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キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

Vistaの方が、起動しなくなりました。
写真の準備は終わったのですが、そこで画面が壊れました。
何回やってもだめです。

今、XPの方で書いてますが、こっちに写真はない。
写真は、やり直しかも知れない。

文を少し書きます。

富嶽百景をの天下茶屋は、道の駅から、遠くはありませんでした。
河口湖から、甲府に行く昔の道にありました。
御坂(みさか)峠を上っていって、トンネルのすぐ手前でした。

今日は雲が少しありましたが、富士山のきれいに見える所でした。
太宰治は、ここに、昭和13年9月13日から11月15日までの、約3ヶ月間いました。

写真をとりあえず1枚載せます。
(XPは、全てが遅い。 私のXPで写真20枚以上は、苦しい。)
(Vistaは、修復に挑戦させています)

IMG_7304.jpg

昨晩、富嶽百景を久しぶりに読みました。
小説に出てくる関係部分の写真を撮りました。

月見草のも、分かりました。
いい話です。 
津軽で滝を見たとき、一緒に行った人が、滝の後ろの写真を撮った。
あの人に似た、おばあさんが(婦人)が登場する。

バスの中で、みんな富士を見ていた。
そのばあさんだけ、反対側を見ていた。

ばあさんは、月見草を見つけて、指をさした。
太宰はそれを見て、美しいと思った。 富士山と同じかそれ以上に。

太宰は、天下茶屋の庭に、月見草の種を植えて、来年来るから大事に育ててねって、娘さんにたのむ。

太宰は、月見草が好きになった。
富士山に似合うと言ったが、自分に似合うと思ったかも知れない。

この頃お見合いしているから、もしかしたら、甲府のその人が月見草とダブったかも知れないとも。
(これは、かってに私が思った)

太宰が、部屋から眺めた風景も写真に撮りました。
子どもと行ったトンネルも。
バスからの風景も。


ほうとうを食べました。
太宰が、放蕩息子だから出されたと勘違いした、太いうどんのような料理です。
信玄も好んで食べたものです。
野菜がいっぱい入ってて、美味しかったですよ。

太宰が使った、机と火鉢がありました。
火鉢は、太宰が寒いだろうと、女将さんが富士吉田まで行って買った物です。


今、11時5分。 Vistaが復活しました。

概要は書いたので、写真だけ、この後載せます。


追記

朝いたのが、赤い所の、道の駅かつやま。 天下茶屋は近かった。

IMG_7314vvp.jpg

上野地図の、大橋。

09年10月29日 (12)

昔の国道に入った。 御坂峠

09年10月29日 (13)

峠を上りきったら、見えてきた。

09年10月29日 (14)

トンネルの手前にあった。

09年10月29日 (15)

今の建物は、横にも建物を足した。(客が増えたからと思う)
外観は、だいたい同じように作ったそうだ。(聞いた)

09年10月29日 (16)

富嶽百景に、こうある。

甲府市からバスにゆられて一時間。 御坂峠(みさかたうげ)へたどりつく。
御坂峠、海抜千三百米(メエトル)。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、
井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。


09年10月29日 (17)

太宰は初め、富士山を好まなかった。

ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。 まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。

09年10月29日 (18)

今の店の中は、こんな感じだった。(中の作りは、昔と違う)

09年10月29日 (19)

こんな暖簾が。

09年10月29日 (20)

これが、ほうとう。 

語源については、WikiPediaにこうある。参考までに。
「ほうとう」の名は「餺飥(はくたく)」の音便したものであるとされる。平安中期の古辞書『和名類聚抄』に引用)に見え、院政期の漢和辞書である『色葉字類抄』に既に「餺飥 ハクタク ハウタウ」として登場するから、この頃にはもう「はうたう」という語形になっていたことがわかる。このように、「ほうとう」は「うどん」以上に歴史のある食品であるが、伝来時期は異なるとはいえ、「ほうとう」が「うどん」と同じく中国から伝来した料理の流れを汲むものであることは間違いない。現代の陝西方言でワンタンのことを「餛飩」と書いて「ホウトウ」と発音する。

太宰は、放蕩と思ったのか、機嫌が悪くなったそうだ。
でも、これが好きになっていく。

大きな鉄鍋で、下に野菜がいっぱい隠れている。
すいとんの感じで、私は好きだ。 量が多かったが、全部食べれた。

09年10月29日 (21)

階段の位置は、昔と違うそう。
突き当たりの右が、太宰が使った部屋。 今は、隣と合わせて、小さな記念館。

09年10月29日 (22)

昔の部屋を復元。 床柱は昔のを使用。

09年10月29日 (23)

隣の部屋から撮影。 あの窓から富士山を見る。

09年10月29日 (24)

