虎隊(YouTube)   流れる曲は、荒川静香がメダルを取った時の、エキシビションの曲。

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コメント

会津若松

鶴ヶ城は修理中だったんですね。さざえ堂は行ってみたかったです。
今日は吾妻山登山ですか、昨年吾妻小富士には行きましたが遠方に見えてた山がそうでしょうか。
気をつけて登ってください。

会津若松

会津若松は、やはり悲劇の町ですね、戊辰戦争と白虎隊を抜きにしては語られない。正座して、神聖な気持ちでブログを読みました。15,16歳の少年たちが藩のことを思い、命をかけて戦ったことを思うと、やはり今の平和の尊さに感謝せずにはいられません。会津若松の家老・西郷頼母の生き様に感動せずにはいられません。藩主の松平容保に、新政府に恭順してくださいとひたすら叫び続けた、その勇気に対し、いまも頭の下がる思いです。西郷は藩主に対し、藩を救うため、藩民を救うため、切腹してくださいとも嘆願しているようです。しかし、松平は何もしなかった。藩を、藩民を見捨てた。最後の海軍提督の井上成美風に言えば、松平容保は「真の紳士」ではなかったのだ。エリートではなかったのだ。エリートは、国難一大事のときは命をかけて取り組まなければならない、と井上はよく語った。しかしながら、当時のことは当時の者にしかわからないと思いもします。難しい時代でした。その後の会津の人々はよく頑張りました。
山川浩・山川健次郎兄弟の生き方には、感動を憶え、忍耐と努力を教わりました。夏目漱石の熊本時代の小説「草枕」は旧制五高の教授時代の作品ですが、漱石は山川健次郎と、「草枕」の舞台である熊本県下の小天温泉(おあまおんせん)に出かけ、そのときの模様を参考にして「草枕」を書き上げました。今度、熊本に来られるときは、漱石ゆかりの地ー草枕温泉に一緒に入りましょう。山の中腹の、見晴らしのいい温泉です。露天風呂からみる、眼下の有明海はさらに素晴らしい。夕陽の有明海は夢心地です。一時は黒川温泉同様、九州で一番人気の温泉箇所でした。眺めがいい。泉下の漱石もビックリ!

Re: 会津若松

吾妻小富士から見えてますね。 10㌔ほどです。
飯盛山は、観光資源として、大きな魅力を秘めていますね。
それを、どう開発するかが問題でしょうか。
今は、よくないかな。




Re: 会津若松

あの時点で、戦って得る物があると考えたのでしょうか。
大政奉還した後なのに。

当時の人の考えを知りたいですね。
また、この少年たちは、日常どんな会話をしていたのでしょう。
聞いてみたいですね。

ものを判断する時の、基準になる考えは、何だったんでしょう。

過渡期で、複雑な時代だったのかな。






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akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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