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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

     ※
日本海側を通って、函館に行くことにした。
八雲から山に入って行く。

※ 今(9時)、江差の道の駅にいます。テレビが入る。選挙のニュースを見ながら書いています。まさかそこまでは、という結果になりそう。

途中の海岸線。
木を育てるための風除けの柵が続いていた。
このように、海岸線に森を復活させるための取り組みは、昔 襟裳岬であった。

9年 8月30日  (2)  

日本海側に出て走っていると、こんな所が。
ここに昔、洞窟があったという。
その洞窟で、円空が仏像を彫ったと説明にあった。

跡と言っても、当時の写真や絵でもなければ、よく分からない。

9年 8月30日  (3)

渡島半島の日本海側に来ると、義経伝説が多い。
詳しくは分からないが、少し考えてみたいと思う。

乙部町にある道の駅、ルート229元和台 で一休み。 場所はここ
海岸線はこんな感じ。
写真に見える道は、旧国道。
トンネルが多く、峠を越えることはなかった。

9年 8月30日  (4)

こんな岩が。 蹴飛ばしたら、ポキッと折れそう。
こんなのは積丹にもあった。 もっと根元が細かった。

なぜバランスよく根元が削られるのか。
例えば、右の方を削られたら、重心は右に移る。
そうなると右の方の岩は、重さで微妙に収縮し堅くなる。
こんどは、反対側の左側が、削られやすくなる。
それを繰り返しているため、倒れない。

波に洗われているときは、特にそうでないかなと。
どうでしょう。 無理があるかな。

9年 8月30日  (5)

昔、1795年に、こんなことがあった。
船で昆布を獲っていたら、強風で漂流した。中国の北京に着いた。苦労の末、2年後に戻った。それに関わって作ったもの。潮笛という名前が付いていた。

9年 8月30日  (6)

乙部町の国道から、この山が見えた。
畑にいた人に、山の名前を聞いた。
九郎岳と言った。   場所は、ここ

義経の名前は、源九郎義経。 (義朝の九男)
下の写真に、姫川が。 姫とは、静御前のこと。

9年 8月30日  (7)

伝説は、こうだった。(乙部町のHPより)

その昔、九郎判官義経が兄頼朝の追討をのがれ、乙部に蝦夷地最初の足跡を残しました。
乙部での義経の生活は2年にも及んだといわれています。
しかし、安穏とした気持ちにはなれなかったでしょう。なぜならそこには兄と弟の敵対を余儀なくされる非常の世界があったからです。
また愛妾(あいしょう)静御前もまた義経をおもうばかり、ついには蝦夷地まで北上し、乙部まで辿り着いたものの、悲運にも数ヶ月前に義経は乙部の川をさかのぼり、乙部岳を超えていたのです。
悲嘆にくれ、この世には生きながらえる望みも気力も失い尽くしてしまった静御前は川に身を投じてしまいました。
▲姫川
乙部の部落の人々は、義経と静御前の悲しい運命に同情してか、2人が逢えずに越えた峠を姫待峠、そしてその山を九郎岳、静御前が身を投じた川を姫川と、いつしか誰となく呼ぶようになったのです


姫川橋が見えてきた。  ここ

9年 8月30日  (8)

姫川橋から見た、姫川の上流側。

9年 8月30日  (9)

名前の由来が書いてあった。こんなの珍しい。

9年 8月30日  (11)

読みづらかったら、ここを。

9年 8月30日  (10)

姫川を上流に向かって走った。
姫川という地域があった。
そこから見た、九郎岳。

9年 8月30日

姫待峠の場所は、分からなかった。

義経が北に向かった、義経伝説は、東北や北海道にたくさんある。
不思議なことに、バラバラにあるのではなく、線で結びつくという。
これで分かる事は、義経が実際に北に向かったか、伝説をある人間が広めた かのどちらか。
広めたとすれば、その目的は何だったのでしょう。
そこが知りたいですね。

調べたら、北海道には、これだけの義経伝説があった。 (義経は北海道に渡ったのか、より)

①稚内市  源義経試し切りの岩
②旧厚田村 義経の涙岩
③旭川市  義経岩
④積丹町  女郎子岩  神威岩伝説
⑤岩内町  雷電岬  弁慶の刀掛岩
⑥寿都町  弁慶岬・義経の物見台
⑦乙部町  姫待ち峠・九郎岳・姫川
⑧江差町  義経の馬岩
⑨函館市  船魂神社・義経腰掛の松
⑩平取町  義経神社
⑪本別町  義経山
⑫羅臼町  義経の尻もち岩

いろんな伝説の中で、岩とかに名前が付いたのは、伝説として面白みに欠けるでしょうか。
乙部町のように、地名として残っている方が、もしかしてという、ほんの少しの楽しみがあるかな。