太宰が見た、風景。 左上に、富士山の上が見える。

九月、十月、十一月の十五日まで、御坂の茶屋の二階で、少しづつ、少しづつ、仕事をすすめ、あまり好かないこの「富士三景の一つ」と、へたばるほど対談した。
ねるまへに、部屋のカーテンをそつとあけて硝子窓越しに富士を見る。月の在る夜は富士が青白く、水の精みたいな姿で立つてゐる。私は溜息をつく。ああ、富士が見える。星が大きい。あしたは、お天気だな、とそれだけが、幽(かす)かに生きてゐる喜びで、さうしてまた、そつとカーテンをしめて、そのまま寝るのであるが、あした、天気だからとて、別段この身には、なんといふこともないのに、と思へば、をかしく、ひとりで蒲団の中で苦笑するのだ。くるしいのである。仕事が、――純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかへつて私の楽しみでさへあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術といふもの、あすの文学といふもの、謂(い)はば、新しさといふもの、私はそれらに就いて、未(ま)だ愚図愚図、思ひ悩み、誇張ではなしに、身悶えしてゐた。

09年10月29日 (26)

この部屋での写真ではないが、こんなふうに飲んだのか。 そんなには飲まなかったそう。

09年10月29日 (25)

記念碑の写しだろうか。 
※ 近くに記念碑があったが、行かなかった。 後で、パンフレットで知った。

09年10月29日 (27)

これが月見草。(オオマツヨイグサ)

09年10月29日 (28)

峠の途中からも、何度も富士は見える。

09年10月29日 (29)

富士には、月見草がよく似合う、の場面が登場するのは、この部分。

河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布(ひふ)を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの咏嘆(えいたん)ともつかぬ言葉を、突然言ひ出して、リュックサックしよつた若いサラリイマンや、大きい日本髪ゆつて、口もとを大事にハンケチでおほひかくし、絹物まとつた芸者風の女など、からだをねぢ曲げ、一せいに車窓から首を出して、いまさらのごとく、その変哲もない三角の山を眺めては、やあ、とか、まあ、とか間抜けた嘆声を発して、車内はひとしきり、ざわめいた。けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶(いうもん)でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥(いちべつ)も与へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
 「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。

 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙(あひたいぢ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。

太宰は、月見草の種をまく。

 私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ぱいとつて来て、それを茶店の背戸に播(ま)いてやつて、
「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。


下のトンネルに関わっては、こんな文が。
富士にたのまう。突然それを思ひついた。おい、こいつらを、よろしく頼むぜ、そんな気持で振り仰げば、寒空のなか、のつそり突つ立つてゐる富士山、そのときの富士はまるで、どてら姿に、ふところ手して傲然(がうぜん)とかまへてゐる大親分のやうにさへ見えたのであるが、私は、さう富士に頼んで、大いに安心し、気軽くなつて茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一団を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を通つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。トンネルの冷い地下水を、頬に、首筋に、滴々と受けながら、おれの知つたことぢやない、とわざと大股に歩いてみた。

09年10月29日 (30)

太宰は、井伏鱒二と御坂山に登るのだが、その中にこんな文が。 最後がいい。
パノラマ台には、茶店が三軒ならんで立つてゐる。そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営してゐるじみな一軒を選んで、そこで熱い茶を呑んだ。茶店の老婆は気の毒がり、ほんたうに生憎(あいにく)の霧で、もう少し経つたら霧もはれると思ひますが、富士は、ほんのすぐそこに、くつきり見えます、と言ひ、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つてその写真を両手で高く掲示して、ちやうどこの辺に、このとほりに、こんなに大きく、こんなにはつきり、このとほりに見えます、と懸命に註釈するのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑つた。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思はなかつた。

この人と、甲府で見合いする。 石原美知子。

09年10月29日 (31)

昭和14年1月に結婚。

09年10月29日 (32)

長女園子さん。

09年10月29日

この人は、天下茶屋の娘さん。 月見草に水をやってくれた。

09年10月29日 (2)

こんなのが。

09年10月29日 (3)

ここでの写真ではないが。

09年10月29日 (4)

天下茶屋は、富士山がきれいに見える所だった。


この後、伊豆に向かった。 左は、山中湖。

09年10月29日 (5)

静岡に向かう道。

09年10月29日 (6)
09年10月29日 (7)

三島を通った。

09年10月29日 (8)
09年10月29日 (9)

道の駅、伊豆のへそまで、あと10㎞ない。 暗くなった。

09年10月29日 (10)
09年10月29日 (11)mm


津軽の斜陽館は、資料館だった。
ここのように、小説の舞台になっている所の方が、面白い感じがした。
太宰人気を裏付けるように、多くの人(ファン)が来ていた。

富士には、月見草がよく似合う、が どこの場所で、どんな風に生まれたかが分かりました。
                 関連ブログ。
富嶽百景全文はここにあります


【今日の道の駅】    伊豆のへそ     場所はここ

【明日の予定】     天城峠を越えてみます。

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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