キャンピングカーで放浪の旅

 写真で探訪

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
原爆資料館では、許可をいただいて、写真を撮った。
火傷をした子供の写真が、たくさんあった。

名前が分かっている子の、その後をネットで調べてみた。
2名について、分かった。 健在だった。

また、長崎市の取り組みが素晴らしかった。 そのことが分かった。


昭和20年8月9日。

サイパンのそばのテニアンを出た爆撃機ボックスカーは、屋久島上空を通った。 7時45分。
9時40分、小倉市上空に来た。 爆弾投下の、第一目標の町だ。

薄い朝霧の中、爆撃手は目視による投下目標地点の確認をした。 しかし、失敗。
この後、2度するが、それも失敗。 
天候も悪化してきた。

そうして、目標は、長崎市に変わった。 10時30分、小倉を離れる。

20分後の、10時50分頃、長崎市上空に入った。
しかし、高度2000㍍の辺りに、雲があった。 80~90%。

爆撃機は、長崎市街中心部へ、レーダーでの接近を試みた。
そして、命令違反のレーダー爆撃の準備に入った。 (目視での爆撃が出来ない場合は、太平洋での予定)
その時だった。
本来の投下予定地点より北寄りだったが、雲の切れ間から、長崎市街が見えた。
投下地点を変更した。 爆撃機を、手動に切り替えた。 その時が、来てしまった。

高度9000㍍から、核爆弾ファットマンは投下された。 
1分後、松山町上空500㍍で炸裂した。
午前、11時2分だった。


今日も茂木からバスで行き、松山町で降りた。

ここは、原爆資料館。      場所はここ。 平和公園、浦上天主堂も見える。
この建物の裏に、追悼平和記念館があったので、そっちに行った。

10年3月12日 (1)

追悼平和祈念館の中。 
原爆死没者への追悼と、永遠の平和を祈念するとあった。 国立。
よく分からない建物だった。 

10年3月12日 (2)

原爆資料館は、隣だった。 ここは、良かった。 広かった。

10年3月12日 (11)

10年3月12日 (25)

10年3月12日 (26)

原爆落下中心地は、資料館のすぐ近く。 500㍍の高さで爆発した。

10年3月12日 (3)

長崎に落とされた原爆は、ファットマン。 実物大の大きさ。 
高性能火薬、21000トン分の威力。 (4トントラック、5200台分)
イメージするのが大変だ。       ※ 核爆発と熱を出す仕組みは、ここの最後に。 分かりやすいですよ。

IMG_9246kkoomnb.jpg

大量の被爆資料が展示されていた。

一瞬に、こうなった。

IMG_9216bbvvccx.jpg

一人ぼっちになった子供も、たくさんいたんだろうな。

10年3月12日 (4)

悲惨な写真も、たくさんあった。 子供たちにも、見せた方がいい。

10年3月12日 (5)

全てが、一瞬だった。

10年3月12日 (6)

「かなしみに限りがなかった」は、初めて見る表現。

10年3月12日 (7)

救護を舞っている。

10年3月12日 (8)

10年3月12日 (10)

10年3月12日 (9)

燃え残った木を集めて、こうしたんでしょうね。

10年3月12日 (12)

爆風で、木は折れた。

10年3月12日 (13)

馬。 動物も死んだ。

10年3月12日 (14)

山王神社の鳥居。 今もこの状態である。 爆心地から、800㍍。

10年3月12日 (15)

線路も曲がった。

10年3月12日 (16)

女の人の後ろに、亡くなった人がいる。

10年3月12日 (17)ppp

ここが、自宅だったんだろうか。

IMG_9238bbvvccb

写真は、アメリカの提供の物も多かった。 山端庸介という人のも。 他に個人のが。

10年3月12日 (18)

爆心地から北へ、3.6キロの地点。 臨時救護所。
母子ともに負傷。 子供は、生後4カ月。 乳を吸う力はない。 10日後になくなる。
※ このことは、きっとお母さんの証言ですね。 お母さんは生き延びた。
※ また、戦後、写真の調査を、長崎市はやった。 

10年3月12日 (20)

兄が、弟をおぶっている。
長崎大学付属病院で被災。 お父さんは亡くなる。 お母さんは重傷。 長崎駅前。

10年3月12日 (21)

この人は、わが子を胸に、救護所を探している。

10年3月12日 (22)