同じ伝説でも、鬼無里の伝説は、実際に紅葉という人がいたと、私は思っていますよ。


《資料》  Wikipediaから。
昔、小谷部という人が、義経は死ななかったという根拠を発表しました。
現在否定されてる部分もありますが、こんなのです。

○ 奥州衣川で文治5年4月30日に討ち取られた義経の首は、事件を5月22日に報告し、6月13日に鎌倉の頼朝に届けられている。当時としてもあまりに遅い。故意に腐らせ偽物と判別できなくするためではないか。
○ 『吾妻鏡』で衣川事件から1年後(1190年5月)鎌倉に義経軍が攻めてくるという情報が流れ緊張が走った、と記録が残るが、事実上鎌倉幕府が先の衣川事件の首は偽物であり、義経が生きているのを知っていたという証拠ではないか。
○ 成吉思汗の少年時代の記録として「朽木の洞に隠れていて助かった」とあるが、兄頼朝の伝説と内容が重なる。
○ 『大日本史』などでは鎌倉に届けられた首は偽首としており、蝦夷へ逃亡したと記している。
延宝年間の『可足記』に九郎判官の身代わりに杉目太郎行信が致し、行信の首が鎌倉に運ばれた、と記す。
モンゴル高原の中央部で生まれた成吉思汗は1190年から1202年まではユーラシア大陸の東端において、満州女直や高麗軍と戦った記録が残されている。なぜ、そんなところまで行って戦争しなければならないのか。これは義経が沿海州に上陸し、満州女直のワンスンと交戦したからではないのか。
○ 成吉思汗が1206年にハーンに即位した時の「九旒の白旗」の建立は源氏の氏の長者、武家の棟梁の宣言ではないか。「白旗」は源氏の旗印であり、「九旒」は九郎判官を意味するものではないか。
○ 成吉思汗は紋章として笹竜胆を使用した。笹リンドウ(源氏の紋章)を尊び、九の数を好むのは己の名の九郎に因んだからではないか。 戦術も同じ、戦い方もそっくりであった。
○ 成吉思汗はニロン族、すなわち日の国よりきた人として蒙古に伝えられている。この「ニロン」とは「ニホン(日本)」のことはないか。
○ 成吉思汗は別名を「クロー」と称した。これは「九郎判官」ではないか。また、軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。蒙古の古城跡では「城主はクロー」と称していたという言い伝えがある。
○ 北海道と大陸の間に昔からアイヌの行き来があって、義経一行はしばらく北海道に滞在した後アイヌの水先案内人によって大陸に渡った可能性が十分に考えられるのではないか。
○ 沿海州ナホトカとウラジオストクの間に「ハンガン」という岬と泊地があり、九郎判官が上陸した土地ではないか。
○ 成吉思汗が滞在した熱河省(現河北省北東部)に「へいせん」という地名があるのは、義経ゆかりの「平泉」によるのではないか。
○ 蒙古では現在でも「オボー祭り」が8月15日に開かれているが、義経が幼年時代をすごした京都鞍馬山でも、この日、同じような祭りが見られる。
○ 成吉思汗はニルン族の貴族キャト氏族だが、「キャト」は「キョウト」「京都」出身をあらわしているのではないか。
○ 両者とも背は高くなかった。酒も全然飲めなかった。
国名「元」は「源」に通じる[6]
○ 蒙古の地名や現地言語に日本内地、蝦夷との類似性がみられる(チタ、スルガなど)。蒙古には「源」の苗字が多い。
○ 成吉思汗の前半生には空白部分が多い。
○ モンゴル文字にかなりの平仮名からヒントを得たとしか考えられない文字が存在する。


【道の駅】    江差    場所はここ

【明日の予定】  江差の街を見ます。 その後、函館に。


《今日の歌》       眠れない夜を抱いて(YouTube)  もう、何年経つでしょうね。 

          北の岬(YouTube)  土曜日に載せる予定でしたが、出来なかったので。聴いてくれてる人がいるようです。

          歌ってよ夕陽の歌を(YouTube)  季節が、夏から秋に移る、この時期の歌でしょうか。




※ 選挙の結果が出ましたね。

この結果をどう見るか。
大事なのは、政治が動いたことにより、世の中が変わるかどうかです。
変わらなかったら、期待したのはむなしかったことになります。
もし変わったら、気づくのに長い年月がかかった、と言うことになります。

怒濤のように一方に流れるのは、問題があります。
それは、いい方にも悪い方にも、その可能性があるからです。
最悪の場合が戦前です。いい見本です。

それでも、日本が変わる可能性を感じる日は、今までずっとなかった。
見守ってみる価値はあると思いますね。
もしだめだったら、日本の将来に光は見えてこない。

住みよい社会を実現してくれたら、政党はどこでもいいわけです。
そう思いますよ。


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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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