キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

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道の駅の裏手の山に、満光寺という小さな寺があった。
昨日、山門まで行ってきた。
この寺の説明板があり、面白いことが書いてあった。
ニワトリが家康を助けたという。
また、他の魅力として、が美しいようだ。

今日、午後から行ってきた。
道の駅からは、このように見える。 

9年11月12日 (1)

山門が見える。 古いものだ。

9年11月12日 (5)

この寺の説明がある。
その中に、伝説として残っている、家康のことが書いてある。

家康は、1573年の三方ヶ原の戦いで信玄に負けた。
岡崎城に逃げ帰るとき、ここを通ったそうだ。
 ※家康は、一旦浜松城に逃げるが、その後と考えていいのか。
この場所は、岡崎城までの途中にあたる。

家康は、この時まだ若く、30才だ。
夕方やってきて、この寺に泊る。
詳しくは下に書いてあるが、ニワトリの泣き声で、危機一髪助かることになる。
家康は、ここでの恩を忘れることはなかった。

後に、寺領三石(さんごく)を、この寺に与えることになる。  ※ 家光の時代に、更に20石。
ここの道の駅の名前は、鳳来三河三石だ。 意味が分かった。

このことについては、後ほどまた。

9年11月12日 (3)

こちらは読みやすい。

9年11月12日 (4)

山門の向こうに、本堂が見える。

9年11月12日 (6)

1782年(天明2年)に、火災があり、この山門だけが焼け残る。

9年11月12日 (2)

山門のそばに、お地蔵さんがならんでいた。

9年11月12日 (7)

口の表情に特徴がある。

9年11月12日 (8)

微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも見える。

左に、元禄十三と読める。 西暦1700年だ。 山門より7年早く作られた。
山門といっしょに、1782年の火災を見ている。

9年11月12日 (9)

今でこうです。 紅葉のときはどうなるんでしょう。 見たいですね。

9年11月12日 (31)

本堂は、火災の2年後の、1784年に再建されている。 200年を過ぎた。
庭園は、建物の山側にあった。
玄関で挨拶した。 奥様が庭園に案内してくれた。 賽銭箱のようなのがあり、志を入れた。

9年11月12日 (30)

ここの庭園については、ネットで調べてあった。 
愛知県指定文化財になっており、一般に知られているものだった。

この写真は、正面を広く撮ったもの。 ※ こういうときに使うレンズがある。 それがあれば、全体を写せる。

9年11月12日 (10)

奥様がテープを聞かせてくれた。 13分ほどの長さ。
先代の住職さんが庭の説明をしている。

右の下の方。 人間がつくった、自然の美という感じでしょうか。

9年11月12日 (11)

この庭は、山門と同じ年に作られていた。 宝永4年(1707年)

これは、左下。 

9年11月12日 (12) 

小堀遠州流の庭だそうだ。 庭全体の岩で、ここに元々あったのは、3つだけだそう。

中央下の部分。 池の形は、心の字の形だそう。

9年11月12日 (13)

石、岩、木、池の配置など、仏教的な意味を持っており、どれにも名前があった。

これは、上の方の右半分。

9年11月12日 (15)

庭園が、ある考えに基づいて作られていることを、初めて知った。
テープの説明は分かりやすかった。 中央右の大きな木は、などど説明するので、説明の場所も分かった。
テープの声の先代の住職さんは、1回だけ、あっちに見えるのは、と言った。
私は、どっちを見ればいいのか分からなかった。 
庭を見ながら、このテープに声を録音していると思った。
こういうのを発見するのが、私は好きですね。 
一人で、思わず微笑んでしまった。

これは、上の方、左半分。

9年11月12日 (14)

庭園を見終わった時、奥様が来た。
家康は、どっちから来て、どの方向に行ったかを聞いた。 伝説の中身だ。

7~8人の家来と共に、庭園の写真では、右の方から来て、西の岡崎の方に行ったという。
下の地図では、三方ヶ原や浜松城は、地図の右下。 黄色は、この寺の場所。 赤が岡崎城。 
その道は、庭園の上の山の尾根伝いにあった。 ※ この地図に、点線で道が見える。 昔の道と同じと思う。

IMG_9080nnn.jpg 

家康は寝るとき、朝ニワトリが鳴いたら起こしてほしいと頼んだ。
ところが、真夜中にニワトリは鳴いた。 その日に限って真夜中だった。
起こしてもらい出発する。 武田軍は、その後すぐに来る。
伝説は、ニワトリに助けられたとなった。

部屋の奥からは、庭はこのように。

9年11月12日 (28)

三方ヶ原の戦いは、家康の大惨敗であり、人生最大のピンチだった。

9年11月12日 (18)

大正時代の作品。
「山の吉田の満光寺さまのとりになりたや 鶏(にわとり)に」と、書いてある。

9年11月12日 (16)

この部屋は、隠れ部屋のような、2階の部屋。
昔、天狗党の乱があった。  天狗党の乱(Wikipedia)
それに関わった家の御姫様が、幕府に追われる。 その途中、この部屋にかくまわれる。
最後はつかまって、殺されたという。(史実として、確かなよう)

9年11月12日 (17)

写真は、自由に撮らせていただくことができた。
本堂の中。

9年11月12日 (19)

平安中期の作という。 ただ、素人が塗りなおしたため、文化財としての価値は下がったそうだ。

9年11月12日 (20)

こんな表情。

9年11月12日 (25)

たくさん仏像があった。

9年11月12日 (21)

これは、室町時代だそう。

9年11月12日 (22)

こんなのも。

9年11月12日 (23)

円空が彫ったのに似ている。

9年11月12日 (24)

詳しい説明は、お願いしなかった。

9年11月12日 (26)

これは、本尊。 十一面観世音菩薩。

9年11月12日 (27)

家康を助けたのと、同じ種類。

9年11月12日 (29)

奥様に、ブログには書ききれないほど、説明をしていただきました。
家康の伝説は、この満光寺だけでなく、地域のものとして語り継がれていました。

もし、家康がここに寄っていたら、長い年月の間に、今の形になったと思われます。
伝説は、各地にあります。 その中のどれかは、本当の可能性があります。

ここに伝わる伝説は、中身がいいですね。
困っている人間を助けた。 その恩に、助けられた人間は報いた。

このような伝説が方々にあるが、このことについては、調べる時間はありませんでした。
※ 参考になるのは、小町伝説です。 それは、ここに

満光寺の奥様に、みかんや野菜、そして、さつま芋をいっぱいいただきました。
あまいみかんでした。 さつまいもも。
それを、いただきながら、ブログを書きました。


【道の駅】    昨日と同じ。

【明日の予定】   天気が回復したら、鳳来寺に。

【今日の歌】    銀座の雀(YouTube)   森繁久弥です。

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コメント

むか~し幼少のころよく行きました。
近くにぶどう狩りのできるところがあった記憶があります
数日前にこのお寺のことを、にわとりの寺があるんだよ~と薄ら残っている記憶を思い出して説明しました。
今度行ってみよう!となり日曜日に行く予定です

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Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

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