この写真は、どこかで見たことがあると思う。
少年の名前は、谷口稜曄(すみてる)さん。 当時16歳。 現在80歳。 長崎原爆被災者協議会会長をしている。

IMG_9232mmnbkhh.jpg

現在の谷口さん。
tanigutipppm.jpg

吉田勝二さん。 当時14歳。 現在78歳。 今も講演で、戦争体験を語り継いでいる。

IMG_9234ccvvbnc.jpg

この動画に、吉田さんが出てくる

永井隆さんの文。 長崎の人達のために尽くした。 自分も後遺症に苦しんだ。  この人の記念館がある。

10年3月12日 (23)

いい内容で、まとめていると思う。
でも、この内容に、この表現に、不満を持つ人は、日本にまだいっぱいいる。
少しずつ、減ってはきたが。

10年3月12日 (24)

私が一番憎むのは、日本人を戦争に導いた人間だな。 そいつらは、戦後も大きな顔をして生きた。

IMG_9269bbnnmmn.jpg

こんな文があった。 似たような話は、他にもある。

10年3月12日 (27)

こんなのも。

10年3月12日 (28)

原爆資料館を出て、坂を下ったら、原爆落下中心地。

10年3月12日 (30)

上空500㍍は、写真の真ん中。 あの日も、ここだけ雲はなかった。

10年3月12日 (29)

修学旅行生がいた。

10年3月12日 (31)

10年3月12日 (32)

この辺りは、少し掘ったら、こんな地層が出て来る。

10年3月12日 (33)

平和公園は、少し離れた、小さな丘の上。

10年3月12日 (34)

みんな熱い思いをして死んだから、公園には、水が多かった。

10年3月12日 (35)

それでも、この人は助かったんだな。

10年3月12日 (36)

平和祈念像。
右手は、爆弾がさく裂した、500㍍上空を指差している。 横に伸ばした左手は、平和を表している。
軽く閉じた目は、亡くなった人の冥福を祈っている。

IMG_9305zzxxcas.jpg

10年3月12日 (38)

IMG_9317mmnnmmk.jpg

腰かけてる岩に、作者の言葉があった。

10年3月12日 (37)

浦上天主堂。 被ばくを受けたマリア像は、頭だけ発見される。  平和公園から撮影。

IMG_9325bbvcx.jpg

行ってみたが、中は撮影できない。      これが、そのマリア像。

10年3月12日 (39)  10年3月12日 (40)


人々の記憶から消えた時、同じことが繰り返される。
だから、長崎市は、長崎原爆資料館を作った。
※ 国は、作らなかった。 県は、作れなかった。 ということかな。

長崎市は、長崎市民をはじめ、知識人の知恵も総結集して、この資料館を作った。
そのように感じた。
だれもが、一度は見たらいい施設に、思った。

長崎を目指してやってきましたが、これを見るのが、中心でした。


【停泊場所】  茂木の少し北。 この辺りかな。 

【明日の予定】  大村方面か。


【ブログランキング】   国内旅行1位、旅行全体で5位です。  
             クリックするバナーは、左の一番下にあります。 気に入った所がありましたら、よろしく。
スポンサーサイト

コメント

長崎旅情3

新しくなった原爆資料館には、まだ行っていません。平和記念像も永く参拝していない。この前、長崎ランタン祭りには行ったのですが、滞在時間が短く、平和公園まで回ることができませんでした。
 やはり平和は永久に維持し続けなければなりませんね。明日から、二日間、柳川文芸クラブのメンバー7名で大分県臼杵市・玖珠町・竹田市の三箇所を回ってきます。野上弥生子文学記念館・臼杵石仏中心の旅です。

Re: 長崎旅情3

竹田はまだ行ってないので、私も行きたい。
仲間で行くのは、いいですね。
みんなで、ああだこうだ言いながら。
たくさんで飲む酒は、美味しいし。

どこを見るか、ゆっくり調べる時間がほしいです。
長崎はいい。


コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://akkamui21.blog39.fc2.com/tb.php/868-b55f6bdb

akkamui21

Author:akkamui21
ユーロスターで放浪の一人旅に出た、オジさんのブログ。
昨年春オホーツクを出発し、日本を2度往復。この秋に南下を始めたら、3度目に入る。

akkamui(アッカムイ)は、エゾモモンガのこと。子供の守り神の意味です。
ブログには、写真をいっぱい載せています。
よろしく。

名前:
メール:
件名:
本文:


-天気予報コム- -FC2-

この人とブロともになる

QRコード

気にいったところがありましたら、クリックをお願いしますね。

FC2Blog Ranking

ありがとうございます。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。