キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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今から60年前の今日、相撲取りの大鵬は、樺太から引き揚げ、稚内港に下りた。
昭和20年8月21日の昼前。
母親、兄、姉の4人。 大鵬は5歳。 乗っていた船は、小笠原丸。
小樽まで行く予定だった。 
母親は船酔いがひどく、予定を変更した。

小笠原丸。 聞いたことがある人も、きっといる。
あの、留萌沖で国籍不明の潜水艦に攻撃された、3隻のうちの1隻。 小笠原丸は沈没。 
この日、幼い大鵬は、運命の分かれ道にいた。


朝から時々雨。 午後になって回復。
車の中から撮影。 向こうに見えるのは、しうさんの車。

10年 8月21日 (1)pp

「たからや」という塩ラーメンの店があると分かったので、昼に行った。
蕎麦を食べたかったが、近くに店がなかった。
写真の奥に、稚内駅が見える。

10年 8月21日 (2)

店は混んでいた。 まあまあ美味しかったが、全部食べられなかった。  昨晩飲みすぎ。
※ 私の携帯にカードが入っていなかった。
  しうさんが撮ったのを、メールで頂いた。

10年 8月21日 (1)

稚内公園から下を。   稚内公園はここ

10年 8月21日 (2)mm

稚内公園には、小学校の4年生の時に来た。 見学旅行だった。 稚内駅までは汽車で。
中川の国府小学校にいた時の話。
バスで坂を登ったときの風景を憶えている。 
この旅行で、ホッチキスを買った。 紙を綴じたら、自分で本が作れるように思った。
今でも、どこかにある。 数年前に見た。

これが、氷雪の門。 この門の向こうに樺太がある。 今日は見えない。
樺太で亡くなった人たちの霊を慰めている。 

10年 8月21日 (3)

像の作者は本郷新

10年 8月21日 (4)

60年前の、昭和20年8月20日に、樺太の真岡町(現ホルムスク)の郵便局で、9人の若い女性交換手が死んだ。
ソ連軍が攻めてきて、助からないと考え、服毒自殺した。 朝の6時頃。
ぎりぎりまで、電話交換の仕事をした。    ホルムスクはここ

※ 上に書いた大鵬は、この日の深夜、引き揚げ船に乗る。

10年 8月21日 (5)

現場を見たロシア兵も、十字を切ったと言われている。

使命感でこうなったのかと思うけど、泥水を飲んででも、生きる道を選んでほしかったと思うかな。
上に立つ者(年長者)の考えで、こういうことが起きた。
美しいというより、悲惨な事件だ。    ※ 九人の乙女の物語

10年 8月21日 (7)

観光客は、必ずここに来る。

10年 8月21日 (6)

しうさんのマリリンにさよならをして、宗谷岬に向かった。

10年 8月21日 (8)

ここが、日本最北の地。 宗谷岬。 本当の最北地は、海の中にある小さな島。
※ 本当の本当の最北地は、北方領土にある、とも言える。

10年 8月21日 (9)

記念撮影。 海の向こうは、サハリン(樺太)。  ここです

10年 8月21日 (10)

間宮林蔵の像。 1808年、この近くから樺太に渡った。(数㌔稚内寄り)

10年 8月21日 (11)

10年 8月21日 (12)

ハマカンザシ。 千島にも咲いているそう。

10年 8月21日 (13)

10年 8月21日 (14)

このカモメは、優しい顔。

10年 8月21日 (15)

海には、魚がいっぱい。 15㌢位の大きさ。 小サバか。

10年 8月21日 (16)

宗谷岬の歌碑。

10年 8月21日 (17) 

宗谷岬(YouTube)

10年 8月21日 (18)

お土産屋さんの中に、流氷があった。 寒い部屋。

10年 8月21日 (19)

小熊なら、かわいい。

10年 8月21日 (20)

丘の上に、旧海軍の望楼があった。 ※ 望楼~遠くを見渡す建物。櫓(やぐら)。

10年 8月21日 (21)

宗谷岬の全景。 閉店したお店も目立つ。

10年 8月21日 (22)

右に港。

10年 8月21日 (23)

大鵬の家族は、大泊(コルサコフ)で、小笠原丸に乗った。  コルサコフは、ここ。

この日、大泊から3隻の引き揚げ船が出た。 小笠原丸・第二新興丸・泰東丸。 最後の引き揚げ船。
稚内港に寄ったのは、小笠原丸だけ。 他の2隻は、真っ直ぐ小樽に。
約1500人が乗っており、そのうち、800人が稚内港で下りた。
約700名は小樽へ。 しかし、留萌沖で攻撃され、沈没。 助かったのは、61名だけ。

攻撃したのは、間違いなくソ連軍の潜水艦。 ロシアが認めないから、国籍不明となっているだけ。

大鵬の母親の体調不良が、幸運を呼んだ。

昭和20年8月21日、つまり、60年前の今日、
5歳の大鵬は、家族4人で、あの北防波堤ドームの下を歩いていた。   

    ※ 関連ブログ  引き揚げ船の悲劇 他


【道の駅】   さるふつ公園   ここ

【明日の予定】  明日晴れる予報になっていた。 
         日ノ出岬の写真を撮るには、絶好の日だ。
         南下するかもしれない。 


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コメント

宗谷岬

「宗谷岬」はいつ聞いても気持ちいい歌ですね。岬に立ち、心地いい風が吹いてくるようです。今回は宗谷地区の歴史を知り、その重みを感じました。今回のブログは、宗谷地区の歴史書でした。大鵬一家の、命がけの引き揚げ、終戦後の戦の犠牲者ー九人の乙女たち。乙女の悲劇は、全く知りませんでした。沖縄の「ひめ百合部隊の悲劇」と同じですね。戦争は弱いものを悲劇に巻き込みます。この悲劇は永遠に語りつがなければいけませんね。最近、浅田次郎が「終わらざる夏」を上梓しました。北方領土の占守島の出来事を書いています。昭和20年8月18日~25日くらいの時期の戦争です。ロシア兵が侵入してきたのです。8月15日以降の戦争が幾つもありますね。知らないことばかりです。ロシアという国は、信用できません。今も昔も。不可侵条約は勝手に破るし、北方領土は返さない。戦争は終了しているのに、引き揚げの民間船は魚雷で沈め、知らないふり。強引なシベリア抑留。これも外交を通じて、賃金を請求すべきです。極寒で栄養失調に陥り、5万人ほど亡くなっているらしい。
国家ロシアに対し、深い憎悪感を抱きます。しかし、人間トルストイは好きです……。この葛藤のはざまの心境が難しい。

Re: 宗谷岬

戦争は、正義も理屈も、どこかに行きますね。
勝った者が正義。
北方領土にいた人たちは、小さな船で、真夜中、花咲港や根室港を目指した。
恐怖の脱出劇は、根室にいる時何度も聞きましたね。

日本は、ロシアに対して、お人好しすぎるかな。
だから、島は戻らない。 

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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