キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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     ※
夕方、伊達の道の駅、だて歴史の杜に来ました。
昨年の秋に来たことがあります。
今晩は、お酒を少し飲みます。

記事はあとで追加します。少しだけ書きます。

洞爺湖にある、噴火で埋まった家を見てきました。
普賢岳のように保存されていました。

留寿都村に「赤い靴」の像がありました。
気になったので、見てきました。
いい話ではありませんでした。

調べてみました。
今まで言われてきた赤い靴の話しは、少しあやしいことが分かりました。
もし、今までのが本当だとしても、銅像を建てるほどではない、と思いました。

洞爺湖の市街地が見える。

_MG_4190.jpg

中島。

_MG_4189.jpg

※追記 200年4月5日に泥流が発生。避難が徹底されたので、死傷者はいなかった。この時の報道で思い出すのは、避難勧告等、情報を出す側と住民との信頼関係が強かったように記憶している。

公衆浴場。

_MG_4177.jpg

団地。

_MG_4183.jpg

右下でも、噴火が。 住宅地のすぐそば。

_MG_4172.jpg

右下がこんな感じ。
赤丸が、上の二つの建物。

_MG_4184.jpg

泥流(火砕流)の規模の大きさは、はるかに普賢岳の方が大きいように感じた。(現地で眺めただけだが)

_MG_4174.jpg

赤い靴公園は、村の中心部にあった。

_MG_4193.jpg

表情から、女の子の心の中は、読めなかった。

_MG_4202.jpg

この像がどうしてここにあるのか。
何があったのか。
話しの内容や問題点については、明日になります。

※ここから追記

書いてあったのを一応載せますが、これは定説に基づいて書かれたものです。

 この童話は留寿都村に実在した女性の娘をモデルに、大正10年、詩人野口雨情が作詞、11年に本居長世が作曲発表された。
 物語は明治38年、幼い娘を抱いた未婚の母が木枯らしの吹く函館に着いたことに始まる。母は静岡県不二見村(現清水市)出身の岩崎かよ、娘はきみ。
 当時台頭しつつあった社会主義運動の一つ「平民農場」が原子基を指導者として留寿都村八の原に開かれ、運動に情熱を傾けた青森県出身の鈴木志郎がこの農場で岩崎かよと巡り会い、結婚する。厳しい開拓地へ幼子を連れて行けなかったかよは、この子の養父安吉と相談の上、きみを函館の宣教師C・ヒュエット夫妻に預けた。が、その後母と子は二度と会うことが無い。
 平民農場は厳しい気候や重なる災害に遭い、明治40年に閉鎖。鈴木夫妻は札幌に出、志郎は北鳴新報に入社して、野口雨情一家と共に一つ屋根の下で暮らした。かよは娘のきみがヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったと思い込み、雨情夫人に境遇を語ったことが後年雨情の作詞につながる。
 娘の安否を気にしていた岡そのさん(志郎とかよの娘)が、昭和48年、童謡のモデルは実姉であると新聞に投書、報道機関は協力して発掘に乗り出した。特に、北海道テレビの菊地寛氏はアメリカまで赴き調査をして結果、きみは病のために渡航せず、明治41年9月に東京麻生の施設で9才の命を了えたことが判明。
 当時の開拓生活は大層苦労が多く、きみと同様の人生を送った子どもがたくさんいたと思われる。「赤い靴」はその鎮魂歌ともいえるだろう。

以上が内容。
変だな、と思ったのは。

① 娘のきみを手放した土地が、どうして函館になったのか。平民農場が大変なことは函館に来て知ったからか。大変なのは農場に行ってから分かるのでは。もし、清水で知っていれば、連れて来ないはず。
② 養父と相談とあるが、養父はどこにいるのか。清水ではないのか。
③ 2年後札幌に行くが、呼び戻せたはず。なぜ、そうしなかったのか。預けてから、たった2年しか経っていないのに、どうしてアメリカに渡ったと考えることが出来たのか。

初め読んだとき、子どもを捨てた話しなのに、何だかんだ言って美談にしているな、と感じた。
それで、注意深く読んで、上のことを思った。

ネットですぐ調べた。
私が疑問に思ったことは解決できなかった。

その代わり、論争が起きてることを知った。
Wikipediaにも載っている。  ここに。

私は、中身の部分に疑問を持った。
そうでなくて、初めから、全体に疑問を持てば良かったんだ。

定説に異議を唱えている中心の人は、作家の阿井渉介という人。
この人の考えを、ネットで読んだ。
私も、定説はあやしいと思った。

ただ、この人の論理の展開というか、人を納得させる技術というか、そんなのが足りない感じがした。これは、他の人も指摘している。


結論になりますが、
定説は個人の調査に基づいている部分が多いので、全ては信用できないかな。
私の本心を言えば、定説も、定説の基づいて書かれた碑の文も、事実とは違うなと感じています。きつい言葉を使えば、「ねつ造」があるのではと疑っています。

これからは、こういう像や歌碑があっても、ちゃんとした物かどうか確認してから行くことにします。

※追記はここまでです。


北の湖記念館。
今日入った温泉のそばにあった。

_MG_4204.jpg

時間がなくなりました。
とりあえずここまで。

※追記
【24日の予定】   地球岬に行ってみようかと。ほんとうに丸く見えるのか。どのくらい膨らんでいるのか知りたいです。計算できるのか、考えて見ます。

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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